第194話 断空の剣閃

「魔族か!」と叫ぶアーキスの声を合図に、見上げた四人プラス一匹の視線がその魔族へと集中した。


 気配は全くなかった。それどころかこうして姿を現しているのに殺気の一つも感じない。だけど、本能が語る。エリンスは赤き眼光を放つその左目から目を離すことができない。目の前にいる魔族は何か秘めたものを持っている。エムレマイルと対峙したときよりも大きな、たしかな恐怖を覚えて背筋がゾッとする。

 そんな魔族相手に、なおさら驚愕とした表情を見せたのはアグルエとツキノだった。


「あなたが、どうして、ここに……」

「お主、そちら側・・・・へついたのか」


 二人の言葉を聞いて、未だ座ったままの魔族は「くかか」と牙見える口を吊り上げ笑う。

「知っているのか?」とエリンスが横にいる二人へと目を向ければ、頷いたアグルエが魔族から目を離さないままに口を開いた。


断空だんくう剣閃けんせん……ザージアズ・フウ。魔界では名の知れた魔族だよ……お父様とともに、200年前もこっちの世界で戦った盟友だ」


 額から汗を流したアグルエの様子に、エリンスも再びザージアズへと目を向ける。


「かかかく。紹介どうも。アグルエ姫、あのちびっちゃいお姫様が大きくなったもんだ」


 ザージアズはアグルエの顔を懐かしむように見やって笑う。

 敵意も全く感じはせず、エリンスもアーキスも、ブエルハンスですらも身動きが取れなかった。

「お主は……」と声を漏らしながら見上げるツキノに、ザージアズは立てた膝を倒して胡坐を掻いて笑った。


「くくか! 逆にこっちはちっちゃくなったもんだ。なぁ、ツキノぉ?」


 200年前魔王アルバラストとともに人界へと出てきた魔族。ツキノとはともに戦った仲間みたいなものなのだろう。ツキノにも何か想うところがあるようで、ザージアズを見上げたまま口を開いた。


「アルバラストを裏切ったのか?」

「裏切る? 元々組んだつもりもねぇよ。俺を呼ぶのが、戦場だったってだけのことさ」


 ザージアズは悪びれる様子もなく「くくか」と笑ってそれにこたえた。


「お主は、変わらんのう……全く」

「おまえは、随分と変わったようだがな」


 呆れたように息を吐いたツキノは、だけど警戒心を解かないようにしたままにザージアズのことを睨みつけていた。

 アグルエとツキノのことを懐かしむような口振りと殺気もない気配に、エリンスの気は緩みそうにもなるのだが、死と隣り合わせにあるような緊張感がずっと漂っている。


「こ、これが魔族……帝国を襲った……」


 その気配はこの場にいる誰もが感じ取っていたのだろう、ブエルハンスがこらえきれない様子で声を零す。

 すると、ザージアズの赤い瞳がぎろりと睨むように声の主へと向けられる。


「勇者候補生、ではないなぁ?」


 顎を撫でて首を傾げるザージアズには、未だ敵意も殺気も感じ取れない。だが、本能が「やめろ」と叫びたがる。エリンスも、アーキスも、ザージアズから目を離すことができなかった。


「力無きものに興味はねぇな。生きる価値もねぇよな?」


 未だ殺気はなかったというのに――言葉を聞いて、耳から感じた恐怖だけが付き纏う。


「やめろ!」と大きな声で叫んだのはツキノだった。すかさず飛び出したアグルエは、呆然と立ったまま動けないでいたブエルハンスを両腕で抱えるようにして飛び込んだ。


「ぐ、ぐうああああ!」


 ブエルハンスが悲鳴を上げて倒れ込み、アグルエもまた覆いかぶさるようにして倒れ込む。

 エリンスには一瞬のこと過ぎて何が起こったのかわからなかった。だが、何かが起こったことは一目瞭然だった。

 ブエルハンスの右腕が、宙を飛んでいた。


 エリンスはザージアズから目を離してはいなかった。動きを見せたような素振りも見えなかったはずなのに、ザージアズはいつの間にか立ち上がっていて、にやりと笑う。

 痛みに顔を歪ませるブエルハンスの右腕は肘の辺りより鋭利な刃物で切断されていて、流れ出る血で白色の石が赤く染まり、辺りの雪にも飛んだ血痕が散見された。

 慌てて起き上がるアグルエは飛んだブエルハンスの右腕を拾い、溢れ出る黒き炎でブエルハンスのことを包み込む。想いを寄せて、黒き炎で回復を試みて、止血しようと願うように手を合わせて目を閉じる。


「ブエルハンスさん! 腕を、押さえていてください!」


 鬼気迫るアグルエの言葉に、ブエルハンスもただただ頷いて、空いた左手で感覚を失っただろう自身の右腕を押さえていた。


「何が目的じゃ!」


 アグルエの頭よりエリンスの肩に跳び移ったツキノが、未だ瓦礫の山の上で腕を組むザージアズを見上げた。


「俺ぁーな、ツキノ。つえぇやつと戦いたい。それこそ昔のおまえは俺とも渡り合える、イイ相手だったが、今のその姿じゃぁな?」


 名指しでそう言われたツキノは口を噤んだ。エリンスは嫌な予感がし、首から提げているツキノとの契約の証を意識する。


――絶対に、もうツキノ任せにはしない。


 目の前にする相手がどんな相手であろうと、その決意は揺るがない。


「だからよぉ、200年前には相手することも敵わなかった、勇者の力ってやつを試してみてぇんだ」


 眼帯をしていない赤い左目が、並ぶエリンスとアーキスのことを捉えた。

 エリンスとアーキスはともにごくりと喉を鳴らして緊張を呑み込む。


 狙いは勇者候補生だ、とはっきりとそう口にしたのだ。

 ザージアズは飄々とした態度で気配を完全に消してはいるが、今まで対峙してきたどんな相手よりも、たしかな感覚を持って『強い』のだと本能が言う。ザージアズと目が合ったところで、初めてエリンスも研ぎ澄まされたような殺気を感じ取る。無意識に剣の柄へと沿わせた手が震えていることに気がついた。


「くくくかかか! 勇者候補生ってもんが、人類の希望ってやつがどんなものか。俺はそれを全部斬ってやりてぇんだ。おまえさんらの斬りごたえが、知りてぇんだ」


 背負った斬馬刀に手をかけるザージアズは、そのまま瓦礫の山の上より飛び降りた。

 どすん、と両足で着地するザージアズがエリンスとアーキスの目の前に立ち塞がるようにして着地する。


「エリンス、こやつとまともに斬り合おうと思ってはならぬ!」


 緊張感を含んだツキノの声に、エリンスは剣を抜くのが一歩遅れた。「どうして」と聞こうとして、聞く前に襲ってきたのは、剣を振った素振りも見えなかったのに衝撃波となる剣閃だ。


「ぐっ!」


 なんとか剣を振り抜いて衝撃波をいなし、威力を殺すがエリンスは吹き飛ばされた。地面を滑り、膝をつき顔を上げて立ち上がるも、肩の上より投げ出されるようにしてツキノが吹き飛んだ。


「エリンス! ツキノさん!」


 少し離れたところでブエルハンスの治療に集中していたアグルエも、心配したように声を上げる。だが、エリンスにこたえる暇はなかった。

 すかさず飛び出したアーキスが天剣を抜く。ザージアズの側面へと回り込み、一閃振るう。


「ほう、いい得物を持っているな」


 感心したように笑う余裕を見せて、いつの間にか斬馬刀を背負いなおしているザージアズは、剣を抜かずに半歩下がるだけで完全に見切ったようにしてそれを避けた。


「大丈夫か、ツキノ!」


「ぐぅ」とエリンスの横で呻き声を上げたツキノが起き上がったところで、エリンスも心配になり声をかける。

 ツキノは受け身を取ることができなく身体を打ちつけたようで、少し苦しそうにはしていた。


「心配はいらぬ」


 その間にもアーキスはザージアズへと踏み込み攻撃を仕掛け続けていたのだが、ザージアズは半歩下がり続けるだけで攻撃をかわし続けた。背負った斬馬刀も、腰に差した刀も抜こうとはしない。

 たしかな手ごたえも感じられないのだろう。攻めているアーキスのほうが苦しそうな表情をしており、対照的に、見切り続けるザージアズは涼しい顔をしていた。


「やつは、紙のように軽く剣を振り、鉄のように重い斬撃を放つ。その動作が、わらわにも簡単に見切れぬほどじゃ」


 そのツキノの言葉を聞いて、エリンスも考えた。

 ザージアズは姿を現してから二度剣を振った。だが、そのどちらも、視認するどころか気配すら感じ取ることができなかった。


「断空の剣閃と呼ばれる所以ゆえんじゃ。空気すら断つ、音のない斬撃」


 目にも留まらぬ早業で振り抜かれる剣閃――音すら断つ一撃は、人間の剣士が剣を振るのとは訳が違う早さで振り抜かれる。

 考えるエリンスのことを一瞥したザージアズは、アーキスの攻撃を避けながらも口を開いた。


「ごちゃごちゃうるさいなぁ。俺ぁ楽しみたいんだよ」


 どすん、と。

 気配もなく一瞬で移動し、エリンスとツキノの間に着地するザージアズに、エリンスは動くことができなかった。

 そのまま左足を軸に身体を回転させたザージアズは右足で、なんとか立ち上がったばかりのツキノのことを蹴り飛ばした。


「ぐっ」と苦しそうな声を上げて飛ばされたツキノは、立っていた柱に衝突し、どさりと倒れ落ちた。


「ツキノ!」

「ツキノさん!」


 エリンスもアグルエも、身動きが取れず蹴り飛ばされたツキノのことをただ見やることしかできなかった。


「くくか、あんな姿になってもこの程度で死んだりしないだろう。相手をしてくれや、勇者候補生!」


 振り返ったザージアズの目が、エリンスのことを捉える。

 エリンスも願星ネガイボシを構えて応戦しようとするのだが、ザージアズが右手に何か黒い水晶玉のようなものを手にしていることに気がついた。


「邪魔されるのもごめんだ。マーキナスに渡されたこいつを試してみようか」


 エリンスは胸を締め付けるような禍々しい気配から、それが古代魔導技術ロストマナの一種であることを直感した。マーキナス――知らない名だが、魔族の名であることがザージアズの口振りからもわかる。


「何をする気!」


 アグルエはブエルハンスを支えていて動くことができない。だけど、エリンスと同じく、古代魔導技術ロストマナを目にして嫌な予感がすることは直感したのだろう。


 ザージアズは手にした水晶玉を掲げるように持ち上げた。

 魔族の大きな手のうちに納まるような大きさのそれは、光を反射することはなく、むしろ吸収するように黒く渦巻いた。

 そうした隙を見逃さないように、とアーキスはザージアズの背後より飛びかかる。呆然とそれを見やってしまったエリンスと挟む形で、二人の勇者候補生がザージアズを捉えたかのように見えたのだが――。


 にっとザージアズが口角を吊り上げて笑った瞬間、エリンスとアーキスとザージアズ、三人の姿が忽然こつぜんとその場から消えた。

 カンッと広場の石の上を跳ねた黒い水晶玉は、雪に埋もれるようにして、ころりと黒い輝きを鈍く残した。

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