第191話 運命交差の最前線

 翌日、天気は相変わらずの分厚い灰色雲に覆われた曇りだった。

 朝食に炊き出しで用意されていたライススープをいただいて、すっかり寂れた町並みにも慣れてきたところだったが、エリンスとアグルエは何かできることはないか、とアーキスと共に勇者協会へと顔を出す。先遣隊からの連絡を待つ間暇になってしまったため、そのままエリンスたちは町の人らを手伝うことを決めた。


 エリンスとアーキスは、滞在しているファーラス騎士団とラーデスア帝国騎士団と一緒になって、バリケードの強化や近辺の見回りと魔物退治に同行した。魔素マナの影響を受けて凶暴化した魔物は、結界装置の影響を気にせず町の周辺にも現れるらしく、町の人も騎士たちも手を焼いているようだ。

 アグルエは町の宿屋を拠点とする医師の魔導士部隊と一緒に、傷を負った兵たちの治療や、炊き出しの準備を手伝った(医療に携わる魔導士の証としてエプロンドレスを着せられて大はしゃぎをしたらしい。エリンスは後からツキノにその話を聞いたが、結局その姿を見ることはできなかった)。


 そのような形で時間を潰して、エリンスたちが町へと戻ってきたのは夕方のことだった。半日行動を共にした衛兵たちと別れたところで、アーキスの元へと勇者協会職員が駆け寄ってくる。


「よかった! ちょうど今さっき、先遣隊から連絡が入りました!」


 一仕事終えてやり切った表情をしていたアーキスも、その報告を聞いて顔色を変えて頷く。再び回れ右をして、町の入口のほうへと向かったアーキスに続いて、エリンスも後を追いかける。


 ちょうど帰還したらしき先遣隊は、町を出たところで衛兵や協会職員の魔導士たちに囲まれていた。その中から顔を出したアグルエが、エリンスとアーキスに気がついて駆け寄ってくる。


「大変だよ!」


 そのアグルエのひと言で先遣隊に何かあったのだろうか、と不安で目を合わせたエリンスとアーキスも集団の中心へと駆け寄った。

 先遣隊は、勇者協会の職員が三人。それなりの実力もある者が選ばれたのだろう。大きな杖を背負った女性が一人と、剣を携えた男性が二人。傭兵さながらの格好をしていたが、その三人に特に目立つような傷があるわけでもなく、無事任務を果たして戻ってきたようだ。

 だが『大変だよ』とアグルエが言った異常は、見た通りにしてわかった。

 三人がそれぞれ一人ずつ、人を支えて背負っていた。道中で行き倒れている者を見つけて連れ戻ってきたらしい。


 剣を携えた職員に肩を借りて支えられた、薄い赤みがかる髪色をした長髪の女性が、弱りきった表情を集まった人々に向けていた。

 細いながらにしっかりと締まった身体つきをしていて、軽鎧ライトアーマーを身につける出で立ち。腰に差した鞘には剣が収まっておらず、その得物を手にしてもいないことを見るに、どこかで落としてきたらしい。

 苦しそうな表情をエリンスへと向けていて目が合った。エリンスはその顔に見覚えがある。


 もう一人、先遣隊の職員に背負われているのは小柄な男性。まだ幼い面影はあるが、歴とした戦士だ。背負われて浮いている足の先からは血がぽたぽたと滴っている。目も開かず衰弱した顔つきで、怪我の程度が大きいことは一目瞭然だった。彼にもまた、エリンスは見覚えがある。

 二人とも勇者候補生だ。サークリア大聖堂で顔を合わせたこともあったし、霊峰を登る際にも出会った。

 ラーデスア帝国出身の勇者候補生――シドゥとメイルムと同盟パーティーを組んでいた二人。

 女性の勇者候補生がエノルで、男性のほうは小柄ながらに大きな斧を背負っていたことが印象的だったバンドルだ。今はそのトレードマークであった斧も背負ってはいないが。


 どうしてあのときの二人が――と考えるエリンスだったが、もう一人の女性が気にかかる。

 職員の魔導士の女性に背負われていたのは、外套を二重に巻かれて震えている女性だった。職員の肩越しに見える赤い顔は、熱にうなされているように苦しそうで、熱い吐息が白い息となって立ち昇る。華奢でまだ幼さを残す顔つきにはどこか品の良さが漂っていた。


「大変だ!」と駆けつけた衛兵たちに、三人の傷ついた来訪者は宿屋へと運ばれていく。駆けつけた医師たちの声にも緊迫感があって、刻一刻を争う事態だ、と最前線の寂れた町は騒ぎとなった。

 アーキスはその場で先遣隊の三人と顔を合わせて何やら話をはじめたが、エリンスとアグルエは呆然と事態を眺めてしまった。


「見知った顔だったな……」


 エリンスがぽつりと呟くと、アグルエもその横でこくりと頷いた。


「うん。シムシールに登ったときに出会った勇者候補生……」


 あのときも雪の上で倒れて遭難していた二人だ。

 しばらくそうして呆然と運ばれていった影を目で追っていた二人だったが、話を終えたらしいアーキスが戻ってきたところで事態が呑み込めてきた。


「大丈夫か、二人とも」


 疲れが一気にどっと出てきたような感覚だったが、エリンスとアグルエは「あぁ」「うん」としっかりと返事をする。

 運ばれていった三人の方角を見つめたアーキスに、エリンスは言葉をぼそりと呟いた。


「シドゥの同盟パーティーの二人だった」

「やはりか。どこかで見覚えがある気がしたんだ。だとすると、あの方は……」


 アーキスは考えるようにして俯く。


「何かあったのか?」

「いや、気のせいかとも思ったんだが。話を聞きにいったほうがよさそうだ」


 アーキスが何を思ったのかエリンスにはわからなかったが、二人も頷いてこたえる。


「それで、先遣隊はどうだって?」

「あぁ、そっちは問題ないそうだ。魔族軍も引いてラーデスアのほうで落ち着いているらしい。ラーデスア雪原の手前までの道は下見してくれた」


 予定通りなら明日にでも出発できるとのことだ。黒の軌跡までは徒歩で一日はかかる道らしく、準備もしていく必要があるらしい。そちらの話は、明日また先遣隊と合流して、アーキスとエリンスとアグルエを加えた少数で向かうということで決まった。

 だが、今は気にかかることがある。


「いってみよう」


 アーキスのひと言にエリンスとアグルエは頷いてこたえて、三人は宿屋のほうへと向かった。



◇◇◇



 昨晩エリンスたちが泊まった宿屋には、カンバルクら騎士団の姿もあって、妙な緊張感に包まれていた。

 駆けつけたエリンス、アグルエ、アーキスの三人が、話が聞きたい旨をカンバルクに伝えたところ、険しい顔をしながら彼は首を横に振る。


 容体はエリンスたちが思ったよりも良くない状態らしい。

 エノルは、意識はあるものの絶対安静とのこと。見るからに手負いだったバンドルは瀕死の重傷。もう一人の名を知らない女性にしても持病の悪化・・・・・が酷い状況らしい。

 特に酷いのが女性の持病について。集まった医師や治癒士にもどうしようもない類の病らしく、皆顔を見合わせて手に負えないといった表情をしている。


 女性を寝かせた部屋の扉の前で顔を合わせるエリンスたちとカンバルクに、事態の重大さをわかったようにして口を出したのはツキノだった。


「一刻を争うのう。わらわに見せてほしい」


 緊張感を破るようにアグルエの肩から顔を出したツキノは、カンバルクの顔を真剣な眼差しで見つめていた。

 その言葉にただならない気配を感じたのだろう、カンバルクも目を見開いて白い狐姿のツキノの顔を見つめていたが、すかさずアーキスも口を出した。


「どうか、部屋へ入れてはもらえませんか」


 悩んだように顎の無精髭を撫でたカンバルクは「うーん」と眉に皴を寄せて返事をした。


「……あまり容体に触れるようなことをするなよ、小坊主」

「わかっています」


 許可はもらえた。だが、やはり妙な緊張感が残っている。

 アーキスが扉を開けて部屋へ入るのに続いて、エリンスとアグルエも部屋へと入った。アグルエの肩より顔をのぞかせたツキノが一早くぴょんっと跳び下りて、女性が横たわるベッドへと駆け寄った。

 バンドルは隣の部屋で治療を受けているらしい。部屋の中には横たわる女性の他に、ベッドに腰かけたエノルがいた。部屋の中にはその二人きり、治癒士の姿もない。人払いがされており、部屋を守るようにカンバルクが立っていたことがエリンスの覚えた緊張感と違和感の正体だ。


 毛布に包まれた女性は、寒さに震えるようにしてベッドの中で縮こまる。美しい銀色の長い髪が枕元には溢れるようにして広がっていて、白い肌は真っ赤に染まる。汗の浮かぶ額に、熱にうなされて表情は苦悶に歪む。

 女性の枕元に立って心配そうに見つめたツキノに、アーキスはその顔を見て「やはり」と頷いた。


「どうして、あんたたちが部屋に……人払いはされているはずなのに」


 エノルは部屋へ入ったエリンスたちのことを気まずそうに見つめて、顔を逸らす。

 アーキスが逃がさないようにその視線を追って、エノルの肩を掴んだ。


「エノル・アンダルスだろう。同じ勇者候補生として、話を聞かせてくれ」


 エノルはびくりと身体を震わせたが、覚悟を決めたようにしてアーキスの顔を見やる。

 目を合わせた二人。アーキスは逃がさないようにと続けて問いただした。


「その方は、シルメリナ・ラースア・レンムドル。ラーデスア帝国の皇女様、だろう?」


 エノルは肩を掴まれたままもう一度顔を逸らしたが、小さくこくりと頷いた。

 その名を聞いて、エリンスももう一度苦しむ女性――シルメリナの顔を見た。


 ここで眠っているのが、行方不明になったはずのラーデスア帝国の皇女様だった。つまりは、シドゥの妹ということになる。エノルがその皇女様と一緒にいる――エリンスもそこに何か、理由があることはすぐにわかった。

 だが、それを聞こうとする前に、口を開いたのはシルメリナの顔を見つめ続けていたツキノだった。


「……妙じゃ」


 珍しく神妙な顔つきで言葉を零したツキノに、アグルエも不安そうな顔をしながら寄って声をかけた。


「どういうこと? ツキノさん」


 ツキノは小さく頷くと、厳しい言葉ではっきりと断言した。


「このむすめ、もう長くは持たんぞ」


 その言葉を聞いて、アーキスも力が抜けたようにエノルから手を離す。

 ハッと息を呑んで顔色を変えたエノルは、シルメリナが眠るベッドに縋るように膝をついて寄った。


「ツキノさん、どうして?」


 アグルエが瞳を潤ませて聞くと、ツキノは部屋を見渡すように首を振ってこたえた。


「アグルエなら感じるじゃろう。この部屋に満ちる妙な魔素マナの流れを」


 エリンスはアーキスと顔を見合わせるが、彼は首を横に振る。元よりそういったことがエリンスにはわからないが、アーキスにもわからないらしい。

 ただ、アグルエは「うん」と静かに頷いて、部屋の天井辺りを見渡した。


「……さっきから、押し潰されそうな不安が渦巻いてる」


 それはエリンスが宿屋に入ってから感じていた妙な緊張感でもあったのだが、アグルエには目に見えるほどに感じることだったらしい。

 シルメリナの苦しそうな顔を見やったアグルエが、「その中心が、皇女様だ」と呟いた。ツキノはそれを聞き、「うむ」と頷いて説明を続ける。


「過剰に生成された魔素マナで、身体が持たないのじゃ。人間の魔導士の間では、魔力過剰オーバーフローと呼ばれたこともある。魔素マナを過剰に溜め込みすぎて、己の限界値を超えると起こる中毒症状のようなものよのう。普通、人間はそうならないように、自律神経で魔素マナをコントロールできるはずなんじゃが……」


 心配そうにしながらも考え悩むようにするツキノに、エノルは呆然としままこたえた。


「姫様は生まれながら、そういう体質なんだ……助からないのか……?」


 蒼白とした表情でツキノのことを見るエノルに、ツキノは目を伏せて小さく頷いた。

 だが、それを聞いてエリンスは疑問を呈した。


「生まれながらの体質って……じゃあ、今まではどうしてたんだ?」


 シルメリナの年齢は見たところ、十五かそこらだろう。生まれつき過剰に魔素マナを生成する体質なのだとしたら、これまではどうにかしていたはずだ。何か救う手段があるはずだ――とエリンスは考えた。

 アグルエも「うん」と頷いて、エリンスの考えに同意してくれる。


「……城にいる間は、装置が守ってくれていたんだ」


 エノルがぼそりと言った言葉に、エリンスは考える。

 装置と聞いて思い浮かぶのは、古代魔導技術ロストマナだ。魔力を抑える効果があるものがあったのだろう。だが、今、最前線となっているこの町にそのようなものは存在しない。


「それも妙な話じゃのう……体質、のう」


 妙にらしくもなく口を出してくるツキノに、エリンスも引っかかりを覚えた。


「ツキノ、何かあるのか?」


 そこに理由がないはずもない。ツキノは尻尾をゆさりと振ると言葉を続けた。


「人が魔法をまだ正しく扱えなかった太古の時代には、そういう者が産まれることもあったと聞く。だがのう、魔力過剰オーバーフローの話も、この200年は聞くこともなくなったような話のはずじゃぞ」


 エリンスも聞いたことがない話だった。書籍にも残らないようないにしえの話なのだろう。エノルも『持病』としか聞いてない話だったようで、その場にいる誰もが知らなかった話らしい。

 妙な話――とツキノは言い続けることも気になるが、話を聞いていたアグルエが毛布の中へ手を入れて、熱にうなされたシルメリナの手を取った。


 シルメリナが纏っている薄い絹のローブにも汗がにじみ、苦しそうな様子が見ているエリンスにも伝わってきている。エリンスがどうしようもできない無力さを感じている間にも、アグルエはシルメリナの手を両手でぎゅっと握り込んで、祈るようにして額に合わせて目をつむる。

 その手の中で合わせるように握られているのは、アグルエが首から提げている『漆黒の魔封』と呼ばれるペンダントの宝石だった。

 アグルエが何をしようとしているのか――ツキノでさえも、目を見張っていた。


魔素マナを吸い出そうとしているのか?」


 アーキスが驚いたように口にした言葉に、アグルエはこたえず祈り続ける。

 アグルエの胸のうちで小さな黒き炎の灯る様子が、エリンスには見えた。


――想いに、こたえる。


 エリンスも呆然と見つめてしまったが、黒き炎はアグルエの想いにこたえる。

 そうやって漆黒の魔封を通して、シルメリナが過剰に生み出し続ける魔素マナを、アグルエ自身が吸収しているのだ。魔族がそういったことをしている姿は、エリンスも度々見てきた。だが、そんなことをすればアグルエに負担がないはずがない。

 次第に顔色が落ち着いてくるシルメリナに対して、アグルエは手を握り込みながら願うように祈り続けていた。


「……その手があったか。じゃが……これは、アグルエの優しさかのう……」


 珍しく呆然としたツキノにアグルエは目を開けて微笑んだ。


「助かる命があるならば、わたしは力を使うことをいとわない」


 シルメリナの顔色は、落ち着きはしたもののまだ赤い。熱が引いたわけではないのだろう。

 落ち着いたシルメリナの顔を呆然と見ていたエノルは震えながらも口を開いた。


「……本当に、ありがとうございます」


 ベッドを――眠るシルメリナを挟んで深々と頭を下げたエノルに対して、アグルエは笑って、両手でシルメリナの手を握って祈り続けた。


「ううん、どうにかなりそうで、よかったよ」


 アグルエが優しく微笑むのを見て、エリンスも「よかった」と心底安心してひと息吐いた。アグルエにも特に目立って、心労があるわけでもなさそうだ。

 だが、険しい表情をしていたのはアーキスだ。


「……エノル、話を聞かせてくれないか」


 現状は落ち着いたが、事態がはっきりしたわけでもない。アーキスは静かな眼差しをエノルに向けて、エノルは頷いてから立ち上がる。


「わかった。でも、場所は変えさせてくれ。ここでは、姫様の身体に障る」


 エノルも万全な調子ではないだろう。だが、颯爽と薄い色をした赤い髪を払って部屋を出ていった。アーキスもその返事を聞いて、エノルについて部屋を出ていく。

 エリンスも後を追おうとしたのだが、アグルエは未だベッドの横に膝をついたままシルメリナの手を握っていた。


「話、聞いてきて。わたしはもうしばらく皇女様のこと見てるよ」


 優しい声で微笑むアグルエに、エリンスも「あぁ」と静かに返事をする。ツキノも返事をするように尻尾を振って、アグルエの肩の上に跳び乗った。

 エリンスは安心してその場は二人に任せることにした。


「聞いてくるよ」


――それが、アグルエの持つ『優しさ』であり『強さ』か。


 エリンスはツキノの言葉を思い返し、微笑み返して――先をいった二人を追いかけて、部屋を出た。

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