第225話 〝禁忌と大罪〟

 黒鉄の玉座の間、高い天井まで響いたのは金属同士のぶつかる金切り音。

 地下で二人の魔王候補生が相対していることも知らずに、一方、二人の勇者候補生は、互いに譲れないモノを懸けて刃を交差させた。

 踏み込み交わる刃へ体重をかけるシドゥに、エリンスも一歩も退かずに応戦する。

 交錯する視線の中で、エリンスは声を上げた。


「それが、二百年前にこの世界で起こったこと、ロストマナの発端だったというのか!」

「あぁ、そうだ! ラーデスアは、潰えたその意志を捨ててなどいなかった!」


 二人は剣を交える最中、言葉も交わし続けた。

 そして、シドゥに聞かされる形でエリンスも知ることとなったのだ。

 擬神計画ぎしんけいかく――今もなお、ラーデスア城の地下深くに造られた研究施設で行われていた『禁忌』を。


 力は互角。シドゥの身体から溢れ出す身を刻むような冷気に、エリンスは慌てて剣を振り払って距離を取った。二人は目を合わせたままに肩で呼吸を繰り返す。

 蒼白に輝く願星ネガイボシに、手から溢れる白き炎。エリンスは全身にその力を行き渡らせるようにと想い続けた。


 対するシドゥは金色の瞳の奥に、冷静なままに覚悟を宿す。全てを壊してでも、独り突き進む、修羅の道をゆく覚悟を。


 シドゥが持つ大振りの黒い剣は、ちょうど玉座と同じ黒曜石のような輝きを放つ冷たいもの。身体から溢れ出すのは冷気を纏う魔素マナ、冷渦の力。

 黒いマントは脱ぎ捨てて、黒色の軽鎧ライトアーマーに首元には黒いマフラーを巻いたまま。くすんだ長めの灰色の髪も、そのマフラーも、冷渦の力の中で靡いている。


 玉座の間は今やシドゥが放ち続ける冷気でどんどん気温も下がっていく。

 しかし、そんなことを気にしている暇はない。

 剣で想いにこたえて、言葉で覚悟にこたえる。


「だからって」――帝国の陥落、多くの犠牲を払ってまで。


 エリンスが声を上げようとするも、シドゥの言葉によってそれは遮られた。


「無理なんだよ……貴様は、甘い!」


 言葉と同時、一歩を蹴り踏み出したシドゥに、エリンスも剣を構えたままに一歩前へ出る。

 エリンスはその想いまでをも受け止めるつもりで、刃に刃をぶつける。再び弾ける金属音に、互いに踏み込む一歩。冷気を纏う剣閃に、エリンスも一歩も退かずに立ち向かう。


――霊峰では苦戦も強いられた冷渦だが……。


 エリンスは身体全体に行き渡らせる白き炎でそれを否定する。

 その寒さは身に染みてわかっているところだ。近づくだけで感じる寒気、全身の筋肉の動きまでもが、かじかんで鈍くなる冷気。

 湧き上がる白き炎に熱はないが、それでも身体の芯から熱くなるような熱意を持って、エリンスはシドゥの剣を弾き返した。

 カーンと響いた音の後、二人は半歩下がり飛び退いて、シドゥはすかさず口を開いた。


「内側から変えればよかっただなんて、外側だけを見た意見を言ってくれるなよ」


 そう口にするということは、何もシドゥがそれを考えなかったわけでもないのだろう。

 皇帝の血を引いて、次期皇帝の座に就いていて、帝国を背負う立場にいたシドゥが、その選択肢を捨てたはずがない。


「だから、貴様は甘い」


 そんなエリンスの考えまで見透かしたかのように、剣を構えなおしたシドゥは笑う。


「言っただろう、この国が、何の犠牲の上に立っていたのか」


 一歩二歩と踏み出したシドゥに、エリンスも同じタイミングで前へと出る。

 再び交差する刃の内側で、二人は視線と言葉を交わす。


「元から背負った『大罪』の上に、突き立てただけの王城だ」

「神を、造る……大きな犠牲の上に」

「あぁ、そうだ! 亡都となったアルクラスアは二つに分かれた。そこまでは表側で語られている通りだろうよ」


 二人は互いの刃を振り払う。


「だが、二百年の間に、その裏側にあった歴史は消されてしまった。勇者協会によって!」


 互いに切り返した刃で、再び斬りかかる。


「隠された、何かの思惑……」


 エリンスにも旅をしてきて悟れてしまうところはある。勇者協会はこの世界にあった真実を隠してしまっている。

 刃と刃がぶつかって、互いに弾かれ半歩下がった。

 シドゥはすかさず一歩を踏み出す。


「帝国は密かにアルクラスアの野望を継いで、その研究を続けるためだけに権威を示し続けた!」


 エリンスも視線を外さず、それにこたえた。


「くっ!」


 だが言葉にはならない。それは否定することができない、真実だろう。


「歴史は繰り返された」


 衝突する刃に、半歩エリンスが気圧される。

 そのまま力任せに冷気まで乗せて圧すシドゥに、だけど、エリンスはその力をいなすように利用して横へ飛んでかわした。

 ひと息つく間もなく、シドゥは言葉を続けながら剣を振りかぶる。


「勇者協会に『禁忌』とされた『大罪』をラーデスアは犯し続けた!」


 エリンスは剣を構えて受け止める。


「だから、潰したというのか!」

「あぁ、そうだ!」


 上から体重をかけて圧してくるシドゥに、もう一度エリンスは刃をいなして剣を弾き、切り返す。


「だから、多くの犠牲を出しても仕方がなかったとでも!」


 言葉を乗せた刃に、シドゥにも一瞬、迷うような素振りが見えて、逆にエリンスが攻勢へ出た。


「……、仕方がなかった。この道を正すには!」


 しかし、力強く振り下ろしたエリンスの一閃をシドゥは弾き返して飛び退いた。

 互いに一度距離を取ったところで、流れる汗を腕で拭って、視線は逸らさないままに再び剣を構える。


「俺は、決めたんだよ。シルメリナのために全てを背負う。帝国の闇までも。そして、全てを壊してでも」


――それが、霊峰で剣を合わせたときにも見えた、彼の心の奥底にある凍てつく想い。


 再び距離を詰めてくるシドゥに、エリンスも剣を構えたまま対応しようと一歩踏み出す。

 だが、シドゥが纏う冷気の魔素マナが一層と厚くなっていることにもすぐ気が付く。


――それだけじゃない!


 周囲の空気まで凍り付くような冷気。

 振り下ろされたシドゥの刃を弾くエリンスではあったが、その瞬間に気がついた。


 玉座の間全体も、霜がかかるように白みがかってきている。辺りに溢れたのは周囲の気温が極端に下がったために感じる、単純な寒気。

 エリンスが吐いた息も白くなって天へと昇っていく。気づいてしまったからなのか、エリンスの身体も震え出していた。


 慌てて一度剣を振り払って距離を取るも、シドゥは冷ややかな目をしたままにエリンスのこと睨みつけている。

 互いの息が白くなって昇っていく。

 向き合ったままに、シドゥはそんな寒さにも慣れているかのようにして剣を構えなおした。


「ふっ、貴様は言ったよな。『父親である皇帝を殺して』と。くくくくっ、血の繋がりなど、あってないようなものだ」

「なん、だと?」


 声も震えたが、エリンスも睨みつけながら言葉を返した。


「皇帝の血なぞよく言う。たしかに俺の身体にもシルメリナの身体にも、あいつの血は流れている。だがな、それもあの男には……」


 シドゥが何か、一瞬言葉に迷ったような表情を見せた。


「野望を果たすための、ただの道具に過ぎなかった」

「どういう、ことだ!」


 シドゥの目に見えたのは怒りの色。だがシドゥは「ふっ」ともう一度鼻で笑うと、落ち着きを取り戻したようにして言葉を続けた。


「なぁ、エリンス。貴様は、生きていて息を吸っていることを当たり前だと考えたことがあるか?」


 人が生きていく上で呼吸を繰り返すのは、自律神経による本能だ。

 剣士は戦いの間、集中するために呼吸の間合も調整する。それは師匠の教えでもあった。ただ、普段の生活ではそういった意識まで通わすことはないだろう。


「俺はな、ずっと、ずっと息苦しさの中で生きている」


 皇帝の血筋の下に生まれて、王城の中で育ったから――というわけでもないのだろう。

 何もたとえ表現をしたというようには聞こえなかった。シドゥの目はそう語っていない。


「俺の身体は、そういう風・・・・・にできている・・・・・・。それが、どういう意味だか、わかるか?」


 それもたとえ話をしているわけではないのだろう。

 ラーデスアは神を造ろうとしていた。

 そのために、星の力を一つに留めるための『神の器』を用意する必要があった。


 エリンスも「まさか」とある考えに至った。

 シルメリナも持っていた特異体質。彼女は、魔素マナを過剰に生成してしまう自身のそれに、死に追いつめられるほどに苦しんでいた。


「そうだ、シドゥ・ラースア・レンムドル。俺に、『神の器』として与えられた名は、ベータ」

「シルメリナも……そうして造られたと、言うのか……」

ガンマ・・・の場合は、また特殊だ。シルメリナには半分魔族の血が流れている。と言っても人間は人間だ、それが人の体内で生成される魔素マナを高めているんだろう……くそが」


 ラーデスア皇帝が犯した大罪――二人の身体が特異な体質をしているのも、命を弄ぶような研究と実験の果てに造られたモノだったから。

 エリンスは呆然としながらも呟く。


「母親は……」

「シルメリナを産んで死んだと聞いた。その日暮らしの根無し草……何をしていた女だったかなんてお察しだ。俺は名前も知らない」


 ラーデスア皇帝に関する悪逆は、決戦前夜にレイナルと話した通り、エリンスも数々聞いたことがあった。しかし、そこまでのことをしていたなんて、今の今まで考えるにも至らなかった。

 愕然としてしまったエリンスに、シドゥは笑いながらこたえた。


「同情なんていらないぞ。わかったか、この国が何の上に立っていたのか」


 全て二百年前から続いていた――擬神計画ぎしんけいかくの上に。


「くくくくふふふはは、絶望だろう? 自分が生まれ育った理由が、そんなもののためだったんだから」


 エリンスはすっかり身体からも力が抜けてしまっていた。

 そんなエリンスの虚を突くようにして、シドゥが一歩を踏み出して剣を振り払った。

 エリンスも慌てて願星ネガイボシを持ち上げ刃を防ぎはしたのだが、弾かれ吹き飛ばされ、膝をついてしまった。


「滅んで、当然なのさ」


 それに気が抜けてしまった今、冷気までを防ぐことができなかった。エリンスの脇腹には刃が掠めたような感覚がある。研ぎ澄まされた冷気が刃物のように掠めた結果なのだろう。

 幸い傷は浅く、血も薄っすらと流れる程度だったが、その鋭い痛みでエリンスは意識をはっきりと取り戻す。ただ、立ち上がることができず、刃を構えたシドゥは既に目前へと迫っていた。


「ベータ……ガンマ……」


 戦いの最中、余計な思考をしていたとあっては師匠にも怒られてしまうだろう。だが、その痛みとともに刻まれたようにして、エリンスの頭の中ではシドゥが口にしたその名が繰り返される。


「あぁ?」と怪訝そうに声を上げたシドゥに、エリンスは顔を上げてその目を見てこたえた。


「じゃあ、アルファは……幻英ファントムも、そうだったって言うのか」


 二百年前の禁忌。人は歴史を繰り返した。

 それが、擬神計画ぎしんけいかくのための『神の器』に対して付けられる名前であるというのならば、はじまりは――。

 シドゥは冷めた目をしながら刃を持ち上げて、エリンスを見下ろし静かに語る。


「……最期に、教えてやるよ。エリンス」


 エリンスは未だ立ち上がることができなかった。顔を上げたエリンスの眼前へ、シドゥは黒い剣のきっさきを向けて話を続けた。

 周囲へ溢れ続ける冷気は、未だに留まるところを知らない。


「覇道五刃には、ある一つの共通する目的があった。覇王の信念は、復讐だ。一人娘シャルノーゼはそれを『くだらない』と笑っていたがな」


 覇道五刃――どうして今になって、シドゥの口からその名が出てきたのか。覇王は既に、シドゥに砕かれて死んだのに。

 エリンスは疑問に思いながらも聞き返すことはできず、シドゥは静かに語り続けた。


「二百年よりもっと前、この世界リューテモアには魔族の小国があった」


 呆然としたままに耳を傾けるエリンスは思わず呟く。


「この世界に、魔族の国が……?」

「信じられなくても、それが真実だ。今となっては歴史の闇へ、勇者協会に消されてしまったうちの一つだが」


 シドゥには今さら嘘を吐く理由もないだろう。彼はそのまま話を続けた。


「ちょうど今のサークリア大聖堂、勇者協会総本部がある場所にその国の城は建っていた。そして、そこには一人の魔族の女王が住んでいた」


――シドゥは、何を知ってしまったというんだ。


 エリンスは呆然としながらも思考は巡らせて、シドゥの話に耳を傾ける。


「名を、アグルシャリア。その女王に仕えていたのが覇道五刃の中心人物たち。覇王ダンデラスを含めて、ザージアズも、ミカシプロルも、ガンドルヴも」


 アグルシャリア――その名に何か引っかかりを覚え、心臓が止まりそうにもなった。

 だが、シドゥは話しを止めず、それ以上の奥底にあった二百年前の真相を語り続けた。


「二つの星の力を留めるためには、特殊な身体が必要だ。人間と魔族の血を混ぜる必要があったのだろう」


 全ての点が一つの線になって繋がっていくように、エリンスも愕然としながらその話を聞き入った。


「二百年前、アルクラスアは魔族の女王を捕らえ、はじまりの『神の器』となる子を造り出した。それがアルファ――幻英ファントムの正体だ」


 どうやって造り出されたのか――考えただけで吐き気を催す。エリンスは胸を押さえ、せり上がる胃液を抑えるよう我慢した。


 それが、人間の背負った禁忌と大罪。二百年前、勇者と魔王が世界に現れることになった元凶、はじまりの事件、覇道五刃の掲げた復讐。


 エリンスは考えながらも、呆然とシドゥの顔を見上げた。

 周囲の冷気で空気までもが凍り付きはじめる。

 冷気に当てられたように舞い上がっていたシドゥの灰色の髪が、逆立った形で固まりはじめた。


――おまえは全てを背負って産まれた。そして全てを知って、突き進んだ。


 固まった髪に青白い氷の結晶が纏わりついて、まるで角のように伸びていく。

 それはシドゥの全身にも現れて、次第にその身体がゴツゴツとした青白い氷の結晶に覆われていった。

 肩より伸びる棘。背中を覆う何層にも連なる氷。軽鎧ライトアーマーも凍り付き、腕を青白い結晶の籠手が覆っていく。

 顔の半分は鋭い氷に覆われて、唯一覗いた片目にはやはり、信念を貫き通す覚悟を決めた冷たさが宿っていた。


――そうして、独り……修羅の道をいくのか。


 エリンスは未だ身動きを取ることができず、ただただ全身を禍々しくも凍てつく氷の鎧で武装していくシドゥのことを見つめていた。


「死ぬ前に……知りたいことは知れたか。そこから先は俺が背負ってやる。だから、貴様の道はここで終わりだ」


 悪鬼羅雪あっきらせつ――それは、シドゥの想いを冷気が具現化する冷渦の力の真骨頂。

 禍々しくも伸びるように生えた二本の角がその覚悟を示しているようだ。

 シドゥは鬼と呼ばれた伝説上の魔物のように姿を変えた。手にしていた剣も氷に包まれ冷たく鋭い黒き輝きを放つ。

 その刃はそっと、エリンスの首元へ添えられた――。


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