第192話 それぞれの事情

 エノルとアーキスは人通りもない宿屋の裏手へと回ったらしい。空はすっかり暗くなり、篝火が並ぶ町並みから外れて、エリンスもその後を追った。

 建物の陰に入ると余計に辺りは暗くなり、積まれた薪や並ぶ木箱にぶつかりそうになりながらも、エリンスは向かい合って立っている二人に追いついた。

 アーキスは辺りに人がいないのをたしかめるようにしてから話をはじめる。


「カンバルクさんには事情を話したんだろう?」


 そう聞かれたエノルは悩むような素振りを残しながらもこくりと頷いた。

 カンバルクが部屋の前で神妙な顔つきをして待機していたのは、皇女シルメリナのことがあったからだろう。


「どうしてきみたちは、皇女殿下を連れて逃げていたんだ?」


 ずばりと踏み込むアーキスに、エノルは悩んだように俯いて口を噤んだ。

 エノルとバンドルはラーデスア帝国に――シドゥに仕える勇者候補生だった。その二人が皇女であるシルメリナと一緒にいたことに理由がないはずもない。

 ただ、アーキスはこたえないエノルを見て、質問の仕方を変えた。


「メルトシスの行方を知らないか?」


 カンバルクにもメルトシスはシルメリナと同時期に行方不明になったと聞いたところだ。シルメリナが見つかったのであれば、と結論を急いだように思ったのかもしれない。

 だが、エノルはその質問にははっきりと「知らない」とこたえた。

 それっきり俯いてまた黙ってしまうエノルに、アーキスも肩を竦めたようにして「そうか」とため息を零す。


 エリンスが二人の様子を黙って見ていると、話が進まず埒が明かないといった顔をしたアーキスと目が合った。

 エリンスは黙って頷いて、話を切り出してみることにする。


「ひと月前、タンタラカで別れたとき、ラーデスアへ帰るって言ったよな? ラーデスアに戻って、その後魔族軍との戦いに巻き込まれたのか?」


 あのときはまだ、シドゥの扱いも『行方不明』扱いだった。シャルノーゼとともに消えた裏切りの事実はエリンスたちだけの秘密だった。

 エノルは顔を上げて、静かに頷く。


「……そうだ。わたしらがラーデスアへ戻ったところで、待っていたのは事情を聞くという名の糾弾きゅうだんだった。シドゥ様は帰ってこなかった。だから――」


 エノルは淡々とこたえたが、嘘を吐こうとしていることに気づいたエリンスがすかさず言葉を挟む。


「いや、シドゥは帰ってきたはずだ」


 カンバルクもそう話していた。シドゥはセレロニアでのことが公になる前には、ラーデスアへ戻ったはずなのだ。

 どうして、嘘を吐く必要があるのか――そこに隠したいことがあるからだ。そしてそれは、エノルとバンドルがシルメリナと一緒にいたことを考えると、自ずと見えてくる話でもあった。

 黙り込んでいるエノルを見て、エリンスは図星なのだろうと悟る。


「あいつにも、何か考えがあるんじゃないのか?」


 裏で手を引いている幻英ファントム。その下についたシドゥも、何らかの思惑を持って動いていた。


「あいつの話は、聞いたよ」


 エノルがシドゥにどこまで聞かされているのかもわからない。

 だけど、エノルが嘘を吐こうとしたことから考えると、裏切り者と公にされた後に、エノルがシドゥと接触しているのは間違いない。


「俺には、あいつが何も考えずにそんなこと・・・・・をしたとは思えない。皇女様のことも、頼まれたんじゃないのか、シドゥに」


 アーキスは黙って、エリンスが語りかける様子を見守っていた。

 そして、二人の視線の先にいるエノルは、エリンスの言葉を聞いて下唇を噛みしめるように俯いて瞳を震わせる。

 何かを知っているのは間違いない、とエリンスも確信するが、エノルは視線を合わせようともしてくれない。


 霊峰を登った際に出会ったエノルとバンドル。シドゥとともにラーデスアからやってきた勇者候補生。シドゥの護衛を皇帝から仰せつかって、勇者候補生になったのだろうことはエリンスにも想像がついた話だ。

 二度にわたってボロボロになってエリンスの前に姿を見せた二人。今回にしたって、エノルは体力も落ちて絶対安静。バンドルにしたって重症の傷を負っている。二人がシドゥに対して並ならぬ忠誠心と想いを抱えていることも、エリンスには想像がつく。

 そして、皇女シルメリナのこともある。エノルがシルメリナをああして思っている気持ちを思えば、一見して見えているだけの簡単な話ではないことが、エリンスにもわかったような気がした。


 エリンスはただエノルの返事を待った。

 だが、顔を上げないエノルを見て、口を出したのはアーキスだった。


「きみの目を見ていれば、なにも事情がわからない俺にだってわかることはある」


 その言葉に「……え?」と顔を上げたエノルに、アーキスは優しく目を細めて笑って言葉を続けた。


「エリンスが何に気づいたのかは、俺にもわからない。だけど、こいつのことなら信じられるって、きみも思っているんだろう?」


 揺れたエノルの視線が、エリンスの目と合った。

 エリンスは力強く頷いて――霊峰でシドゥと対峙したときのことを思い返す。


 もしそこに、底知れない想いがあるのならば――次は絶対に届かせると決めたんだ。霊峰で――、セレロニアで――、何度も剣を交えて、それでも届かなかった酷く凍てつく冷たい心の奥底に。

 その覚悟が彼女にも見えたのか。瞳を潤ませたエノルは、唇を震わせてゆっくりと言葉を紡いだ。


「……そうだ、エリンス、おまえが考える通り。わたしたちはシドゥ様に……頼まれたんだ」


 涙をこらえるように目を擦り、エノルはしっかりと顔を上げた。


「皇女シルメリナの護衛を、か」


 アーキスが呟いた言葉に、エノルは歯を食いしばって力強く頷く。


「シドゥ様の母君は……シルメリナ様を産んで亡くなった。シドゥ様にとって皇帝をのぞけば、唯一残った肉親がシルメリナ様だ。だから、シドゥ様は……何としてでも、何を懸けてでも、シルメリナ様のことだけは守り通さなければならなかった」


 シドゥの意志の強さ――。そこにある想いを、たったひと言「わかった」と言うのは、おこがましいのかもしれない。

 だが、そう話を聞いて、起こった事実と現状を見ると、奇妙なズレを感じるのもまた事実だ。

 話がおかしいことにはエリンスも気がついた。

 帝国を陥れて皇女の身に危険が及んだのは、他ならないシドゥのはじめたことなのだから。


「シドゥが、皇女殿下を逃がすことをきみたちに頼んだのか?」


 アーキスが聞くと、エノルは「あぁ、そうだ」と頷いた。アーキスもカンバルクから聞いた話と辻褄が合わないことには気がついたのだろう。

 それに守り通すというのならば、どうして自身の手のうちに置いておかないのか、とも。


「だったら、シドゥがどうして裏切ったのかは、エノルも知っているんだろ?」


 エリンスが聞くと、ただ、エノルは黙ってこたえてはくれなかった。

 アーキスはそれを聞いて呟く。


「裏切りの勇者候補生として、悪名が広がった」


――それだけではない。ここまでの話を踏まえて考えるならば、シドゥは実の父である皇帝を、自分の意志で殺害している。


 二人の言葉と視線を受けて、苦しそうにもしたエノルは、涙を浮かべながらも言葉を紡いだ。


「シドゥ様は、裏切りだなんて……」


 悲しそうな顔をする彼女は、シドゥがそこまでのことをしでかしたことを知っていたのだろうか。カンバルクとの約束通り、エリンスには口外できず聞き込むこともしなかったが。


 無言のまま、エノルは逃げる言葉を探すように目を逸らす。

 だけど、エリンスは信じたかった。エノルが話してくれることを。彼が抱える闇に近づくことを。

 シドゥ・ラースア・レンムドルは酷く冷たい目をした男だった。だがエリンスは、その心の奥底に閉じ込められ凍てついた想いを垣間見てしまったから。

 剣を合わせてしまえば、剣士は嘘を吐くことはできない。それは師匠の教えに則った考え方ではあったけれど、エリンスもまた実感を持って知っている感覚だ。


「教えてくれ――」


 エリンスはそこにもある決意を持って、エノルの揺れる黒い瞳を見つめた。


 タンタラカで別れたときはエノルもバンドルもシドゥの事情を知っている素振りは見せなかった。

 あのときシドゥは既にシャルノーゼと行動を共にしていて、次にセレロニアで幻英ファントムと現れたことを考えると、裏切りは最初からだったはずだ。シドゥが幻英ファントムと手を組んでいたのは、ずっと前から――それこそ勇者候補生になる前からなのかもしれない。

 レイナルから聞いた話を思い返す――幻英ファントムは5年前、ラーデスア帝国の権威を持って、勇者候補生として名を上げた。そこに関係性が残っていた可能性は、大いにある。だとすれば、シドゥにも何か目的があるからこそ、幻英ファントムと手を組んだ。

 そして、エノルたちはシドゥの想いを知っている。シドゥがラーデスアへ帰ったタイミングで、エノルはシドゥから何か話を聞いたに違いない。シルメリナの護衛を頼まれたに、違いない。


「教えてくれ――エノル。あいつは、何がしたいんだよ!」


 幻英ファントムと手を組んで、皇帝を殺害して、世界を震撼させるラーデスア帝国の陥落、その一端を担って――。それなのに妹であるシルメリナのことは助かるように守りたいと願う。

 シドゥが何を想って、そこまでのことをしたのか――エリンスには到底計り知ることのできないことだった。だが、己の感覚を信じるならば――シドゥは孤独に何かを追いかけているのだろう。


「俺は、あいつが何も想わずにそうまでしたとは考えられない!」


 はっきりと断言したエリンスに、アーキスも「エリンス……」と言葉を零して、同情するような目を向けた。


「あいつと剣をぶつけて、震わせて……それでもあのときは、俺の想いは届かなかった。知ってやることが、できなかった。抱えた酷く凍える想い、それは見えたのに」


 エリンスの言葉を聞いて、エノルは我慢しきれなかったかのようにして涙を流す。


「だから、あいつを救う方法を知っているなら、教えてくれないか、エノル!」


 エリンスが力強く拳を震わせたところで、エノルは嗚咽を上げて腕で顔を隠して、涙を拭う。

 アーキスもまた、そんな風にしたエノルを見て眉を下げて静かに見守っていた。

 エリンスも返事を待った。彼女に想いは届いたはずだ――と。

 そうやって二人は彼女が落ち着くのを待って、少しして涙を拭ったエノルは顔を上げると静かに返事をしてくれた。


「シドゥ様は、シルメリナ様を守るために、帝国を敵にし……人類を敵にしたんだ……」


 エノルはやはり何か事情を聞いているのだろう。

 エリンスもその言葉が聞けて、どこか一つ、安心した。

 やはり、シドゥは何も想わずにそうしたわけではないのだ――と。シドゥのことがわからないエリンスだったが、それだけは信じられた。


「そうまでしないと、守れないモノがあったのか、シドゥには」


 アーキスが呟いた言葉に、エノルも小さく頷いた。

 ラーデスア帝国を滅ぼしてまでして、シドゥはシルメリナを守った――。

 そこに想いがあることをエノルが話してくれて――エリンスの胸のうちに志という炎が灯った。


「これ以上のことは、わたしの口からは話すことはできない。それがシドゥ様の決意だから。そうするくらいなら、舌を噛み切ったほうがマシだ。帝国の権威に関わる問題なんだ……。今はもう、失くなってしまったモノだったとしても」


 エノルは悲しそうな顔をして俯く。シドゥの決意――それが聞けただけで十分だ、とエリンスは頷いた。


「わかった。それだけわかれば……それが信じられれば、大丈夫だ」


 エリンスは力強い眼差しに闘志を燃やす。

 アーキスは疑問そうにしていたが、エリンスはそんなアーキスの顔を見てもうひと言続けた。


「あいつの目は……信念を持っていた。何を考えているのかは、直接聞いてやるよ」


 覚悟を口にしたエリンスの顔を見たエノルは、驚いたような顔をしながらも涙を拭い、アーキスもまた小さく笑って目を細めてから頷いた。


「近くにいて何もできなかったわたしが、こんなことを頼むのはおこがましいのかもしれない」


 笑い合った二人を見つめたエノルが、エリンスの目を見て口を開く。


「だけど、頼む、エリンス・アークイル。シドゥ様を救えるのは、おまえなのかもしれない」


 エノルの目にも、もう涙はなかった。エリンスは力強く頷いてそれを返事とした。


――次に機会があれば、必ず想いを届かせると決めていたから。


 アーキスも想ったことがあったのだろう、「ふっ」と息を吐くと、言葉を続けた。


「俺にも妹がいるから気持ちはわかる気がする。何が何でも、何を懸けても守りたいという想いは、な。だけどあいつは、独りで進み過ぎてしまったんだな」


 アーキスがしみじみと零した言葉に、エリンスは「アーキス……」とその横顔を見つめて呟いた。


「エリンスには見えたことがあるんだろう? なら、手を差し伸ばしてやるのもまた、同じ勇者候補生としての宿命なのかもしれないな。それが、きみの『優しさ』ってやつだろう?」


 笑ってそう言ってくれたアーキスに、エリンスも「そうありたい」と笑って返事をする。


――決意を胸に。背負うモノは、多いくらいでちょうどいい。


 エリンスはたしかな予感に身を震わせていた。それは怯えではない、たしかな覚悟を持った武者震い。これから向かうラーデスア帝国のことを思えば、そこが幻英ファントムの手のうちならば――シドゥも確実に待っている。

 再び剣を合わせ交えることになるのだろう――と考えて。

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