第247話 金色の平原に別れを告げて
考え込んだエリンスの横顔をセレナがのぞいている。
セレナもまたそんなエリンスの思考の表層を読んだのか。だけど、話を切り替えるように笑顔を浮かべて口を開いた。
「でも、だから嬉しかったのよ。エリンスくんと出会えて、アグルエの無事もわかったし」
エリンスが顔を上げると、セレナは三つの瞳を優しくも細めて頷く。
「恥ずかしいけど、それがわたしの素直な気持ち」
「あぁ、伝わったよ。セレナの想いは……」
エリンスはそのまま空を見上げて、そこに走る霊樹の根を目で追った。
幾重にも分かれた道は一本の幹へと続いている。その先にアグルエはいる。
それは二人が辿ってきた道のようでもあった。いくつにも分かたれる可能性、分岐点はあれど、いずれは一つに繋がって巡っているのだろう。
「アグルエも、エリンスくんに出会えてよかったって思っているはずよ」
セレナの言葉が耳から入って響く。
エリンスは瞳を閉じてぎゅっと拳を握った。
アグルエの想いも知っている。それは二人で歩んだ旅路の中で、自然と伝わってきた彼女の想いだ。
「あぁ……だから、追うって決めたんだ」
――涙を見せた背中へ届かなかった手は必ず届かせる。
エリンスがそう思って空へと手を伸ばせば、セレナはそれも優しい瞳をして見つめていた。
「そうと決まれば、準備がいるわね。ねぇ、ウルボも一緒に来て? 一度うちに寄って行って」
改めてそう言ったセレナに、ウルボは首を傾げていた。
エリンスも肩の上のツキノと顔を見合わせて頷き合うと、そのまま一行はセレナの家へと向けて来た道を戻った。
◇◇◇
セレナのログハウスの前、木々の合間から見える明るい空をウルボは座って見上げている。
エリンスとツキノもウルボに寄りかかる形で空を見上げて、何やら準備してくれているらしい彼女のことを待っていた。
「人間、友達?」
ずっと空を見上げているものだと思っていたが、いつの間にか首を傾げたウルボは、エリンスの頭をのぞき込もうと純粋そうに輝かせる瞳で瞬きをしていた。
エリンスはそっと見返しながらもこたえる。
「その人間ってのは止めてくれ、ウルボ。俺はエリンス、エリンス・アークイル」
そういえばちゃんと自己紹介もしていなかった。これから魔界の中央都市までの旅路を共にするというのならばなおさらだと思い、人間と呼ばれ続けることもむず痒いと思っていたところだ。
エリンスが名乗れば、ウルボもこくりと頷いた。
「エリンス、覚えた」
「あぁ、ウルボ。よろしくな」
ウルボは笑顔を浮かべて「よろしく」と頷く。
ツキノはどこか不服そうにしながら、「
「ツキノ、覚えてる」
そうこたえたウルボにツキノも満足そうに頷いた。
そうこうしているところで、ログハウスのドアが勢いよくばたんと開いた。
「お待たせ!」
待たされたのも数分のことではあったが、そう言って飛び出して来たセレナは大きな花柄の風呂敷包みを背負っていた。
セレナはそのまま弾むような軽い足取りで地面を蹴って、座っているウルボの肩へと飛び乗った。背負っている風呂敷をウルボの首元に結び付けると、にこやかな笑顔を浮かべて飛び降りる。
「うん? セレナ、これ」
されるがままであったウルボが首を傾げる。
「お弁当よ。あなたが走ってくれるなら必要かと思って」
ほんのり香ばしい匂いが漂っている。鼻をひくひくと鳴らしてウルボも笑顔を浮かべた。
「セレナの料理。ウルボ、嬉しい!」
ぐいっと立ち上がったウルボは跳び上がる勢いだ。ただ木の枝に頭をぶつけて、どこか申し訳なさそうに身体を縮こまらせて「でへへ」と笑う。
セレナはエリンスにも小包を差し出した。
「これ、持って行って」
「俺にもか?」
エリンスが聞き返せば、セレナは「えぇ」と頷いてくれる。
エリンスはウルボのものと比べればだいぶ小さい小包を受け取った。弁当箱のようなものに料理が詰まっているのか、セレナの想いの分の重さを感じる。
「また口に合うかはわからないけれどね」
はにかむセレナにエリンスは笑顔でこたえた。
「ありがとう、ほんと、何から何まで」
「ううん、だけど、わたしとも約束してね。無事、帰ってきて。あなたとアグルエとまた出会えることを、わたしとしても楽しみにしているわ」
受け取った小包をツキノに預けるようにして渡すと、ツキノは尻尾を振って空間を切り開く。空間収納魔法で亜空間の中にしまってくれる。
エリンスはセレナに向き合ってもう一度頷いた。
「あぁ、わかった。約束だ」
そう言ったところで、セレナが手を後ろで組んで一歩下がった。
風が森の木々の合間を撫でるように吹き抜ける。
優しい風だ、地上の空気とそう変わらないように思えた。
セレナの金髪が揺れる。エリンスも思わず目を細めて、そして、向かい合ったセレナはウルボを見上げていた。
「ウルボ、お願いね」
「ウルボ、約束守る。セレナ、友達!」
優しく紡がれる短い言葉に、ウルボも短いながらにこたえて頷いた。
エリンスの肩の上ではツキノも「ふぅ」とひと息吐いて和やかな表情をしている。
そのまま一行は森の出口へと向かって歩き出した。セレナもそこまでは見送りに出たいとのことだ。
森を出て丘を上がれば金色の平原が出迎えてくれる。一陣の風が吹き抜けて、揺れる草原がキラキラと輝いた。
ウルボ、セレナ、エリンス、そして肩の上のツキノ。
並んだ三人と一匹は目を細めて遠くを見つめるように、東の果てまで続く空を駆ける霊樹の根へと目を向けた。
「ここは、西の果て。かつては人界との繋がりが一番深かった場所」
セレナはどこか寂しくも、昔聞いた思い出話を語るように口にした。
「黄金野原……想いを紡ぐ、未来への架け橋となるはずだった場所だとも聞いたことがある」
寂れた石の祭壇が見える。
魔族の女王であったというアグルシャリアがこの場所を創ったのだろうか。
エリンスがそっと肩の上を一瞥すると、ツキノがどこか寂しそうな顔をしていることにも気づいた。
それを見なかったことにして、エリンスはぼそりと呟いた。
「想いは閉ざされてしまった」
――失われた
そのエリンスの言葉にツキノはこくりと頷いて、エリンスと同じように呟いた。
「アグルシャリア様の願いは、叶わんかった」
それに頷くようにしてウルボもぼそりと口走る。
「アグルシャリア、帰ってこなかった」
悲しそうに眉根を下げたウルボに、ツキノも「そうじゃったな」とどこか二百年前の気持ちを思い出すようにして頷いた。
セレナはそれを一瞥して薄っすらと微笑む。
「わたしには何があったのか知る術はないし、きっと、触れてはいけない問題なのね。だから、見えもしない」
三つの瞳は寂しそうに揺れている。
それも世界の制約が魔法に対して与える影響なのだろうか。
「でも、わたしの想いもあなたに紡いだ。あなたの覚悟はわたしも受け取った。だから、アグルエを追うんでしょ?」
「あぁ、そうだ。これ以上、世界を歪ませたりはしない。在るべきカタチがあるというのなら、魔界の歪みだって正して見せる」
エリンスは決意をそう口にして――そして、今ならば、と思い出すのだった。
今となれば、アグルエと初めて訪れた
――『ナガレ ヲ タダセ』
共にあった白き炎と黒き炎、エリンスとアグルエが揃ったあの場所で、世界を巡る大いなる巡りのうちにあった神の意志が語りかけてきたのだろう。
アグルエを追うことも――、
「
拳を握ったエリンスに、ツキノも「そうじゃな!」と力強く頷いてくれた。
セレナは笑う。ウルボもそんな二人の顔を見比べて、同じように笑ってくれていた。
「じゃあ、ウルボ、お願いね。エリンスくんとツキノ様をイルミネセントラルまで運んであげて」
ウルボは「わかった」と返事をするや、エリンスのことをひょいと摘まみ持ち上げた。
エリンスはそのままウルボに抱きかかえられるようにして腕の中へと腰を下ろす。
見た目に反して柔らかい筋肉に包まれるが、どことなくむさ苦しい。
「なんか、慣れもしないが……」と顔をしかめたエリンスに、ツキノは「贅沢は言えんのう」と笑ってこたえる。
そんな二人の会話を聞いて、顔を上げたウルボが真っすぐ東を向いた。
「わかった、行ってくる!」
「またね、エリンスくん!」
笑って手を振ってくれるセレナに、エリンスもウルボの腕の間から顔を出して右手を振ってこたえた。
「また……ありがとう、セレナ!」
手を振り返したところで、その言葉を合図にウルボが走り出した。
どしんどしんと響く足音、微かに揺れる地面。そして、エリンスも飛ばされないようにとウルボの腕に巻かれていたブレスレットにしがみつく。
凄まじいスピードで走り出すウルボに、縦に揺すられる衝撃が全身を襲った。
馬車に揺られる程度に考えていたはずが、どうもそんなレベルではない。
「うわああああああぁぁぁ!」
思わず漏れ出たエリンスの情けない声は、黄金野原に木霊する。
そして、エリンスは自分が乗り物酔いに弱いことも思い出した。
一瞬で顔は青ざめて、気分は最悪だ。
ただウルボはそんなエリンスの気など知らずに一目散に駆け出して、ツキノもまたウルボの肩の上に掴まるように飛び乗って先を見据えていた――。
セレナは駆けるウルボの背中を見送って、未だ遠くから木霊しているエリンスの情けない声を聞いて小さく笑う。
「ふふっ、あんなにかっこよかったのに」
そっと伸ばした指先で風に流れた髪を耳にかけるようにかき分けて、遠くを見ようと三つ眼を細める。
「でも、少し羨ましい……アグルエ、よかったね。あなたの気持ちを受け止めてくれる人が、ちゃんと見つかったんだね」
アグルエにとって、そんな彼はまさしく勇者だったのだろう――。
セレナはどこか嬉しそうにしながらも、三つの瞳から涙を流した。
黄金の草原に吹き抜けた風がセレナの金髪を揺らし、頬を撫でていく。
空も大地もキラキラと輝いている。
それが希望となればいいな、とセレナは思って、遠く小さくなっていく彼らを見送り続けていた。
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