第246話 魔王候補生制度
セレナの提案はとんでもなく採用できたものではない。
「それはなしだ」と話を区切ったエリンスは、改めて肩を落としたセレナへと向きなおった。
「でも、いろいろと教えてくれてありがとう。あの根の先を目指せばいいんだな」
目指すべき方向がわかった。エリンスとしてはそれだけわかれば十分だとも言える。
「そうだけど、あなた、一人で行くつもり?」
「一人でも行く。そう決めたから」
人界を旅立つときに既にした決心だ。揺らぐことももうない。
「一人ではないぞ!」
ツキノが「
ただ、セレナはそう言ったツキノへと怪訝そうに三つの眼差しを向けて、悩んだようにしてから口を開いた。
「ツキノ様は引退なされた、と母から聞いたことがあるわ。そんなあなたが人間と一緒に戻ってきて……一体、世界では何が起こっているというの? アグルエの身にも……何かあったの?」
純粋に心配したのだろう。心が読めないエリンスにも、セレナの気持ちはわかっている。
だからエリンスはその場で、セレナに対して人界で起こったことを簡単に話した。
アグルエが世界の脅威となった
エリンスの話を聞き終えたセレナは「そう……」と頷いて、真剣な顔を真っすぐとエリンスへ向けた。
「だから、あなたはアグルエを追って来たのね」
そこにはエリンスの涙も見えたのか。何かを察したようにするセレナが、エリンスのことまでも心配したように見つめていた。
エリンスは力強く首を縦に振る。そして、三つの瞳を真っすぐと見つめたままに決心を口にした。
「必ず、俺たちが
アグルエの手を再び取るためにも――旅路は終わらない。終わらせない。
それは自分に言い聞かせるような言葉でもあったが、セレナも力強く頷いて受け取ってくれたようだ。
「じゃあ、なおさら、ウルボに運んでもらったほうがいいわ」
エリンスが先を急ぐ理由も理解してくれたのだろう。
セレナがそう言ったところで、エリンスは再びウルボを見上げた。
「でも、投げられるってのは勘弁だ」
「ううん、そうではなくて。彼、こう見えても走るのがとても速いから」
ウルボは「んう?」と首を傾げて、話を聞いているのか理解しているのか、よくわからない顔をしていた。
ただ、セレナに同意したように頷いたのはツキノだ。
「そうじゃな。人の足でイルミネセントラルまで向かうとなると、一日二日はかかるやもしれぬ」
霊樹の根は東の空の果てまで続いている。
いくら魔界が地続きで人界に比べて狭いとはいえ、それなりの広さはあるのだろう。
「それは、たしかに……」とエリンスも時間がかかることには悩ましく思った。
一日かかるというのならば、投げられたほうが追いつく算段としてはマシなのかもしれない。しかしどうしても纏わりつくのは死のイメージにしかならない。
エリンスがそのようなことを考えている間にも、セレナはウルボに近づいてその足を撫でた。
「ウルボ、走れる?」
座ったままでいたウルボはそう聞かれるとのっしりと立ち上がる。
「ウルボ、走る。人間、運ぶ」
ウルボは笑顔を浮かべて、腕を持ち上げ張り切るようなポーズをしていた。
「アグルシャリア、言った。人間、友達!」
ウルボは決して言葉数が多い魔族ではない。
だが、そう言ったウルボの顔をエリンスとツキノはまじまじと見上げた。セレナもまた何か想うようにして見上げている。
ツキノが少し身体を震わせたのは、きっと気のせいではなかったのだろう。だが、エリンスはツキノの顔を見ようとはしなかった。
ウルボは二百年経った今もアグルシャリアの言いつけを聞いて、この地を守っている。
魔族にとっても別に人界が暮らしやすいというわけでもなかったはずなのに、アグルシャリアがどうして地上で暮らしていたのか。
そのウルボの短い言葉に、全て詰め込まれていたような気がしたのだ。
エリンスにもその想いが見えてしまった。
セレナもどこか寂しそうにしながらも口を開いて呟いた。
「わたしも力になれたらよかったけれど、あいにくわたしの魔法は戦闘向きじゃないのよね……」
「でも、魔王候補生だったんだろ?」
「えぇ、そうよ。でもあなたが会ってきたような魔王候補生とは違うわ」
そもそも魔王候補生とは何であったのか。
エリンスも旅路の中で数々の魔王候補生と対峙してきたが、皆一様ではなかった。
「あなた、勇者候補生なんでしょ?」
セレナに聞かれて、エリンスは素直に頷いた。
「あぁ、そうだ。アグルエには、魔王候補生も似たようなものだとは聞いたけど」
聞いたがそれ以上のことは知らない。
「まあ、そうね……魔王様が提案して、勇者候補生制度を真似たものではあったけど……」
どこか話辛そうに悩んで、セレナは視線をそらした。
その様子に肩の上にいるツキノが気になったかのように耳をぴくんと動かす。
「その辺りのことは
アグルエからは五年前にはじまったものだとも聞いた。
セレナはツキノの話に「えぇ」と頷き返す。
「……周囲の声に押し切られてはじめたことだったみたい」
現魔王の力が弱まって、魔界のバランスが崩れそうになったともアグルエは言っていた。
現魔王アルバラストが二百年前に魔族をひとまとめにしたのは、彼が持つ素質あってこそのものだとツキノも話していた。
つまりは人界の王族とはわけが違う。血筋によって決まるものでもない。だが、魔力は血筋だ。アグルエが最強と謳われる必要があったわけも、そこにはある。
「アグルエは……役割を演じていたって、さっきセレナは言ったよな」
「そうよ。魔王様の意向を次ぐために、その想いを継いだ」
アルバラストの権威を守るために、娘のアグルエはその想いを宿した黒き炎を持ってして、滅尽の魔王候補生として最強であることを示した。
「まあ、それでも魔王様はアグルエに席を譲る気はなかったみたいだけど」
セレナの言うことにもエリンスは納得できる。
アグルエがそうであり続けたのは、あくまでも周囲を黙らせるための形でしかなかった。
今のこの世界のカタチが勇者と魔王によって造られているのなら、魔王アルバラストにしても譲るわけにもいかなかったのだろう。
「どうやら……話しておいたほうがいいみたいね」
考え込んだエリンスの顔を見やったセレナは、「ふぅ」とひと息吐くとツキノの顔も一瞥して頷いた。
「うぬ、聞いておきたいのう」
「あぁ、頼む。教えてくれ」
アグルエと旅をしていて、散々に魔王候補生とも相対して、だが、詳しくその話を聞いたのは、アグルエと出会って旅路を共にすると決めたときだけだった。
思えばちゃんと聞き返したこともない話だ。
セレナはもう一度、エリンスとツキノの顔を見やると頷いて、話をしてくれた。五年前からはじまったという、魔王候補生制度について――。
次期魔王を決めるという名目の下、この世界に貢献した者にその称号を与えるとされたのがはじまりだった。形としては、現状を守るためにはじまったことではあったらしい。
選ばれたのは百人ほどの魔族の子。純粋に魔力や能力を元にして、戦闘力や知識、王としての素質まで加味されて、魔王の幹部の一部が管理しはじめた制度だったという。
その中心人物は、魔王五刃将が一人、知賢の将と呼ばれたデルバルトリア・ヨス。
彼の管理の下で、魔族の子らは能力を伸ばしていったが、この一年を機に状況が変わってきたのだという。
魔王候補生制度を管理していたデルバルトリアが、反アルバラスト派に寝返ったという噂が流れはじめた。それに乗じてか、反アルバラスト派の勢力の主張も強くなり、魔王候補生制度も歪んでいった。
本来、人間と魔族の間にあった繋がりは、エリンスら人間が思っていたほどに敵対するように深いものではなかったらしい。だが、此の世が造り出した勇者候補生制度によって、その形もまた歪んだのだ。
人間の敵が魔王であるならば、魔王候補生の敵は勇者候補生。そう考える者も出てくる始末に、実際に勇者候補生の抹殺を使命に人界へ向かう者も出てきたのだという。
「魔王が権威を守るために作った制度だったはずなのに……ってことか」
アルバラストは正しい意味で今のこの世界を守ろうとしていたのだろう。
話を聞いて考え込んだエリンスに、セレナは「えぇ、そう」と相槌を打つ。
「それを利用する輩が出てきた。魔王様の意向を無視して、魔王候補生たちに指示を出しはじめたのだわ」
魔王五刃将も一筋縄ではいかなかったのだろう。デルバルトリアという名前に聞き覚えはなかったが、何があったのかはエリンスのも想像がつく。
候補生制度は歪められ、乗っ取られてしまった。
「デルバルトリアは
反アルバラスト派、その筆頭はラーデスア帝国を襲った覇王でもあった。
デルバルトリアも同じだったのだろうか。アグルシャリアの命運を知って、二百年前の真実を知っていて……。
全ては人間が背負った大罪と禁忌の上に、魔族たちの調和も乱されたということだったのだろうか。
エリンスが呆然と考えてしまう間にも、セレナはその顔を見やって悩ましそうに頷いた。
「エリンスくんは、何か知っているみたいね」
セレナにしても何もかも心の声が見えるというわけではないのだろう。
どうやらエリンスが考えたことが伝わっていないようだった。
「あぁ、ごめん……話せないけど、つい頭では考えてしまう」
エリンスが平然を装って返事をすれば、セレナは「ううん」と目を細めながら首を横に振った。
「いいわ、どうせ聞いたところでわたしはこれ以上、力にはなれないでしょうし」
どこか寂しい言い方ではあったものの、セレナはそのまま遠くを見つめるようにして話を続ける。
「それで、アグルエが人界へ旅立ったという噂もすぐに広まった」
アグルエには父親である魔王アルバラストから託された想いがあった。『勇者を探している』という頼み――その言葉に込められた想いも、今のエリンスにならわかるような気がした。
そこからはエリンスも共に歩んできて知っている通りだ。
「アグルエは裏切り者とされた」
そうなった彼女に一番に襲来してきたのも魔王候補生だった。
エリンスがこたえれば、セレナも頷く。
「えぇ……アグルエの抹殺もまた、魔王の座に近づく世界への貢献の一つに数えられた」
反アルバラスト派にしてみれば絶好のチャンスだったのだろう。
最強と謳われる魔王の娘であるアグルエの存在は、常に邪魔だったのだろうから。
「魔界も……一筋縄ではいかないんだな」
勇者協会がそうであったように――。
それはエリンスの口から漏れ出た素直な感想ではあったのだが、同意するようにツキノは頷いた。
「二百年前から、どこも何も変わらんというわけじゃ」
魔王候補生たちの中には、アグルエやセレナのように想いを抱えた者たちもいた。
エリンスは旅路の中で出会い対峙してきた彼ら彼女らのことを思い返す。
立場上、敵対する以上、命を懸け合った以上――刃を向け合うのは仕方がない話ではあった。だけどそれらもまた、歪められた世界の上で起こった悲劇の一つで、彼ら彼女らも犠牲者なのだろうか。
それはどこか、
エリンスも自覚を持って、そう考えてしまった。
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