第188話 雪上の運命交差
エリンスとアグルエが川沿いを進むこと半日ほど。歩きづらい岩場は手を取り合い越えて、ときにはアグルエが翼となって空を行き、二人は体力が許す限り時間の短縮も図った。
そうこうしてただでさえ薄暗かった灰色の空がいよいよ暗くなりはじめたところで、二人の行く手に町が見えてきた。位置関係はエリンスが見込んだ通りだったらしい。
上空で薄い水色の輝きを放つ
エリンスは横に並んだアグルエと顔を合わせて、目的地にしていたプレシードの町へと駆け足で向かった。
だが、近づくにつれて町の様相がおかしいことにも気がついた。
城壁の外に置かれたバリケードの数々が目立つ。木製の板や大きな机に有刺鉄線を巻いて、外敵の侵入を防ぐように構えられている。土魔法により地面が捲れ上げられ、盛り上がるようになった頑丈な土の壁も形成されている。
門番の役目をしているだろう衛兵が町の入口に二人。城壁の内側にある見張り塔の上でも、二人の衛兵が常に目を見張っていた。
結界装置は未だ機能しているというのに厳重な警戒態勢だ。
衛兵たちの鎧の色がちぐはぐなところも気にかかる。白銀の鎧と黒鉄の鎧の二色が入り混じって、しかし、皆一様に意識は一つに町を守っているのがひと目してわかった。
常時であるならば、騎士団というものは揃いの鎧に身を包み意識を統一しているもののはずだが、それに関しても余所者であるエリンスでも悟ることのできる部分がある。
白銀の鎧といえばファーラス騎士団が一番に思いつく。対して、黒鉄の鎧といえばラーデスア帝国騎士団の象徴だ。
――生き残った兵士たちが集まっているのか……。
エリンスが神妙な面持ちで足を止めていると、顔をのぞき見ているアグルエの視線に気がついた。
「とりあえず、町は無事みたいだな」
最悪の事態を考えるならば、プレシードが魔族に滅ぼされている可能性もあった。
詳しい状況はわからないが、人がこうして生活を続けていることに安心感は覚える。
アグルエとツキノも「うん」「うむ」と安心したように頷いてくれて、エリンスも「よかった」とひと息吐いた。一晩くらい休むことはできるだろう。
エリンスたちはバリケードを避けて町へと近づいて、門番をしている衛兵の一人に声をかけた。
「すみません、勇者候補生です。旅の途中に寄ることになって……」
「おぉ、また勇者候補生様が応援にきてくださった!」
白銀の鎧を着たおじさんが頭にかぶっている
「どこか休める場所を借りることはできますか?」
こうした緊急事態では宿も開いてはいないだろう。だが、エリンスがそう訊ねたところで、おじさんは気前よく返事をしてくれた。
「町の中心地に避難所がある。そこで勇者協会の職員も協力してくれている。そっちを訪ねてみてくれ」
外した
快く入れてもらえたことはありがたい。ただ、開けたプレシードのメインストリートに町民の姿はない。時間帯もあったのだろうが、全体的に明かりが消えた民家が立ち並び、商店にしたって正面ドアは板張りされて封鎖されている。申し訳程度に灯る松明が道を示してくれて、街灯の
道行くのは白銀の鎧と黒鉄の鎧を着た衛兵。それにしたって数がそれほど多いわけでもない。国境の町ベルムトが最前線かと思っていたが、位置関係を考えると、この町こそが最前線として機能しているのだろう。そう考えると、兵士の数も余計に少なく感じた。
アグルエは不安そうに町並みを見て歩き、「寂しいね」と小声で零す。その肩から顔を出すツキノも、「ふむぅ」としょぼくれたような声を零した。
「また、って言っておったのう」
先ほどの門番の言葉だろう、エリンスも頷いてこたえる。
「あぁ、言ってた。勇者候補生が滞在しているのかもしれない」
そこには少しの期待感があった。ラーデスア帝国、延いては黒の軌跡への立ち入りは禁止されているはずだ。通常の勇者候補生ならば、プレシードに近寄ることもない。
そう考えながら道を進んだところで、メインストリートの突き当り、町の中心部へとぶつかった。
高く建つのは、雪上の町プレシードを象徴するプレシード大聖堂。三階建ての白色の建物に、広場に面した表には大きなステンドグラスがはまっている。かつては何かを祀るための場所であったらしいが、今は勇者の伝説が刻まれている。
大聖堂の横にはこれまた目立つ位置に勇者協会が構えられていた。
門番の衛兵も言っていたが、そこまで辿り着けば人の気配もあった。町の中心地ではテントがいくつも建てられており、炊き出しや医療に携わる魔導士の姿まで見えた。
炊き出しをしているテントには数十人の町人が列を作って待機している。
「避難所、か」
「うん……でも、力強い」
アグルエがそう頷いた言葉に、エリンスもそこにいた人々の顔を見やった。
皆疲れた顔をしているが、それでも一生懸命に生きている。
炊き出しの列を避けて通る二人の耳に、列に並ぶ男性たちの声が聞こえてきた。
「白騎士がこうもうろついてると、どうも落ち着かないよな」
「駐在されているカンバルク様が決めたことだよ」
「けどよぉ、また白騎士と黒騎士が喧嘩したって、さっきも騒いでたぜ」
「仕方ないって。この状況で結託しただけなんだから。力を貸してくれるだけありがたいと思わなきゃいけないさ」
どうも町の中も平和とはいかないらしい。町全体を包むようなピリピリとした空気感は、魔族軍が近いからというだけの話でもないのだろう。
ファーラスとラーデスアは少し前までは険悪だった。敵同士だったようなものだ。そう考えれば無理もない。現場には混乱もある。
そうして、エリンスたちは町の状況を見ながら勇者協会へと向かった。
勇者協会も薄暗く灯りが落とされていて、テーブルの類も外に出されているためだろう、だだっ広く寂し気な雰囲気が漂っていた。職員の数も少ないように見える。
最前線となっていては
「あっ! あれ!」
ずっと不安そうな顔色をして俯いていたアグルエだったが、それを一早く見つけて嬉しそうな声を上げた。エリンスもそうして伸ばされたアグルエの指先のほうへと目を向ける。
ローブを着た職員の男と話をする一人の男が目に留まった。
片目が隠れる程度の長さの黒髪に、額に光る金色のサークレット。
整った顔立ちに、先を見据えるような涼しいダークブルーをした瞳。
白銀の
「アーキス!」
エリンスが声を上げると、腕を組んで真剣な面持ちで俯いていたアーキスが顔を上げた。
随分と話し込んでいるようだったが、邪魔をしてしまったか。声を上げてからエリンスが反省したところで、アーキスも手を上げて駆け寄ってきた。
「どうして、こんなところに!」
驚いたようにしながら声をあげつつも、二人の顔を見比べて笑顔で拳を出すアーキスに、エリンスも拳を作ってぶつけてこたえた。
「話せば長くなるんだが、いろいろあって!」
「それよりよかったの? 何か話してたんじゃ……」
アグルエがその点を心配したように口にしたところで、アーキスは「あぁ、平気だ」と笑ってこたえてくれた。
「二人に会えて嬉しいんだ」
「わたしもだよ、アーキス」
アグルエも笑顔で頷く。
「立ち話もあれだろう、ちょっと話をしよう」
察しが早くて助かるところだ。エリンスが頷いて返事をすると、アーキスは勇者協会の中に併設されていた酒場の席へと案内してくれた。
酒場のテーブルの類もほとんどが外へと持ち出されているのだろう。がらんとして何もなく、灯りも消えていたため営業されていないこともわかったのだが、残っていたテーブルの一つについて、二人はアーキスと顔を見合わせた。
机の上に置かれている
その光を見て、エリンスもようやくひと息つけた気がして、アグルエの肩の上から跳び下りたツキノも「ふぅ」と尻をつけて座り込む。
「最前線にいけば会えるかもって思ってたけど、ここで会えるなんて」
エリンスが正直な気持ちを口にしたところで、アーキスも笑顔で頷いた。
「それはこっちのセリフだ。こんなところで二人に会えるとは思わなかったさ」
それだけでただ事ではないと悟ったのだろう、アーキスは真剣な眼差しを向けてきた。
エリンスとアグルエは目を合わせて頷き合う。アーキスには事情を全て話したほうがいいだろう。
「こんなところまできた訳があるんだろう?」
「あぁ、実は――」
アーキスにそう聞かれたところで、エリンスはこれまでの事情を全て話した。
タンタラカで相談したことを。魔竜に乗ってベルムトを目指していたことを。
アーキスは信じられないことを聞いたという顔をしていたが、エリンスとアグルエの話を信じてくれた。
「マリネッタたちも一緒にきたってことか」
「あぁ、途中までは一緒だったんだけど。魔族に遭遇してはぐれちゃって」
そう聞いて納得するところがあったのだろう、アーキスは真剣な顔のまま頷いた。
「今やラーデスア全域は魔族の手に堕ちた。魔竜での飛行……目立つものってところだろうな」
そう聞いているとベルムトへ向かったマリネッタたちのことも心配にはなるところだが、今は『約束』を信じるしかない。
「しかし……」とアーキスは目を見開きながら、エリンスとアグルエの顔を見比べる。
「魔族と敵対して、よく無事だったな。聞けば上空だろう?」
アグルエはそれにも満面の笑みでこたえた。
「うん、エリンスが斬った」
たったひと言それを聞いて、一瞬呆気にとられたような顔をしたアーキスだったが、一転して「ははは」と目を細めて笑い出す。
「そうか」
嬉しそうにそう言ってから顎に手を当てて何か考えるように俯いた。
エリンスもアーキスが何を考えているのかうかがって言葉を待つ。
「……ベルムトへ向かうつもりだったんだよな?」
「あぁ、そうだ。俺たち四人は黒の軌跡の調査にきたんだ。そのために、ベルムトにいるって聞いたリィナーサさんに会いたくて」
レイナルと決めたことだ。無茶をするな、という父親の念押しを思い出しながらエリンスは口にする。
「そうとなれば、目的は一緒だな……」
考えるように呟いたアーキスにすかさずアグルエが聞いた。
「アーキスも?」
「あぁ、まさに俺がリィナーサさんに任されたのも、黒の軌跡の調査なんだ。そのためにちょうど今日、プレシードに到着したところだ」
目的は一緒――それを聞いてアグルエも安心したのか柔らかい表情で「えへへ」と笑う。
「一体こっちではどうなってるんだ? タンタラカでは知れることにも限度があって」
こうして最前線にいるアーキスならば、知っていることも多いだろう。
「そうだな、こっちの事情も話しておこうか」
テーブルの上で手を組んだアーキスは静かな視線を向け、続けて語った。
「ラーデスア帝国には近づくことも難しい。勇者協会とファーラス騎士団は生き残った帝国騎士団と協力してラーデスアの人々の避難のために動いている」
アグルエも笑顔を消して、真剣な顔で頷いた。
「この町もそのために?」
「あぁ、そうだ。そこの川が境界線みたいなところだな。
勇者の残した軌跡――その重要性を、旅をしてきたエリンスは知っている。
「リィナーサさんが選定した少数の部隊で、黒の軌跡の安否を確かめることになった」
レイナルの報告では『不明』だと聞いた話だ。
「アーキスもその選定された部隊に?」
エリンスが聞くとアーキスは首を縦に振る。
「あぁ、今は先遣隊がラーデスア雪原の様子を下調べしてくれている。魔族の域を大勢で動くにはリスクが高いからな。今はその報告待ちなんだ」
勇者協会も動いてくれている。その事実を知れて、エリンスとしても少し安心する。
だが、アーキスは「それだけではない」といった険しい表情で俯いていた。聞きづらいところではあったが、いつも一緒にいた二人のことを思うと、エリンスとしても気にかかる。
「メルトシスは……見つかってないのか?」
エリンスの言葉に顔を上げたアーキスは、真っすぐとした瞳を向けたままこくりと小さく頷いた。
「あいつの足取りは、この町からラーデスアへ向かった後に途絶えている。あいつがそう簡単に死ぬたまじゃないことはわかるだろ?」
ただ、真剣な顔をしながらも笑ったアーキスに、エリンスとアグルエも頷いた。アーキスは心の底からそう信じているのだろう。
エリンスとしても、メルトシスならまたひょっこり戻ってきそうなものだと思ってしまう。『行方不明』になったと聞いたときから、そんな風に思っていた。
「俺は、メルトシスの足取りを追うためにも、黒の軌跡調査に同行することを志願した」
力強いアーキスの言葉を受け止めて、エリンスはそこにあるアーキスの覚悟を垣間見た。
――「だから俺はあいつの剣になることにした」
出会ったばかりのときに聞いたアーキスの言葉の重み。それが今のエリンスにははっきりと見えた気がした。
エリンスとアグルエが共に頷いたところで、三人が腰かけていた席へと一人の勇者協会職員が近づいてきた。
「アーキスさん、騎士団長代理の時間ができたようです!」
息を切らして膝に手をついた職員に、アーキスは顔を上げて返事をした。
「そうか、今いく」
職員が下がっていく背中を見送るアーキスは、続けてエリンスへと目を向けてもうひと言、口を開いた。
「エリンスも一緒にきてくれないか? 事情を話せば部屋を一つくらいは貸してくれるはずだ」
そういうところも察しがいいアーキスに、エリンスは立ち上がってから返事をする。
「もちろんだ。だけど、誰に会いにいくんだ?」
騎士団長代理――とは言っていたが。
アーキスも立ち上がると、少し悩むようにしてからこたえてくれた。
「あぁ……この町に滞在する以上、挨拶を、と思ってな。帝国騎士最後の希望、ラーデスア帝国騎士団、副団長カンバルク・レンムドルに会いにいく」
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