第267話 霊樹の間へ

 魔王に託された想いを胸に、エリンスはアグルエの涙を受け止め続けた。

 赤い絨毯の上に転がる願星ネガイボシからは光が失われ、エリンスの背中からは黒き温もりが消えていく。

 すすり泣くアグルエの嗚咽だけが響いて、ツキノは何を想っていたのか、瞳を潤ませ、ずっと天井を見上げていた。


「間に合わなかった、か……」


 戦いの気配が去って侘しさだけが埋め尽くした玉座の間へ、後からやってきたのはシスターマリーだった。

 二人は共に顔を上げる。エリンスは目元を拭ってから、床にぺたりと座り込んだアグルエを置いて立ち上がった。


「力が……奪われた」


 エリンスがそれだけ伝えれば、何が起こったのか理解したようにマリーは頷いた。


「えぇ……魔王様は、それもわかっていた」

「どうして……アルバラストさんが」

「嫌な予感がするから、先に行くと。『神の器』デルタと決着をつけたとわたしたちに伝えて、先に……」


『神の器』デルタは倒して来たらしい。ゆえに、だったのかもしれない。

 力が衰えているところで、最期の力を無理矢理発揮した後だったのだろう。

 もし、本来の力を出していられれば、アルバラストの力は幻英ファントムにだって敵っていたはずだ。幻英ファントムに大きなダメージを与えることには成功していたのだから。


「……助けられてしまった、魔王……アルバラストさんに」


 エリンスはなんとこたえればいいか迷って、座り込んだアグルエを見つめて呟いた。

 アルバラストがいなければ、今頃失くしていたのは――。


「くそっ」


 悔しくもなって悪態を吐く。


――『こうすることでしか……大切なモノを、守れなかった』


 アルバラストの最期の言葉が、何度も、何度も胸のうちで反響する。

 もっと己に力があれば。ちゃんと勇者の軌跡を巡っていられれば。

 幻英ファントムにだって負けなかった。こうしてアグルエを悲しませる必要もなかった。彼を失わずに済んだのに。

 ぐっと握り締めた拳には、白き炎が灯る。エリンスの想いに揺れるようにして、燃える炎がたゆたう。

 そんなエリンスの拳を見つめて、とことこと歩いて来たツキノが呟いた。


「エリンス、お主のせいではない」


 優しくもそう言ったツキノを、エリンスは涙で滲む瞳で見下ろして「でも」と言い返す。

 だけど、ツキノは首を横に振る。しゅんと垂れた大きな耳とは裏腹に、微笑むようにしてこたえてくれる。


「アルバラストが言っておったじゃろう。幻英ファントムは、手段を選ばぬ。黒き炎の力を手に入れるためならば、なんでもしたじゃろう。アグルエか、アルバラストか、狙いはどちらでもよかったはずじゃ」


 きっとアルバラストはそれを承知でアグルエを庇ったのだろう。

 力では今の幻英ファントムを止められない。だから、未来に――アグルエに、託したのだろう。


「じゃから、『まだ、全てが終わったわけではない』」


 託された想いに、エリンスはハッとして俯いた。


――『勇者の軌跡アレイル・ロードを辿れ、勇者候補生……まだ、全てが終わったわけでは、ない』

――『二人であれば……我ら・・が辿りつけなかった、その先の未来を、創ることが、でき――』


 弱々しく掠れていく白い光の中、それでも力強く優しく微笑んで、遺してくれた言葉だ。

 勇者と魔王の約束、果ては魔王の想い。エリンスは、それを受け止めた。己の意志で、はっきりと受け取った。


――ならば。


 ここで、立ち止まるわけにはいかない。まだ、終わったわけではないのならば。

 エリンスが決意を思い返して顔を上げると、それに同調するように頷いたのはマリーだった。


「そう、わたしたちは託された。まだ……ここで、終わらせてはいけない」


 そう言った彼女の言葉に強く頷けば、エリンスの気持ちも切り替わっていた。

 まだ幻英ファントムを止めることはできるはずだ――と、改めて周囲を見渡してから聞き返す。


「そういえば、ニルビーアさんたちは? それに、メルトシスは」

「二人とも無事。メルトシスは、二人と一緒に動いてもらっている」


 マリーがそうこたえてくれたところで、アグルエも顔を上げて立ち上がった。

 エリンスがそっとその手を取れば、アグルエも同じ力の強さで握り返してくれる。そんな二人を見て、マリーが微笑んでくれた。


「ひとまず、状況を整理しましょう。わたしたちには、まだやらなければいけないことが、残ってる」


 それぞれの顔を見て頷いたマリーは、このような状況だというのにとても冷静だった。否、このような状況だからこそであったのかもしれない、とエリンスは思いなおす。

 魔王の言葉を信じて進むためにも――きっと、メルトシスも、ニルビーアもマーキナスも、動いてくれているのだろう。


「ニルビーアたちには、霊樹に刺さったくさびを頼んであるわ」


「楔じゃと?」と聞き返したのはツキノだ。


「えぇ、枝木や根のあちらこちらに黒い杭のようなものが刺さっていた。どうもそれが悪さをして、霊樹に備わる大いなる巡りの流れを止めているみたい」


 マリーが考え込むようにしながらこたえてくれて、ツキノはそれに頷いてから返事をした。


幻英ファントム断絶魔術式ジャッジメントの力がこもったものかもしれぬ」

「えぇ、多分そう。ファーラスでの実験は、そのためだったのかも、とわたしも考えたところだわ」


 エリンスもすかさず言葉を挟んだ。


「その杭をどうにかすれば、大いなる巡りは戻るのか?」

「多分ね。ただ、クラウエルを問い詰めないと」


 マリーがこたえてくれた言葉に、ツキノは黙って力強い目線を向けている。

 そんな妙な気配を感じ取ったエリンスとアグルエは頷き合ってから、口を開いた。


「クラウエル……」


 度々聞く名前だ。

 エリンスが呟けば、アグルエが真剣な顔をしてこくりと頷いた。


「クラウエル・アン。魔王五刃将の、一人」


 アグルエの言葉に頷いたのはツキノだった。


「そうじゃな、わらわの後任になった子じゃ」

「ツキノには、特別な意味を持つ子なんだろ」


 エリンスが包み隠さずに聞けば、ツキノは躊躇うような表情を見せたものの、「うむ」と頷いた。


「あの子は、魔素マナの澱みが突然変異して生まれたタイプの魔族の子じゃ。親はおらぬ。人の心にも乏しい子じゃった」

「魔術に興味を示して、ツキノさんに懐いていたって……」


 アグルエが呟けば、ツキノは「うむ」ともう一度頷く。


「アグルエ、あのとき・・・・にも言ったじゃろう。あの子はわらわにとって弟子でもある。じゃが、もう、何を考えているのか、わらわにもわからない。幻英ファントムを起こして、このような事態に、わらわの研究を利用して……許せぬ。だから、この先立ち塞がるというのなら、全力で止めなければいけない相手じゃ」


 ツキノがそこまで強く言うことが珍しくて、エリンスはその想いも受け取って頷いた。


「あぁ……もう、やつらの好きにさせてはいけない」


 でなければ、託された想いにもこたえることはできない。

 エリンスが頷いたところで、マリーが懐より何やら手のひらサイズの端末を取り出した。


「それは?」とエリンスが聞けば、マリーは「マーキナスからだよ」と頷いて、端末を耳に当てる。


「えぇ、わかった。では、その楔をどうにかすれば、大丈夫なのね?」


 端末に向かって声を上げるマリーを見つめて、エリンスとアグルエは顔を合わせる。マーキナスから、ということはマーキナスと遠隔で連絡を取っているのか、そういう魔法なのだろう。


「わかった。えぇ、よかったわ。じゃあ、そっちは機を見て避難地へ戻って、あっちのことをお願い」


 それだけ伝えるようにして、マリーは端末を亜空間へ飛ばした。

 エリンスがその顔を見つめていれば、マリーは柔らかく笑ってからこたえてくれる。


「マーキナスから連絡が入った。霊樹の楔を抜けば、大いなる巡りは元に戻りそうだから、こっちのことは任せろって」

「メルトシスも一緒なんですよね」


 アグルエが聞けば、マリーは「えぇ」と頷く。


「ウルボも無事よ。合流できたって言っていたわ」


 外のことを任せてきてしまったきりだった。そのひと言が、今の状況の中で聞けたことが救いではある。ウルボまでも――となってしまったら、セレナにどう顔向けすればいいか、わからなくなるところだ。

「よかった」とエリンスが呟けば、ツキノも「じゃな」と頷いてくれた。


「みんな、動いてくれていたんだ……」


 アグルエはそんなみんなの想いを噛み締めるように言って俯いた。

 ひと息吐いたそれぞれの顔を見て、マリーは「うん」と首を縦に振って言葉を続ける。


「メルトシスたちにはそのまま、避難地の人と合流してもらって、大いなる巡りの修復ができ次第、マーキナスの転移魔法で人界へ戻ってもらうつもり」


 あそこで待っているラーデスア帝国の人々を逃がすためにも、それが最善であるだろう。転移魔法を扱うとなればマーキナスの力も欠かせない。


「ニルビーアも怪我の具合が酷いから。そっちと一緒に動いてもらうことにしたの」


 ともなれば、今、エリンスたちがすべきことは決まっていた。

 託された想いを胸に、紡いだ気持ちを共に。

 エリンスとアグルエはどちらからと言うこともなく、再び自然と手を取り合って、向き合ってから頷いた。


「じゃあ、わたしたちがしなきゃいけないのは」

幻英ファントムを追おう。幻英ファントムと、クラウエルを止めなければ」


 そう言い合った二人を見上げるようにして、ツキノは薄っすらと微笑むと言葉を続けた。


「やつらがいるのは、この玉座の上、霊樹の間じゃろう」


 霊樹の間。響きからしてそれらしい場所だ、とエリンスは考えつく。

 アグルエが頷いて説明を続けてくれた。


「この魔王城の中でも、王族しか立ち入ることが許されない。神聖な場所だよ」


 きっとそれだけ特別な意味合いを持つ場所なのだろう。


「行こう!」


 エリンスがアグルエの手をぎゅっと握ってこたえれば、アグルエも「うん」と力強く頷いてくれた。

 そうして想いを共にした二人を見て、シスターマリーとツキノも視線を合わせて頷き合っていた。


 四人は激しい戦いの後が見える玉座の間を後にし、玉座の裏手へと回る。

 ツキノとアグルエの案内でその先の部屋にあった魔導昇降機エレベーターへ乗り込んで、霊樹の間を目指した。


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