第258話 絶大なる禁忌の力

 時刻はエリンスたちが王城へ突入した前へと遡る。

 まだ荒れ果ててはいない不気味なほどに静まり返った王城広間へ、アグルエ、ニルビーア、マーキナスの三人は駆けこんだ。

 外は魔導歩兵オートマタたちで溢れかえっていて、それをマーキナスの力で掻い潜って、何とかといった調子だ。この特殊な結界の下では転移魔法も正確な座標指定ができないために扱いづらく、魔導歩兵オートマタたちの包囲網を抜けることにも時間を要してしまった。

 しかし、そのような不気味な気配も王城内部に入ってしまえば感じられず。結界の作用は外にだけあるようだ。


 魔王アルバラストの救出を前に、アグルエは「お父様……」と不安に胸を揺すらせて、だが、そこで目撃することになった光景に瞠目どうもくする。


 屈強な身体つきをした腕を四本持つ魔族が、一人の魔族の首を持ち上げて、無表情の最中さなかに赤紫色の瞳を輝かせていた。

 アグルエはその魔族を知っている。魔王五刃将の中でニルビーアと並んでアルバラストの信頼が厚かった男、武人とも呼ばれた魔界を治める武将の一人、バーザントだ。

 そして、バーザントにそうして持ち上げられている魔族の名もまたよく知っていた。

 スラッとした体型、赤っぽい色をした皮膚の色。モノクルをかけ知的な雰囲気を漂わせて、厚手の生地であしらわれた深緑色のローブを着こんだ男。魔族の中でも老けたような印象を覚える皴と髭を蓄えて、知賢の将と呼ばれた魔王五刃将のブレインの一人、デルバルトリアだった。


「デルバルトリア! バーザント!」


 あまり感情を表に出さないニルビーアも驚いたように声を上げている。

 バーザントに持ち上げられたデルバルトリアはだらりと力なく項垂れていて、事情はわからないにしても、二人の間に何が起こったのかは明らかだった。

 魔王五刃将の仲間割れ。バーザントがデルバルトリアを仕留めた瞬間に他ならない。


「なんで……」


 アグルエは戸惑った。

 デルバルトリアの裏切りを聞いてはいたけれど、かつては魔王アルバラストの元に集まった同志、魔王五刃将であったはずなのに。

 それに、バーザントの表情も気にかかる。アグルエが知る彼は、優しく力強く、情に厚くて曲がったことをしない人だった。たとえデルバルトリアが裏切っていたとしても、かつての彼ならば、そうまではしないだろう。

 だというのに、バーザントは無惨にも力なく項垂れたデルバルトリアを天井に向かって投げ飛ばした。

 数十メートルは離れた天井に叩きつけられたデルバルトリアは受け身を取ることもできず、ガラガラと崩れ落ちる瓦礫と共に落下する。そして、降り注ぐ瓦礫に埋まって、次第に光の粒子となったそれが天へと昇っていった。


 三人の視線は違和感だらけのバーザントへ向けられている。

 だから、その影へ潜むようにして佇む男の存在へ気づくことに遅れた。


「くふはははは、ちょうどいい。予測通りの動きだよ、ニルビーア」


 その笑い声で三人は気づく。そこにいた、もう一人の男に。

 首元に黒いファーのついた暗いローブを身に纏い、黒い髪が垂れ下がる。顔を隠すようにかけられているのは、特徴的な白いマスカレードマスク。その奥からは血走る暗い瞳が、三人のことを見下すようにのぞいている。


「魔王には逃げられたが、舞い込んでくるもんだ。これが、天命ってやつだよなぁ?」


 アグルエの気になることを数々と口走って、その男――幻英ファントムは笑っている。

 アグルエは思わず後退る。その仮面の奥の暗い瞳がぎろりとアグルエへと向けられれば、ニルビーアもマーキナスもアグルエを庇うように一歩前へ出た。


「マーキナス、やはりそちら側へつくのか」


 くはは、と幻英ファントムはこのような対峙にも楽しそうに笑っている。

 マーキナスは「ちっ」と舌打ちを鳴らしてから、やや苦しそうにしてこたえた。


「ボクは、どちらへつくだとか、最初から考えたことはなかったよ」

「へっ、よく言う。まあ、どちらが賢い選択か、一目瞭然だろう?」


 そうして幻英ファントムが目を向けたのは、先ほど天井より崩れた瓦礫の山――デルバルトリアの埋まった場所だ。

 三人ともが無意識のうちに幻英ファントムの視線を目で追った。ただ、その間もバーザントは黙して静かな赤紫色の瞳を煌かせている。


「知賢などと呼ばれようと、俺を敵に回すのは賢くなかったよなぁ、デルバルトリア」


 亡き者へ語りかける幻英ファントムは、そうすることに似つかわしくもない楽しげな表情で口をにやりと曲げて言う。

 それにはニルビーアが苦しそうな表情をしながらこたえた。


「デルバルトリアは、アルバラスト様を裏切って……どうして、あいつまで……」


 幻英ファントムはニルビーアがそう聞いてきてくれたことが嬉しかったかのように、もう一度にやりと笑った。


「あいつにはあいつの主義があった。大方、新たな魔王にでもなりたかったのだろう。だが、それだけだ。そして、ゆえに死んだんだよ」


 決して、わかり合うことはできないのだろう。

 アグルエはこうして幻英ファントムと対峙するたびに思い知らされる。幻英ファントムが何を考えているのか、ファーラスですれ違ったあのときから理解できる気はしない。

 アグルエが無意識に奥歯を噛み締めれば、ニルビーアも「くっ」と息を呑んでからこたえた。


「アルバラスト様は、逃げたのか」


『魔王には逃げられた』――たしかに先ほど幻英ファントムはそう口にした。

 アグルエたちが城へ突入した目標の一つは、果たすまでもなく達成されていたということだ。

 だが、それでもニルビーアが苦しそうな表情をしている理由も、アグルエはなんとなく察することができた。この幻英ファントムを前にして、ただ逃げられたはずがない、と嫌でも思い知らされるからだ。

 ファーラスで対峙したときよりも、セレロニアで対峙したときよりも、幻英ファントムの中に宿る白き炎の力が大きくなっている。

 胸のうちに猛々しく燃えているそれが、アグルエには見えてしまったから。


「逃げてったぜ。代わりのモノ・・・・・はしっかりいただいたがな」


 にやりと、幻英ファントムは口元を嫌らしく歪めた。

 その言葉の意味をアグルエには図り知ることができなかったが、ニルビーアは我慢ならないといった調子で一歩を踏み出す。

 だが、幻英ファントムは一歩も動かず、代わりとばかりに横へ並んだバーザントが一歩を踏み出した。


「バーザント、しっかりしろ!」


 ニルビーアが珍しく感情的になって叫んでいる。アグルエはその声にも驚いてしまうのだが、マーキナスがそれにこたえた。


「無駄だよ」

「無駄なことが、あるか」


 ニルビーアとマーキナスが言葉をぶつけ合う。

 だが、そんな二人の調子を見下して幻英ファントムは笑った。


「くははは、マーキナスの言う通りだ」


 マーキナスはただ静かにバーザントの瞳を見つめている。

 彼本来が持っていた金色の瞳とは違う、赤紫色をしたそれを。


「魔王の娘、知っただろう? この世界の禁忌を」


 幻英ファントムが静かに問うてくる。

 アグルエはジッとその眼差しを見据え、こくりと首を小さく縦に振った。


「俺はな、この歪んだ世界リバースワールドを正して壊す。そのために、利用できるものはなんだって利用する。禁忌だと呼ばれようと、な」


 幻英ファントムを生み出したアルクラスアは、かつての大戦で滅び、亡都となった。

 幻英ファントムは、『神の器』――この星の力を持って示す神を宿すためのモノ。

 先ほどから感じていた違和感の正体に、幻英ファントムがそう語ったことでアグルエは気がついた。目の前に並ぶ二人から感じた、同じ気配に。


「まさか……バーザントさんは……」


 アグルエが呟けば、幻英ファントムは「かははは」と実に楽しそうに笑った。


「『神の器』、まあ言うなれば、『デルタ』か。俺直々に、白き炎を注入して生成してやった。造ったのはまあ、クラウエルだがなぁ」


 二百年前の大戦を機に眠っていたはずの『神の器』アルファ。それを起こしたクラウエル。

 アルクラスアが犯した禁忌とその技術は、亡都の地下底へ、勇者と魔王によって滅ぼされ封印されたはずだった。

 だが、彼の研究はそれを再現できるほどまでに進んでいたということなのだろう。


「まあ、その影響でバーザントとしての精神は壊れてしまったがな。今は魔術で精神を操って動かしているんだよ。こいつは失敗作だが、それでも利用価値はあるってことだ」


 幻英ファントムは「くくはっ」と、それを何でもないことかのように笑う。

 ニルビーアは「ぐっ」と憎しみを込めた眼差しを幻英ファントムへと向けていた。

 アグルエも直感する。幻英ファントムが注入したという白き炎、勇者の力が、バーザントをそうしてしまったのだと。


「どうして、そんな酷いことを!」


 アグルエが叫べば、幻英ファントムはつまらなさそうに「ふっ」と笑った。


「どうして? 酷い? これが、俺を生み出した『此の世』のカタチだろうが」


 幻英ファントムから強く感じた怒りの感情に、アグルエは表情を強張らせる。

 だが、幻英ファントムはすぐにそんな怒りの炎も消したようにして、「くはっ」と笑う。


「まあ、いい。ここで問答を続けるつもりもないのでね。俺は忙しいんだ」


 一体これ以上何をしようとしているのか。

 そもそも幻英ファントムの狙いは、黒き炎のはずだ。

 魔王アルバラストが逃げたというのなら、その狙いは自分自身かと、アグルエは身構えもしたのだが。


「ふふはっ、まだ、そのときじゃない、お姫様」


 幻英ファントムから向けられた妙な視線に、アグルエは恐怖を感じ取ってしまった。

 だけど、怯んでもいられない。ここで幻英ファントムを止めなければいけない。そのために「さようなら」を告げて、一人でも進むことを選んだのだから。


 アグルエは腰に携えた剣を抜きはしたものの、ニルビーアとマーキナスが「手を出すな」といったようにアグルエを庇って前へ出た。

 三人の視線を一瞥した幻英ファントムは「へっ」と笑うと手を振って背中を向ける。


「後は任せたぜ、デルタ」


 そうして幻英ファントムの姿は煙のように消えてしまった。

 後に残されたのはデルタ――『神の器』となってしまった魔王五刃将の一人、バーザントだけ。

 心優しかった彼はもういない、アグルエは悔しくもなりその顔を見やる。

 赤紫色の瞳は冷淡に輝いて、だが、次の瞬間、四本の腕を振り上げた。


「アグルエ様、下がってください!」


 ニルビーアが叫び、マーキナスに袖を引っ張られアグルエは後ろへ飛んだ。

 叩きつけられる四本の腕、その攻撃を避けるようにニルビーアは一歩前に飛び出して、アグルエとマーキナスは衝撃に身構えるようにし、それを見送った。

 ニルビーアは既に得物――楽器を弾くための弓のようなもの――を抜いている。

 アグルエもまた、胸に想いを灯して、目の前に立ち塞がる『神の器』を相手にすることを決意する。

『神の器』デルタ。冷淡にも思えた眼差しが、嬉々としたように輝いたように見えた。

 刹那、その身体から溢れ出ていた白き炎が大きくなるように燃え盛り、鍛え上げられた強靭な身体を覆い包んだ。


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