第193話 崩落した黒の軌跡
翌日早朝、エリンスとアグルエとアーキスの姿は町の入口にあった。
状況を整理して、やるべきことからやる、と決めたエリンスたちは当初の予定通り、道案内をしてくれる先遣隊の一人であった男性を加えて、黒の軌跡へ向かうことを決めた。
同行してくれるのは「ブエルハンスだ、よろしく」と簡単に挨拶をしてくれた、話しやすいお兄さん的な雰囲気を持つ、勇者協会に所属するベテラン剣士だった。サラサラとした短い金髪に深緑色の優しげな瞳、「きみらの安全のためにもひと役買わせてくれ」という言葉が頼もしい。
テントなどのキャンプ道具が詰まった鞄を背負うブエルハンスが先導するように三人の一歩前を行く。
黒の軌跡は、プレシードの傍にかかる大橋で川を越えて、ラーデスア雪原の手前を通って森の中へと進んだ先にある。
そこまでおよそ徒歩で一日はかかるらしい。雪が積もる地域となれば馬を走らせるのも困難が生じる。途中、テントを張って一晩越える必要もあり、敵陣の近くを通ることにもなるため予断を許さず、過酷な道が予想された。
候補生たちも休息は十分。武器の手入れも、身体の調子もばっちりだ。
シルメリナとのこともあったためにアグルエの体調を気遣うエリンスではあったのだが、どうもアグルエは普段通り元気で、むしろ体調面は普段以上に調子がいいらしい。
アグルエの処置が正しかったこともあり、シルメリナはあれから落ち着いていると聞いた。魔力を吸収する――そこにどのような負担や負荷があるのか、漆黒の魔封を通すことでアグルエが何をしたのかはわからないところではあるが、逆に魔力を補給したことで食事をしたとき並の効果があったようだ。
エノルとバンドルに関しては、シルメリナとともにプレシードで休んでいる。彼女らにはまだ休息が必要だろう。
アーキスはアーキスで、メルトシスの行方について心配はしていないようで、『皇女殿下が見つかったんだ。やることをやっていればそのうち追いつく』と笑っていた。
そんなこんなでカンバルクとエノルに見送られて、エリンスたちはプレシードの町を発った。
橋を渡って川を越えれば、カンバルクに言わせるところの境界線を越えることにもなる。「警戒は怠らないように」と心配したツキノの声を受け皆が頷いて、慎重に雪道を確認しながら進んだ。
半日ほど歩いて雪原を北上すると、夕刻頃には森に差しかかる。その辺りで一日目の旅を中断することを決めた。
テントを張って、ブエルハンスが簡易的な結界装置を展開し、魔物避けをする。だけど、見張りは寝ずの番を二人ずつの交代でこなして、一夜を過ごした。
二日目は森の中を進んだ。
途中、凶暴化した魔物に襲われることにもなったが、ここにいるのは『最強』の名と、『第1位』の称号を掲げる候補生たち。力を合わせることで難なく倒し、道案内をする立場のベテラン剣士であるブエルハンスも「頼もしい」と笑う余裕を見せるほどだった。
協力してくれるブエルハンスにはアグルエの事情も話してはある。魔族の領域に踏み込むともなれば、何が起こるかもわからない。「話しておいたほうがいい」と提案したツキノも交えて、ブエルハンスは神妙な顔をしたものの、話を受け入れてくれた。結果から言えば、ツキノが心配した通り、話しておいて正解だったのだが――。
そうして一行は、鬱蒼とした森を抜けた。
空が段々と開けてきて、相変わらずの分厚い灰色雲に覆われるラーデスアの空ではあったが、薄日が差していて明るさはある。まだ昼を過ぎたくらいの時間だろう。
辺りに散見されたのは、雪化粧を被る白石を積み重ねられた壁。時代を感じさせる古びた様相をしながらも、今の時代の技術にはない磨き整えられかたをした白色の石壁が並ぶ。かつては塀の役割をしていたのだろうが、囲まれるように並び立つ白い壁の中には瓦礫の山があるだけだ。
白の軌跡でも、赤の軌跡でも――エリンスが辿ってきた勇者の軌跡では同じような遺跡群を目撃してきた。ここもまた、それと同じだ。
しかし、エリンスが覚えた印象から言えば、辿ってきたどこの遺跡群よりも黒の軌跡の規模は大きい。並び立つ白壁の数も、崩れた残骸の跡も、森から出たばかりだからか、どれも広く見えた。
ある種並び立つ柱が枝をつけない木のように見えて、遺跡の森が広がっている。
辺りに転がる遺跡群の残骸を見上げて、「ここが……」とエリンスは言葉を零した。
神妙な顔つきをしたアーキスも、辺りを見渡しながら圧倒されている。
「あぁ、どうも、黒の軌跡らしい」
「ですね。黒の軌跡です。別名、
三人の先を進んだブエルハンスが、三メートルはあるかという崩れた柱を撫でてたしかめるようにし、振り返ってそう言った。
「遺骸……」
おどろおどろしい言葉に、アグルエは緊張を呑み込むようにして喉を鳴らし、辺りを見渡す。
「時代を感じるってことだろうな」
風化せずに残された柱を撫でながらアーキスも頷いた。
「黒の軌跡はこの森の奥ってところか」
「はい、もう少し進んだところです」
アーキスの言葉に頷いたブエルハンスに、エリンスとアグルエも頷いて先を急いだ。
そうして進むこと五分ほどして、遺跡群の奥地へと突き当たる。階段を数段上ると、白色の石を並べて作られた広場へと辿りつく。
「綺麗だな……」
エリンスはぽつりと呟いて、正面に
街で言えば中心地のような場所なのだろう。かつてはこの遺跡群も街のようなものだったのかもしれない。そんな名残を感じさせる雰囲気に、素直な気持ちが零れ出た言葉ではあったのだが、横に並んだブエルハンスは愕然とした表情で瓦礫の山を見上げていた。
「そ、そんな……」
その表情を見れば、エリンスにも察せられるところがあった。
「もしかして……」と呟いたアーキスの言葉に頷いたブエルハンスが言葉を続ける。
「えぇ、そうです。ここが、黒の軌跡……」
ブエルハンスは魂が抜けたようにして、瓦礫の山を見上げ続ける。
エリンスがよくよく目を凝らせば、瓦礫の山から青い光が漏れ出ていることに気がついた。結界装置の光だろう。辿ってきた軌跡での光景を思い返しながら、「なるほど」と頷いた。
「これじゃあ……」と呟き眉根を下げたアグルエに、ツキノが「ふむ」と頷く。
「軌跡の試練に挑むどころじゃなさそうだ」
エリンスはアグルエが言おうとしたことを悟って口にした。
埋もれてしまっていては立ち入るどころか手の付けようもない。
「あぁ、それに……」と辺りを見渡すアーキスに、エリンスも同意するようにして首を振る。
一帯に人の気配もない。各軌跡にはそれぞれ管理を任されている勇者協会の職員がいるはずなのに。
この地を任されていた黒の管理者とは連絡が取れない、とレイナルも言っていた。黒の管理者も行方不明ということだろう。
しばらく呆然としていたブエルハンスだったが、やるべきことを思い出したのか、静かに瓦礫の山へと近づいて膝をつく。破片を一つまみ持ち上げて、辺りの状況を確認するように、と見渡しはじめた。
「ネムリナ様の姿はないか。それにこの状況だと、復旧には時間も、人手も必要だ」
周辺の確認をするように、瓦礫の山を回ろうとするブエルハンスをエリンスとアグルエも静かに見守っていた。
だが、突如として警戒したように毛並みを逆立てたツキノが、アグルエの頭の上に飛び乗った。アグルエも突然のことに驚いたようにして、エリンスも慌てて周囲へと目を向ける。
気配は全くなかったというのに――声は上のほうから聞こえた。
「よう。やっぱり、ここは
瓦礫の山の上、
浅黒い肌の色。額より生える黒い大きな角が二本。しかし、右側の角は半ばより折れている。短い黒髪に切れ長の大きな左目。赤い瞳がぎらつくように見開かれ、口元からは長い牙が覗いている。体長は人の大人ほど。薄手の鎧のような外皮を持っており、背中には目立つ大きな斬馬刀を携えていた。それとは別にもう一本、腰にも刀を下げている。風格からして、大きな得物を振り回している姿も容易に想像ができる。
膝の上についた腕がぶらりと力無く垂れ下がり、その指でエリンスたちのことを差して、いかつい声で魔族は呟いた。
「勇者候補生、会いたかったぜ」
その言葉には、言いようもない恐怖が付き纏う。
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