第189話 帝国騎士最後の希望

 エリンスとアグルエはアーキスに連れられて、町の中心地にある大聖堂へと踏み入った。

 大きな両開きの扉を越えれば、三階まで吹き抜けとなった大聖堂の本堂大広間が出迎えてくれる。

 天井の一部もステンドグラス張りになっており、本堂正面にはサークリア大聖堂で見たものに似ている勇者を象る立派な色ガラスがはめられている。七色の光に囲まれるようにして、白き剣を携える人型を模したもの――200年前に現れた勇者を象徴するものだ。


 エリンスとアグルエはステンドグラスを見上げて足を止めた。月明かりもないために、どこか悲しげに松明の灯りに照らされる。

 そうして辺りを見渡してみれば、祈りを捧げる場であろう大聖堂も本来の用途通りには使用されていないらしい。普段ならば参拝者が腰かける大広間の長椅子の上には、鎧やヘルムといった防具の類が置かれており、立て掛けられている剣や槍などの武器も目立つ。大聖堂は騎士たちの詰め所の一つとして利用されているようだった。


 この町の象徴たるプレシード大聖堂は、厳かな雰囲気は残しつつも、しかし、町並みと同じく寂れていた。

 そんな中を歩くアーキスについて、広間より逸れ、横に伸びる長い廊下へと向かう。その脇にある階段で二階へ上がれば、さらに伸びた廊下には部屋が立ち並ぶ。本来であれば大聖堂に務める神官のための執務室だったり応接室だったりするのだろうが、今は神官の姿は一人もない。

 床に腰かけて鎧を着たまま壁に背中を預けて眠るのは、目を閉じてもなお疲れた顔を残す騎士たちだ。騎士が十分に休むための部屋の用意すらままならない現状が垣間見えて、エリンスも息を呑んで廊下を進んだ。


 起こさないようにと静かに歩く二人を先導したアーキスは、とある部屋の前で足を止めた。

 大聖堂の広間の一つが作戦本部としても活用されているらしく、さらにその隣に併設される執務室が騎士団長代理のための部屋として用意されているようだ。

 ドアを静かに手の甲で叩いたアーキスに、部屋の中から「入ってくれ」と渋みが聞いた男性の声が響いた。

 アーキスがドアを開けて部屋へ入るのに続いて、エリンスとアグルエも並んで入った。


 執務室のデスクにどかりとついている声の主は、物静かな双眸そうぼうを向けて三人の候補生を出迎えた。

 見たところ年齢は五十くらいだろうか。体格がいい男性だ。くすんだ肌に、額に黒鉄の鉢金を巻き、鉢金から垂れ下がる明るいグレー色をした傷む髪。顎には無精髭。頬に残る切り傷の後。皴が伸びる目尻に、だけれど、瞳に宿る光は失われていない。

 その力強い眼差しが三人のことを値踏みするように見定めており、アーキスの横に並んだエリンスも少し怯んだ。


 200年の歴史を持つ帝国騎士団を支え、歴戦を越えてきた副団長。その威厳は帝国が墜ちた今も、まだ残る。

 カンバルク・レンムドル。アーキスは『帝国騎士最後の希望』と言っていた。それは、その通りなのかもしれない。

 身につけた黒鉄の鎧はところどころ傷つき剥げたり欠けたりしており、左腕を守る籠手ガントレットは装備されておらず、代わりに骨を固定するための包帯が巻かれている。その風貌から察するに、エリンスたちからは見えないところにも怪我を負っているようだ。

 魔族軍と戦い、生き残った。その犠牲は、大きかった。


「ご無沙汰しております」


 と、アーキスが頭を下げても、カンバルクは口を一文字に閉じたままエリンスたちのことを見定める。

 レンムドル――その名が示すのは、皇帝の血筋。ラースアのミドルネームがないことを考えると、直属直結ではないのかもしれない。エリンスたちが一度会っているレンムドルの名を持っていたシドゥとはどういう関係かがわからないところではあるが、どこか面影もある気がした。


 頭を上げたアーキスは、何もこたえないカンバルクに困ったように続ける言葉を探して視線をさまよわせる。

 そんなアーキスの顔を見たカンバルクは、目を細めて「くくか」と声を零した。


「かっはっは、小坊主こぼうずがいっちょ前の顔つきになりやがって」


 カンバルクは深刻そうな顔つきから一転、親戚のおじさんが久しぶりに会う子供に見せるような馴染みやすい顔を浮かべて大きく笑う。


「おまえさんの噂はラーデスアでも聞いてるわい」

「そちらこそ、ご無事で何よりです」

「はんっ、ただ生き残ってしまっただけだな」


 右手で無精髭を撫でるようにするカンバルクは、続けてアーキスの横に並ぶエリンスとアグルエへ細める目を向けた。


「そっちは?」


 アーキスは手で指し示すようにして、エリンスとアグルエのことを紹介した。


「志を共にする仲間です」


 すかさず二人は軽く頭を下げて自己紹介を続ける。


「エリンス・アークイル、勇者候補生です」

「その同盟パーティーのアグルエです」


 顔を上げた二人を見やったカンバルクは「そうか」と深く一度頷いた。


「仲間ってのは、心強いもんだ」


 目を閉じてしみじみと頷き繰り返すカンバルクに、エリンスは呆気にとられる。

 帝国騎士団――ラーデスアに仕える黒鉄の騎士は、もっと鉄のように冷たく皇帝のために命を捧げるものだと思っていた。厳しい戒律の元に騎士としての名を上げることがラーデスアに仕える帝国騎士団の信条だ、と遠く故郷にいたときにも耳にしたことはある。


「カンバルクさんは、昔から変わり者だったんだよ」


 エリンスの表情を見たアーキスは、呆れたように笑ってそう言った。


「二人は、知り合いなのか?」


 昔から――と言うのだからそうなのだろう、とエリンスもアグルエも思ったが。アーキスの父親はファーラス騎士団の騎士団長。ラーデスア帝国の騎士団とは相反するもののはずだ、とも思った。

 アーキスは「あぁ」と頷いてからこたえてくれた。


「まだ、今ほど両国の関係が崩れていなかったとき、父上に連れられて、ファーラスとラーデスアの騎士団合同演習の見学に参加したことがあったんだ。そのときに、カンバルクさんにはかわいがってもらったよ」

「かっはっは、物は言いようだな。ただ、まあ、そういう時代もあった、というだけの話だ」


 カンバルクは大きく笑うと、だけど、寂しそうに視線を落とした。

 そこにはエリンスが計り知ることのできないものがあるのだろう。


「小坊主、親父さんに伝えておいてくれ。そっちの騎士を貸してくれて、感謝しているってな」

「それは直接言ってやってください」


 アーキスなりに便宜を図った返しだったのだろう。だが、カンバルクは気難しそうに顔を背けて目を伏せる。


「今更……守るものを失った騎士が、どの面下げて会えると思うか?」


 何か想いを胸のうちに堪えるような表情だ。吐き出されたカンバルクの言葉の重さに、エリンスもアグルエも固唾を呑んだ。

 ただ、アーキスは真剣な顔つきで、目を伏せるカンバルクのことを見つめている。


「……最前線で、死ぬつもりですか」


 騎士としての誇り。守るもの――。

 やはり、エリンスには計り知れない重みを持った眼差しを向けて、カンバルクは顔を上げた。


「小坊主、そこに踏み込む覚悟があるか?」


 暗く重い眼差しにアーキスも言葉を断った。

 気まずい空気に、エリンスは握った拳のうちでじんわりと汗も感じる。

 だが、重苦しい空気を断ち切るように口を開いたのは、そう言いながらも本題へと移りたそうにしたカンバルクだった。


「で、どうしたんだ、その小坊主が。勇者候補生様がこの地に何の用だ」


 アーキスもカンバルクに合わせて気持ちを切り替えたのだろ、ひと息呑んでから返事をする。


「……黒の軌跡の調査にきました」

「それは先について発った先遣隊せんけんたいから聞いている。だが、おまえさんは、直接俺に聞きたいことがあるんだろう?」


 ずばりといった調子で鋭い視線を向けるカンバルクに、アーキスも「はい」と素直に頷いた。


「メルトシスの行方を追っています。あいつは、この町からラーデスアへ向かって消息を絶った。事態がこうなる前も、あなたは最前線にいたはずだ。会いましたか?」


 カンバルクは静かな眼差しを向けて、「うーん」と唸り声を上げて悩んだ。

 再び緊張感を呑み込むように喉を鳴らしたアーキスに、エリンスとアグルエもカンバルクの返事を待つ。


「……和平の締結だったか。話もまとまりかけていた、と俺も皇帝直属から聞いていた」


 ファーラスとラーデスア、両国間の表に出てこない事情の話。

 エリンスは聞いていていいものか、と二人の表情をうかがっていたが、アーキスもカンバルクも気にせず話を続けた。


「はい。ラーデスア側の使者にメルトシスも同行していた。それが、ラーデスア側の出した条件だった」


 アーキスの返事にカンバルクも頷く。


「あぁ、そうだ。ファーラスの子息とラーデスアの子女、うちの場合は皇女様だったわけだが。直接の顔合わせで条約を結ぶことが、互いに出した条件だったな」

「皇女様は身体が弱いと聞いています」


 そのためにメルトシスたちファーラスの一団はラーデスア帝国を目指していたのだろう。傍から聞いているエリンスとアグルエにも話が呑み込めてきた。


「そんな折だったというわけですか。ラーデスアに魔族軍が現れたのは……皇帝も亡くなったと聞いています」


 アーキスが時系列を追って口にしてくれたことで、エリンスにも何が起こったのかはわかりやすい。

 両国間で結ばれるはずだった和平の条約は、白紙に帰った。ラーデスア帝国の陥落――事態がどうなったかは、現状を見れば明らかだ。


「……おまえさんだから、話す。エリンスとアグルエだったか、きみたちも、他言はしないでくれ」


 アーキスの言葉に頷いたカンバルクは、机の上に右肘をついて鋭い眼差しを向けてくる。

 元より他言するつもりもなかったエリンスとアグルエではあったが、念を押すようにしたカンバルクに、「はい」と頷いた。

 緊張感を伴って、二人の返事を聞いたカンバルクが話を続けるのだった。


「皇帝を殺したのは、魔族軍なんかではない。皇子だ」

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