第190話 陥落せし帝国

「皇帝を殺したのは、魔族軍なんかではない。皇子だ」

「なっ」と思わず声を零したアーキスの横で、エリンスとアグルエも驚き目を見開いた。


「突如、闇から現れるようにして押し寄せた魔族軍に、帝国も遅れはとったものの、一方的な戦陣を敷いたわけでもなかった。しかし、裏切り者は内側にいたのだ……。皇帝の死から事態は一変した。内も外もとなっては、帝国騎士団の手に追える事態ではない」


 そう聞いてしまえば、エリンスにも現場の混乱は想像が容易い。それこそ惨状だ。


「相手にしなければいけないのは、皇子だったのだから。きみらも聞いているだろう、裏切り者の勇者候補生の話は」


 セレロニア公国、祭典のあの場で姿を見せた勇者候補生――それは他ならない、ラーデスア帝国、皇帝の血を引く皇子。


「シドゥ・ラースア・レンムドル」


 エリンスがその名を口にすると、カンバルクは静かに頷いた。


「あぁ、シドゥ様だ。あの方はセレロニアにいたのだろう? だが、いつどうやって戻ってこられたのかわからないが、ラーデスア城に戻っていた」


 エリンスとアグルエはその話を聞いて顔を見合わせる。

 祭典のあの場、幻英ファントムと共に姿を見せたシドゥは、あの舞台・・・・から一早く降りていた。

 セレロニアの登壇からラーデスアを魔族軍が襲うまでに、それほど時間の空きはない。それを考えるとあの時点で幻英ファントムは、シドゥを動かす計画を立てていたのだろう。

 シドゥと共に姿を消したのは、闇招あんしょうの魔王候補生シャルノーゼ・ラン。彼女は闇の中をどんな距離であろうと移動できる転移魔法、闇の門イレギュラー・ゲートを持つ。『印』を残した場所へなら、どこへだって移動することができるとアグルエは言っていた。

 セレロニアでああして四人が並んでいたのは、世界へ宣告し印象付けるための幻英ファントムの策。

 おかげで幻英ファントムへと勇者協会の注意が向き、セレロニアへ意識が集中した。幻英ファントムはそうすることで、裏でシドゥとシャルノーゼが動きやすいようにしたのだ。


「皇帝が殺され、指揮系統も乱れた。ラーデスアの堅牢な守りも皇子と一人の魔族によって内側から破壊・・された。そして、押し寄せた大群は、ラーデスアの町と城を占拠し、蹂躙じゅうりんした。共に戦った協会職員も、国民も……騎士団長も、他の部隊を率いた部隊長らも、戦いで散った」


 目を伏せるカンバルクは、悔しそうに震わせた右手を握ると静かに机に叩きつける。


「どうして、俺だけが生き残って……」


 そう小言を零したカンバルクに、エリンスたちはかける言葉を見つけることができなかった。

 だが、考えれば考えるほどに、エリンスとしては幻英ファントムたちの動きが気にかかる。


「一体、何が目的なんだ……?」

「シドゥと一緒にいた魔族……シャルが軍を引き込んだんだ……」


 エリンスとアグルエは顔を合わせて考え込む。

 そんな風にした二人へと目を向けたカンバルクが口を開いた。


「知っておるのか……。いや、そうだな。だから、おまえさんたちの顔つきは、並の勇者候補生とは違って見えたのか」


 カンバルクは納得したように頷いて、「覚悟を決めた顔をしている」と二人に向けて言う。エリンスとアグルエが、ただならないモノを追ってこの地にきたことまで悟ったのだろう。


「メルトシスの行方と、関係があるのですか?」


 そこまで黙って考えるように話を聞いていたアーキスが顔を上げると、改まって頷いたカンバルクがこたえた。


「ラーデスアに、ファーラスへ送った使者たちは帰ってこなかった。辿り着く前に、あの混乱だったのだろう」

「そう、ですか……」


 静かに首を横に振るカンバルクに、アーキスも言葉がつかえたようにしながらも頷いた。ただ、カンバルクは真っすぐな瞳を向けて話を続ける。


「それにな。ラーデスア側でも皇女様が行方不明になっている」


 殺されたわけでもなく、『行方不明』。帝国の惨状を考えると、カンバルクがそう明言することにエリンスは引っかかりを覚える。


「行方不明、ですか」


 アーキスも引っかかったらしい。


「それ以上のことは、こうなってしまってはわからないが、今もなお行方はわかっていない」


 メルトシスと同時に行方不明になった皇女。何かしらの手がかりを握っているのかもしれない。


「はい……話をしてくださりありがとうございます」


 深く頭を下げたアーキスに、居心地悪そうな顔をしたカンバルクは椅子から立ち上がる。


「なーに、俺に話せることなど……。俺に残されたのは……最前線ここを守り通すことくらいだろう」


 曇った窓ガラスを手で拭いて、外を眺めるカンバルクはエリンスたちに背を向けた。

 まだ守るものを失い切ってはいない騎士の背中――騎士の誇りである鎧の背にも、多くの傷が残っている。


「この町は、人間おれたちの最終防衛ラインだ。川の向こう、ラーデスア雪原の先は魔族に支配された。魔族やつらは恐ろしく、強い。ほとんど虐殺同然の皆殺しだった」


 それでも恐れず、己の任を全うする――カンバルクは背中で語り続ける。


「こうして帝国騎士団おれらが生き延びたのも、魔族らが何らかの指揮の下で動いていたからに過ぎないのは明白だ。この町だっていつ襲われるかわかったものではない」


 アーキスはカンバルクの言葉を受け止めて頷いた。


「……町の人たちも、まだ残っていると聞いています」


 エリンスたちも見てきたところだ。寂しくなってしまった町並みだろうけれど、そこに残った人々はまだこのプレシードの町で生きている。


「帝国は陥落し、王城は瓦解した。皇帝は死に、皇子は裏切り、皇女は行方不明。それでも、帝国を信じて俺たちについてきてくれる国民がいることを、俺は知った」


 声を震わせるカンバルクの背中に、アグルエも蒼い瞳を潤ませて話を聞いていた。


「この年になって、涙もろくもなってるのかもしれねぇ」


 カンバルクは右腕で顔を拭う。

 アーキスもなんと声をかけようか迷ったようだが、意を決したように口を開く。


「ファーラス勇者協会責任者、赤の管理者リィナーサ・シャレンより言伝ことづてを預かっています」

「……なんだ?」


 顔を窓の外へ向けたまま、カンバルクは静かに返事をした。


「『このままでは終わらせない』と。それは、俺たちの意志でもあります」


 横に並ぶ二人へと顔を向けるアーキスに、エリンスもアグルエも力強く頷いた。


「ファーラス騎士団と勇者協会は、ラーデスアの人たちの避難経路を整えて、プレシードのことも考えています。そのためにも、俺は自分自身の任を全うします。俺はそのために、あなたが話を聞いてくれるところまでだって、こうやって踏み込みます」


 力強く胸を張るアーキスに、カンバルクは肩を揺らして小さく笑った。


「勇者候補生として、か。やっぱり……あのときの小坊主が、生意気言うようになったじゃねぇか」


 それで話は終わりだった。

 鼻をすすって笑うカンバルクに、アーキスも「ふぅ」と息を吐いて力を抜く。


「宿に空いている部屋が一つある。エリンスとアグルエも、そこを使ってくれ」


 カンバルクが認めてくれたということなのだろう。そもそも認めてもらえていなければ、両国間での話をエリンスたちが聞くこともなかったことだ。

 アーキスも伝えたいことを伝えられたらしい。話が早い、とアーキスは頭を下げて部屋を後にする。


 エリンスたちも「ありがとうございます」とひと言だけ残して部屋を出た。

 その際もカンバルクは傷が残る背を見せて、静かに窓の外を眺めていた。だが、満足そうに目を細めて笑ったカンバルクの横顔を、エリンスは見逃さなかった。



◇◇◇



 大聖堂を出たところで、エリンスはすっかり夜の冷え切った空気に身を震わせた。ラーデスア特有の寒気が余計に身に沁みる。

 前を歩いていたアーキスが立ち止まったのにつられて、エリンスとアグルエも足を止める。振り向いたアーキスが提案するようにして口を開いた。


「エリンスたちにも都合はあるだろう。だけど、先遣隊が帰ってきたら、黒の軌跡の調査に同行してはもらえないか?」


 ベルムトへ向かったマリネッタたちのことも心配ではあるが、必ず合流するという約束はしてある。

 ならば、今やるべきことが何なのか。エリンスもずっと考えて、こうして話を聞いて、結論は出したところだ。

 元よりエリンスたちの目的も黒の軌跡の安否調査だ。その後ベルムトへ戻ってマリネッタたちと合流すればよい。


「もちろんだ。そのつもりできたわけだし、こちらこその願いだよ」

「助かる」と笑ったアーキスに、アグルエも「うん」と笑顔でこたえていた。


「また明日、先遣隊が帰還したら方針を決めよう」


 アーキスのひと言を合図に、その日は一度別れることにした。

 アーキスが勇者協会へ向かっていく背中を見送って、エリンスとアグルエはその足でカンバルクに紹介を受けた宿屋へと向かうことにした。

 戦いのことが尾を引いている部分もあり、アグルエにも疲れの表情は見えていた。一度食事と休憩は取れたものの、しっかり休めたとも言えないところだったので無理もない。


 エリンスとアグルエが宿の一つを訪れると、そこもまた常時とは違った空気に包まれていた。この緊急時であれば旅人など訪れもしない。受付カウンターに宿屋の店主はおらず、ロビーにはござを敷いて、そこらで寝転がる騎士や町人の姿があった。

 疲れた顔をするエプロンドレスを着る治癒士(治療魔法専門の魔導士)が数人控えていて、手帳や杖の類を手に何やら深刻そうな顔を合わせて相談をしている。

 傷ついたり苦しそうだったり、寝転がる人々の表情にも苦悶の様子が見て取れる。この事態では町の病院も足りていないのだろう。医師と思われる責任者の治癒士が管理して、宿は病院として機能しているようだった。


 少し申し訳なくもなったエリンスだったが、治癒士の一人に声をかけると「話は聞いています、どうぞ」と部屋の一つに案内してくれた。

 木製のベッドが二つ並ぶだけの簡素な部屋ではあったが、この事態で休める場所があるだけありがたい。エリンスとアグルエはそれぞれベッドに腰を下ろしてひと息吐いた。

 目を伏せて深くため息を吐いたアグルエに、もう一度立ち上がったエリンスは声をかけた。


「何か、炊き出しでももらってこようか?」


 ただそう聞いたところで、アグルエは目を伏せたまま首を横に振る。


「……ううん、いい。食欲もなくなっちゃった」


 しょんぼりとし続けるアグルエに、その膝の上でツキノは丸くなってアグルエの顔を見上げていた。

 ぱっちりと目を開けたものの悲しそうな顔をしたアグルエは、ツキノの背中を撫でる。


「まあ、あんな話を聞いてしまったらのう」


 話し合いの場では黙り込んでいたツキノだったが、元魔界あちら側にいた者として考えさせられることがあったのかもしれない。アグルエはこくりと小さく頷くと、ツキノの背中を撫で続けた。


「ラーデスア帝国の現状を、こうも目の当たりにするとな……」


 エリンスとしても納得してしまう。タンタラカで話に聞いたときとはまた違う想いが胸を締め付ける。

 エリンスは立ったまま、しょんぼりとしているアグルエのことを見つめていた。そうしているとタンタラカでマリネッタに言われた話を思い出すのだが、この状況ではなおさら聞きづらいな、と思い返す。


「……まあ、よかったこともあった。アーキスとここで出会えたのは大きい」


 だから明るい話題に切り替えようと口にして、アグルエも顔を上げて「うん」と頷いてくれた。


「まあ、町も無事だったようだしのう」


 ツキノもその点については安心したようだった。

 その日は疲れが祟っていたのだろう。皆口数も少ないまま、エリンスもベッドに寝転がるとすぐに眠気が襲ってきた。

 エリンスがうとうととしたところで、隣のベッドでは横になったアグルエも寝息を立てはじめる。

 丸まったツキノも目を閉じていて、エリンスもそれにつられて目を閉じたところ、あっという間に眠ってしまっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る