第226話 滅尽 VS 闇招 闇招の力

 薄暗い闇の中、崩れる石壁の音がガララと響き渡る。

 アグルエは強い力に吹き飛ばされた。そのまま壁もぶち破って、倉庫であっただろう部屋の中にある木箱に全身を打ちつける。

 壊れた木箱とそこに詰まっていた布の束をクッションにするようにして止まり、そして、立ち上がった。


「こほっこほっ」


 勢いのままに手から吹き飛んだ剣がカララと落ちる。

 同時に立ち込めた埃と土壁の残骸を吸い込んで、アグルエは思わず咳込んだ。


「大丈夫か、アグルエ!」

「う、うん……」


 肩の上にしがみつくツキノの声にアグルエは頷くと、そのままよろよろと立ち上がり、落とした剣へと寄って拾い顔を上げる。

 そうしたところで、盛大に壁がもう一度ぶち破られた。

 舞う埃、暗闇の中、ガララと音を立てるその先で、シャルノーゼは大鎌を振り抜いた体勢でにやりと笑う。


 アグルエは構えなおした剣――リアリス・オリジンに想いを宿す。黒き炎に包まれる剣がぼわっと燃え上がった。

 切り返す刃、シャルノーゼは闇招刃ダークサイズを手のうちで持ち替えると、アグルエへと襲い掛かった。


「ルフフフフ、わたしは、別に復讐になんて興味がないし、くだらないと思っていただけどね」


 言葉を乗せて振るわれる刃にアグルエも想いを燃え上がらせて、それを受け止める。


「二百年前に、そんなことがあったって言うの!」


 アグルエもシャルノーゼと刃を交わす中で、知ることになってしまった二百年前の真実。

 シャルノーゼが言うことが信じられもしなかったが、作り話をしているようにも聞こえなかった。

 互いの刃が交差して、アグルエはシャルノーゼの大鎌を弾く。二人はそのまま飛び退いて距離を取った。


「そう、『女王』が捕まったことが全てのはじまりだった。だからわたしの父は誰よりも人を憎んでいた。自分の主君を、そうして失うことになったのだから。ルフフフフ……でもまあ、その父の役目ももう終わったわ」


 上で何が起こっているのか、アグルエには知る由もない話ではあったのだが、シャルノーゼは全てを悟っているかのようにしている。

 全てが幻英ファントムの手のうちであったというのなら、覇王ダンデラスはきっともう、『役目』を終えている。それは、死を意味しているのだろう。


「ルフフフフ」


 シャルノーゼは自分の父の死を知っても笑っている。全てを「くだらない」と言う彼女にとって、父の存在なんてそんなものだったということだ。

 アグルエはそこにも何か悔しさを覚えて、一層力を込めた剣を振り払って黒き炎を撒いた。

 炎は想いを燃やすだけ。周囲に火をつけたわけでもない。

 その拍子にもう一歩飛び退くアグルエは、頭の中で試行を続けながらも肩の上のツキノに問うた。


「ツキノさん、本当ですか!」


 ツキノならば二百年前に起こった真相を知っている。


「……本当じゃ」


 観念したように頷いたツキノの返事を聞いて、アグルエは「そう……」と頷いた。

 アグルシャリア――その名には、何故だか聞き覚えがあるような気がした。自分が生まれるよりも前、二百年前の話であったのに。


「全て、当時の魔族らにもアルバラストが口止めした話じゃ。二百年前、地上に出た魔族は少なかったからのう。その真相も一部の者にしか伝わっておらんかったのじゃが」


 ツキノの言葉をシャルノーゼは「ルフッ」と笑う。


「そうして沈黙を守らせて統治したつもりになっていたのは、魔王だけだったという話よ。黙っていられなかったやつらも多かったんでしょうね」


 それが魔界の情勢を形作った、反アルバラスト派の信念。

 覇王ダンデラスがアグルシャリアの復讐を誓ったように。


――お父様は、何を隠したというの。


 そこには、まだアグルエも知り得ない真実が眠っている気がした。アルバラストも、勇者協会も、ただ真実を隠し通したかったわけでもないだろう。


 思考は続けながらも、シャルノーゼからは目を離さない。今度はアグルエが一転、反撃へと飛び出した。

 想いが象るは黒き炎の翼。ばさっと広がる炎を背にアグルエは地面を蹴って、手に纏わせた黒き炎をそのままに、構えた剣を振り抜いた。

 シャルノーゼは笑いながらも闇招刃ダークサイズを振り回してそれを弾く。その拍子にまた壁や周囲にあった木箱などが破壊されるが、狭い部屋の中、二人は再び飛び退いて対峙する。


 城の地下、既に壁は何枚も破壊され、隣り合った部屋は繋がっている。薄暗いところではあったが、壁の中を魔素マナが通っていたのか、一部の魔素光マナ・ライトには明かりが灯っていた。

 二人の戦いで、研究室も既にめちゃくちゃになった。

 今やもう、その意志を継ぐ者も残っていない研究室であったが。


 シャルノーゼは再び大鎌を振り回すように掲げ上げると、一歩を飛び出して白い翼を羽ばたかせた。


「まあ、わたしには、どうでもよかったくだらない話だけどね」


 そのまま前傾姿勢で飛び出して、身体を捻るようにして手にしている闇招刃ダークサイズを振り回す。

 力任せにぐるりと回る刃、アグルエは剣では受け止めることも避けることもできないことを悟って、翼とした黒き炎を自身の前面へ折りたたみ防御の姿勢を取る。


 壁も何もかもが闇の刃に切断される。

 アグルエはなんとか盾にした翼で受け止めるも、その黒き炎の翼であっても切断するような勢いがシャルノーゼにはあった。

 闇招あんしょうの力には、エリンスの持つ魔導霊断まどうれいだんのように魔素マナを断ち切る力が備わっている。


 アグルエは地面を蹴り、腕を振るって次いで繰り出した炎の壁を盾代わりとし、翼を打って一歩飛び退いた。

 狭い地下室では戦いづらい。それに場所が場所なだけに暗いこともあり、シャルノーゼは闇招あんしょうの力を存分に扱える。

 闇がある限り、シャルノーゼは無敵だ。

 闇がない場所にさえ闇を招いてしまう、闇招あんしょうの魔王候補生は――魔界では最強アグルエに次ぐ実力があると持て囃されていたのだから。


 アグルエが羽ばたかせる黒き炎の翼が、周囲を薄っすらと照らしはするものの、辺りは未だに薄暗い。

 ようやく戦いの最中、アグルエの目も慣れてきたところではあったのだが――黒き炎の壁が消えたところで、その向こうにいたはずのシャルノーゼの姿が闇に溶けるように消えていた。


「捕まえた」


 そのシャルノーゼの声は、アグルエの耳元で囁かれた。

 どきりと心臓を跳ねさせたアグルエとツキノに、「ルフフ」と笑ったシャルノーゼはアグルエの左腕を掴み上げた。


――いつの間に。


 と考えるだけ無駄だ。シャルノーゼは闇の中を移動できる手段を持つ。

 油断したわけでもなかったが、一瞬目を離した隙に、そこを衝かれた。

 捻り上げられた左腕に、アグルエは痛みを感じながらも「くっ」と奥歯を噛みしめてこらえた。


「ここには溢れ出す闇が、いっぱいあるからねぇ」


 シャルノーゼの闇招あんしょうの力は何も暗闇の中でだけ本領を発揮するというわけでもない。

 帝国に纏わる噂の。人の心に巣くう悪意や絶望。そういった人々の暗い想いにも、彼女の力は影響を受ける。

 仄暗い研究施設だなんていうものは、シャルノーゼにとってはさぞや居心地のいい場所だったのだろう。シドゥと行動を共にしていた理由もそれが大きいのだろう。


「ルフフフフ」


 ご機嫌な調子で笑うシャルノーゼに、アグルエは腕を抑えつけられ身動きを取ることも、その顔を振り返ることもできなかった。

 シャルノーゼは左手でアグルエの左腕を掴みながら、右手で大鎌を振り上げる。


「アグルエ!」


 咄嗟にアグルエの肩の上から飛び出したのはツキノだ。歯を立てて口を開き、その腕に噛みつこうと飛びついたのだろうが――。


「だから、部外者は邪魔だって」


 アグルエの左腕から手を放したシャルノーゼが闇に溶けるようにしてまた消えた。

 アグルエも身動きを取ることができるようになりはしたのだが、飛び出したツキノはその尻尾を逆側から掴まれる形で闇へと引きずり込まれた。


「ルフフ」と笑ったシャルノーゼが、アグルエの前に現れる。

 その左手には今度はツキノの尻尾が握られていて、ツキノはぷらーんと垂れ下がる形でシャルノーゼの手のうちに捕まっていた。

「くっ」と逆さまになりながらも悔しそうな顔をしたツキノに、シャルノーゼはそれを一瞥して口を開いた。


「残念。あなたの身体の構造は特殊な魔素マナでできているみたいだけど、わたしの闇招あんしょうの手は、魔素マナによる干渉を受け付けないの。アグルエの魔素マナの中に帰ることもできないわ、当然、逃げることもね」


 しっかりとツキノの尻尾を握って離さないようにしているシャルノーゼの左手には黒い闇が渦巻いている。

 それが、彼女の持つ闇招あんしょうの力の厄介な点だ。

 アグルエはぎりっと奥歯を噛みしめて、そうして笑うシャルノーゼを見つめていた。


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