第266話 魔王、散る
しかし、アルバラストはそれを許さなかった。「がはっ」と口から真っ赤な血を吐き出しながらも、大きな左手で
漆黒の炎が
それには
瞬く間に慌てて飛び退いた
アルバラストの身体から魔力が抜けていくのがエリンスにも感じられた。その姿はみるみるうちに小さくなって、エリンスと出会ったときのような人の形へと戻ってしまった。
赤い絨毯に黒い染みが広がっていく。
呆然と着地したエリンスは剣を構えた腕からも力が抜けて、ただ事態を見守ってしまった。しかし、慌てて壇上へ、そこへ立つ
苦しそうに表情を歪める
「はぁ……はぁ……くっ」
だらりと垂れる左手に星剣デウスアビスを握ったままではいるものの、先ほどまでの覇気は完全に失われている。
「アルバラスト!」
「お父様!」
倒れたアルバラストへ駆け寄るツキノとアグルエが視界の隅に映った。
しかし、エリンスは玉座の前に立つ
「……思ったカタチと少し違ったが、まあ、いいだろう」
――黒き炎を、喰らったのか。
エリンスには
目の前にしている『神の器』アルファより感じる二つの気配、胸のうちに灯るように燃えている二つの炎が――白き勇者の力と黒き魔王の力が、見えてしまったから。
エリンスもそんな視線を追ってしまった。
倒れたアルバラストは、アグルエが支えるように身体を起こす。アグルエの瞳から流れ続ける涙が雨のように降り注ぎ、アルバラストの胸元を濡らしていく。
アルバラストは左胸に、まるで心臓を掴まれたかのように大穴を開けてはいるものの、浅い呼吸を繰り返しながら薄っすらと瞳を開けた。
「どうして……」
エリンスがぼやけば、
「対等に渡り合えていると、そう思わせれば、チャンスはあると思っていたさ……」
かはは、と笑いはするものの、
「見事、舞い込んで来てくれた。
その口振りに、エリンスは前回セレロニア公国で対峙したときのことを思い返す。
あのときも
「また……同じことを……」
しかし今回実際に剣を交わしたエリンスには、それも
対等に渡り合えてはいたのだから。
「なんであろうと、見せ場は演出が全てだろう。まあ、いろいろと懸念すべきこともあるが、こうして欲しいものは手に入れた」
「もう、俺を越えられるモノなどいやしない。全知全能、神の叡智は今、ここに一つとなった!」
勝ちを宣言するように言い放った
痛々しくも右腕を失った姿でありながら、そう言って左手を握り込んだ
痛みを忘れるほどの高揚感、そのような彼の想いが、全身を包んでいる黒白の光に溢れているようで、黒と白の炎は気高く燃え盛る。
「お父様!」とアグルエが呼びかけ続ける声は、エリンスの背後からずっと聞こえている。そんな想いも手にして――エリンスは咄嗟に地面を蹴り、黒き炎の翼で羽ばたく。そうやって背中を向けた
だが――。
「無駄だと、わからないか?」
想いの力は、
「ぐっ」
エリンスが跳ね返ってくる衝撃をこらえようと奥歯を噛み締めれば、勢いよく振り返る
刹那、エリンスが全身に感じたのは、重圧感。エリンスの力を持ってしても否定できないほどの星剣デウスアビスの力が、
「ぐはっ」
叩きつけられるように腹を打ちつけて、背中の黒き炎の翼共々地面へ叩き落とされ、膝をつくことすらままならない。
「ぐっ」とせめて視線だけでもと顔を上げれば、背中を向けた
「今や、おまえらに用はない。せいぜい仲良く、最期のお別れくらいしてやれよ。どうせ『此の世』も、もう終わる」
――かはははははっ!
響く笑い声を上げて、
やつの姿が消えることで、ようやく星剣デウスアビスの力から解放される。エリンスは咄嗟に起き上がると、アグルエとアルバラストの元へと駆け寄った。
「お父様、お父様!」
ツキノですら、アグルエの肩の上でその赤銅色の瞳に涙を浮かべるようにしている。アグルエは涙を流しながら首を横に振り、抱えるアルバラストへ呼びかけ続けていた。
透明な涙が流れ落ちる。ぽたぽたと、アルバラストの血で濡れた胸元を濡らして、しかし、彼の瞳はもう焦点も合っていないように天井をぼんやりと見上げていた。
心臓を掴み取られたのだろう。左胸を貫いた大穴からは止めどなく血が溢れ続けて、アグルエの腕や玉座の間の絨毯には黒い染みが広がっていく。
アグルエが全身に黒き炎を灯して、アルバラストの命を繋ごうと必死に想いを込めている。駆け寄ったエリンスもアグルエと肩を並べ、手を翳して想いを込めるのだが――。
「もう、よい。我に、かまうな……」
「そんな、お父様!」
弱々しく吐かれた魔王の言葉に、エリンスとしてはアルバラストの言いたいこともわかってしまった。
だが、アグルエは諦めきれないように首を横に振って、ぎゅっと、アルバラストの血に染まったシャツを掴んだ。
「まだ……何も、終わってなど、いない」
もう何も見えていないはずなのに。アルバラストはゆっくりと上げた右手で、そんなアグルエの手を優しくも掴んだ。
アグルエはハッとしたように涙で腫らした目を開けて、優しくも微笑んだアルバラストの顔へと目を向ける。
「アグルエ、すまなかった。おまえには、苦労を……かける頼みを、押しつけ続けて、しまった」
アグルエは首を横に振る。揺れる金髪に漂って、黒き粒子が飛び散った。
「馬鹿者がっ!」
ツキノは涙を流しながら、しゅんと尻尾と耳を垂らして叫ぶ。
「ははっ……ツキノ、悪かったな。おまえとの約束は、守り、きれなかった」
アルバラストはそうした二人を見つめてから、エリンスのほうへと顔を向けた。
「こうすることでしか……大切なモノを、守れなかった」
アルバラストの想いが、エリンスにも伝わって来る。
避難地を出発してから感じていた魔王としての覚悟。死期を悟っていたところもあったのだろう。それが長く生きるという意味合いでもあるのか、力が衰えていると囁かれていようとも、魔王としての最期を飾るためだったのか。
アルバラストは消え入りそうな声色で続けた。
「結果的に、やつに、力を渡すことには……なってしまったが……すまない、エリンス……きみらに、後を託すことに、なった」
こうなってしまっても謝り続けるアルバラストに、エリンスは首を横に振った。
視界が滲む。何もアグルエからもらい泣きをしたというわけでもない。
「俺の、力不足です。
「否、あいつなら、目的のために、手段は選ばない。我も力が及ばないことは、わかっていた、のだからな……」
どんどんと弱っていって細くなる息の中、それでもアルバラストは首を振って笑った。
エリンスはそれにも確かな実感を覚えてしまう。
勇者と魔王の約束に築かれた一つの歴史が、今、確かな終わりを迎えようとしている。
「最期に、アグルエと会えて、きみと、出会えて、よかった……」
海よりも深い蒼い瞳が、アグルエとエリンスの顔を見やるように動いたかと思えば、その身体は白い粒子となって天へと昇りはじめる。
腕の中からも重さが消えていく感覚があったのだろう。アグルエは「いや……」と小さく零しながら首を振って、ぽろぽろと流れ続ける涙が光の粒子に混ざるように散っていく。
「
アルバラストは力強く、最期にそう口を開いた。
その意味を問うことはできなかった。だけど、その名を、エリンスは忘れなかった。
「アグルエ、エリンス、二人であれば……
光りとなり消えていく魔王の姿に、エリンスの瞳からも涙が零れ落ちた。
ツキノが消えていく光へ、小さな前足を伸ばす。
アグルエは亡くなってしまった腕の中の重さを抱き締めるようにして、泣き崩れてしまう。
「どうして、みんな……どうして……」
アグルエは顔を両手で押さえて、嗚咽交じりに息を呑んだ。しかし、こらえきれないように響きはじめた号泣に、エリンスはそっとその肩を抱き寄せて、抱き締めた。
魔王の言葉は重く、エリンスの胸の中に響き続ける。二人の胸の中に響き続けた。
進むたびに失くしていくものも多い旅路だ。その度に託された想いを胸に抱えて、それでも先へ進んできた旅路だ。二人ならば――そう想うことはできたとしても、しかし、失ってしまった分の悲しみは重くのしかかる。
腕の中で泣き続けるアグルエに、エリンスもその頭をぎゅっと抱き寄せて、共に涙を流した。
首筋に感じる鼓動と耳元に響くすすり泣く声に身を任せ、二人で悔しさを受け止めた。
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