第263話 ふたりは再び、手を取り合って

 エリンスは妙な違和感を覚えた。

 肩の上のツキノの案内で階段を駆け上がり、魔導昇降機エレベーターで最上階へ辿り着き、玉座の間だと言われた頑丈な二枚扉を前にして――ようやく追いついた。そういった実感もあったけれど、それ以上に、その先から感じる彼女の気配からは今まで感じたこともない妙な不安がつき纏う。

 確かな不安だ。どくんと心臓が跳ねる気持ちを抑えるように扉を両手で押し開けば、まるで巨大な闇が目の前に広がるようだった。

 荒れ果てた玉座の間、血が滲む赤い絨毯に崩れる柱や天井、抉れる壁。空気が怯えるように震えている。その中央には、二人の魔王候補生の姿があった。


 押し倒され胸倉を掴まれる端麗な銀髪の闇招あんしょうの魔王候補生。その彼女に馬乗りになる金髪碧眼の滅尽の魔王候補生。


――やっと、追いつけた。


 そう想って、だが安堵するような余裕はない。

 追いかけ続けていたはずの横顔がそこにあった。だけど、その頬を伝う涙は黒く染まり、仄暗い瞳が倒れる銀髪の魔王候補生を抑えつけるよう鋭く開かれている。


――アグルエ!


 彼女が強く握り込むよう右手に拳を作った。その手は、エリンスが見たことがないほどにどす黒い想いが渦巻いて、漆黒の炎に燃えている。


――あのとき、届かなかった手は、今!


 二人はエリンスが扉を開けて玉座の間に飛び込んだことにも気づいていない様子で、互いに冷たい眼差しを交差させたままだった。


「アグルエ!」


 エリンスは全身全霊の想いで飛び出した。肩の上にいたツキノは、そのようなエリンスの様子にも慌てたようにして肩から飛び降りる。

 伸ばした右手を、踏み出した足を、一刻でも早く。


「アグルエー!」


 エリンスがもう一度呼んだところで、彼女は振り返ろうとすらしなかった。聞こえていないのだろう。もはや、二人の視線の交錯にある意味合いも、確かな嫌な予感としてエリンスにも伝わって来る。

 二人の間に何があったのかはわからない。だが、それでもアグルエをそうさせてしまった何かがあったのだろうことくらい、すぐにわかった。

 駆け寄ったエリンスに、先に気づいたのは薄っすらと目を開ける弱り切ったシャルノーゼだ。細めた目をやや開き、驚いたような表情をエリンスに見せた。

 だが、アグルエはまるで気づく気配もない。


――まだ、間に合うんだ!


 エリンスは精いっぱい右手を伸ばして、振り上げられているアグルエの腕を掴む。

 アグルエにそうさせてしまってはいけないと直感して。その拳を振り下ろさせてしまえば、もう取り返しがつかないと気づいて。


 刹那――あの日、ラーデスア帝国の王城広間で、二人の間の『星の力』が反発し合って弾かれたことを思い返した。


 あのときは、黒き炎と白き炎が反発して、手を取り合うことができなかった。

 その意味も、その理由も、今ならばわかる。

 もし、今のこの状況・・・・・・すら、幻英ファントムが作り出したモノであるとするならば、やつの手のうちであるならば。アグルエの迷いすら、やつが作り出した幻影だったのだろう。


――『……黒き炎、白き炎、共にあり続ければ、必ず破滅を呼ぶぞ』


 そうアグルエの中に言葉を残し、邪念の種を植え付けたのだ。

 アグルエは、無意識のうちに恐れてしまったのだろう。二つの力の意味に気づきつつあって、そうして、二人で旅路を進んだ結果、真実へ近づいて。

 アグルエが持つ黒き創造の炎は、彼女の想いの力だ。魔法が想いの力であるように、黒き炎の力はその何倍も、アグルエの想いに影響される。

 彼女が持つ迷い・・こそが、あの反発を生み出した。だから、そんな迷いすら、全て包み込んで――。


 エリンスはアグルエの腕を掴むと、シャルノーゼから引き剥がす。

 悔しそうにそんなエリンスとアグルエのことを見上げたシャルノーゼは、力なくばたりと倒れた。

 だが今、エリンスに彼女のことまで気にかけている余裕はない。

 アグルエもそうされたところでようやく第三者の介入に気づいたらしく、戸惑ったように首を振った。だが、エリンスは構わず、アグルエをそのまま後ろから抱き締める。


「アグルエ、もう、離さない。絶対に」


 耳元で囁けば、アグルエは呆然と蒼い瞳に涙を浮かべた。

 感情を失ってしまったように漆黒の炎が宿っていた瞳にも、光が戻ったように透明な涙が煌いた。


「どうして……」


 零れ落ちた彼女の言葉を掬い上げて、エリンスは溢れる想いを口にする。


「俺は、きみのことが好きだから。約束しただろ、一緒に行こうって。同盟パーティーを組んでくれないかって」


 はじまりの街で出会って、共に手を取り合って。


「一人先に進んだ大切な仲間きみを放っておいて、勇者になんてなれるはずがない。俺はあの日、決めたんだ。きみと、この世界の果てを見るって。旅をして、知って、この世界の真実を見つけるって、そう決めたんだ」


 力強く抱き締めて、そこにある彼女の温もりを確かめて。

 漆黒の炎が宿る握られたままのアグルエの拳へ、そっと右手を重ね、それをほどく。そのままエリンスがアグルエの身体に回した両手で右手を握り込めば、アグルエの手に灯っていた漆黒の炎は消え去った。


「……なんで」


 ぽろぽろとアグルエの瞳から溢れ出す涙が、エリンスの手の上にも流れ落ちた。


「俺たちの旅路は終わらない。道は続いていたから、だから、追いついた」


 アグルエは身を震わせている。エリンスの腕の中で、声を上ずらせ、泣いて。

 その涙こそが、彼女の抱えていた悩みでもあったはずだ。『さようなら』だなんて、言いたかったはずがないのだから。エリンスは知っていたから。ずっと旅をしてきて、いろいろな土地を巡って、同じ景色を見て、エリンスも同じ気持ちでいたのだから。


「ごめん、アグルエ、あんなことを言わせてしまったのは、俺の弱さのせいだ。星刻の谷で、あの星空に誓ったのに……必ず、きみを守れるほどに強くなるって」


 エリンスが想いを伝えれば、アグルエが微かに首を横に振った。


「ううん……違う、わたしが、一人でも、進むって……エリンスなら、一人でも勇者になれるって、勝手に、決めたから……。あのときは、それが……正しいんだって、思った。だけど……」


 ひっく、と嗚咽を上げながら、涙交じりの声でこたえてくれる。

 そんな彼女の迷いや後悔すらも受け止めて、エリンスは両腕に力を込めてそこにある彼女の温もりを包み込んだ。


「もう、迷わせない。きみの全部は、俺が受け止める」


 決意も覚悟もあの日旅立つ際に誓った想いも――今こうして、アグルエを抱き止めるためにあったのだ。


 エリンスは足元に落ちている漆黒の宝石が煌く首飾りに気がついた。『漆黒の魔封』――魔王アルバラストからアグルエに託された、お守りだ。

 アグルエからそっと腕を放すと、その首飾りを拾い上げる。そしてそのまま向き合って、エリンスは首飾りの輪を広げてアグルエの首を通す。

 アグルエは少し恥ずかしそうに俯いてされるがままでいてくれた。

 その胸元で宝石は漆黒の輝きを放つ。在るべき場所に帰ることができた、そうこたえたようにして。


 そうしてからエリンスは右手で願星ネガイボシを抜くと、アグルエを左腕の中に抱えなおした。

 力なく倒れていたシャルノーゼの起き上がった気配に一早く気づいていたから。


「貴様が、いるから、アグルエは!」


 シャルノーゼは大きな禍々しい闇の大鎌を振り上げる。危機迫るような怒りに燃えた表情で、全身ボロボロなのに、そのような力がどこに残っていたのか、エリンスとしても疑問ではあったが――迷いはなく。エリンスは振り抜いた純白に輝く願星ネガイボシの刃で、迫る刃を弾き返し、否定した。


――闇も、絶望も、寄せつけない。


 虚を突いたつもりであったのだろう。シャルノーゼは驚いたような表情で飛び退いて、そして、片膝をつく。

 エリンスは左腕の中にぎゅっとアグルエの温もりを確かめて、そして、剣のきっさきをシャルノーゼの眼前へ突きつけた。


「おまえらが何を企んでいるのかは知らないが、アグルエのことは、渡さない!」


 びくりと、腕の中のアグルエが震え上がった。

 だが、そんな震えも全て抱き締めて、エリンスは力強いヘーゼル色の瞳を、恨めしそうに見上げてくるシャルノーゼへと向けた。

 エリンスの身体の中から湧き上がってくる熱が、左腕の中、彼女のそれと混ざり合う。


「エリンス……」


 震える声でそう呼んでくれたアグルエを一瞥して、エリンスは口角を上げ、「もう、大丈夫だから」と力強く頷いた。

 ぎゅっと、彼女を抱えている左腕にも一層と力が入る。そうすればアグルエも安心したのか、ようやく呼吸が落ち着いたようだった。

 二人の鼓動が共鳴する。呼吸までもが合わさっていく。想いも、迷いも、全てを受け止めて――。


「もう、少しだったのに」


 そんな風にしている二人を見上げるシャルノーゼは、もう立ち上がる力も残っていなさそうだった。だが、負け惜しみのようにそれだけ吐いて、真紅の瞳にギッと力を込めた。

 エリンスはもう一度アグルエを抱き寄せると、向けている願星ネガイボシきっさきはそらさないように、力強い瞳でこたえる。


「もう……傷つけさせはしない!」


 エリンスとアグルエ、二人の身体から立ち昇る白き炎と黒き炎が、溶け合うように混ざり合う。

 白と黒、二重に揺らめく煌きの中で、エリンスは彼女の勇者であれるように想い――、もう離さないと、握った願星ネガイボシへ――あの日誓った己の想いにこたえるべく、力を込めた。


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