第261話 魔王顕現
その拳は白き炎を纏っているがゆえにひと回り大きく見え、周囲の空気や
そこにバーザントとしての意識はもうない。エリンスにもそれがわかってしまう。
『神の器』として放たれた拳を、エリンスは剣を振って弾いて、地面を蹴ってもう一度飛び出す。
デルタと同じく白き炎を纏わす剣で対抗するエリンスに、メルトシスは瞬迅の動きでかく乱し、攻撃の機会をうかがう。
二人の勇者候補生が『神の器』の動きを止めている間にも、シスターマリーは瓦礫の中からニルビーアを救出し、安全な位置まで運んでいた。
「いつまでも、かわし続けられるかしら」
『神の器』デルタはネムリナの声色で笑う。
振るわれた平手打ちをエリンスが飛んでかわせば、その動きを読んで狙い澄ましたように、もう一本の腕より拳が放たれる。
逆側で拳を弾いたメルトシスが、雷纏う剣閃を手に突進し、エリンスへ迫った拳へ斬りかかった。
だが、デルタが少し力を入れたようにすれば溢れ出す白き炎が、そんな斬撃をメルトシスごと弾き飛ばした。
空中で受け身を取るメルトシスに、四本目の腕より放たれる拳が迫る。
地面を蹴ったエリンスが、メルトシスを庇うようその間に飛び込んで、蒼白へ輝いた剣身で拳を弾き返す。
のけぞったデルタに、空中で体勢を整えなおしたメルトシスが剣を向け、そして、消えた。
瞬時にデルタの背後へ回ったメルトシスが魔剣、
紫色の雷の
「神撃の型、
バチバチと稲妻が迸る。突風吹き抜けるように振り抜かれた斬撃が、たしかにデルタの背中を捉えている。
飛び散る鮮血がエリンスからも視認できた。しかし、デルタはそれに怯んだ様子も見せず腕を広げ、その腕を振り回すように身体を回転させた。
「無駄無駄! 痛くも痒くもない」
痛みを感じていないようだ。デルタはネムリナの声色でそう言いながら、広げた腕で二人のことを薙ぎ払った。
白き炎を纏った拳が迫り、エリンスはなんとか剣で弾きながら受け身を取るも、剣を振り抜いた体勢でいたメルトシスは弾き飛ばされた。
「メルトシス!」
エリンスが叫ぶも、彼の姿を目視することはできず、返事も聞こえない。壁から土埃が上がる。勢いよく叩きつけられたのだろうことが想像できた。
メルトシスが心配にもなるが、そう気にしている暇もない。次の攻撃に備えようとエリンスが注意を引きながら着地すると、しかし、入れ違うように魔王アルバラストは拳を振り上げ跳び上がった。
「魔王様!」
倒れたマーキナスを抱え上げたシスターマリーが心配したように見つめている。エリンスの肩の上ではツキノも「やるのか」と問うようにして、アルバラストの横顔を見つめていた。
アルバラストは静かに頷く。
そうしたところで、デルタの眼前にまで跳び上がったアルバラストの全身が煙に包まれた。
否、煙のように見えたのは、広がった黒き炎だ。
その光景に、敵を目の前にしているというのにエリンスは惹きつけられてしまった。
広がった黒き炎の中から現れる大きな魔族。
青みがかる黒い肌、全身を覆う黒き炎が揺れる黒き鎧。振り上げた拳は人の頭部よりも大きく、全身は三メートル近い大きさをしている。
深い蒼い瞳が鋭い眼差しの奥からのぞいて、背中より生える大きな黒い翼は勢いよく開かれた。頭部より伸びた二本の大きな角は、エリンスが今まで見たどの魔族のものよりも太く、立派に渦巻いている。
拳からも溢れ出している漆黒の炎が、全てを燃やし滅してしまうような威圧感を上げるようにして、けたたましく燃え上がった。
――魔王だ。
エリンスはひと目して理解した。
優しそうに笑った顔を見せてくれはしたが、その姿こそが、魔王アルバラストたる真の姿なのだ。
「
振り抜かれる巨大な拳が、黒き炎を纏って放たれる。
片腕を振るってそれを受け止めようとしたデルタであったが、しかし、その腕が消し飛んだ。
「がっ」
痛みを感じないとは言ったはずなのに、デルタはネムリナの声色で苦しそうな声を上げて跪いた。
「我の拳は、効くぞ」
どしんと柱のような足で力強く着地するアルバラストが、鋭い眼差しを向けて口を開く。
だが、その口からは「はぁ、はぁ」と息が切れて上がってしまっている様子がうかがえる。
――現魔王アルバラストの権威が失われつつある。
それはアグルエから聞いた話でもあった。長い時を生きることができる魔族と言えど、その力は衰える。
エリンスとメルトシスが二人がかりで時間を稼ぐことがせいぜいだった強大な禁忌の力を、たった一撃で上回ることができたとしても、長くは持たない。それがエリンスにも痛いほどに伝わって来る。
だから、
――どれだけ強力であろうとも、限界は既に近い。
エリンスは腰を落として、対峙する二人の巨大で強大な魔族を見上げていた。
重い一撃は確かに通じた。だというのに肩で息をしているのはアルバラストのほうだ。
右腕を一本失ったというのに、デルタは彼女が口にした通りその痛みを感じていないかのようにスクッと立ち上がる。残った三本の腕の感触を確かめるように拳を握り開いて、そしてアルバラストへ向かい合った。
「さすがに、簡単にはいかないか」
本当に、バーザントとしての意識はもうないのだろう。
それがまた痛いほどにエリンスには伝わってきて、握る剣には力が入った。
「決着をつけよう、二百年の」
面を上げたアルバラストは、腹の底まで響くような低い声で静かに言う。
だが、デルタはそれにはこたえようとはせず「はぁ」と息を吐いた。
「だから、わたしにとってはもうどうでもいいんだって」
アルバラストが再び拳を握る。
そのようなやり取りの後ろで起き上がったメルトシスが跳んで、エリンスの横へと着地した。
「大丈夫か、メルトシス」
エリンスが聞けば、全身土埃をかぶり酷い有様のメルトシスは「なんとかな」と、苦しそうな表情を見せながらも笑ってくれた。
すんでのところで受け身を取ることはできたのか、垂れ下がった腕を支えるようにしていることだけは心配だったが、大事はなさそうだ。
「ルマリア、二人と、傷ついた二人を連れて、先へ行け」
そんなメルトシスの様子を一瞥したアルバラストが言う。
「しかし!」
マリーはマーキナスを支えて起こしながら慌てるようにこたえた。だが、それに首を横に振ってこたえたのはツキノだった。
「こやつの、やりたいようにやらしてやれ」
「そうだな、我が動けんのだよ。きみらがいてくれては」
がはは、と上がる息を誤魔化すよう少し大げさに笑い天井を仰いで、魔王アルバラストは目を見開いた。
「わかったのだ。こいつを相手にできるのは、我だけだ」
目の前にしている白き炎を纏う『神の器』。
対して、アルバラストは黒き炎を纏い、睨み返した。
「甘く見ていた、おまえらの研究を」
アルバラストがそう言えば、ネムリナは嬉しそうにこたえる。
「あら、それは認めてもらえたってこと?」
「あぁ、だから、今度こそ、完膚なきまでに叩き潰す」
アルバラストは振り上げた拳で、地面を殴りつけた。
轟音を上げて、城全体が震えるようだ。その叩きつけられた想いに、エリンスの身も震えた。
「行け、ルマリア」
メルトシスは剣を鞘へ納めると、マリーが支えているマーキナスを代わりにと背負った。
呆然と魔王のことを見上げていたマリーは下唇を噛み締めたようにして頷きながら、横たわらせていたニルビーアへと近づいて背負う。
エリンスも対峙するアルバラストと『神の器』デルタから目を離さないようにして、そんな二人のほうへと寄った。
「あの子は待っている。
最後にエリンスのことを一瞥するアルバラストは、そうとだけ言ってくれた。
腹の底まで響くような声でそう語られて、エリンスは「はい」と頷くしかない。
そうではなくても追うとは決めていたけれど――きっと、アルバラストにも城の上のほうから感じる、彼女の気配がわかっていたのだろう。
ニルビーアを背負うマリーと、マーキナスを背負ったメルトシスが先導するように廊下へと走り出したのを確認して、エリンスは二つの強大な力の対峙に背を向けた。
――この場を本当に、アルバラスト一人に任せてよかったのか。
一瞬そう想ってしまったけれど、走り出したら振り返っている暇はなかった。背後では白き勇者の力と、黒き魔王の力が衝突し、空気が震え出す。
エリンスはただ、託された想いを胸に走った。
◇◇◇
上階を目指して階段を上がり、シスターマリーの先導についていく形で近くの部屋へと飛び込んだ。
幸いなことなのか、城の中に
絨毯の上に傷ついたニルビーアとマーキナスを横たわらせて、一行はひと息吐くことができた。
すかさず、マリーはニルビーアへと両手を翳し、簡単な治癒魔法の詠唱をはじめる。
「メルトシス、治癒魔法は?」
マリーはニルビーアへと意識を向けながらも、顔を上げてそう言った。
メルトシスはその場の緊張感に呑まれたように表情を強張らせたまま頷くと、マーキナスの横へ膝をつき魔法の詠唱をはじめた。
二人の手のひらからは白い
二人とも、見てわかるほどに全身がボロボロだ。ニルビーアの腕はあらぬ方向へ曲がって、身体の端々から血を流している。マーキナスにしても苦しむように閉じられた瞳を開けることは叶わず、傷ついた全身が強張ったように動かないようだった。
「簡単なものだけど……」
メルトシスは「くっ」と歯を噛み締めながら集中を続けている。エリンスは、そんな様子をただ見ていることしかできない。
そこに悔しさも覚えはしたけれど、だが、エリンスの顔を見上げたマリーが言葉を続けた。
「エリンス、きみは、先へ行って」
上階から感じる彼女の気配。アルバラストの言葉。
マリーにはどこまでわかっていたのか、だけれど、彼女にそう言われればエリンスは頷いた。
「わかった。俺は、先へ、進む!」
ツキノもエリンスの肩の上で首を縦に振る。
マリーとツキノのアイコンタクトの間には、それ以上の意味合いもあったように感じられたけれど、エリンスはそれぞれに背を向けた。
「わたしたちも、必ず、魔王様と後を追う」
「あぁ、だから、エリンス。アグルエのことを追え!」
シスターマリーとメルトシスにそう背を押されて、エリンスはツキノと顔を合わせ振り向いてから「はい!」と返事をして部屋を出た。
アグルエの気配は遙か上のほうから感じられる。
まだ、そこにいる。
「きっと、玉座の間じゃ」
ツキノが道案内をしてくれて、エリンスは一人、再び上階を目指して駆け出した。
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