第223話 〝闇招の底で〟

 長い長い暗いトンネルを抜けた先、アグルエとツキノは真っ暗闇から薄暗闇へと、少しだけ視界の開けた場所へと飛び出した。

 ぽよん、と何か柔らかいもので跳ねて、そのままの勢いでアグルエは地べたに尻餅をつく。

 その拍子に肩の上から飛ばされたツキノは、ぽよん、ともう一度跳ねると、ぺたりと腹をつけてその柔らかいものの上に落ちた。


「いててて……」


 乱暴な送迎のされ方だ、と文句も言いたくなるが、アグルエは手をついて、打ちつけた尻をさすった。

 ついた手のひらに伝わるふかふかとした感触、辺りは薄暗いために、ここがどこだかはすぐに判断できなかったが、床に敷かれているのはどうやら絨毯らしい。そうして自分が落ちたほうへと目を向ければ、ツキノが寝そべっているのがベッドだとわかった。

 アグルエは手元に黒き炎を灯して、辺りを照らすように、と祈る。すると、ランタンに明かりが灯るようにして周囲が少し明るくなった。


 顔を上げたツキノが白い尻尾を振るう。

 ぽよん、と跳ねたそれは豪華な印象を覚える天蓋付きのキングサイズのベッド。薄ピンク色のシーツがかけられて、綺麗に整えられたままだった。

 そのまま明かりを浮かべた手を伸ばして、辺りを見渡した。

 壁に面して設置されている大きなクローゼットに、天井まで届く大きな本棚が二つ。他に部屋の中に見当たるものは、白いテーブルクロスのかかる丸い大きな机と二脚の椅子くらい。赤い絨毯はふかふかで、そこがまだ王城の中の一室であることを思わされる。


 どこかそこが、魔界の城にある自室にも似ている――とアグルエは考えた。

 ツキノもきょろきょろと部屋を見渡すようにして、二人は同じタイミングでその部屋の異様な事にも気が付き、顔を合わせる。


 窓が見当たらないために、部屋は広いのに牢獄のような閉塞感がある。

 それに加えて、壁に張り巡らされているパイプのようなものだったり魔導機器だったりも目に付く。


 立ち上がったアグルエは「失礼しますね」と一人断りを入れて、クローゼットの戸を開いた。

 中には薄手のドレスが数着かかっている。サイズはまだ小さい子供用のものに近い印象だ。

 それを見てアグルエは悟った。この部屋が、誰のための部屋であるのか。


「この部屋は、シルメリナ様の部屋?」


 アグルエが呟くと、ツキノは「うむ」と同意するように頷いてアグルエの肩の上へと飛び乗った。

 静かにクローゼットを閉めると、ひんやりとした部屋の空気に身が震える。そのままアグルエはもう一度部屋を見渡して、明かりを乗せた右手を前に、そっと目についた扉のほうへと近づいた。


 空いた左手でノブを掴んで、ゆっくりと開く。扉の向こうを照らすように明かりも持ち上げて見てみれば、その先にもまた大きな部屋があり、異様な光景が広がっている。

 たくさん並んだ大きな机に、様々な実験機器が置かれているスペース。大きな机の上には大量の本や書類、封書の類や研究レポートの類が束となってまとめられ乱雑に放置されている。


「なんだろう、ここ……」


 アグルエはノブを握ったまま呟く。

 ツキノもまた怪訝そうに眉を潜めた顔をしながらそれにこたえた。


「城の地下ではあるようじゃが……」


 二人は顔を見合わせて、恐る恐るその先へ進んで、後ろ手に扉を閉めた。

 壁一面に張られている黒板には、術式や計算式など、意味不明な形をした文字が羅列されて書かれている。

 積まれている本は魔法や自然学に関するもののようで、中には歴史書なども目に付いた。

 もう一度部屋を見渡すと、壁一面の黒板の隅に、赤丸で印がつけられている言葉に目が留まった。


「神の再誕……?」


 アグルエが書かれている言葉を呟くと、ツキノは息を呑んだように黙り込んでしまう。

 アグルエはふらりと机に寄って、そこに置かれていた書類と本の束を手に取る。手に取ったのは薄い日記帳のようなノートだが、その表紙に書かれている文字をぽつりと口にした。


「ガンマの記録……」


 机の上にノートを置いて一ページ目をめくる。

 そうしたところで、肩の上のツキノが声を発した。


「待つんじゃ、アグルエ」


 何か焦ったように言うツキノの言葉は聞こえてはいたものの、アグルエの手は止まらずに次のページをめくる。

 そこには何者かの身長から体重に至るまで、時間ごとに平均体温や魔力量の数値をグラフ化したものなどが書き込まれている。

 次のページをめくれば、またその次の日の記録が。一ページごとに毎日、欠かすことなく記録は続いていて、その記録はラーデスア帝国が陥落したであろう数日前で途絶えていた。


「これって……シルメリナ様の?」


 そこに記載されていた身長の数値、おおよその体重から、アグルエは彼女のことを連想した。隣の部屋の正体にも自ずと辿り着く。

 ぺらりぺらりとページをめくれば、毎日のように全て数値化して記載されている。特別何か異常があったときは、そのことまで事細かに詳しく書かれている日の記録まである。特に魔力の数値に関しては詳しく書かれていることが多い。

 疑問に思いながらページをめくったアグルエに、ツキノは唸るように声を零した。


「もしや……あやつら……まさか……」

「ツキノさん、何か知っているの?」


 アグルエが聞くと、ツキノは「いや」と首を振るが――。


「――――、くっ、言葉にならぬか」


 何かを喋ろうとしたのだろう。だけど、本人がそう言った通り、言葉にすることができなかったようだ。アグルエの頭にちらついたのは、ツキノが受けている『制約』のこと。


「ラーデスア帝国は、シルメリナ様を使って、何か研究をしていたの?」


 何の研究だかはわからない。だが、ツキノも「……おそらく」と静かにこたえた。

 シルメリナの特異体質も関係しているのだろうか。プレシードではじめてシルメリナと出会ったあのとき、ツキノが何かを心配したような様子だったことは、アグルエも気掛かりだった。


 アグルエは開いたノートをそのままに、他の書類や本へと手を伸ばして一ページずつめくって目を通す。

 だがそのほとんどが、アグルエが見ても何が書いてあるのかはわからないような研究のレポートのようだった。

 手書きの書類の束を掻き分けて、そうして埋まっていた頑丈そうな箱へと辿りつく。本と書類の山から掘り出すように取り出したそれは、やや埃を被っている黒い箱。造りは薄い石を削って作られたようなもので、若干重い。蓋を開けようと引っ張っても開かなかった。


「鍵?」


 アグルエは首を傾げる。ただどうも鍵穴のようなものは見当たらない。ならば、魔法の力で封がされているのだろう。

 アグルエは左手にも黒き炎を浮かべると、開きますように、と想いを込めて石の箱へとぶつけた。すると、何の音も立てず、蓋はずれて鍵は開かれた。ゆっくりと蓋を外して箱の中身を取り出す。

 箱の中に詰まっているのも書類の束だった。

 ツキノも黙って見守るようにしている中、アグルエはそっと書類の束を一つ取り出して、散らかった机の上に広げる。


 取り出した一番上にあった書類、そこに書かれている表題は「カミハラの地について」。


「カミハラ?」


 アグルエも見覚えのある地名に、肩の上にいるツキノも緊張している様子がうかがえる。

 静かに一枚一枚ページをめくっていくと、そこにまとめられているのはやはりアグルエも知っているエリンスの故郷にある森、カミハラの森についての話だった。


巡廻地リバーススポット、カミハラ。

~白き力のありどころについて。

~ここではない別の世界から流れ着いた白き力は、その地に眠る。


 そうやって書類に目を通していると、『白き仙狐の魔族』という文字に目が留まった。


――やっぱり、ツキノさんのことだ。


 アグルエは肩の上のツキノと目を合わせることができず、恐る恐ると書類を読み進めた。

 そうして辿り着く最後のページ、走り書きのようにして残されていた言葉が気になった。


~カミハラはファーラス王家の管轄かんかつにあり。

~近寄ることも困難なため、そちらの調査はアルファ側に任せる。


 そこに添えられて記載されているのは、五年前の日付だ。


「アルファ……」


 アグルエがその名前を見て一番に思い出したのは、幻英ファントムの本名――アルファ・オルス・リーブル。

 同時にエリンスから聞いた話も思い出す。五年前――故郷の森に突如として現れた魔族。そこで亡くなってしまったエリンスの幼馴染、ツキトのことを。


「まさか、こうして今、知ることになるとは……思いもよらぬ」


 五年前から幻英ファントムは既に動いていた。だから、ダーナレクは五年前、エリンスの故郷の森に突如として現れた。そこにはラーデスア帝国も一枚噛んでいたということだろう。

 ツキノも驚愕としたようにして、書類に書かれていた文字へと視線を落としていた。


 アグルエも息を呑んで、箱の中にしまわれていた別の書類を取り出す。

 次に取り出した書類の束はやや厚かった。その表紙に書かれていた言葉は――。


擬神計画ぎしんけいかく……?」

「アグルエ、それは」


 ツキノは制止するように口を挟んだ。だけど、アグルエがページをめくる手は止まらなかった。

 ただの好奇心ではない。何かそこには知らなければならないことが書かれているような、そんな予感は最初からあった。


~崇高なる計画の下、星の力を手に神を復活させ無限のエネルギーを手に入れよ。

~かつて、勇者と魔王に阻まれた失意を胸に、想いを復興し神を再誕させよ。


 それは、失われたはずの意志を示した言葉からはじまるモノだった。


~星の力を一つに留めるための『神の器』。

~黒き炎と白き炎を灯して耐えうるだけの人知を超えたモノの生成。

~二つの力を併せ持った――『神』を創造するための擬神計画。


 そこまで読み進めたアグルエは、咄嗟に手を放して書類から目を離した。

 鼓動がどくんどくんと跳ね上がる。部屋の空気は冷え切っていたはずなのに、冷や汗が額を流れた。意識が遠のくような感覚に襲われる。

「やはりか」と呟いたツキノに、アグルエは焦点も合わないままにボーッとしながら聞き返した。


「ど、どういうこと……」

「――――、くっ」

「ツキノさんは、やっぱり何か知っているの……」


 アグルエが肩の上のツキノへと目を向ければ、ツキノは口にできないと悟ったのかこくりと頷いた。

 アグルエは慌てて箱の中にあった別の書類へ手を伸ばす。それは古い一冊の本だった。


~世界を創った黒き力と白き力。

~創造と破壊の果てに生まれた、リューテモアの奇跡。

~人界に託された白き力。魔界に引き継がれた黒き力。星を巡ったそれら星の力を、神の叡智と呼ぶ。


 そんな一節からはじまる本には、以前エリンスの父レイナルからも聞いた話が記されていた。


「ラーデスア帝国は……この力を研究していたの?」


 こたえを求めたものではなかったが、ツキノがこたえようと口を開いた。


「書いてある通りじゃろう、――――、説明できぬが、ラーデスアは捨ててなどいなかった。亡都の意志を……勇者と魔王、それに伴って多くの犠牲の上についえた野望を」


 ツキノの言葉に呆然としながらも、アグルエはその書籍の最後のページに書かれていた言葉に目を落とす。

 そこに書かれていた一節に自然と目が惹きつけられて、目を離すことができなかった。


~反発する星の力は無限のエネルギーを生む。

~ただし、星の力は巡るもの。二つが交わり留まれば、そこに生まれるのは破滅であろう。

~しかし、それは何も悪いことではない。破滅こそが、次なる創世を生む。

~神の叡智は、世界に終末を引き寄せ、開闢かいびゃくの時を刻むだろう。


――『……黒き炎、白き炎、共にあり続ければ、必ず破滅を呼ぶ・・・・・・・ぞ』


 セレロニアで幻英ファントムに言われた言葉が、アグルエの脳裏にこびりつく。


「そんな……じゃあ……アルクラスアがしようとしたことは……お父様が止めようとしたことって……」


 アグルエは机の上に散らかした書類と本の山へと目を向けて、呆然としながらも悟ってしまった。

 ツキノはこたえることができないように口を噤んだまま、そうしたアグルエの横顔に寄り添った。


「世界を創り出した神を、造り出そうとしていた、とでも言うの……? そのために、二つの星の力が必要で……」


 その結果が、二百年前に起こったことだった。

 アルクラスアの野望は潰え、失敗に終わった結果がロストマナ――。

 世界は、巡る三分の一の魔素マナを失った。それに伴って生態系も崩れ、世界は多くの犠牲を負った。代償は大きかった。

 勇者と魔王はそれを阻止したのに――その計画は、こうして今も続いていた。そしてまた、幻英ファントムもそれに関わっている。


――幻英ファントムは、一体何をしようとしているの?


 辿り着いた疑問の果てに、アグルエは再び意識が遠のくような感覚に襲われる。


「むぅ……潰えてなど、いなかったようじゃ」


 ツキノが呟いた言葉に、アグルエも無意識のうちに返事をする。


「そんなことって……」


 アグルエは散らかった机の上に両手をついて、思考の海へと引き込まれるようにして考え続けた。



 人界の歴史に残った勇者の伝承。

 魔界に君臨し続けたお父様の想い。

 二百年前の歴史を――人はまた繰り返そうとしている。


 五年前から、全ては動き出していた。

 ラーデスアがずっと続けた過ちの上で、勇者協会も、魔界でも――。


 お父様にとって、わたしの存在は最後に残った切り札だった。お父様はきっと、幻英ファントムが大きく動き出そうとしていることを悟って、もう、後がないと判断したのだ。

 魔界の情勢も一筋縄ではいかない。その権威が弱まっていることはわたしも知っている。だから、お父様はその席を離れるわけにはいかなかった。だから、わたしに託したんだ――。


――『勇者を探してきてほしい』だなんてことを。


 勇者を追えば、そこにある真実に近づくことになる。

 わたしが、二百年前の世界にあった真相を知ることになる。

 それはきっと、幻英ファントムに接触することも見込んでの頼みだった。

 お父様は決して、自分の口で語ろうとはしなかった。語ってはくれなかった。そこには話せない事情があったから。

 それこそツキノさんと同じように、『世界の制約』がそうしているのかもしれない。



 呆然としながら思考をまとめているアグルエに、背後より声をかける者がいた。


「ようやく、あなたも辿り着いたようね、アグルエ」


 ふいに聞こえた声に、アグルエは顔を上げ咄嗟に振り返る。

 暗闇の中に浮かび上がる銀髪が、アグルエの想いの炎に照らされて煌いた。

 そこに立っていたのは、アグルエをこうして仄暗い研究施設へと叩き落とした張本人――闇招あんしょうの魔王候補生、シャルノーゼ・ランだった。


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