第264話 歪みの象徴

 エリンスは横にある確かな温もりを抱き締めて、白く輝く剣身を構え続ける。

 シャルノーゼは悔しそうに歯を噛み締めて、言い返す力ももう残っていなさそうに顔を歪めた。

 すると、エリンスの腕の中で、傷つきボロボロだったアグルエの身体が白い光に包まれた。黒き炎が燃え上がり、二つの光が混ざり合い、黒白こくびゃくの炎が二人の胸に灯る。じんわりと感じていた温もりが二人の間にも広がって、アグルエの傷すらも癒していった。頬についていた傷も、擦り切れた服も、血や埃をかぶった髪も、綺麗に元通りに戻るように回復していく。

 エリンスの胸のうちまで温かく、今ならば『なんでもできる』、そんな全能感が身を包んだ。

 ツキノが慌てたようにエリンスの肩の上に飛び乗って、白い尻尾を振る。


「よく言った、エリンス!」


 褒められてむず痒く、だけど、そんな想いは表情にも出さず、腕の中のアグルエをぎゅっと抱き締めて、剣をシャルノーゼへ向け続ける。


「……おまえさえ、いなければ」


 シャルノーゼは先ほどから恨みごとのよう同じような言葉を繰り返す。

 アグルエの様子がおかしかったことはひと目すればわかったことだ。


「何を、しようとした!」


 エリンスは言い返しながら、ラーデスア帝国でマーキナスに言われたことを思い返す。


――『星の力の反発だ。いいねぇ、目論見通りだ』


 きっとあれは、『幻英ファントムの目論見通りだ』という、そういう意味で口にされた言葉だ。


――『いい状態まで引き出されているねぇ。白き炎と黒き炎!』


 旅をしていても、黒き炎の力がどんどんとアグルエに適応しているような変化は感じていた。

 それは、エリンスが持っている白き力にしても同じだ。勇者の軌跡を巡るたびに、己の中で勇者の力の存在が強くなる。

 勇者の軌跡が、そのための場所であるならば――アグルエが持つ力にしても、同じようなことが起こる可能性はある。勇者の軌跡が、勇者候補生に想いを湧き起こさせるための場所であるように、アグルエの想いに、火をつけようとしたのかもしれない。


 きっと、こうして力を引き出すことは、二人にとっても必要なことだった。だが、幻英ファントムやシャルノーゼは、そんなアグルエの想いを利用したのだろう。

 エリンスが思考を巡らせシャルノーゼを睨みつければ、しかし、こたえたのはシャルノーゼではなかった。


「はぁ……失敗か」


 そう口にした男は玉座の間の中央、三メートルほどはある大きな玉座に腰かけて首を傾げていた。

 白いマスカレードマスクに、黒いファーがついた暗いローブ。左腕で肘置きに頬杖をついて、右手には黒い剣身に黄色い光が走る特徴的な剣、星剣デウスアビスを持っている。


幻英ファントム!」


 エリンスが矛先をそちらへ変えても、シャルノーゼは一歩も動こうとはしなかった。


「何を、企んでいた!」

「おまえ、この後に及んで!」


 エリンスに合わせて、ツキノが全身の毛を逆立て姿勢を低くし、威嚇するように叫んだ。

 幻英ファントムは白い仮面の奥で暗い瞳を薄っすらと細め、「ふんっ」と鼻を鳴らして笑う。


「お姫様の黒き炎は、純粋すぎてな。使い物にならないと、そう思ったのさ」


 怯えるように身体を震わせるアグルエに回した左腕はそのままに、エリンスは願星ネガイボシを構えなおす。


「シャルノーゼが、『楽しみはわたしに寄越せ』と、そう言うから任せてみたが、まあ、もう少しのところで、失敗だったというわけだ」


 かははっ、と幻英ファントムは跪いているシャルノーゼを見下し笑った。


「黒き炎を絶望の闇で染める。俺が欲しいのは、その漆黒の炎だったんだがな」


 にやりと細めた目元が仮面越しにもうかがえて、エリンスは「くっ」と奥歯を噛み締めた。

 それがシャルノーゼと幻英ファントムの狙いか。

 アグルエの想いに火をつけるために手段を選ばなかったことも、エリンスには感じ取れてしまった。

 アルバラストの代わりに捕まったというアグルエの兄、アルバートの姿は城に突入してから見つかっていない。幻英ファントムを前にして、あの魔王と言えど、ただ逃げることはできなかったのだろう。

 だから、身代わりか。


「……勝手な、ことを!」


 エリンスは怒りを覚えて、だが、怒りにだけ身を任せて剣は握らない。

 不安そうに視線を揺すらせるアグルエの横顔を一瞥し、彼女をもう一度ぎゅっと抱き寄せた。

 幻英ファントムはそうしたエリンスとアグルエのことを見下ろして、「ふっ」と鼻で笑うとシャルノーゼへもう一度目を向ける。


「その様子じゃ、完敗のようだな、シャルノーゼ」


 シャルノーゼは何もこたえないが、幻英ファントムは偉そうに足を組み替えて言葉を続けた。


「もう、おまえには無理だ。おまえの楽しみは、俺が奪っちまうかもしれないが、後はこちらでやらせてもらうぞ」


 にやりと笑う幻英ファントムに、シャルノーゼは「ぐっ」と歯を噛み締めて、頷いた。


「勝手にして……これこそ、まさに絶望よ……」


 何も言い返そうとはせずに、シャルノーゼはそのまま闇に溶けるように姿を消す。

 エリンスは一歩を踏み出すが、アグルエが首を横に振った。


「逃がしちゃったけど、よかったのか」


 アグルエが言いたいこともわかってエリンスが聞けば、アグルエは「……うん」と静かに頷いてくれた。

 シャルノーゼが纏っていた大きな闇の気配はどこか遠くへ消えた。あの様子ではしばらく動くこともできないだろう、邪魔もされないはずだ。

 そう考えて、エリンスは玉座に腰かける幻英ファントムへと向きなおる。


「『神の器』、アルファ」


 エリンスが改めて呼べば、幻英ファントムはつまらなさそうに「ふっ」と息を吐いた。


「おまえは、セレロニアで俺に聞いてきたよな。この世界を、どう思う、何を見る、って」

「……そんなことも聞いたな。ならば、改めて聞こう。どうして、ここまできた?」


 白いマスカレードマスクの奥からのぞく暗い瞳と確かに目が合う。

 前回セレロニア公国で対峙したときは、エリンスのことを見ようともしていなかった、そんな気配があったのに。

 幻英ファントムが目を向けていたのは、エリンスの後ろに見えた勇者の力、ツキノの持っていた白き力、あるいは父の影。エリンス自身でなかったことは確かだ。

 今この時、初めて幻英ファントムの目の前に立つことができた。そのような感覚を持って、エリンスはこたえる。


「俺は、世界を真の意味で救うためにここまできた」

「ふっ……真の救済・・・・、か」


 幻英ファントムはわざとらしく、感心したように頷いた。


「知らなかったことも知った。おまえがどうして造られたのか、その意味も」


 幻英ファントムが何をしようとしているのかも、もうわかっている。


――『俺は――この世界を在るべきカタチに戻すだけ』

――『勇者と魔王が魔素マナの流れを反転させた、歪んだ世界リバースワールドを正して壊す――それだけさ』


 幻英ファントムは、今の世界を文字通りに壊して、新しい世界を創ろうとしている。

 二百年前、アルクラスアが禁忌を犯して起こったロストマナ。全ての歪みのはじまりは、そこにある。

 世界が危殆きたいひんした理由も、幻英ファントムが産まれた理由も――ゆえに、だからこそ、なのだろう。

 幻英ファントムがどうして、そこまで『此の世』の破壊に固執するのか。

 勇者と魔王によって延命された、今の世界を否定した。自分が産まれた意味を否定した。

 全てを無に還してなかったことにして、新しい世界をぜろからはじめるつもりなのだ。

 そうしても星は生き続けるだろう。だけど、その上で生き続けるはずだった人々はどうなる。今の世界を生きた皆の想いはどうなる。

 幻英ファントムは――それすらも破壊しようとしている。


「俺は、それ・・を真の救済だとは認めない。壊させはしない。勇者と魔王が守った今の世界を、そして、これからの未来を!」


 エリンスがそう覚悟を示せば、幻英ファントムはただ静かに眼差しを向けて来る。

 白いマスカレードマスクに表情が隠されていて、何を考えているのかわかりはしない。だが、冷たくも真っすぐと、二人の視線は交差した。


「……気に入らない」


 幻英ファントムはひと言口にして立ち上がる。


「ただの人間が、ただの勇者候補生が、俺の想いを、否定できるはずがないだろう?」


 手にしている黒い剣を構えた幻英ファントムに、エリンスはキリッと視線を向け続ける。

 壇上を挟んで斜め上へ、エリンスはきっさきをそらさずに、アグルエを抱えたままに幻英ファントムと対峙した。


「一人じゃないから」


 アグルエも、幻英ファントムを見上げて呟いた。


「それを教えてくれたのは、エリンスだから……わたしたちは、皆の想いを背負って、ここまできた! たしかに、前に進むたびに人々の想いは歪んでしまうのかもしれない。真っすぐと進むだけってわけにはいかないのかもしれない。だけど、皆今を必死に、一生懸命、前に向かって進んでいるんだ。それは、人にしたって魔族にしたって同じなんだ。だから、そんな世界を、あなたの好きにはさせない!」


 アグルエは涙で腫らした目を拭って、力強くこたえた。

 エリンスはそう言ったアグルエを一瞥し頷き合って、手にした願星ネガイボシに力を込める。

 純白に輝いていた剣身に黒き炎が混ざり合う。黒と白、重なる想いを表すように溶け合って、黒白こくびゃくの剣が二人の想いを乗せて煌いた。

 そんな二人のこたえを聞いて、幻英ファントムが「ちっ」と不愉快そうに顔を歪める。


 エリンスはそっとアグルエから腕を放すと、そのまま肩の上に乗せていたツキノの頭を撫で、そっと腕に抱えてアグルエへと渡した。

 一瞬の間、互いに向き合い頷き合って、アグルエの腕の中で丸くなったツキノも頷いてくれた。

 エリンスは二人の願いを乗せた剣を構え、壇上で苛立ちが隠せないようにしている幻英ファントムを見やる。


「だから、二人揃うと面倒なことになりそうだと、常々思っていたんだ」


 むしゃくしゃしたように髪をかき上げて、幻英ファントムの白い仮面の奥よりのぞく瞳がぎらりと光った。


「もっと、早く始末しておくべきだった」


 そう言った幻英ファントムに反論したのはツキノだ。


「おまえだって動けなかっただけじゃろうて。負け惜しみじゃ」


 それが図星だったのだろう。幻英ファントムは「ちっ」と舌打ちを鳴らした。

 セレロニアでツキノが負わせた傷が効いていたはずだ。その後すぐ幻英ファントムは動き出せなかった。だから、人界で『覇王』を動かして、それが戦略でもあったのだろうが、時間を稼いで回復する時間を待ったのだろう。


「確かに自由に動けるようになったのは、今この時がやっとのことだ。だが、まあ、いい……ここで、始末すればいいだけの話だ」


 幻英ファントムが苛立ったように星剣デウスアビスを構えるのに合わせて、エリンスは両手で黒白こくびゃくに輝く願星ネガイボシを握り込む。

 皆の想いを背負って、二人の想いを剣に乗せて、エリンスは勇ましくアグルエとツキノの前に立ち、幻英ファントムと向き合った。


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