第265話 想いを共に、願いを手に


「勇者になったつもりか」


 幻英ファントムは嘲笑うように、しかし、苛立ちを隠さずにそう言い放った。


「勇者に憧れ勇者候補生になり、勇者になる道筋を歩み、『此の世』でかたられる勇者の意味すら知って、なお、それでも目指すというのか」


 心底理解ができない。そう言ったような冷めた視線を感じて、だけど、エリンスの意志はブレず、真っすぐと黒白こくびゃくの剣身を幻英ファントムへと向け続けた。


「それが、俺の進んだ道だから。俺たちが、進んだ道だから」


 エリンスがこたえれば、その背後ではアグルエとツキノも力強く頷いた。

 エリンスの胸のうちには、そんな二人の想いすら流れ込んでくるようだった。

 温かく、優しく、黒と二つの白、溶け合うように混ざった想いが、エリンスの全身を包んでいる。そんな熱に溶かされて、水蒸気が上がるようにエリンスの全身からは黒白の光が溢れ出す。


「俺は認めない。虚しき勇者候補生、『勇者』だと祀り上げられたあの男・・・のことも、こんな世界も、認めない」


 幻英ファントムの全身からも白き炎が溢れ出している。セレロニアで対峙したときよりも濃く熱く。そして、そんな幻英ファントムのセリフから感じた純粋なる怒りは、エリンスが今まで対峙しても感じ取ることができなかったものだった。

 幻英ファントムの中でも確実に何か変化が起きている。

 エリンスやアグルエの想いが同調していくように、幻英ファントムの想いも燃えている。

 それは、焦りか。

 同じ巡りの中にいるモノとして、エリンスにも幻英ファントムの想いが垣間見える瞬間があった。顔を仮面で隠していようと、こうして対峙すれば伝わるモノがある。


「くだらない、認めない、俺は!」


 幻英ファントムが地面を蹴った。構えられる星剣デウスアビスが黒い刃を煌かせ、仮面の奥からのぞく瞳は鋭くエリンスへ突き刺さるよう細められる。

 刹那、エリンスはセレロニアで対峙したときのことを思い返し、地面を蹴ると同時に剣を振り上げた。


 星剣デウスアビス――神々の時代より受け継がれ人の世に残った、星を司る聖剣だ。

 アーキスが持つ天剣グランシエルとは対を成す。グランシエルが大空を翔ける力を与えるのと同様に、デウスアビスが操るのは星にある重力だ。

 セレロニア公国ではその力によって抑えつけられて、成す術もなかった。

 だが、今は――。


 壇上へ、二人の距離が近づいて、エリンスは周囲の空気がズーンと重くなるような気配を感じ取った。

 ガラガラと天井からは破片や瓦礫が叩きつけられるように落ちてくる。

 エリンスの背後では怯えるように身を縮こませながらも、祈るように手を合わせて瞳を閉じたアグルエがいて、その肩の上ではツキノが白い尻尾を振っていた。エリンスは研ぎ澄ませた意識の中に、そんな二人の姿すら確認して――周囲に広げた自身の想いに炎をつけた。

 白き否定の炎――ツキノの力を受け継いだ、星剣デウスアビスの力すらも否定し得る想いを。


 エリンスが振るった黒白の刃と、幻英ファントムが振るった黒き刃が衝突する。

 エリンスがギッと瞳を向ければ、幻英ファントムはグッと悔しそうに表情を歪めた。


「もう、あのときのようにはいかないぞ!」


 エリンスの身体から放出される白き光が辺りを包み込んでいる。それが、幻英ファントムの放った星剣デウスアビスの力を否定し、封じ込めた。

 そのことは幻英ファントムにも痛いほどにわかっているのだろう。鍔迫り合いの体勢から、幻英ファントムは力任せに剣を弾き、後ろへ跳んだ。

 だが、エリンスはそれを逃がさない。


 エリンスはアグルエの想いを背に、アグルエはエリンスへ力を送るように祈り続け、二人の想いが形となる。その背に広がったのは、猛々しく燃え上がった黒き炎が象る翼だ。


 エリンスはそんなアグルエの想いの結晶を力強く羽ばたかせて、幻英ファントムに一歩迫る。

 そう勢い任せにエリンスが追いつくとも思わなかったのか、幻英ファントムは「ぐっ」と悔しそうに地面を滑り、もう一度剣を振るった。

 エリンスはすかさず刃でこたえる。黒白に輝く剣身が、エリンスの想いに呼応し純白に輝いて、カーンと打ちつけた刃同士、力で勝ったのは、エリンスのほうだ。

 よろける幻英ファントムに、エリンスはさらに一歩を踏み込んで、両手で握る願星ネガイボシを下から上へ振り抜く。

 幻英ファントムはすんでのところで身体をよじらせて交わすが、エリンスの振るったきっさきが白いマスカレードマスクを掠り、傷一つなかったその真っ白な仮面へ、斬撃を刻み込む。

 エリンスが剣を振り抜いたところで、幻英ファントムも身体をよじらせ剣を振るった。エリンスは腕を曲げ、剣を切り返し刃を防ぐ。しかし、足に力が入らず、弾き飛ばされる形となった。


 二人は距離を取り、ひと息吐く。

 エリンスとしては力を扱いきれている手ごたえはあったものの、刃が届いたわけでもない。

 幻英ファントムは「ぐっ」と悔しそうに言葉を噛みしめて、傷ついたマスカレードマスクを確かめるように左手で顔の半分を覆った。


「二つの、力を……」


 幻英ファントムはエリンスの姿を捉えたように瞳を揺らし、ぼやいた。

 エリンスの全身を包んでいる黒白の炎。壇上の下では、アグルエがそんなエリンスを見上げて手を組んで祈りを捧げ続けるように、想いを込めてくれている。

 今までは、触れ合っていなければ、そのようなこと・・・・・・・はできなかった。

 だが今は、エリンスの背中でアグルエの想いが黒き炎となって揺らぎ、はためく。


「完全なる共鳴じゃ。黒き炎と白き炎、エリンスとアグルエの想いが、一つになったゆえ……」


 ツキノが呟いた言葉がエリンスの耳にも届いた。

 エリンスがアグルエの姿を一瞥すれば、アグルエは額から汗を流しながらも口元を緩め、一つ頷いてくれた。


「ありえん」


 幻英ファントムはそんな二人の姿を見ては首を振る。

 黒き炎と白き炎、二つの力を一つに治める――それが意味するところは、幻英ファントムたち『神の器』が造られた意味と同義だ。

 エリンスが感じ取った全能感も、身体の中から無限に湧き上がってくる力も、きっとそれが、二つの力を一つにするという意味なのだ。

「ちっ」と幻英ファントムは舌打ちを鳴らす。きっと、その意味合いにも気づいたから。


「たかが人間と、たかが魔族が。く、くくく、くふはははははは」


 だが、幻英ファントムは天を仰いで笑いはじめた。


「傑作だ、あいつらが求めていたものが、こう目の前にあるなんて。虚しいにもほどがある、かはははははは」

「何が、おかしい」


 エリンスは怯まないように剣を構えなおし、幻英ファントムへ向き合う。


「進化の可能性だ。人類が次なるステージへ進むため、そう抜かして、俺を生み出したやつらの話だよ」


 そう笑った幻英ファントムにこたえたのはアグルエだった。


「『神の再誕』……」

「そうだ、破滅を呼ぶ神の叡智。そんな二つの力にある可能性の話だ」


 アグルエが『闇招あんしょうの底』で見たモノ――そんな思考すらが、エリンスの脳裏に過った。


「無限のエネルギーを生み出そうとした結果が、ロストマナ。どこまでいっても報われない、かはははは」


 幻英ファントムは、自分を造り出した者らを恨んでいるのだろうか。

 こうして言葉を交わす間にも、やつの想いが滲みだしている部分が、エリンスにも見えてきた。


「そんなやつらが知りもしなかった、考えもしなかった可能性が、今目の前にあるってことだ」


 それが自分自身らのことを差しているのだろうことは、エリンスにもアグルエにもわかった。


「虚しさもここまでくれば、傑作だろう。だから、俺が壊してやるよ。そんな可能性は」


 幻英ファントムの暗い双眸がぎらりと光る。暗い瞳に灯る白き炎が宿り、呼応するように、幻英ファントムの全身から白き光が溢れ出す。

 エリンスは両手で願星ネガイボシを握り込んだ。来たる衝撃を予感して。


「アグルエ!」


 エリンスが名を呼べば、アグルエも力強く頷いて両手を握った。

 願いが、想いが、エリンスの身体に溢れ出す。

 幻英ファントムが地面を蹴って前傾姿勢で向かってくる。一歩、二歩、エリンスもタイミングを合わせるよう踏み出して、剣を振り抜く。黒き炎の翼を力強く羽ばたかせ、ぶつかる衝撃を緩和する。

 黒白の刃、黒き白刃。幻英ファントムの力を呑み込んだ星剣デウスアビスが、喜ぶようにして白く煌いた。

 幻英ファントムの全身から感じる勇者の波動。それは、エリンスが今までに感じたことがないほどの想いの積もった一撃だった。


――なんて、力だ。


「俺とおまえの間には、決定的な違いがある」


 にやりと笑う幻英ファントムに、エリンスは純粋な恐怖を感じ取る。今度、力で気圧されたのは、エリンスのほうだ。

 二つの力の衝突に周囲の空気は震え上がり、天井付近で煌いたシャンデリアがガラガラと崩れはじめた。降り注いだガラス片がキラキラと輝いて、しかし、膨れ上がる二つの白き炎が周囲を白く染め上げる。

 エリンスはギリリと奥歯を噛み締めて、なんとか刃を受け止めて入られるが、幻英ファントムの瞳が再び白く煌けば、そうして力任せに振り抜かれる刃に弾き飛ばされる。


 瞬間、幻英ファントムの思考がエリンスにも読めた。こうして刃を重ねれば、剣士同士、見えるようになったこともある。

 白き破壊の力による空間の短縮、エリンスの目の前を流れる時間の破壊。

 幻英ファントムの姿が霞に消えるよう薄くなる。エリンスが認識していた時間が破壊され、消し飛ばされる。

 目の前で何が起こっているかは、もう理解できる。セレロニア公国のときとは、違う。

 だから、エリンスは力を込めて両眼を見開いた。

 セレロニア公国で、人の姿になったツキノがしていたことを思い出して。


――『わらわには、見えておる』

――『否定するぞ。その破壊!』


 エリンスの両眼にも白き炎が灯る。ツキノがそうしていたように、幻英ファントムが破壊した時間の流れを否定した。

 刹那、星剣デウスアビスを振り上げた幻英ファントムの姿が、白い光の中に浮かび上がる。エリンスはすかさず振り抜く願星ネガイボシで、幻英ファントムの力を弾き返した――かのように、錯覚した。

 だが、幻英ファントムはそんなエリンスの力の使い方すら読んでいたようにして、背面へ回っている。幻影――光の中に生んだ影を利用して、エリンスの認識を破壊した。


「生温い世界で、勇者候補生として立たされただけのおまえに、俺の剣は、折れはしない」


 エリンスは勇者の軌跡をまだ四つしかまわれていない。そこにある、絶対的な力の差。完全なる白き炎の力をモノとして、勇者の力を纏った幻英ファントムは、その点ではエリンスの力を完全に上回っている。

 エリンスは背後に迫った気配に気がつき慌てて振り返るも、既に幻英ファントムが振るう刃が眼前に迫っていた。

 勝負はついた――幻英ファントムの瞳はぎらりと、傷ついたマスカレードマスクの奥で開かれる。

 しかし、その刃を防いだのは、黒き炎の壁だった。


「一人じゃないから!」


 アグルエが黒き炎の翼を広げて飛び上がる。

 だが、エリンスは見逃さなかった。そんなアグルエの姿を一瞥して、にやりと口元を吊り上げた幻英ファントムの表情を。

 エリンスは咄嗟に一歩を踏み出し、剣を振るった。しかし、そこに幻英ファントムの姿は、ない。


 飛び上がるアグルエへ、狙いを澄ましたかのように幻英ファントムも跳び上がる。

 幻英ファントムはずっと隙を狙っていたのだろう。勝負の最中にも、こうして、黒き炎へ迫るチャンスを。


「ダメだ、アグルエ!」


 エリンスも黒き炎の翼を強く打って飛び上がる。振るった剣は幻英ファントムを捉え、そのきっさきが星剣デウスアビスを握っていた左腕を斬りつけた。

 鮮血が散る。だが、幻英ファントムはそのような痛みすら気にしていないように右腕を伸ばした。白き炎を纏った右手は、アグルエの胸元を掴もうと力が込められているのが見てわかる。


 何をしようとしているのか。何が狙いなのか。

 初めからわかっていたはずなのに。

 幻英ファントムの狙いは、アグルエの力だ。


 エリンスはもう一歩、宙を蹴り、黒き炎の翼で羽ばたいた。

 だがしかし、それよりも速く、幻英ファントムの腕を遮ったものが、それぞれの視界に飛び込んだ。


「ぐっ」


 腹の底まで響いた苦痛に歪んだ声。広がる漆黒の炎。青みがかる黒い肌。大木のように太い腕、三メートル近い巨体。

 大きな目は声と同様、苦痛に歪んだよう閉じられて、しかし、その奥からは深く蒼い瞳が力強くのぞいている。

 周囲に溢れていた白き光が治まって――放心するそれぞれに、だけど、幻英ファントムだけが確かな手ごたえを掴んでいる・・・・・ように笑っていた。


「アルバ、ラスト……」


 アグルエの肩の上、ツキノが零す言葉だけが玉座の間に響く。

 幻英ファントムが伸ばした白き光で輝く右腕は、飛び込んできた魔王アルバラストの左胸を突き破り、静止していた。


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