第195話 覇道五刃

 アグルエは呆然と、しかし手に込めた力は緩めないようにして、その場を見定めていた。

 胸のうちより溢れる黒き炎はアグルエの意思を宿して、ブエルハンスのことを包み込んでいる。その出力が段々と治まっていき、ブエルハンスの切断された右腕も、その想いを乗せてくっついた。

 遅れるようにして「えっ?」と零れたアグルエの声が、不気味な笑いを残した魔族と二人の勇者候補生が消えた遺骸の森の中へと響く。


 呆然と立ち上がり、ふらふらと周囲を見渡すように首を振るアグルエだったが、周囲にはすっかりエリンスたちの気配がない。

 感覚は戻らないのだろうくっついた右腕を左手で持ち上げて支えるブエルハンスは、アグルエの背中を見上げて口を開いた。


「ありがとう、アグルエ殿……とんでもない、回復力、だ」


 こくりと頷きはするアグルエだったが返事をすることも忘れて、ただひたすらに消えた勇者候補生たちの姿を探していた。

 だけど、いくら探そうと影の一つあらず、残されたように転がった黒い水晶玉が目に留まる。

 ブエルハンスも「二人は……」と立ち上がれないままに言葉を零して、勇者候補生たちの姿を探していた。アグルエはしゃがみ込んで転がった水晶玉を拾い上げると、それを覗き込むようにしてから返事をする。


「消えちゃいました……」


 手にするだけで、不安が押し寄せるように胸の動悸が早くなる。どくんどくんと弾けるようにして、募る不安が重くなる。

 何も映らない闇だけが広がるような漆黒が渦巻く水晶玉に、アグルエもこれが古代魔導技術ロストマナの魔導具の一種なのだろうと悟った。


「何か、魔法の類か……」


 不安そうに水晶玉を見つめているアグルエの元に、よろよろと起き上がったツキノが歩み寄る。


「ツキノさん!」


 アグルエはその声を聞いて吹き飛ばされたツキノのことを思い出したように顔を上げて、ボロボロになったツキノのほうへと目を向けた。


わらわは、心配いらぬ」


 ぴょんと跳ねたツキノはいつもの調子でアグルエの肩の上に乗って見せる。とはいえ、ツキノ自身はそう言うものの、その白い毛並みは雪を被って汚れてしまい、口元には赤く、吐いた血がべっとりとついており痛々しくも見えた。

 アグルエは「でも……」と心配そうにツキノの横顔を見つめて、だけど、ツキノは首を振ってアグルエが両手で抱える黒い水晶玉を覗き込んだ。


「今は、二人のことじゃろうて。古代魔導技術ロストマナ、か」


 水晶玉に渦巻く不吉な魔素マナの流れは、ツキノにもわかったのだろう。


「多分……ザージアズがこれを取り出した瞬間、二人の姿も消えてしまって」

「空間を分断するような、力を感じるのう……」


 それがこの古代魔導技術ロストマナのせいであるならば――と考えたアグルエは、左手に水晶玉を持ち、右手に胸のうちより溢れた黒き炎を集めた。


「ダメじゃ、アグルエ。壊してしまえば、中の二人・・・・もどうなるかわからん!」


 アグルエが何をしようとしたのか察したらしいツキノが止めて、アグルエも静かにその言葉を呑み込み、右手に浮かべた黒き炎を消す。


――エリンスが、中にいる。


 ツキノがそう言った通り、水晶玉を手にしているアグルエにも、わずかながら二人の気配が感じられた。渦巻く黒い気配の中で、光るようにして主張する二人の気配を。


「二人は、この中に……」

「うぬ、それにザージアズもな」


 忽然と消えた三人はこの水晶玉の中にいる。


「あやつの言葉を信じるならば……おそらく……」


 邪魔をされずに勇者候補生と戦いたい、ということなのだろう。

 アグルエは心配で張り裂けそうにもなる胸を押さえて、左手にした水晶玉を大切にするようにジッと見つめた。


「あの二人のことじゃ。ザージアズが相手であれ、そう簡単に、どうにかなるとも思えないところだがのう……」


 ツキノにも手を出す術がないのだろう。心配そうに言葉を零して、アグルエと同じようにして水晶玉を見つめていた。


――今は、二人を信じて待つしかない。


 一度目を閉じたアグルエは、ゆっくりと蒼い両目を見開いて、そうしてもう一度大切に水晶玉を両手で支えた。


「ザージアズほどの力があれば、覇王なんかにつかなくてもいいものを、あやつは……」


 困った昔の知り合いのことを想うように呟くツキノに、アグルエも静かに「はい」と頷いて同意した。


覇道五刃はどうごじん……エムレマイルと同じなのでしょうか」

「あぁ、多分のう……」


 悩むように頷いたツキノが言葉を続ける。


「エムレマイルが第四刃と自称しておったな。力関係で言えば……数字が小さくなるほど立場も――単純な強さも上になると見て、間違いないじゃろう」


「じゃあ――」とそう考えたアグルエは、二人が相手にするザージアズのことを思い返して、不安に瞳を揺らしながら黒い水晶玉を見つめていた。



◇◇◇



 黒い空。星の一つもない、月も顔を出さない夜空が天井に広がっている。だというのに一定の明るさは保たれており、空間の先、地平線まで見通せるくらいには明るい。続くのは白い床。どこまでいっても何も見当たらない。繋ぎ目も見えない一枚板の上のようにして、凹凸ない平らな床が果てまでも広がる空間だ。

 膝をついたエリンスが立ち上がると、横で同じようにして立ち上がるアーキスと目が合った。どうやら二人して、どこだかわからないこの不思議な場所へと飛ばされたらしい。


「ここは……」と辺りを見渡しながら呟くエリンスには、既視感のようなものがあった。重苦しい黒い空に見覚えはないけれど、空間全体に漂う空気感はどこかで味わった感覚に近い。

 それに返事をするアーキスが、そのこたえを示してくれた。


「勇者の軌跡に似ているな」


 エリンスは「たしかに、そうだ」と頷いた。勇者が遺した軌跡の中――要は勇者の軌跡もその遺跡も、古代魔導技術ロストマナの一種だからだろう。


「くくかかかか、ようこそ」


 そんな呆然としたまま辺りを見渡した二人の勇者候補生の前には、先ほどまでと同様にザージアズが腕を組んで立っていた。


「と言っても、まあ、俺もこれに入るのは初めてだ」


 笑う余裕を見せるザージアズには、敵意も殺気も感じない。話に応じようという気前すら感じられる。


「これも、おまえの仕業か」


 エリンスは願星ネガイボシを握る手に力を込めながら、ザージアズを睨み聞いた。


「あぁ、そういうことにはなるか? マーキナスから借りた古代魔導技術ロストマナ、『伽藍がらんの檻』ってやつだ」


 伽藍の檻――? マーキナス――。


 先ほどからザージアズが口にしている魔族の名だ。エリンスにはわからない単語の連続に、そういった考えが表情に出たのだろう。


「悪い、わからない話をしちまったなぁ」


 頭を掻くザージアズは、「かかく」と照れるように笑う。


「まあ、改めて、邪魔もされなくなったところで自己紹介からはじめようぜ」


 飄々としながら自分のペースで話を続けるザージアズに、エリンスとアーキスも顔を見合わせた。


「俺ぁー、ザージアズ・フウ。まあ、なんだ。そう警戒せず力を抜いてくれや。この空間は別に、何もおまえらを喰って殺すようなもんじゃない」


 話しやすい雰囲気のままに、殺気も魔力も出さずにザージアズは言葉を続ける。


「ここは隔離された修練場のようなものさ。あれぁー、空間を開く古代魔導技術ロストマナらしい。便利だからってマーキナスがくれたんだ」


 その言葉を信じていいものだろうか、とエリンスはザージアズの顔を見やって考えるのだが。


「おまえらを喰って殺すのは、俺だからなぁ」


 殺気もないままに口にする言葉に、背筋を冷たいものが駆けた。

 両手を広げ両腕も広げて、まだ・・何もする気はないといった様子で、ザージアズは並ぶ二人をそれぞれ見て話を続ける。


「俺ぁーな、名を知らないやつを斬るつもりはないんだ。だから教えてくれよ、勇者候補生、おまえらの名を」


 嘘だ――とエリンスは思う。ザージアズは何の躊躇いもなくブエルハンスに斬りかかった。アグルエが咄嗟に飛び出していなければ、断たれていたのは右腕ではなく、命だ。

 警戒するエリンスの表情を見て、ザージアズは考えるようにして、「あぁ!」と言葉を改めた。


「違ったな。言い方を選べっていうのは、最近『ミカ』のやつにもよく言われるんだがよう。斬り合う・・・・つもりがねぇってことだ。弱いやつは、俺に刃を向けることもできねぇからな」


 ミカ――また魔族の名だろうか。ザージアズの言いたいことはわかった。理解はできないが。


「だから、剣を抜かなかった、と」


 黙ってそこまでの話を聞いていたアーキスも、静かな眼差しを向けてザージアズへと聞く。

 アーキスが斬りかかっても、ザージアズは余裕の表情でかわし続けているだけだった。背負った斬馬刀も、腰に差した刀も、抜く素振りを見せなかった。

 そもそもエリンスは、ザージアズが刃を抜くところを一度も目にしてはいないのだが――。


「そういうこった、かかかかく」


 笑うザージアズに、アーキスは手にした天剣グランシエルを構えてこたえた。


「俺は、アーキス・エルフレイ。勇者候補生だ!」


 名乗るアーキスを見て、ザージアズは嬉しそうに口元を吊り上げて笑う。


「剣士ってのは、名乗ってなんぼのものだろうよ。俺が見込んだだけはある」


 そうしてザージアズは、相手にする価値があるかどうかを判断するのだろう。

 エリンスも願星ネガイボシを両手で握りなおして、目は逸らさずにこたえた。


「エリンス・アークイル。同じく、勇者候補生!」

「くくくかかかか! 俺ぁ、そういう目をした人間と戦いたくて、ダンデラスについたんだよ」


 楽しそうに嬉しそうに笑うザージアズに、エリンスはその名を聞いて「やはりか」と口走った。


「おまえも、覇道五刃はどうごじんなのか?」


 エムレマイルと同じく、覇王ダンデラスの下に集まった五人の刃。帝国を襲った魔族軍の幹部たち――。


「あぁ、そんなことを言われたっけなぁ?」


 ザージアズは首を傾げて笑う。肩書きに興味がないらしい。


「興が乗ってきやがった。おまえらは、俺をわくわくさせてくれるか?」


 ザージアズは嬉しそうに口元を吊り上げながら、背負った斬馬刀の柄に右手を添える。

 それを見たアーキスは、腰を落とし姿勢を低く天剣を構えた。


「どうせ、この空間から出るには、おまえに勝たなきゃいけないんだろう?」


 アーキスが聞くと、ザージアズは一層嬉しそうに笑ってこたえる。


「かかかかくく、話がわかるやつが、俺ぁ好きだぜ」


 ズンッ、と。

 ザージアズの唯一開かれる左目が鋭く光ったところで、エリンスはたしかな殺気を感じ取った。


「エリンス、くるぞ!」


 叫ぶアーキスに、エリンスもすかさず剣を構えたまま「あぁ!」と返事をする。


魔界あっちでは、断空の剣閃なんて二つ名をもらったっけかぁ? まあ、今はこう名乗るのがいいんだろうなぁ――」


 腰を落として力を溜めるように言葉も溜めたザージアズは、にやりと笑ってから一歩を踏み出した。


「ザージアズ・フウ、覇道五刃が第一刃・・・。いざ、参る――ってなぁ!」

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