第187話 旅立ちの思い出
ざくっざくっと踏みしめる新雪。残る足跡は、進むエリンスのものただ一つ。
ラーデスア地方特有の寒冷地でも伸びるという竹に覆われる竹林の中に、エリンスの姿はあった。
深く積もっているわけでもないために比較的歩きやすく、林の中と言えど、視界が悪いわけでもない。立ち並ぶ竹の隙間を縫って歩いて、エリンスはそこにあるだろう痕跡を探していた。帰り道は残った足跡を辿ればいいだろう。
あれから――エリンスはエムレマイルとの戦いを終えて、力を使い果たしたアグルエと共に安全そうな森の中に着地した。ぐぅぐぅと腹の音を鳴らして項垂れたアグルエを抱えて、近くを流れる川沿いに見つけた
アグルエにツキノが預かっていた携帯食料や水の類を与えたのだが、どうも足らなかったらしい。薄目でボーッとしたアグルエが「肉が食べたい」というので、エリンスはアグルエを想って森に狩りへと出たところだった。
幸い川沿いから続いた森の先には竹林があった。雪の合間から新芽が出るこの季節ともなれば、それを食べに出てくる動物がいるだろうとエリンスとツキノは見込んだ。
新雪へ足跡を残しながら進むエリンスは、道中雪の下から顔を見せるタケノコを見つけて、「やっぱり」と頷く。
そうして竹林を奥へ奥へと進んでいけば、掘り起こされたようになっている土混じりの雪の塊を見つけた。
顔を出したタケノコにかじられついた牙の後。竹林の奥へと続く動物の足跡。
それが比較的新しいものだと見込んだエリンスはツキノと顔を見合わせて頷くと、その跡をつけて静かに進んだ。
この時期に出てくるのは、山へと戻ってきたイノシシだろう。エリンスがそう見込んだ通り、少し進めば鼻をクンクンとさせて雪の上のにおいを確かめるようにゆっくり進むイノシシの姿を見つけた。
風下へと気配を消して群生した竹の影に姿を隠す。そうしてエリンスが様子をうかがっていると、「
エリンスが「はぁ」と息を吐くのと同時に、イノシシはツキノの気配を察知したらしい。エリンスのほうを一瞥してから逃げようと
背を向けたところで、地面を蹴って飛び出したエリンスが一太刀。剣を抜いてイノシシを一撃で仕留める。エリンスはもう一度「はぁー」と深くひと息吐いて、肩に乗る相棒へと言葉を投げた。
「ツキノのせいでバレたじゃんか」
「なんじゃ。
いじけるように顔を逸らすツキノに、エリンスは小さく笑いながら倒れたイノシシに近づいた。
剣を払ってから鞘へと納めて、それとは別に腰に差していた大きなナイフでイノシシを捌く。適当に食べられそうな部位を見繕って、自然の恵みに感謝をしながらいただいていくことにする。
「昔に比べて手際もよくなったものじゃな」
先ほどまでいじけたようにしていたのに、ツキノは感心したように肩から顔を出した。
「あぁ、昔もこうしてよく狩りの真似事をしたよな」
ツキトと過ごした故郷の森でのことを懐かしくも思い返しながら、エリンスは目の前のことを手際よく済ませていく。近くを川が流れていたのが幸いして、血で汚れた手も洗い流すことができた。
ただ、そんな風にしていると、警戒したように尻尾を立てたのはツキノだった。
「エリンス」
「わかってる」
表情を変えたツキノにエリンスも頷く。
周囲を探るようにと視線を動かす二人に、「ぐるるうぅぅ」と喉を鳴らしながら近づいてくる気配が三つあった。
デッドウルフ。鉄の刃を弾く固い毛並みを持つ狼型の魔物だ。大きさは普通の狼とさほど変わらないが、額部分にはガラス玉のように光る魔物特有のコアが剥き出しとなっている。ルスプンテル周辺でも見かけられる魔物だが、あちらで見るのは焦げ茶色の毛並みをしたものだ。この辺りのものは白い毛並みをしている。亜種なのだろう。
「血のにおいに寄ってきたか」
エリンスが言葉を返す間にも、三匹のデッドウルフが取り囲むように陣形を展開した。
魔物は群れで統率を取って生活することもある。だが、それにしても様子がおかしかったのはひと目して明らかだった。
そうして姿を見せた三匹のデッドウルフは、目が赤みを帯びて血走るように光り、額のコアもどす黒く染まっている。
「様子が変だな……」
デッドウルフたちから視線は逸らさないようにして口にしたエリンスに、ツキノがこたえた。
「濃い
考えるようにするツキノに、エリンスにも思い当たる話があった。
星刻の谷でアグルエが話していたこと――魔族の魔力が、リューテモアに及ぼす影響力。
ラーデスアが魔族軍に襲われたとなれば、この地の
――だけど、今は考えている暇もないか。
エリンスたちは既にデッドウルフに包囲されている。相手がたかが三匹であろうとも、油断ならないことはエリンスも重々承知していた。
様子を見定めていると、一早く動き出した一匹目がエリンス目がけて口を開き、牙をぎらつかせて飛びかかった。
エリンスは手にしたナイフをその場に捨てて
「固いな」
並のデッドウルフ相手であれば、斬り伏せる威力はあっただろう。エリンスもそのつもりで剣を振ったはずだった。ただし、刃は通らなかった。
「魔力の影響を受けたこやつらを、並の魔物と思って相手をしてはならん!」
「わかってるよ!」
ツキノにそう言われることも煩わしくて、エリンスは集中を乱さないようにしながら返事をした。
二頭目が既に飛びかかってきている。エリンスは咄嗟に脇を締め、握る
湧き上がる白き炎が薄い筋となって、蒼白に輝く剣身が一閃――二頭目の頭部にあるコアを打ち砕き、エリンスは剣を振り抜いた。
「白き否定の炎」
「そうじゃ。
一頭が崩れるように倒れて光となり消えていく中、残った二頭は慌てたように同じタイミングでエリンスへと飛びかかってきた。
左右から襲いくる魔物の群れ、エリンスはそのどちらをも捉え、腰を下げて剣を構えた。
タイミングを見計らって一歩跳ぶ。一振り、二振り――蒼白の剣閃が宙を翔け、軽い足取りで着地したエリンスは、背後でどさり、どさりと倒れた魔物の気配を感じ取ってから剣を鞘へと納める。
「見事なものじゃ」
エリンスの肩の上で頷いたツキノに、エリンスも「ふぅ」と胸を撫でおろした。
返り血も浴びずに魔物のコアを的確に砕いた剣閃。すっかり白き炎の力を使いこなしているその様子にツキノも満足そうだった。
エリンスは投げ捨てたナイフを拾って、倒れたままだったイノシシから適当に肉を削ぎ取り川で洗って、ツキノが出してくれた革袋へとしまった。
エリンスが「帰ろう」と肩の上にいる相棒へ声をかけると、ツキノも「うむ」と頷いた。
◇◇◇
エリンスは自分のつけた足跡を辿って道を戻った。川沿いの休息地が近づくにつれて立ち昇る煙が見えて、穏やかな流れの川のせせらぎに混ざって、ぱちぱちと爆ぜる枯れ木の音が聞こえてきた。
元気を取り戻したアグルエが焚火を起こしたようだ。暖を取るように焚火へ手を翳している背中が見える。
何だかその背中を見ていると、エリンスは懐かしさを覚えた。
旅立ちの日、エムレエイの襲撃を受けて、あのときはアグルエが咄嗟の判断で助けてくれた。エリンスは意識を失ってしまったが、川へ飛び込んで逃げ隠れ、温めてくれて――あのときも腹を空かせたアグルエは、川で魚を獲って焼いて食べていた。
「ふぅ」と息を吐いたエリンスは、無意識に笑う。
あのときと比べて――俺は強くなれたか。君を守れているかな。
そんな風にも考えたが、首を横に振って切り替えてから声をかけた。
「アグルエ、もう大丈夫か?」
「うん、ちょっぴしー。まだお腹空いたよぉ」
間延びするような声で振り返るアグルエは、垂れ下がった目で薄っすらと微笑んだ。
レイナルが用意したツキノが預かってくれていた食料は、通常ならば四人が一日を過ごせるほどのものだったのだが、どれも保存の利くものであまり味気もしなかったらしい。それを全部平らげてもこの調子だ。
エリンスは「あはは」と笑いながらも、獲ってきたイノシシの肉を火で炙って、食べられるように調理してやった。ツキノが調味料の類も預かってくれていたのが助かった。
しばらくして、香ばしいにおいに我慢しきれなくなったアグルエは豪快に肉へとかぶりついた。竹林で取ってきた竹を串にして焼いてやれば、アグルエも食べやすかったようで大満足の笑顔を浮かべている。
「おいしい!」
頬を赤らめて落としたようにして笑うアグルエに、エリンスも「よかった」と頷いた。
エムレマイルとの戦いでアグルエに負担をかけたのは言うまでもない。エリンスとしては後ろめたさもあったところだが、喜んでくれたならよかったと笑い返す。
そうして、アグルエが食事を終えて焚火が弱まってきたところで、ようやく二人はひと息つくことができた。
「……あの借乗伯爵を、一撃で斬っちゃうなんて」
まず口を開いたのは、ハンカチで口元を拭ったアグルエだった。
「そうじゃな」と頷いたツキノを見るところ、魔界では名の知れた魔族だったらしい。
エリンスにしてみれば無名の悪党と変わらなかったところだが、エムレマイルが口にしていた言葉の数々が気になるところだ。
「
覇道五刃――魔王に連なる
「そう言ってたのう」
「うん、聞いたことがない」
ラーデスアを攻めた魔族軍の目的も、なんとなくではあったが見えてきた。
ただ、二人もあいつが口にしていたことは本当に知らないようだった。
「ツキノも聞いたことがないってことは、この200年の間に魔界でできたものか?」
「そうじゃろうなぁ」
エムレマイルは他にも『覇王』と言っていた。
「覇王……あっ」
アグルエも同じことを考えていたようで、何か思いついたらしい。
「ダンデラス・
続けてとある魔族の名を口にしたアグルエは、考えるようにツキノへと視線を向けた。
エリンスもその名は一度、アグルエの口から聞いたことがあった。
「
エリンスにはわからないところも多い魔界の話だ。そういった表情が顔に出ていたのだろう、ツキノが察するようにして説明を続けた。
「魔界の東地区を治める領主、大将軍じゃ。反アルバラスト派筆頭として、当時から名が知れておったわ」
反アルバラスト派――そう聞けば、エリンスの中でも話が繋がるような気がした。
「シャルノーゼ・
「うん、多分、
アグルエにも話が見えたようだった。
やはり
それにエムレマイルは、『覇道五刃の第四刃』と自称していた。その言葉を信じるならば、ラーデスアを墜とした魔族軍の規模も見えてくる。エムレマイルみたいな魔族が他に四人いるということだろう。
「そうとわかれば、やっぱりこうもしていられない」
立ち上がるエリンスに、アグルエも「うん!」と頷いてから立ち上がった。
「でもどうするのじゃ?」
悩むようにするツキノはアグルエの肩の上に跳び乗った。
「マリネッタと合流するのが先決だろうけど……」
考えて俯くアグルエに、エリンスも「あぁ、そうだな」と同意した。
道から大きく外れてしまってはいたが、幸いなことに目の前を川が流れている。山地の雪解け水を運ぶそれは大きな目印だ。
エリンスは頭の中で地図を思い浮かべて、見当をつける。
「この川の上流を目指せば多分、ラーデスアとベルムトとの中間地点にあるプレシードって町に辿り着くはずだ」
国境の町からラーデスア帝国を目指すと、雪原を越える前に辿りつくことになる町だ。勇者候補生の旅でも立ち寄られることが多いと聞いたこともある。そこまでいけば、ベルムトへの道もわかりやすいはずだ、とエリンスは考えた。
しかし、ツキノは暗い顔をして、「ふむ……」と頷く。
「じゃが、ラーデスアの話を考えるに、その町が無事だという保証もないのう」
危険性がないわけではない。それはエリンスもわかっている。
「あぁ、だけど、そこからならベルムトの位置もわかる」
「まあ、そうじゃなぁ」
立ち止まって考えていても仕方がないことにはツキノも同意してくれる。
「うん、じゃあ目指そうよ。向かってみよう!」
考え込んで顔を合わせた二人を元気づけるようにアグルエが明るくこたえてくれて――三人はひと休みしたキャンプ地を出発したのだった。
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