第236話 曇る夜空の大聖堂

 マリネッタの部屋を後にして、エリンスは一旦自室へと戻った。

 今、エリンスら勇者候補生が勇者協会より指示されているのは休暇だ。

 十分に身体を休めるようにとのことだが、エリンスとしてはそうおちおちと眠ってもいられない。少し休んでから気持ちを落ち着けると、荷物をまとめてツキノに預けた。軽鎧ライトアーマーを装備しなおしたところで、エリンスは部屋を後にする。


 そのまま廊下を進むと、階段の踊り場の付近、外へと出られるようになっているベランダに辿り着いた。閉まっていた横引のガラス戸を引いて外へ出れば、外は真っ暗だ。麓に見えるミースクリアの灯りがどこか温かい。だが、空は曇っていて、星も見えない。

 エリンスはそこで星を探すことを諦めて、ベランダを後に階下へ降りた。そうしてまた長い廊下を進んだところで、シーンと静まり返る大聖堂広間へと足を踏み入れた。


 はじまりの日、シスターマリーに励まされて背中を押されたことは、瞳を閉じれば昨日のことのように思い出せる。

 ふと目を開けると、燭台に明かりが灯るだけの大聖堂の隅で、ちょっと窮屈そうに魔竜ランシャが身体を縮めて丸まっていた。その瞳は何か想いふけったようにして、大聖堂の最奥、壇上のさらに上に掲げられているステンドグラスへと向けられている。


 エリンスは魔竜ランシャも無事だったことに安堵して、そして、もう一人、同じようにステンドグラスを見上げている人影に気がついた。

 大聖堂に並ぶ横長の椅子に腰かける男は、エリンスが見間違うはずもない、父親、レイナル・アークイルだった。


「父さん?」


 驚き上げたエリンスの声が静まる大聖堂へ響いた。天井も高いだけあってよく響く。

 その声で魔竜ランシャも、レイナルも一様にしてエリンスへと顔を向けた。


「あぁ、エリンスか。無事でよかった」


 ツキノがエリンスの肩の上から跳び下りて、安堵したように息を吐いたレイナルの横へと座った。


「どうして、ここに」


 てっきりベルムトに置いてきたままにしてしまって、連絡を取る手段もなくなってしまったと考えていたところだ。


「全く、そうじゃな。目を覚まさぬ息子の顔も見に来ずに」


 ツキノが前足を上げて、レイナルの腰を小突いた。


「あぁ、悪い悪い。マースレンに呼び出されたんだよ。事後報告、どうも全員に聞き回っているらしい」


 余程周到だな、と苦笑いを浮かべてレイナルはこたえる。


「結界装置の修理だけ済ませたから、ラーデスアのほうはもう人手も足りている。俺の居場所はなくなったってことだ。後は皇女様とファーラス王国に任せておけば、時機に黒の軌跡も復興するだろう」


 エリンスはツキノを挟んで、レイナルの横へと腰を下ろした。


「……おまえが寝ている間に、ツキノから全部聞いたよ」


 横に座ったエリンスの顔を一瞥して、レイナルは再びステンドグラスを見上げて呟いた。


「うん、全部知った」

「ここで多くは言わなくていいぞ。それに触れるのは、危険だ」


 レイナルの言う意味もわかる。

 勇者協会の内側で、『禁忌』に触れる話は厳禁だろう。


「俺にも話すことはできなかったことだ。わかってくれ」

「うん、わかるよ」


 度々、レイナルは真剣な表情で話をしている最中でも渋い顔をしていた。話せないことが辛かったのだろう。

 事の重大さを知ってしまった今となっては、それにも納得だ。


「だが、まさか今もまだ続いて……それにラーデスアが噛んでいたとはな」


 レイナルも、今もなお擬神計画ぎしんけいかくがまだ続けられていたことは知らなかったらしい。


「勇者協会も?」

「当然知らなかったとさ」

「それを知って、アグルエも……」


 決意を固めたところもあったのだと思う。

 魔界に進出し、手を伸ばした幻英ファントムを――アルファを止めるために。


「だろうな、彼女もまた、おまえと同じことを思ったはずだ」


 レイナルがそう言ってくれることが、エリンスとしては心強い。

 静まり返る大聖堂の薄暗闇の中、魔竜ランシャも身を潜めるようにして二人の話を聞いていた。

 エリンスも暗いステンドグラスを見上げて、決意した想いを口にする。


「父さん、俺は、アグルエを追うよ」


 特に驚いたようにもせず、ただ静かにレイナルはエリンスのほうへと顔を向けた。

 エリンスは真っすぐとした瞳で見つめ返す。


「父さんなら、魔界への行き方を知っているんじゃないのか」


 エリンスがそう聞くと、レイナルは何か一瞬悩んだような表情を浮かべた。


「手段がないわけでもなかったが、しかし、それも今は絶たれた」


 レイナルは話すことを選んでくれたようだ。ただその返事は、エリンスが求めていたものではなかった。


「そんな……何か、ないのか」

「エリンス、おまえの予測したことはあっている。幻英ファントムは、大いなる巡りの流れを何らかの手段を持ってして切った。それが、あのとき全世界を襲った地震と耳鳴りだったのだろう」


 やはりそうだったらしい、とエリンスも頷く。


「剣聖、ディートルヒが普段何をしているか」


「え?」とエリンスは聞き返す。

 どうして突然、彼の話が出てきたのか。


「俺が結界を見回る仕事を協会に任されているように、あいつにも任されている仕事がある。帝国に魔族軍が迫ろうと、勇者協会として手を貸すことになっても、ディートルヒは自分の持ち場を離れることができなかったってことだ」


 人間で唯一転移魔法を扱えるほどの魔法の使い手。特別な古代魔導技術ロストマナを手にしているからだとも聞いた。

 それほどの力を持つ剣士が瞬時に移動することができるのならば、争いを未然に防ぐことも容易かった、とはエリンスも考えた。だが、そうではなかったことにはやはり意味がある。


「セレロニアの北、ラーデスアの北東に、人も住んでいない島がある」

「そんなところに、島が?」


 地図にも載っていない話だろう。世界地図も勇者協会が発行している。船の運航も勇者協会が取り仕切っているのだから、隠すことなんて簡単だ。


「あぁ、そこには、人界と魔界とを繋いでいる大いなる門グランド・ゲートがある」

大いなる門グランド・ゲート……」

「人界では公にされていない話だが、二百年よりもっと前、太古から存在しているものだ」


 それを聞いて、エリンスは前にアグルエから聞いた話を思い出す。

 アグルエも言っていた。人界と魔界とを行き来する手段がある、と。自力でゲートを開く以外に、管理されているゲートを通る手段があるという話だったはずだ。


「今まで、不思議だったんだ……でもそれを聞いて納得した。魔王候補生たちは何も皆、自力でゲートを開いてこちらに来ていたわけではなかったんだ……」

「あぁ、そうだろう。向こう側は魔族たちが、こちら側は勇者協会に選ばれたごく一部の人間たちが、ディートルヒが中心となった部隊が大いなる門グランド・ゲートを管理していた。そうして勇者協会は、魔族側と秘密裏に二百年間やり取りを続けていたんだ」


 勇者候補生の旅の目的――魔王を討つためにだなんて目的は、真実を歪めるために掲げられた虚実の目標だった。

 勇者候補生が何のために旅をしていたのか、そんなことはエリンスももう知った。


「そうか、今の均衡を保つために、当然勇者協会も魔王も手を組んでいたんだ」

「そうだ。まあ、大いなる門グランド・ゲートを管理していたと言っても、向こうからこちらへ来る魔王候補生を防ぐような権限はディートルヒも持ってはいなかったがな」


 人界と魔界はそういう風にして繋がっていた。

 しかし、大いなる門グランド・ゲートを管理していたはずのディートルヒが今や自由に動いているということは――。


大いなる門グランド・ゲートに何かあったのか?」

「その通りだ。今や、大いなる門グランド・ゲートの繋がりも絶たれてしまった。ディートルヒを問い詰めたら、渋々白状してくれた。幻英ファントムが門をくぐって行ったそうだ。代わりに魔族軍が現れて、大いなる門グランド・ゲートの権限も奪われたらしい」


 そこで戦いがあったことも想像できる。幻英ファントムは勇者協会の右腕の制止も振り払って行ったのだろう。


「じゃあ、やはり幻英ファントムは魔界に今もいる」

「あぁ、そうだろうな。向こう側からこの事態を作り出している」


 そんな二人の話をツキノも悩んだように聞いていた。


「流れが絶たれて、ゲートも絶たれて……」


 エリンスも聞いた話から冷静に考えた。

 それではまるでこちら側からは打つ手がないという話になってしまうようだ。

 だからニルビーアは急いでいた。アグルエも帰る必要があった。

 それだけではない、マーキナスにしても、地下で起こった話を聞く限り、シャルノーゼにしても同じだ。


「何か、ないのか……」


 散々に大口は叩いたけれど、いくら強い意志で追うという覚悟を決めたところで、その手段がなければただの虚勢になってしまう。

 呆然としてしまったエリンスに、魔竜ランシャが何かを言いたそうに首を持ち上げて、それにこたえるようにツキノが頷いて呟いた。


「あるじゃろうて、たった一つだけ、手段が」


 エリンスは横に座ったツキノへと目を向けた。

 レイナルは「しかし……」と悩んだように首を捻る。


「あるのか! 手段が?」


 エリンスが聞くと、ツキノは静かに頷いて口を開いた。


「心配せんでいい。わらわは地の底までだろうと、エリンスに付き合うと、もう決めた」


 レイナルのことを見上げて言うツキノに、エリンスもその視線を追って、縋るように父の顔を見た。

 レイナルは悩んだように唸りながらも、ツキノにそこまで言われてしまえば、といった調子で渋々こたえた。


「あるにはある。だが……ゲートとは違って、無事は保証されない道となる」


 それでもそこに道があると言うのなら、エリンスは立ち止まるつもりなどなかった。

 やはりまだ――二人の旅路は途絶えていない。


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