第186話 VS 〝借乗〟

 エムレエイ・ガム。借乗の魔王候補生。

 旅立ちのあの日、出会い対峙し、初めてエリンスが斬った『人』だ。魔族といっても、言葉を交わし意志を交えた、『人』だった。

 今、エリンスが対峙している相手はその魔王候補生と同じ力を持ち、面影を持つ魔族。エリンスとしては思い出したくもない顔ではあったが、親と子というだけあって姿が重なるところがある。

 エリンスは鼓舞するように左手で拳を作ると己の胸を軽く一回叩き、願星ネガイボシを握った右手を力強く握りしめ、もう一度振るってから両手で構えた。


 あのときは――自分自身の意志が弱いせいでアグルエを傷つけてしまった。けれど今は、剣を手にし、握る決意がここにある。

 目の前で失うことが怖いくせに目の前のことを選択できない弱さは、あのときにもあった。それが悔しかった。それは結局ただ自分自身、傷つくことが怖かったから。アグルエに押しつけて、その結果があのざまだ。


――今はもう恐れない。こうして背中を支えてくれる君がいてくれて、たぎる想いが道を切り開けと叫ぶから。


「ずぬぬぬぬ……たかが人間如きが、我の前に立ち塞がるなど!」


 立ち尽くすように翼を打って飛んでいるエムレマイルは、手にしたワイングラスを顔前で握り潰して砕いた。

 粉々になったガラスの破片が、灰色空の合間から覗くわずかな陽光でキラキラと輝きながら散っていく。


「……やはり、あいつと同じだな」


 怒りに表情を変えたエムレマイルを見つめて、エリンスはあのときの想いを反芻する。


「我を誰と同じにした? あんな出来損ないと、我を同じに語るでない!」


 ぎらつく眼差しを吊り上がらせ、エムレマイルは手にした杖を構える。


――あいつは許せないやつだったが、親にそうまで言われるいわれもないだろう。


 同情するつもりはなかったが、背中を通して繋がっているアグルエにもそれは伝わった。


「エリンス、無駄だよ。魔族の子と親は、エリンスとレイナルさんみたいなものじゃない」


 なんとなくはわかっていた。エリンスが思う、そういうものではないことが。

 魔族にとっての家族。それがどのような形をしているのか、エリンスには想像がつかない部分も大きい。アグルエが母ミレイシアと初めて顔を合わせたとき、寂しそうな表情をしたことに、エリンスも気づかなかったわけではない。

 だけど、アグルエと旅をして、アグルエの話を聞いて。アグルエが魔王である父親アルバラストのことを語る顔は、『家族』を想ったものだった。同時に、シスターマリーやレイナルと話をして思ったこともある。父親アルバラストがアグルエに抱いている気持ちも、同じものだったはずだ。


――あいつにとって、こいつはそうじゃなかったってだけだろ。


 やはりどこか同情をしてしまう気持ちがあって、エリンスはそれを断ち切るように視線を逸らして、一度ぎゅっと目をつむった。


「魔力も感じない『落ちこぼれ』が。バカにしてくれるなよ。ここで貴様らを仕留めるなど容易いんだよ」


 エムレマイルは強い敵意を込めた眼差しを向けてくる。

 それには一介の魔王候補生と対峙したときとはまた違う圧がある。身から出る魔力の差だろうか――。魔王候補生は勇者候補生制度と同じく、比較的若い魔族から選ばれると聞いた。魔族として長く生きているエムレマイルには、今まで対峙してきた魔王候補生らとはまた違う、底知れぬモノを感じた。


「……何とでも言え」


 だけど、エリンスはそんなものをもう恐れないと決めたのだ。怯むことなく睨み返して言葉を続けた。


「美学だかなんだか知らないけど、最初に結界で囲った段階で止めを刺せるというのなら、刺すべきだったな、エムレマイル」


 エリンスは自分が弱かったせいで、アグルエを傷つけたことを散々に思い返す。エムレエイのしたれ顔、首を持ち上げられて傷ついたアグルエのか弱い瞳に覚えた、後悔を――。


――やはり親と子は似ている。そこに想いがなかろうと。


「たかが人間が、我に何を言う? 貴様らは所詮、魔素マナを生むことしかできない。人間はおとなしく我らの餌となっていればいい」

「……それが、あなたたちがラーデスアを攻めた、リューテモアへ出てきた理由?」


 アグルエはその言葉に何か悟るところがあったらしい。

 エムレマイルの持つ思想――魔族という枠組みに属さないエリンスにも、なんとなく話が見えてきた。


「愚かな人間は、我らが組み伏すしかないだろう?」


 ぎろりとアグルエを睨むエムレマイルに、ただアグルエも怯むことなく意志を返した。


「お父様はそんなこと認めない。わたしたち魔族は、『人がいないと生きていけない』。だから、お父様は人間との共存を目指した!」


 ただ、エムレマイルはせせら笑うように言葉を返す。


「アルバラストなぞ、もうなんの権力も持たぬわ! 『覇王様』がこの地上リューテモアを支配する。人間は我ら魔族のために魔素マナをただ差し出せばいいのだよ」


――それが、こいつらの目的か。


 エリンスには魔界の事情もわからないところが多い。だけど、魔族軍がラーデスア帝国に攻め入った理由の一つに気がついた。


 人と魔族の違い。

 魔族は魔素マナから成るモノだ。産まれるためにつがいを必要としない。だから、基本的に家族というものも必要ない。

 魔素マナを扱うことに長けていて、固有の魔力も有している。ゆえに、魔族は単純に強い。だけど、魔族は魔素マナを己自身、体内で生みだすことはできないのだ。

 人はただ生きているだけで、魔素マナを生むことができる。


――『人間が魔素マナを育み、魔族は魔素マナを大地へ帰す。そうして、このせかいは成り立っていた』


 魔竜ランシャから聞いた言葉を思い出す――それは、そういう意味だ。

 人は魔素マナを育み、子を育む。魔族はそれを『巡り』より授かって、星へと返す。それがこの星に産まれた者が背負う役目だ。

 それが旅をすることで知った世界の理だ。そうして世界は巡っていたはずだ。それをこいつらは断ち切ろうとしている――幻英ファントムと共に。


 エリンスはエムレマイルの気持ちに同情するようなこともなく、たったひと言を返した。


「……自分勝手な、言い分だ」

「ずははははは、もう、この侵攻は止められない!」


 エムレマイルは歓喜するように高笑いを繰り返す。

 やはり、目の前にいるこいつも討つべき相手なのだと再認識した。剣を構えるエリンスに、エムレマイルもモノクルを光らせて口を開く。


「ずはははは、戦うというのかね? 姫様にならわかるだろう? 我と貴様らの間にある力の差が!」


 アグルエだけでなく、普段は魔力を感じることのできないエリンスにしたって、エムレマイルが纏う強さはオーラのようにして見えている。目の前に現れたときからある、のしかかるように重い周囲の空気がそれだろう。


「我が借乗は、滅尽との相性がいいと言えるだろう。ずはははは!」


 エムレマイルの言うことが間違っていないことも理解する。エリンスは借乗の力を忘れたこともなかった。

 前回、借乗の力を持つエムレエイにエリンスが勝てたのは、限定的な条件が揃っていたからだ。

 エリンスに借乗の力で扱える魔力がなかったこと。アグルエがエムレエイに借乗の力を使わせないようにしていてくれたこと。魔力を封じ込めて、痛みに耐えてくれていたことが大きい。

 だが、今は違う。魔竜ランシャを逃がして対峙するために、アグルエには魔法を使用して翼を出してもらう必要があった。エムレマイルの借乗の影響内で魔力を放出してしまっている。


「滅尽の力は強力だよなぁ? 何であれ、どんな物質であれ、滅することができる。それを自由に借りて、我の魔力に乗せることもできる。姫様の無尽蔵に湧く魔力が、我の力となる!」


 ずははははは、と一際大きく笑うエムレマイルは、杖の先から黒い炎を出して見せる。

 エリンスに借乗の原理はわからない。黒き創造の炎の力をそのまま発揮するわけでもないだろう。魔王アルバラストがアグルエの力を『滅尽そういうもの』だとしたのは、こういった魔族がいるからに違いない。

 だが、詳しい原理がわからなくとも、先ほどからアグルエが苦しそうにしはじめたことには気づいていた。こうして浮かんでいるだけでも、借乗に魔力を取られ続けているということなのだろう。エムレマイルに吸われながら魔力を出しているアグルエにも限界がある。


「アグルエ、後一分くらい、持つか?」

「……うん、大丈夫」


 呼吸は浅く言葉も弱い。先ほどからその息苦しさは背中を通して伝わってくる。

 だけど、アグルエは頷いてくれた。

 エムレマイルの隙を作るためにも、こうやって話を続ける時間を作る必要があった。アグルエにはまた負担をかけてしまったが――でも、勝負は一瞬で決まる。


「エリンス。何か、策があるのじゃな」


 アグルエの肩より顔を出したツキノが、エムレマイルから視線を外さないようにしながら小声で呟いた。


「策っていうか、まあ、あいつが知ろうとしないだけだ」


 こうして話を続けていたって、「話に応じてやっているのだ」というエムレマイルの気持ちが、エリンスには散々に透けるようにして見えていた。

 エムレマイルにある余裕は、強者の余裕。相手を絶対的弱者だと決めつけて、余裕を見せつける。だけどそこに生まれるのは慢心だ。


――やはり、あいつ・・・と同じだよ。


 エリンスはエムレマイルの結界を断ち切った。だというのに、エムレマイルはその力を知ろうともしない。エリンスのことを魔力がない落ちこぼれだと見下した時点で、勝敗は決していたと言ってもいい。

 魔導士同士は対面しただけで互いの魔力を感じ取ることができるという。力の差を感じることができるものだ。魔族だってそれは同じなのだろう。

 借乗の本質は、常に相手より高い魔力量で戦えるというところにある。エムレマイルは、それを――己の感覚を過信しすぎた。


「ずはははははは、ごちゃごちゃとうるさい蠅虫が。燃えろ消えろ、滅せよ! 己の炎で焼かれるがいい! 滅尽の業火!」


 高笑いを続けながらエムレマイルが杖を振るった。翼を打ってエリンスらからやや距離を取るようにして下がりながら、アグルエの持つ滅尽の力を放った。

 灰色空の下、黒炎がエリンスたちを呑み込むようにして広がった。エリンスの視界からにやりと笑ったエムレマイルの姿が消えるほどに、猛々しく燃えて拡散し、渦を作るように集束する。


「アグルエ、一瞬だけでいい。最高速度で突進してくれ!」

「わかった!」


 エリンスの考えはアグルエにも伝わっている。

 姿勢を下げるように翼を打って構えたアグルエは、エリンスの背に手を合わせたまま想いを込める。

 エリンスはその想いへこたえるようにして、剣を横に大きく構え、白き炎おもいを胸のうちより湧き上がらせた。


 黒い炎は襲いくる巨大な波のようで、その熱をも感じるが、エリンスの視線は一点を見つめていた。距離を取るようにして翼を打った、エムレマイルの影を――。

 蒼白に輝く願星ネガイボシの剣身が、黒く染まる中で煌いて――そのまま一気に加速したエリンスとアグルエは、想いを一つに空を翔ける。


 広がり渦のようになった炎を――。

 引きながら振るわれた杖を――。

 慌てたようにして張られた結界も――。

 驚愕の表情を浮かべたエムレマイルの胴体も――。

 トップスピードに乗せたアグルエの飛行の勢いに乗せて――、全て斬り裂いた――。


魔導霊断まどうれいだん――おまえの魔法おもいは、否定する」


 どんよりと広がる灰色空の下、黒炎は白き炎に染め変えられ跡形もなく消える。

 空を一閃、剣を振り抜いたエリンス。アグルエがブレーキをかけるように翼を前方へと打って止まって――。

 その後方で――白き炎に燃やし尽くされるようにして、エムレマイルは断末魔を上げる猶予もなく、光の粒子となり消え去った。

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