第11章、魔界編――紡ぐ未来へ、託す想い

第242話 とある朝に訪れたモノ

 窓から差す柔らかい木漏れ日の下、炎の魔素マナを灯したコンロの上でことことと鍋が煮えている。

 丸太を組み上げた木製のログハウス。部屋はおあつらえ向きに、一人暮らしで困らない最低限の寝室とダイニングキッチンのみ。

 そこで暮らしている少女は一人、ミトンをはめた手で鍋の蓋を掴むと、レードルで中身をくるくるとかき混ぜた。


 胸元まで伸びる長い金髪姫カット、上品な口元に黄色い瞳がぱちりと開く。その目は三つ、分けられた前髪の内側で縦に開いた瞳はきらりと輝く。

 ふわりとした長袖ワンピースの上に赤白チェックのエプロンを首から提げて、漂ってくるクリーム仕立てのスープのほんのり甘い香りに、機嫌もよさそうな鼻歌を口ずさむ。

 エプロンの裾を揺らして、「今日もいい日になりそうだわ」なんてのんきに思ったところで、どしんどしんと地響きを立てる足音が、ログハウスへ近づいてきた。


 慌ててコンロに灯した炎を消す。不安そうに黄色い瞳を揺すらせれば、その足音はちょうど家の前で止まった。

 手からミトンを外し、首から提げていたエプロンも外して壁にかける。そうしてから少女は玄関まで近づいてドアを開けた。

 出迎えることになったのは、四メートル近い体躯を木々の間で申し訳なさそうに縮こまらせた巨人の魔族だ。


「セレナ、困った」


 のっぺりとした顔につぶらなまなこが彼の敵意のなさを表している。

 巨大ながらに引き締まる筋肉質な身体に褐色の肌。身体に纏ったのは丈夫な葉を編んで作られた腰蓑こしみのとズボン、腕に巻いたブレスレットのみ。

 その体躯に見合う巨大な腕の中に、何やら人のようなものを抱えていた。


「どうしたの、ウルボ。あなたがここまで来るなんて珍しい」


 セレナと呼ばれた少女は、その言葉通りに困った顔をしている巨人の魔族ウルボへとこたえた。


「これ、セレナ」


 ウルボがセレナに手を差し伸ばす。

 その手の上に乗っているのはやはり人だった。眠っているらしく目は開いていない。

 眠っているというよりは、意識を失っていると言ったほうが正しいだろうか。


 黒っぽい髪に腰には剣を携えており、見たところ剣士のような格好をしている。

 だが、角や翼、尻尾といったような魔族的な身体特徴が見られない。どう見てもそれは魔族ではない、人間だ。

 顎に手を当てて考え込むセレナに対して、ウルボは眉根を下げて未だに困り続けている。


「どうする、セレナ」


 ウルボの言葉を無視したわけでもなかったが、セレナも眉根を寄せた。


 何か面倒事の気配がする――できれば、積極的に関わりたい。だがしかし、招き入れていい面倒事なのか。


 セレナがそう考えていたところで、眠った人の腕の中で白い何かがもこもこと動き出した。


「っぷはぁ、ついたのか、って、ここは!」


 きょろきょろと長い耳と尻尾を揺らして首を振ったのは白い狐だった。

 セレナがぱちくりと三つ目を見開いてその顔をのぞけば、向こうも驚いたように目を丸くする。


「喋る狐……ってわけでもなさそうね」

「なんじゃ、お主ら! エリンスをどうするつもり――」


 狐は首を振ってセレナとウルボの顔を見やるや否や、喋りかけていた言葉を止めた。


「……お主、ウルボ・ロム、か?」


 ウルボの顔を見やって固まった狐が彼のフルネームを口にした。

「ぉん?」と首を捻るウルボに、セレナが慌てて口を挟む。


「あなた、ウルボのこと知っているの?」

「知っているも何も……覚えておらぬか」


 声からして女性なのだろうか。もふっとした尻尾をまじまじと見つめるセレナに、しかし、その狐はウルボの顔を見上げて固まったままだった。


「ウルボ、知らない」


 ウルボはそう言って首を振っているが、物覚えのいいほうではない彼のことだから、狐の言葉のほうが信用できる。

 ただの狐でないことはセレナもひと目して理解した。それでいてウルボのことを知っているともなれば話は別だった。

 セレナはウルボの手の中に抱えられている青年を肩に背負う。


「セレナ、どうする」

「おい、お主、何をする!」


 それぞれに口ごたえするよう喋った二人を一瞥して、セレナは「ひとまず!」と言葉を区切った。


「わたしの部屋で寝かせておきましょう、別に取って食べたりはしないわよ」


 心外だ、とばかりに言い切ったセレナに、狐も納得したかのようにピンっと立てた尻尾を下した。


「ウルボは帰っていいよ」


 セレナがそう言えば、疑問も何もかも忘れたようにしてウルボはこくりと頷いた。再びどしんどしんと足音を轟かせて森の中から去って行く。

 青年を担ぎなおしたセレナは跳び下りた白い狐を目で追った。


「わたしはセレナ・ルス。ここで、一人で暮らしている魔族」


 心配そうにウルボの背中を見つめる狐は、顔を上げてそれにこたえる。


わらわはツキノじゃ」

「そう、ツキノ……? あなたも魔族よね」


 ツキノと名乗った白い狐がこくりと頷いた返事を見て、セレナは二人を家に招き入れた。

 人間と一緒にいる魔族。どう考えても面倒事だろうと思いながらも、その口角は吊り上がる。


――人間が落ちてくる・・・・・なんてことは聞いたこともない。少なくとも、この二百年はなかったことだろう。


 今日がいい日となるのか、どうなのか。

 セレナは一人、退屈した生活に訪れた変化へと少し胸を躍らせていた。


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