第262話 黒き純情は闇へ染まる


――同時刻、イルミネセントラル城、玉座の間。


 絨毯に残る焼け焦げた跡、鋭利な刃物で削られたような跡があちこちに見える黒い石壁。崩れる柱は瓦礫の山となり、ガラガラと震える空気の最中さなか、豪華絢爛なシャンデリアは煌き揺れている。

 壇上に鎮座した巨大な玉座のみが傷つくことなく佇んで、今やそこは、二人の魔王候補生のための戦場と化していた。

 黒き炎と深き闇、対立する二人の力が、その場の空気すらも震わせ続ける。


 透き通る黒き炎を纏わせる剣を振り抜いて、闇纏う大鎌が振り抜かれ。

 二つの力の衝突に弾かれるアグルエは、黒き炎を翼のように広げて衝撃を緩和し床を滑り、片膝をつく。

 綺麗だった金色に輝く髪も今やところどころ埃をかぶり、鮮血を浴びて汚れてしまっている。纏うコートや服にも切り傷が目立ち、その下の白い肌からは薄く血もにじむ。

 頬を走る傷から垂れた血を手の甲で拭い、ギッと向けた碧眼が放つ眼光は鋭くも対する魔王候補生へと向けられた。


 闇招あんしょうの魔王候補生シャルノーゼも、アグルエと同じように床を滑り、片膝をついていた。

 手にした大鎌はしっかりと握ったままに、しかし、その全身はアグルエ同様ボロボロだ。流れるような長い銀髪には焼け焦げるような跡があり、背中に広げた白い翼にも傷が目立つ。


 もう何時間、二人はこうして刃を交えたのだろうか。わかり合うことがない平行線を辿り、得物を振るい続けたのだろうか。

 片や、突き進んだ信念と救えなかった想いを抱え、怒りを胸に。片や、信念などあらず、己の欲望のためにそれを嘲笑う。

 二人の視線は交錯し、しかし、二人の道は交わらない。

 かつて魔界では最強だと謳われた魔王候補生、そして、その次点についた闇招あんしょうの魔王候補生。魔王候補生としては、並び立っていた時期もあったはずなのに。


 黒き炎は燃え盛り、黒き闇は薄気味悪くも広がった。

 再びの視線の交錯ののち、互いにキリッと瞳を細めれば、それが合図だった。アグルエが飛び出せば、シャルノーゼも立ち上がり大鎌を構える。

 アグルエが胸から湧き出す想いを黒き炎に変えて全身に纏う。シャルノーゼはそれに呼応するように笑い、周囲に闇を広げていく。

 鋭利な刃物のように尖る闇が、飛び出したアグルエへと狙いを定められた。だが、アグルエは全身を燃え滾らせ、纏った黒き炎で近寄る闇を弾き返す。

 手に握るリアリス・オリジンへ、怒り憎しみ――想いを乗せて、涙が浮かぶ目尻を指で弾いて、もう一歩を踏み出した。

 そんなアグルエの表情を直視したシャルノーゼは、にやりと笑い大鎌を振り上げる。

 互いにもう体力も限界を超えていたが、それでも二人は戦い、言葉を交わさず、刃を交わす。


「――想炎一閃!」


 どす黒く染まる炎が、アグルエの手から剣へ伝わった。

 漆黒の炎、絶望の闇。シャルノーゼはそれを嬉々として受け止める。


闇招刃影あんしょうじんえい!」


 振り回した大鎌の刃が迫ろうと、アグルエは構わず剣を振り抜いた。

 広がる闇がシャルノーゼの手元へと集束する。そして、それを吸ったシャルノーゼが持つ闇の大鎌、闇招刃ダークサイズは一回り大きくなった。

 刃と刃が交差して――しかし、アグルエは両足に力を入れ両手で剣を握り、押し返す。


 蒼い瞳、紅い瞳。

 視線の交錯に、アグルエは奥歯を噛み締めて、剣を持つ手に力を込め、想いを解き放つ。

 互いに持てるだけの力を込めた最後の一撃だと、わかり合うことはできなくとも、それだけは伝わった。

 二人の間にもう言葉はいらない。

 アグルエが前へと進もうとすれば、シャルノーゼは必ず立ち塞がる。

 その意図も、その意志もわかりはしないが、わかろうとも思わないが、シャルノーゼは必ず何度だって邪魔をする。


――だから、ここで確実に仕留めなければ。


 幻英ファントムを止めることも叶わない。

 一人でここまで来た意味もない。あの別れの意味すら、なくなってしまう。


――ここで確実に、殺さなければ。


 アグルエの瞳に黒き炎が宿る。どす黒く、漆黒に染まったそれは、アグルエが今まで出していた、ただの黒き炎・・・・・・とは違う。

 強い怒り、強い憎しみにより、闇へと染まる黒き炎。

 それが何を意味するのか、対するシャルノーゼが口元をにやりと曲げたのを見れば、明らかだったのに――アグルエは気づかぬふりをして、なりふり構わず、力を解放して剣を振り抜いた。


 剣が甲高く悲鳴を上げるように泣いた気がする。何もそれは気のせいではなく、響いたのは刃の折れる音だ。

 アグルエが振り抜いたリアリス・オリジンは、その剣身が半ばから折れてしまった。だが、燃え盛る漆黒の炎が刃の代わりとなり、シャルノーゼが握る闇招刃ダークサイズを呑み込むように広がって滅してしまう。

 咄嗟に大鎌から手を放すシャルノーゼは、アグルエが剣を振り抜いた勢いのままに弾き飛ばされた。

 アグルエは柄の部分だけとなった剣を投げ捨てて、そのままシャルノーゼの元へ黒き炎の翼を広げ飛翔し、追いつきその胸倉を左手で掴んだ。


「……ルフフ、いい、表情」


 息も絶え絶えと言った様子で、負け惜しみだろうに微笑むシャルノーゼを床に押し倒す。くしゃりとシャルノーゼの白い翼が折り曲がり、アグルエはその腹の上に馬乗りになった。

 そう言われて、自分がどのような表情をしていたのか、考えなかったはずもない。

 だがそれでも、そう目の前で薄ら笑い続けた魔王候補生を押さえつけて、目元から溢れた黒い涙に乗せるよう、胸倉を掴んでいる手とは逆、右手に拳を握る。


「そうよ、そう。そう、しなさい……」


 シャルノーゼは薄っすらと開けた冷めた目で笑い続ける。ひゅーひゅーと浅い呼吸を繰り返していることが、もう限界だろうに。

 だが、それはアグルエとしても同じだった。心臓が早鐘を打ち、荒くなる呼吸は限界が近い証だ。二人ともが激しい戦いの果てにボロボロで、身も心も、命を燃やして戦ったから――。


――だからもう、終わりにしよう。


 アグルエは振り上げた拳をぎゅっと握り込む。

 溢れ出す黒き炎を纏った、まるで闇に染まったかのような黒き拳が、アグルエの視界の隅にも映った。


「そのまま、ひと思いに、わたしを、殺せばいい……」


 アグルエはシャルノーゼにこたえようとも思わなかった。

 本来であれば、彼女が何を考えていたのか、もう少し注意深く落ち着いて判断する必要があっただろうに。


「ルフフフ」


 シャルノーゼは笑う。

 アグルエは強い憎しみを瞳に込めて、そんなシャルノーゼを見下ろした。


――ひと思いに……。


 このまま拳を振り下ろして、滅尽の炎でシャルノーゼを滅してしまえば、決着はつくだろう。

 もう勝負はついていると言っても過言ではない状況だ。

 今やシャルノーゼの命は文字通り、一方的にマウントを取ったアグルエの手のうちにある。この場にはもう、その行いを止められるものはいない。シャルノーゼ自身も抵抗は諦めたように、冷めた紅い目でアグルエのことを見つめている。


――これで、終わる。


 お兄様アルバートの仇を取れる。これが、一人で進むという意味合いだったのか――アグルエの胸のうちを、いろいろな想いが駆け巡った。

 だが、その全てに炎をつけて燃やし消してしまうように、迷いを断ち切る。


「……これで、あなたの道も、終わりよ、アグルエ」


 アグルエの頬を黒く濁った涙が流れ落ち、燃えて消えた。

 シャルノーゼが何を言っても、もう考えない。耳にしない。


「黒き純情は……絶望の闇で、濁ったわ」


 そうやって言葉を交わすことに意味は成さないから。

 最期に薄ら笑ったシャルノーゼへ、アグルエは無言のままに冷たい眼差しを向けて、振り上げた拳に力を込めた――。


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