第239話 友として
エリンスは祭壇の裏手にあった薄暗く狭い階段を下っていく。
普段人もあまり立ち入らないのだろうが、壁にある
一歩一歩と下るたびに自身の足音が響く。
地下に潜っているというのに、しかし、空気は不思議と澄んでいた。
階段をひたすら下りて進むと、扉がある広間に繋がっていた。壁が薄っすらと淡い光を発していて地上のように明るいことが、この場所が特別な意味を持っていることをより思わせる。
エリンスが扉を開けて先へと進むと、そこは長い廊下の一角だった。
白色の大理石が敷き詰められた床はきらりと光る。先ほどの広間同様、壁自体が光源を持っているように淡く輝いていた。
どうも
右手にも左手にも先が見えないほどに続いている廊下のど真ん中。エリンスは何かに導かれるようにして左手へと進んだ。ツキノも口を噤んで、エリンスの肩の上で尻尾を振っている。
「不思議な感じがする」
エリンスが呟けば、ツキノは「うむ」と頷いた。
長い間あまり人が訪れることのない場所だろう。生活感もないというのに、掃除の手が行き届いているようで埃が舞っていることもない。人の気配もないが、不思議と不気味さは感じなかった。
「レイナルも言っておったじゃろ。この城自体が特別、
かつては魔族の女王が暮らしていたという場所だ。そういうところを選んだのかもしれない、と考えながらに、エリンスはひたすら真っすぐと続いた廊下を進んだ。
しばらく進んだところで開けた場所へと出る。王宮だというのなら、そこが正面広間なのだろうことはエリンスも何となく察した。
その光景を見て、「わぁ……」と思わず声を漏らす。
広間の壁と床、天井に至るまで、廊下を覆っていた白い大理石とはまた違う、透き通った白い宝石のような石で彩られていた。
ひと際に強い光を放っている。地下だというのに太陽の下にいるように明るく温かい。例えるならば、水晶の王宮だ。
「水晶宮と呼ばれておった」
その名に恥じない輝きだ、とエリンスは考えなら頷いて、ツキノに言葉を返す。
「ツキノは来たことがあるのか?」
「……ある」
「そっか……アグルシャリアって人と、知り合いだったのか?」
広間をひと通り見渡しながらエリンスがそう呟いたところで、ツキノは何やら話辛そうな顔を浮かべて俯いた。
気まずい空気にエリンスが頬を掻くと、だけど、ツキノは決心したように口を開く。
「その名も懐かしい。あの方とは、少しの間ともにおったこともある」
「……アグルエと、関係があるのか?」
エリンスがシドゥからその名前を聞いたとき、無意識のうちにも考えたことだ。
どうにも響きからは関係がないように思えない。似ていると思った。
「……アルバラストの姉じゃよ、アグルシャリアは」
魔王の姉の、魔族の女王。
アグルエとも血の繋がりがあるということだろう。
「姉……」とエリンスが呟けば、ツキノは「うむ」と頷いて顔を上げる。
「――――、やはりダメか。詳しい話は、
まだ何か言おうとしたツキノに、エリンスは「そっか」と頷いて肩の上のその背中を軽く撫でた。
「今はそれだけわかれば、十分だ」
エリンスは真っすぐと広間を歩いて進む。そんなエリンスに、ツキノは手を伸ばして口を挟んだ。
「そこの右の部屋じゃ」
二階へと続くスロープの下、扉が二つ並んでいた。
ツキノに言われた通りに、エリンスはそちらの扉を開ける。続く先にはさらに下へと下るための階段があった。
「知ってるんだな」
「来たことがあると言ったじゃろ」
広間と同じような透き通る水晶でできた空間。そこに続く階段も同じような石でできている。ピカピカと光る足元に、段差を踏み外さないようにゆっくりと階段を下りていく。
階段を進むたび胸に込み上げてくる不思議な感覚が強くなる。
「ここはまだ、協会で聞いたような異常もないのかな」
それに伴い周辺の魔物も凶暴化していると聞く。普段は流れる
「どうじゃろうな。じゃが、今のところは何も感じない」
エリンスはツキノのこたえを聞いて、静かに階段を下りていく。
水のせせらぎが耳を撫で、ひんやりとした空気に目を向ければ、階段の横に沿って小川が流れている。水晶でできた道を流れる水はまた、キラキラと透き通って輝いた。
――これが、聖杯の水ってことか。
レイナルの話を思い出しながら、階段を下って行けば、小川はやがて滝になりばしゃばしゃと音を立てながら暗闇の向こうへと流れ落ちていた。
そうして辿り着いた水晶宮の最下層、大聖堂の広間よりも広い場所へと辿りついた。
白色の広間、並び立つ石柱。肌を撫でるひんやりとした空気に、時折耳を掠める風の音。
広間の行く手、最奥には暗い闇が広がっている。エリンスの腰ほどの高さがある鉄柵で囲われるように境目が作られていた。
エリンスはその場所まで駆け寄った。鉄柵へ掴まり身を乗り出せば、その先に広がっているのは一面の黒。床が途絶えている。風の音が響き渡る大空洞。ここが話に聞いた大穴だろう。
「ここが……」
「二百年前までは、リューテのクチと呼ばれておった」
今はもうそう呼ぶものも、この場所を知る者もほとんどいないという話だろう。
この世界、リューテモアの口という意味合いか。言葉通りのそのままに、世界が大きな口を開けて待っているような場所だった。
「不思議な、感じだ」
穴の底から吹き上げてくるような風が何故だか優しくも感じる。
この先にアグルエが待っていると思えるからなのか、その大穴に覚えるのは恐怖だけではなく、不思議な感じと言い表すしかないものだった。
そうしているエリンスの肩の上で、ツキノは「むっ」と何かに気づいたように尻尾と耳を立てる。
エリンスも同じタイミングで「ん?」と人の気配を感じ取った。背後から近づく足音に慌てて振り返る。
「誰だ!」
エリンスの視界の隅で、紺色のマントに黒い長い髪が視線を隠すように揺れた。
叫んだエリンスの声の先、呆然と立ち尽くすようにして立ち止まったのはアーキスだった。
「アーキス!」
エリンスが名を呼びながら数歩踏み出せば、アーキスは俯いたままに同じ歩数だけ下がった。
「アーキス?」
様子がおかしいことにはすぐに気がつく。エリンスの訝しむ視線の先で、アーキスはいつものように爽やかに笑うこともなく顔を上げた。
「エリンス、全て、聞いていた」
寂しそうな目をしたアーキスは、「ふっ」と息を吐くと、再び俯いて自身の手のひらを眺めている。
「きみの覚悟は、十分にわかっているつもりだ」
「アーキス、どうしたんだ……」
ずっと大聖堂からエリンスの後をつけて来ていたのだろう。だが、問いにもこたえないアーキスに、エリンスは不信感を募らせる。
アーキスが顔を上げる。その瞳は真っすぐに、エリンスのことを射抜くような力強さを宿している。
エリンスが半歩近づけば、アーキスは腰に携える二本の刀剣――そのうちの一つ、天剣へと手を添えた。
「だけど、きみを先に行かせるわけにはいかない」
しゃきん、と響いた音に、煌く刃が鞘から解き放たれる。
「ど、どうして」
エリンスは前に出した足を引っ込めるように一歩下がった。
ツキノが何やら気難しい顔をして、アーキスのことを見つめている。
「全て聞いていたと言っただろう。そこから先が、魔界へと繋がっているんだな」
構えられた天剣グランシエル。アーキスは一歩を踏み出すと、そのまま宙を蹴って、エリンスの上方へ迫る勢いで駆け出した。
「エリンスッ!」と叫ぶツキノの声で、呆然とただそれを見やっていたエリンスは意識を取り戻したようにし、前面へと転がる。
振り抜かれた一閃は、先ほどまでエリンスが立っていた場所、空を切る。立つ場を入れ替えるようにして、再び天剣を構えるアーキスに、エリンスも慌てて立ち上がって向かい合う。
――本気で、狙いに来た一撃だ。
エリンスも悟る。
肩の上から跳び下りたツキノは、二人の顔を見比べるようにして心配そうな眼差しを向けていた。
「アーキス、どうして!」
「そこから先は、奈落へと繋がる道だ。きみを進ませるわけにはいかない」
横に腕を開くように構えられた天剣、道を塞ぐような意志を示す眼差しに、エリンスも無意識に一歩後退る。
「様子が、少し変じゃ!」
ツキノの言葉にエリンスも咄嗟に頷いた。
「エリンス……俺はもう二度と、友を失うわけにはいかない」
天剣を構えたアーキスの全身から溢れ出す白いオーラとその言葉が、彼の覚悟を表している。
「……メルトシスのことを言っているのか」
エリンスが問えば、アーキスはようやくエリンスの言葉にこたえて頷いた。
「あぁ、そうだ」
「あいつがそう簡単に死ぬわけないって……そう言ったのは、アーキスだったのに!」
「……でもあいつは帰ってこない。次元の狭間……どこかもわからない場所彷徨っている」
次元の狭間――そう聞いて、エリンスはレイナルの言葉を思い出す。
――『資格や覚悟なき者が飛び込めば、次元の狭間に落ちて命を失うだろう』
大穴の先の話、アーキスはその言葉も全て聞いていたということだろう。
「きみは、もう十分やっただろう。きみばかりが、全てを背負う必要はないだろう!」
真っすぐと見つめる眼差しの
ツキノも何か違和感を覚えるようにしていたことが気にかかる。ただ、エリンスは真っすぐと見つめたままに言葉を返した。
「悪い、アーキス。俺は行くって決めたんだ」
「そうか、やはりきみの覚悟は揺るがない。俺の想いはわかってもらないか。ならば、ここで俺を倒してから行け!」
両手で天剣を握りしめるアーキスが、半歩踏み出してエリンスに殺気を飛ばす。
エリンスは奥歯を噛みしめて半歩下がった。
「っ! なんで、そうなる! アーキスらしくもない!」
「俺らしい……? きみは、俺の、何を知っている!」
はじめてアーキスから感じた敵意。突き放されたようにも感じる意志に、エリンスも思わず言葉を呑んだ。
横で尻尾を立てるツキノが小声を零す。
「これは
「あぁ、そうかも……」
様子は最初からおかしかった。
エリンスがこたえないと見るや、アーキスは一歩を踏み出した。
「言葉は聞き入れてもらえないな、やはり」
そう言ったアーキスの研ぎ澄ますような鋭い視線が突き刺さる。
エリンスはそっと、腰に携えた
「剣士はこれで語るものだ、エリンス。先へ進むというのなら、きみの覚悟を示してみろ!」
さらに一歩を踏み出したアーキスに、エリンスも剣を鞘から抜く。そうして向き合って、刃でこたえるしかなくなった。
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