第245話 突飛な提案

 三人が空を見上げて話しているところで、寝息を立てていたウルボが目を覚ました。


「んん? おぁぁ……セレナ」

「あ、起きた? ウルボ、おはよう」


 ウルボはまだ寝ぼけているのかぼーっとした目を擦ってセレナを見つめている。

 見た目にそぐわない優しい目をした巨人だ。エリンスがその顔を見上げれば、首を傾げたウルボもエリンスへと目を向けた。


「あ、人間、起きた」


 エリンスがなんと返事をしようかと迷っている間にもセレナが笑ってこたえる。


「えぇ、目を覚ましたから一応連れてきたわよ」


 どういうことだろう、とエリンスが様子をうかがっていると、ウルボは首を傾げて笑う。


「人間、落ちてきた。目覚めて、よかった」


 純真そうに澄んだ瞳をキラキラとさせている。

 身体は大きいのに子供みたいだ、とエリンスが驚いている間にも、ウルボは手を伸ばして指先でひょいっとエリンスのことを持ち上げた。

 急にふわりと身体が浮かび上がる感覚にエリンスは戸惑った。


「お、おい!」


 エリンスの肩に乗っているツキノはどこか楽しそうにしながらも、エリンスとしては気が気ではない。

 そのままひょいっとウルボの肩に乗せられて、エリンスはがっしりとした肩に掴まりながら座るような形になった。

 四メートル近い体長なだけあって、ウルボは座っているというのに地面が遠くも感じる。


「ウルボ、嬉しい」


 笑顔を浮かべるウルボが身体を振れば、エリンスの身体もずり落ちそうになり余計に掴まる手に力が入った。


「ちょ、ちょっと!」


 戸惑っているエリンスを見て、地上ではセレナも笑っている。ツキノも笑っているのだが、エリンスとしてはやはりそれどころではない。

「でへへ」と笑うウルボが動きを止めたところで、ツキノがその横顔を見つめながら口を開いた。


「ウルボ・ロム、まだ言いつけを守っておったのか」

「ツキノ、知り合いなのか?」


 エリンスが聞けば、ツキノは首を縦に振る。だが、ウルボは「んん?」と向けた顔を横へと振った。


「ウルボ、知らない」


 そうしたツキノとウルボを見て、声を上げたのはセレナだ。


「あなたたちは、どういう関係なのー!」


 ツキノはセレナにも聞こえるように声を張り上げてこたえた。


「別に、隠すほどでもないことじゃ。ウルボは二百年前よりずっとこの地を守っておるのじゃろ!」


 二百年前――その数字が何か引っかかったのか、セレナは少し考えるようにしてから顔を上げた。


「そう……もしかしてって思ったけれど、あなたはあのツキノ様なの? 元魔王五刃将まおうごじんしょうの!」


 セレナはその名前を知っていたらしい。


「魔王五刃将、ツキノ……」


 セレナの言葉を聞いて、ウルボも考えるように首を傾げた。

 少ししてウルボは何やら嬉しそうに肩を横へと揺すって笑顔を浮かべる。


「あ、お、おい! 落ちるって!」


 エリンスの焦りなど微塵も伝わることはなく、ウルボは笑顔のままに肩を横へ振って声を上げた。


「ウルボ、思い出した」

「それはわかったから、とりあえず下ろしてほしいんだが!」


 エリンスが負けずと大きな声を上げたところでウルボは動きを止めて、きょとんとした表情で「わかった」と頷いた。

 エリンスは再び大きな指に摘ままれてひょいっと地面に下ろされた。ようやく「ふぅ」と深い息を一つ吐けたところで、そんな様子まで面白かったのかセレナは笑っている。


「ツキノ、ここから旅立った」


 ウルボが空を指差してそう言った。

「そうじゃな」と頷いたツキノに、エリンスは目を向ける。


「え? 大穴から?」


 懐かしそうに空を見上げるツキノに、言葉を挟んでこたえたのはセレナだ。


「二百年前までは、ここが大いなる門グランドゲートだったと聞いたことがあるわ。ウルボはその番人」


 だからツキノも知っていたのか、と納得がいったところで、ウルボは「うん」と頷いた。


「ウルボ守る、アグルシャリアの頼み、守る」


 アグルシャリア――またその名前だ。

 ウルボがそう口にする言葉の節々にも、優しさのようなものが滲み出ている。


「ウルボも一人この地にいたのよ。だからわたしの、今となっては唯一の友達ね」

「ウルボ、セレナ、友達!」


 にこにことしているウルボに対して、セレナも微笑んで頷いた。

「そっか……」とエリンスはそんな二人の顔を見比べて、もう一度空を見上げる。

 ツキノは少し考えたようにしながらも口を開いた。


「セレナの言う通りじゃ。二百年前の戦いを機に、こちらのゲートは閉じられた」


 魔族の女王がアルクラスアに捕らえられてはじまった戦い。

 二百年に続く歪みの全てのはじまり。


「そうだ、こうしている暇もないんだ」


 空を見上げてそう考えれば、時間がないことを思い出した。

 セレナが見せたほうが早いとこの場に連れて来てくれた意味も理解した。

 ここから見る空と崩れた祭壇は、全てを物語る。人界と魔界の歪んだ関係を――二百年前に残した遺恨を。


「アグルエを追わなきゃ」


 そして、それは今へと続いている。こうしている間にも幻英ファントムは何かをはじめようとしているだろう。


「そうだったわね、急いでいるんだったね」


 エリンスの想いが見えたのか、セレナも表情を引き締めて頷いた。

 エリンスが「あぁ」と返事をしたところで、セレナは人差し指と中指を立てて手を前に出した。


「エリンスくんをここに連れて来た目的が二つあるわ」


「二つ?」とエリンスが聞き返せば、セレナは「えぇ」と頷いて話を続けた。


「一つ、魔界の空を見てもらいたかったから」


 そう言われてエリンスはもう一度不思議な空を見上げた。

 地上とは違う、だけど、同じ空の色。雲はなく白い葉脈のような線が走っている。


「見える? あれが、霊樹れいじゅの根。段々と太くなる幹のほうへと繋がっているでしょう?」


 セレナが指したのは、まさにその白い線だった。

「霊樹の根……」とエリンスが呟けば、ツキノも「うむ」と頷いた。


「あの根を追えば、魔界の中心地、魔王城もあるイルミネセントラルに辿り着くわ」


 霊樹の根はエリンスから見て右手のほうへと太くなって伸びている。

 ツキノがこの場所を『西の果て』と言っていたことを思い出すと、どうやら目指す方向は東らしい。


「魔王城、イルミネセントラル……」

「えぇ、きっとアグルエが帰ってきたと言うのなら、そこを目指すはず」


 今や勇者候補生としてではなく、その場所を目指す他ないのだろう。

 セレナの推測通りでもある。魔界の中心地だというならば、幻英ファントムの狙いもそこにあるはずだ。


「ここからなら根も見えやすくて追いやすいからね、こちらのことを知らないっていうならわかりやすいと思って」


 それが一つ目だ。


「じゃあ、二つ目は?」


 エリンスがそこまで考えて聞き返せば、セレナは真剣な顔で頷いて話を続けた。


「急ぐというのなら、ウルボに運んでもらうのが早いから」

「ウルボに?」


 エリンスがそう疑問を返しながら横にいるウルボを見上げると、彼は間の抜けた顔をして二人の話を聞いていた。


「……お主、とんでもないことを考えてはおらぬか?」


 ツキノが思わずといった調子で口を出す。

 エリンスとしては何が言いたのかはまだ見えなかったのだが、ツキノは険しい顔をしている。


「え? あなたも心が読めるの?」

「いや、読めぬが……人は、死ぬぞ?」


 先の見えない二人の会話に、物騒な言葉まで聞こえてエリンスも口を出す。


「死ぬって……」


 戸惑うエリンスをよそにセルナがぽつりと呟いた。


「ウルボに投げてもらえば、一瞬で街につくわ」


 エリンスはウルボの腕へと顔を向けた。筋肉質ながっしりとした腕、大きな身体を持つ彼にとっては、人を一人投げるなんてことは軽く簡単にできることなのだろう。

 想像するに容易い。だがそれは――あまりにも無謀な一投だ。

 エリンスは自分がボールのように丸められて投げられる姿までをも想像した。そして投げ飛ばされた先で、受け身を取ることもままならずに地面に叩きつけられる姿まで――。

 地面への衝突は死のイメージへ直結している。


 そんなエリンスが思い描いた光景が、セレナにも見えたのだろう。

 彼女は少し残念そうに肩を落として「ダメかぁ……」と呟いた。


 どうやら人間に会ったことがないセレナは、人が魔族のように丈夫でないことを知らないらしい。

 そもそも魔族であってもそう投げられて無事でいられるのかは、エリンスにも想像できなかったが。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る