第224話 闇招の魔王候補生
暗闇の中に浮かび上がる銀色の長い髪。それを掻き分けるようにして耳の後ろ辺りから天へと向かって生える二本の尖った黒い角。
ふわりと広がる闇にとける漆黒のドレスに、背中から生えた白い翼がふぁさりと揺れた。
にやりと細めた真紅の瞳の奥で、深淵がのぞくようにして黒い瞳孔が開かれる。
「アグルエ、嬉しいわ。あなたの驚く顔が見られて」
「シャル……あなたは、これを知っていて、
対峙する二人の魔王候補生。
アグルエとしても、はじめから
だとしても最悪のタイミングだ。高鳴る鼓動は治まらない。それは真実に近づいたからか、知ってしまったという恐怖からか。
「ルフフフフ」
シャルノーゼは目を見開いたままに、不気味な微笑みを浮かべる。
そうしたシャルノーゼへ問い詰める勢いで声を発したのはツキノだ。怒りを露わにしたように全身の毛を逆立てる。
「お主は、
「シャル、こたえてよ。どうして、あなたは
蒼い瞳を揺すらせて、アグルエは左手で胸元を押さえて問うた。
シャルノーゼは不気味に笑いながらも、静かにこたえる。
「わたしはね……ただ、あなたの邪魔がしたいだけなの」
「わたしの……邪魔?」
「勇者だなんて、魔王だなんて、くだらない。この世界はそんなお飾りを引き立てて、中心にして回っている……つまらないわ」
酷く冷たい目をしたシャルノーゼに、アグルエは無意識に半歩下がって踵を机にぶつけた。
「魔王の娘、最強の魔王候補生……あなたがただのお飾りにそうやって当てはめられてしまうことが、無性に腹立たしいのよ」
ツキノも喉を鳴らして緊張を呑み込んだようにしてから口を開いた。
「お主、何が言いたい」
「あなたには聞いてないし、用はないわ。外界の神様だかなんだか知らないけど、搾りカスの部外者は口を出さないで」
そう断絶された言葉に、ツキノも言い返すことができない。すっかり黙り込んで事の行く末を見守るように、アグルエの横顔へと目を向ける。
「ねぇ、アグルエ。この世界の歪みはどう? 愚かな人間は歴史を繰り返す。人々はそれを知らないで、その手の上で踊らされる。破滅へと向かって行く。それを見下すのも一興だけどねぇ、そんなものはひと時の娯楽にも成り得ない、虚しいわ。なら、わたしが描いてあげる。そのほうが面白くなるわ……こんなくだらない世界を創った神ごと、その物語をぶっ壊してあげたいの」
シャルノーゼの言いたいことの意味がアグルエにはわからなかった。だが、それがシャルノーゼの行動原理だと言う。
「だから、わたしの邪魔を?」
「そう、魔王の想いを踏みにじる。
ルフフ、と目を細めて笑うシャルノーゼに、アグルエは寒気のする恐怖を感じ取った。
「わたしはあなたのことが大好きよ。孤高で孤独で、孤立していてよ。独りきりでいた冷たいあなたが、わたしは好きだった」
懐かしい思い出でも語るかのように、シャルノーゼはうっとりとした表情を浮かべる。
それはまだ魔界にいた頃のアグルエを差した言葉だったのだろう。
「だけどねぇ、こんなくだらない世界に愛されたようなあなたは大嫌い。最強の魔王候補生? 魔王の意志を継ぐ? そんな風に描かれるあなたは大っ嫌い」
紅い瞳に宿った身に迫る激情。
アグルエは自身を落ち着かせようと大きく息を吸い込みながら、蒼い瞳で静かに見つめ返す。
「今もまだ、そうやってわたしのことを睨みつける。真実を知って、これから何が起こるのかも薄々気づいて……己の中で
シャルノーゼは自分勝手に捲し立てる言葉で語り続けた。
「ねぇ、あのときのあなたはどこへ行ってしまったの? 世界に絶望して、世界のことが嫌いであったような……そんな蔑んだ冷たい瞳をしていたあなたは、どこへ行ってしまったの?」
――魔界にいた頃のわたしは、そういう目をしていたのだろうか。
それはあくまでもシャルノーゼがそう語るだけの話ではあったが、アグルエにも自覚がない話でもない。
魔界にいた頃は、ただ父アルバラストに言われるがまま、感情を殺してその名を手にしていた。権威を失った魔王の座を守るためにも、それがアグルエの求められたことだった。
滅尽の力を示すこと。魔王候補生として最強であること。そうであることを求められ、それ以外のことは不要だった。
それでも幼い頃から夢見た夢物語を胸の奥底に大切にしまい込んで、自分自身を見失ってしまわないように進んだ道だった。
シャルノーゼは、そんなアグルエの想いは知る由もない。だから、外面だけ――過去のアグルエを見てそう自分勝手に言っていられる。
「シャル、あなたの想いにはこたえられないわ」
昔を思い出していると自然と表情から感情が消えていった。ただ逆に、次第に鼓動が落ち着きを取り戻して、冷静さを取り戻すことができた。
「らしい顔になったじゃない!」
「わたしは別に、世界に絶望していたわけでも、世界のことが嫌いだったわけでもない」
アグルエがそうこたえたところで、シャルノーゼはムッと表情を曇らせる。
「いつか、こうして広い世界を見て旅をすることを夢に見ていたの」
アグルエは胸元で手を合わせて、その想いを懐かしくも思い出しながら目を閉じた。
「こんな、くだらない世界を?」
純粋に聞くように言ったシャルノーゼに対して、アグルエは「ううん」と首を横に振って、微笑みながら目を細めて向き合ってこたえた。
「くだらなくなんかない。一人一人、人は生きている。想いを燃やして大切にして、時には手を取り合って、みんな自分の足で立っている。世界はそうして巡っている。それを何も知らないあなたに、くだらないと一蹴する権利はない。ましてや、壊してしまう権利もない」
シャルノーゼはそれを無垢に輝かせた瞳で呑み込むように聞き入っていた。
想いは届いたのだろうか。アグルエがそう思うも、少しの間何かを考えたようにしたシャルノーゼは「ふっ」と小さく笑った。
「……あなた、やっぱり変わったわ」
「ううん、わたしはわたしのままだよ、シャル。けれど、変わったように見えるというのなら、それは……変えてくれる人がいたから。広い世界をこの目で見られたから」
――誰のおかげだったかなんて、言葉にするまでもない。
わたしを救ってくれて、手を引いてくれて、広い世界へと連れ出してくれた。
はじまりの街――祭りで賑わった雑踏。あのとき、初めて見た人界の人の多さに驚いてしまって足が竦んだ。だけど、そんなわたしの手を引いて、人混みを掻き分けるように先導してくれた、あの背中を思い出す。
そうして頬を薄っすら赤くし緩ませたアグルエを見て、シャルノーゼは酷くつまらなさそうな顔をしていた。
その顔を見てアグルエは悟る――シャルノーゼもまた、広い世界を知らないだけなのだ。
アグルエにもシャルノーゼの気持ちがわかる部分はある。魔界にいた頃は、世界がどこへ向かうのか、窮屈だった世界を退屈だと感じていた自分も、そこにはいたのだから。
旅をして世界の広さを知って、そこにある一つ一つの想いを知った。
その世界の広さを教えてくれたのは、やっぱりエリンスで――。
二人して雑踏を、森の中も、雪の積もった山も、狭い船の中だって。初めて見た海の景色も、燃えてしまった赤い夜空も、涙を受け止めてくれた青空の果ても、いろいろな景色を見た。
だから、わたしはわたしでいられた。いられるようになった。
「エリンス・アークイル、あいつのせいね」
シャルノーゼは静かにそう言い放つ。アグルエは真っすぐと目を向けてこたえた。
「勇者候補生も、想いを胸に旅立つ。苦しいことだって悔しいことだってたくさんある。だけど、そうやって紡いできた世界なんだよ、ここは」
それはどこか、知ってしまった真実を必死に否定しようとした言葉でもあったのかもしれない。
アグルエは真っすぐとシャルノーゼを見つめた。
シャルノーゼは腕を組んでアグルエを真っすぐと見つめ返す。
二人の視線が交錯して――だが、想いは届かない。
「……ほんと、つまらないこたえ」
シャルノーゼは「はぁ」と息を吐くと、肩を竦めてそうこたえた。
「まっ、どうせ世界が壊れることは決定事項。あなたがどうしたって、それは覆らない」
――こうしている間にも
「別に今さら、あなたとわかり合おうとも思っていなかったわ。わたしの想いをわかってほしいともね。純粋な興味本位だったの。少し喋り過ぎちゃったかしら」
「わたしは、あなたにもわかってほしいと想っている」
「だーかーらー! そういうあなたは大っ嫌いなのよ」
アグルエは思わず俯いてしまう。
拒絶される想い。押しつけがましいなんてことは、アグルエもわかっていた。
だけど、アグルエはこれ以上、魔王候補生同士で戦いたくもなかったのだ。
かつての同志を斬る怖さは、旅の中でも思い知らされてきた。
今は、涙を受け止めてくれる人もいない。そして――これからも。
「ねぇ、アグルエ……エリンスってどんな人?」
それも純粋な興味本位の言葉だったのか。
アグルエは「え?」と戸惑いながらも顔を上げた。
ルフフ、と笑うシャルノーゼは楽しそうに話を続ける。
「上ではそろそろ、はじまると思うから」
――何の話だろう?
「勇者候補生もくだらない、と思っていたのだけれど、わたしはある一人の男の生き様にはすっかり魅せられてしまっていたみたい」
首傾げたアグルエにもそこまで聞けば話が見えてきた。
シャルノーゼの近くにいた勇者候補生は、ただ一人。
「あなたと話していて気づいたわ」
手で長い銀髪を払いながら、シャルノーゼは薄っすらと笑った。
「彼は、たった一人の妹のために世界を壊す覚悟を決めた。わたしはきっと、そんな
アグルエが「シドゥ……」とその名を口にすれば、シャルノーゼは「そう」と頷く。
「きっと、そろそろぶつかっている頃合いでしょう。人間はそういうときに魂を燃やすのでしょう? 互いに想いを懸けているときにこそ」
それを直接見られなくて惜しいわ、とシャルノーゼは笑う。
アグルエの胸元では黒き炎の光がバチバチと弾けるように溢れた。
「あなたの想い人は、あの男の
アグルエは左手に拳を作って、決戦前夜のことを思い返す。
シルメリナの想いを受け止めて、決意を灯したエリンスの瞳を。
「エリンスは、負けない」
「……どうかしらね?」
不気味に笑うシャルノーゼは右腕を振り上げた。
「じゃあ、わたしたちもそろそろ、はじめましょうか」
そうして闇の中を掴むようにして、大きな得物を引っ張り出す。
かんっ、と大きな音を立てて床に刃の背がぶつかった。暗闇の中でも鋭利な煌きを放った大きな黒い刃を持つ、全長二メートルはある大鎌だ。
シャルノーゼは自分の身長よりも大きなそれをアグルエに向かうように突き立てて、その刃の上にブーツの先端をそっと乗せてポーズを構える。
「そろそろ我慢の限界なの。胸のうちに高まる想いを抑えきれない。大好きだったあなたを殺すことを、大嫌いなあなたを殺すことを……その先にあるくだらない世界の終末を考えただけで逝ってしまいそう!」
頬を上気させ赤らめて、大鎌を構えたままシャルノーゼは笑う。
それは、シャルノーゼが闇の中から創造する
咄嗟にアグルエも、腰に差していた剣――リアリス・オリジンの柄へと手を添えた。
「だから、ちゃんとあなたのことはわたしが殺してあげる。それがこのくだらない世界に残された、唯一の楽しみなのよ!」
その言葉に共鳴するように、この場を包む闇が震え出す――。
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