第227話 滅尽 VS 闇招 思わぬ邪魔


「ツキノさんを、放して!」


 怖くもなり叫んだアグルエは剣を構えなおすが、シャルノーゼはそんなアグルエの様子を一瞥してから「ルフフ」ともう一度笑った。


 逃げられないツキノに対して、シャルノーゼが何をしようとしているのかが全くわからない。薄気味悪くも笑っている表情からは何も読めない。

 アグルエが張り詰める緊張感に息を呑むのと同時に、だが、シャルノーゼは右手にした大鎌を振り上げるわけでもなく、ツキノの尻尾を掴んだ左手をぶんぶんと振り回した。

 尻尾を中心に、ぐるぐると振り回されたツキノは「ぅぅぅぅぅぐぅ」と悲痛な声を上げながら目を回す。


「はい、放したわよ」


 ひょいっとそのままツキノの尻尾から手を放すシャルノーゼは「ルフフ」と目を細めた。

 あらぬ方向へと吹き飛ばされたツキノは、目を回したままに意識を取り戻すこともなく壁に叩きつけられ、地面へ倒れた。


「ツキノさん!」


 ツキノは起き上がらない。

 慌てて一歩前に出ようとしたアグルエだったが、その足は強い力に掴まれ引っ張られるようにして思うように動かなかった。


「闇の手は何も、一本じゃないのよ」


 アグルエの足を掴んでいたのは地面に広がる闇から出ている黒い手。がっちりと掴まれて、放してくれそうにもない。


「くっ」と噛みしめたアグルエは胸に溢れる想いを手に、黒き炎を手先から振り撒いた。

 だが、そのような簡単な攻撃ではシャルノーゼが出す闇招あんしょうの手を解くこともできない。


「ここの闇は格別だわ。わたしの想いを呑み込んでくれる」


 そう笑って言いながらも、シャルノーゼは手にしていた大鎌を振り上げる。

 足首を掴まれて動けないアグルエは、かわせないのならば――ともう一度胸のうちから想いを振り絞り、全身から黒き炎を噴き出させた。

 腕も手もその先に握る剣にも想いを行き渡らせて、シャルノーゼが振り下ろす刃へと立ち向かった。


――闇を裂く、刃となれ!


 想炎一閃そうえんいっせん――アグルエの想いを宿した刃は、シャルノーゼが力任せに振り下ろした刃と衝突する。

 刹那、二つの力の衝突が生み出す衝撃は、周囲に飛び散る黒き閃光となった。

 互いに一歩も揺るがない。交差した眼差しの先で、にやりと笑うシャルノーゼにアグルエは燃える意志を炎に宿した。

 すると、その想いにこたえるようにして、黒き炎がシャルノーゼの闇招刃ダークサイズまでをも呑み込むように燃え広がる。


――滅せよ!


 闇が砕け散るイメージを胸に、シャルノーゼが手にした闇招刃ダークサイズが粉々になることを願う。

 それこそが、アグルエが滅尽の魔王候補生と呼ばれた所以ゆえんの想いの力。

 だが、それよりも強い想い――深い闇で象られた闇招あんしょうの刃が砕けることはなかった。

 刃を受け止め続けるアグルエも気圧された。足を掴まれ一歩引くこともできはしない。


「追い詰めたぁ」


 にやりと笑うシャルノーゼに、アグルエが歯を噛みしめたそのとき――。


「やっと、見つけました」


 闇の中に声が響く。静かに音色を奏でるような声色。二人の激情の中に深く染み渡るような落ち着く声だった。

 二人の魔王候補生は刃を合わせたままに、動きを止めて顔を見合わせた。そして、同じタイミングで声がした方向へと首を振る。


 暗闇から浮かび上がったのは、汚れてしまった毛並みを撫でられる抱きかかえられたツキノの姿。そして、ツキノをそうやって撫でていたのは、アグルエも見覚えのある女性の魔族だった。


 ブラウスにロングスカート。お洒落にジャケットを着こなしている立ち振る舞い。大きく太い黒い尻尾が地面まで垂れ下がっていて、それを引きずるように二人に近づいた。

 黒いストレートの長髪に、頭から生えているのは地面まで垂れるほどに長い二本の触覚。目元ではフレームの細い眼鏡がきらりと光り、鋭い金色の眼光は冷静なままに二人の魔王候補生のことを捉えている。

 左腕の中にツキノを抱えて、撫でる右手には楽器の弓のようなものが握られている。


 アグルエが見間違うはずもない。

 その姿はここにはいないはずの魔族のものだった。


「ニ、ニルビーアさん……」


 魔王アルバラストに仕える魔王五刃将まおうごじんしょうが一人、斬奏ざんそうのニルビーア。ニルビーア・マイ。

 かつてアグルエが、星刻の谷でエリンスと一緒に見た石碑にも名が刻まれていた魔族、その人だ。


「何故……ここに……」


 そう驚いたようにしたのはシャルノーゼも一緒だった。

 ニルビーアは魔王五刃将の中でも古くからアルバラストと付き合いがあり、懐刀の一人を務める。一番の側近、決して単独行動などしない人物であることは周知の事実。

 それをシャルノーゼも当然知っていたのだろう。慌てたようにしたシャルノーゼはアグルエから一歩距離を取り、大鎌を手にしていないほうの手を振り払った。


 それに作用してか、アグルエの足を掴んでいた闇がどんどんと膨れ上がり大きくなり、十字架を象る。アグルエはその闇に絡めとられるようにして、腕までも抑えつけられ囚われてしまう。

 アグルエは全く抵抗もできず、「くっ」と悔しさに再び表情を歪めた。シャルノーゼはそんなアグルエを一瞥すると、ニルビーアへと向きなおった。

 矛先をそちらへと変えたようだ。


「魔王五刃将……どうして……まさか、こちらに来ている暇などないはずよ」


 勢いよく大鎌を振り上げ一歩を踏み出すも何故だかそこで、シャルノーゼは表情を固まらせて動きを止めた。

 そんな風にしたシャルノーゼへ、ニルビーアは冷静なままに眼鏡のブリッジを指先で上げてこたえた。


「えぇ、だから緊急事態。わたしとしても、急いでいるのですよ」


 闇の十字架に拘束されたまま、アグルエは状況を見定めた。

 きらりと光る眼鏡のレンズ。それと同様に、周囲でも暗闇の中でわずかな光を反射しているものがある。肉眼ではっきりと捉えることはできないが、周囲に張り巡らされているのは細い糸。

 シャルノーゼが動きを止めたのは、自身の周囲にピンッと張られるその糸に気が付いたからだろう。ニルビーアの力を魔族の中で知らない者はいない。肉眼に映らないほどに細い糸であろうと、抜群の斬れ味を誇る斬奏の糸、それがニルビーアの武器なのだから。


 今度「くっ」と苦しそうに声を上げたのは、大鎌を持ち上げたまま腕を振るわせたシャルノーゼだ。

 楽器の弓のような得物を構えるニルビーアは、腕に抱えていたツキノを近くにあった棚の上に置いた。


「せっかくの古い友人との再会が、このような形で残念です」


 未だ目を開かないツキノのことをそっと撫でたニルビーアは、そうしてからシャルノーゼへと向きなおる。


「何をしに来た! どうして邪魔をする!」


 身動き取れないままに声を上げるシャルノーゼへ、ニルビーアは冷たい眼差しを向けていた。


「あなたに語るまでもない。わたしが怒りのメロディーを奏でる前に、とっとと退散なさい」


 冷たくも言い放たれる圧。この場において、絶対的な力を持つ強者が誰であるのか、その態度だけで示されているようだ。

 いくら闇の力が強いこの場所であっても、ニルビーアに敵わないことをシャルノーゼもその一瞬で思い知ったのだろう。

 委縮したように身を震わせると、手にしていた大鎌から手を放し、それは闇に溶けるようにして消えた。

 シャルノーゼが刃を引っ込めたのを見て、ニルビーアも楽器の弓を振る。それで周囲に張り巡らされていた糸も消えたらしい。

 安心したのか、力が抜けたようにしてシャルノーゼは膝をつく。


「余計な、邪魔を。わたしの、楽しみを」


 恨みがましそうにニルビーアのことを見上げてそう口にするシャルノーゼへ、ニルビーアは冷たく見下ろしながらこたえる。


「別に、奪ってはないでしょう? この場は退いてくれ、とお願いしているだけです。ここで断ち斬ってもよかったけれど、あなたに本気になられると面倒そうで。こちらも時間がないのです」


 それを聞いてシャルノーゼは「くっ」と表情を歪ませた。そうしてから、さっさっとドレスについた埃を振り払うように立ち上がると、渋々といった調子で頷いた。


「いいわ、別に、わたしもあなたみたいなのとやり合いたくはないし。楽しみを取っておいてくれるっていうのなら、見逃してあげる」

「見逃してあげるのはこちらですよ。今や二対一、それはあなたとしても本望ではないでしょう?」


 そういいながらニルビーアが楽器の弓を振るうと、アグルエを縛っていた闇の十字架も切断されるようにして元の闇へととけた。突然解放されたアグルエは力なく床に膝をついてしまう。

 シャルノーゼはそれを一瞥して、「ちっ」と舌打ちを鳴らすと、指をパチンッと鳴らして床へ開いた闇の穴の中へ溶けるように消えていく。

 消える最後の瞬間、アグルエへと横顔を向けたシャルノーゼは不気味に笑みを浮かべた。


「……楽しみはとっておいてあげる。あなたの命を取るのは後回し。ルフフフ、でも、いいわ。もっと絶望する顔も見られそうだし」


 アグルエの返事を聞こうともせずに、シャルノーゼはそれだけ残して闇の中へ消えた。

 同時に消える闇の穴に、シャルノーゼの魔力の反応は周囲からも消えて遠ざかっていったようだ。

 蒼然としながらも立ち上がるアグルエは、ニルビーアへと顔を向ける。

 ニルビーアも「ふぅ……」とひと息吐くように肩を下した。


「ここで彼女に本気になられたら面倒だった。あの子がああいう性格で助かりましたよ」

「一体、どういうことですか、ニルビーアさん」


 アグルエは未だ目を覚まさないツキノを一瞥して、不安なままにニルビーアの表情を見やる。

 緊急事態、時間がないとも言っていた。アグルエもゆっくりと話している暇はないと悟りはするのだが、シャルノーゼの言い草も気になった。


――『……まさか、こちらに来ている暇などないはずよ』


 ニルビーアはアルバラストの懐刀。シスターマリーのように人界で暮らしているわけでもない。そう考えると、ここにこうして彼女が現れたことには、特殊な事情があることは明白だ。


「アグルエ様、お久しぶりです。そうですね……あまり詳しく説明している暇もないのですが」


――『やっと、見つけました』


 ニルビーアがそう最初に言葉にしていたことが、アグルエにもその続きの言葉を連想させる。

 呆然としたまま顔を向けているアグルエに、ニルビーアは腰を折るように一礼すると手を差し出した。


「お迎えに参りました、姫様。どうか一緒に、魔界へとお戻りいただけませんか」


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