第184話 魔竜の背に乗って

 翌朝、エリンスが目を覚ました頃には、部屋の中にレイナルとツキノの姿はなかった。

 隣のベッドで人が眠った形跡は見える。昨晩はエリンスが眠りにつくまでレイナルは帰ってこなかったが、一度は戻ってきたのだろう。

 夜も遅くまで、それに朝早くから動いてくれているらしい。そうとも思えば、ボーッともしていられず、エリンスはベッドから抜け出してとっとと身支度を済ませた。


 窓から差し込む朝日は明るく眩しい。外の天気は快晴。旅立ち日和だ。

 アグルエたちとは『起きたら朝七時、宿屋前集合』と約束を取り決めている。時間も十分間に合うだろうと考えて、エリンスはそのまま階下へ向かい、カウンターの前で掃除に勤しむ店主へと声をかけて、宿を出た。


 まだ朝も早い時間だというのに、タンタラカのメインストリートには人通りがあって、職人たちも汗を流している。店先で看板を上げる者、露店の開店準備を進めている者。遠くからは相変わらず、かーんかーんと鉄を打つ音が響いてきて、道沿いを走る魔導列車トロッコも山盛りの鉱石を積んでがたんごとんとリズムを歌う。むわっとする熱気に、炎が燃える燻るにおいが鼻を掠め、タンタラカの町が一日のはじまりを知らせていた


 エリンスがそんな町の光景に見惚れて伸びをしたところで、アグルエとマリネッタも揃って宿から出てきた。

 二人ともその表情から気合が十分伝わってくる。昨晩はぐっすり休めたらしい。頬を引き締めるようにしてからニコッと微笑むアグルエに、エリンスも笑顔で頷いて、マリネッタも結った髪に手を添えながら「おはよう」と口を開いた。


「おはよう」とエリンスが返したところで、アグルエも「おはよ、エリンス!」と明るい返事をしてくれた。


 昨晩マリネッタが話していたことを思い返すが、エリンスから見て、アグルエに悩みがあるようには見えない。

 そうして表情をうかがっていると、アグルエは不審がるように眉をひそめていたのだが、エリンスは背後に人の近づく気配がしてすぐに気持ちを切り替えた。


「朝から揃ったな。準備万端か?」


 そう声をかけてきたのはレイナルだった。


「父さん」とエリンスが振り返ると、レイナルの肩の上で白狐が尻尾を振るう。


「ゆっくり休めたかのう」


 それぞれの顔色を見やるツキノに、エリンスは頷いてこたえた。


「あぁ、ばっちりだ」


 準備も、体調も、覚悟も。

 腕にいくつか紙袋を抱えるレイナルは、そんな三人の表情を見て口を開く。


「飲用水や簡単な食料をツキノに預けた。何があるかわからない旅路だ。活用してくれ」


 朝早くから港にある市場に出向いて買い出しをしてくれたらしい。

 マリネッタが「ありがとうございます」と軽く頭を下げると、ツキノは呆れたように苦笑する。


「全くのう。『預かり屋』みたいな便利な扱いをされてしまったものじゃな」


 そんな風に言いながらも跳びはねて、アグルエの肩の上へと戻った。

 しゅるりと頬を撫でる白い毛並みに、アグルエはくすぐったそうに笑う。アグルエが「ありがとう、ツキノさん」と礼を伝えれば、ツキノもまんざらではない様子で笑っている。

 レイナルはそんなツキノに向けて頬を掻きながらも返事をした。


「そんな高等魔法はおまえくらいにしか使えないからな……って、まあ、おまえの場合は魔法ではないか」

「そうじゃ。誰と一緒にしおったか?」


 同じような魔法を使っていたのはシスターマリーだったな、とエリンスも思い返す。

 そういえば、シスターもこの事態に何か動きを見せているのだろうか――とも考えたが、聞くタイミングはなかった。


「まあ、何はともあれ。重ねて言うが、無茶は禁物だぞ、エリンス」


 改まって瞳を据える父の姿に、エリンスも「うん」と表情を引き締める。


「向こうがどういう状況だかわからない以上、黒の軌跡にも簡単に挑めると思わないほうがいい」

「わかってるよ」


わらわに任せておけ」とでも返事をするようにツキノが尻尾を振って、アグルエもマリネッタも、レイナルの言葉を受け止めて頷いた。


 それぞれもう、決意は固めたところだ。これから向かう先で何が待っていようとも後戻りはできない。

 レイナルもそんな候補生たちの顔を見て「ふっ」と息を吐くと、「部屋に荷物だけ置いてくる」と言い残して宿屋へと入っていった。

 それから戻ってきたレイナルと合流して、三人は賑わう町を背にして山道へと向かったのだった。



◇◇◇



 タンタラカの職人たちの朝は早い。ただそれにしたって、今日のところはなんだか皆、張り切っているように見えた。

 町を出るためにエリンスたちが歩いていると、「勇者候補生様、頑張って」だったり「頼んだぞ」だったり、職人たちに声をかけられた。皆一様に眩しい笑顔で白い歯を見せて笑いかけてくれるものだから、こたえるエリンスたち勇者候補生にしたって戸惑いが先にくる。

 町を出て山道へ踏み入れたところでディムルと合流するなり、朝の挨拶もそこそこにエリンスは訊ねることにした。


「なんか……町がさらに賑わってないか?」


『聖女が再誕した』と聞いたとき以上に、今日は一層熱かった。

 ディムルには思い当たることがあったらしく、「あぁ……そうさな」と笑い話をするようにこたえてくれた。


「それがどうも、聖女様が悪を討つ~とか、救済の旅に出る~とかって話が大きくなって広まっちゃったらしくてな」


 ディムルも呆れたように笑っていたが、酒場で夜通し騒いでいた傭兵たちのことだ。話も大きくなって、それが職人たちの耳に入ったのだろうことまでエリンスにも想像がついた。

 聖女のことといい、酔っぱらって気が大きくなると、どうも話が大きくなりがちなようだった。

 広まってしまった話に関しては、今更どうしようもないだろうと考えて、エリンスも諦めた。


 山道を進んで一行が昨日と同じく森へと逸れたところで、広場に近づくごとにがやがやと喧騒が大きくなった。

 森の中の広場には、昨日と変わって十人ほど集まる人だかりも見えた。その中に昨日ディムルより紹介された傭兵の姿を見つけてエリンスも納得する。

 眩しく朝日を反射するスキンヘッド。筋肉質な腕を見せつけるマッスルポーズを披露して、それを面白おかしく茶化す傭兵たちの一団の姿が広場にあった。


 魔竜ランシャも困ったように、だけど、賑やかなことを嬉しそうに眺めながら岩山近くに鎮座している。集団の中心で困ったように笑っていたのは、白いローブのフードを頭から被ったメイルムだった。

 白石の祭壇には山のように野菜や果物なんかの類が積まれており、魔竜ランシャや聖女に対する信仰の厚さもうかがえる。

 エリンスたちが姿を見せたことで、一早く気づいたらしいスキンヘッドの傭兵、ヴァルアードが近づいてきた。


「おはようございます! 団長!」


 調子がよさそうに憎めない笑顔を浮かべるヴァルアードに、ディムルはぱしんっとその輝かしい頭をはたきながら「おはよう、ヴァル」とこたえた。「いててっ」と笑いながらもヴァルアードは調子がよさそうなまま続ける。


「聖女親衛隊、ここに準備整っています!」

「バカが。おまえらの出発は昼過ぎだよ」


 魔竜ランシャにしがみついてでもついていくような勢いを見せるヴァルアードに、ディムルは再び頭をはたく。


「わかってますってぇ、団長」


 ただそれでもヴァルアードはニコニコとしたままだ。


「ほら、おまえらも離れた離れた。メイルムが困ってるだろうがよ」


 ディムルが手を払いながらメイルムに近づくなり、聞き分けのいい傭兵たちはばっと横に並ぶ。メイルムは困ったように笑ったままだったが、それでもそういった扱いをされることを無碍にはできないのだろう。

 聖女親衛隊と呼ばれるヴァルアード率いる傭兵団の一部の人たちは、皆一様にメイルムを――この町を守ることを象徴とする聖女を大切にしていそうなものだ。「お荷物お持ちいたしましょうか」とか「肩を揉みましょうか」とか、ちょっとばかし気の遣い方が間違っている気もするが、その気持ちに偽りはないと傍から見ていても思う。


「全く、もう」とディムルは呆れ果てていたが、エリンスたちが遅れて近づいたところで、メイルムは決意を灯した瞳をフードの下からのぞかせる。


「おはよう、エリンスくん」


 その眼差しにこもる想いを受け取って、エリンスも頷いてからこたえた。


「おはよう」

「おはよう、メイルムちゃん」


 横に並んだアグルエもにこやかだ。そうして、「うん」と頷くメイルムに、エリンスとしても決意は十分だ。


「いけるか?」


 ディムルがメイルムに訊ねる。


「はい」と頷いたメイルムが魔竜ランシャへと向けて目配せすると、頷いた魔竜ランシャはそのまま首を下げて身体を地に伏せた。翼も畳んで長い尾を身体に沿わせて横にし、背中へ乗りやすくするためのステップ代わりとして添えてくれた。


「ランシャ様も、いけるそうです」

「そうか。アグルエ」


 ディムルがメイルムの返事を聞いて横目を向ける。


「はい!」

「空を飛べるアグルエなら感覚は、わかるだろ?」

「はい、大丈夫だと思います」


 アグルエも気合は十分といった感じに拳を胸の前に上げて頷いた。

 そしてまず、アグルエが魔竜ランシャの身体に触れて尻尾を上り、その背中へとよじ登った。

 先頭に位置する翼の根元辺りに跨って、アグルエは「よろしくお願いします」とでも言うようにして、魔竜ランシャの首筋を撫でる。

 続けて魔竜ランシャへと近づいたエリンスは、恐る恐ると足をかけて、鱗に包まれるざらざらとした身体へ触れる。そのままよじ登って、アグルエの後ろを位置取った。

 マリネッタはディムルの手を借りながら魔竜ランシャの背に乗って、最後にメイルムも、マリネッタに手を引っ張られながら魔竜ランシャの背に乗った。


 座り心地がいいとは言えないところだが、ずっしりと鱗の並ぶ大きな背中に手をつけば、安定感が多少はある。

 巨体に跨れば当然のところではあったが、高さは三メートルを超える。すっかり並んだ傭兵やディムルたちが下に見えた。


「大丈夫か! エリンス!」


 口元に手を添えて見上げるディムルに、エリンスは手を振り上げながら返事をした。


「大丈夫です!」


 まだ魔竜ランシャは気を遣って伏せたままでいてくれている。これからいよいよ飛行するわけだが――そうこたえはしたものの、ちょっとした恐怖心はつき纏った。

 ディムルの横でヴァルアードが元気よく叫んだ。


「俺たちも必ず後を追うんで! 勇者候補生様! 聖女様の護衛もお任せします!」


 メイルムはそんな応援の声にも「あはは」と困ったように笑って、エリンスはしっかりと頷いて返事をして見せた。


「エリンス! 無茶はするなよ!」


 その横で叫ぶレイナルも相変わらず心配性で、アグルエの肩より飛び降りて座ったツキノが「任せろ」と頷く。


「まるで、お祭りのイベントね」と苦笑したのはマリネッタ。呆れたように「はぁ」と息を吐くものの、しっかりとエリンスの背中に手をかけて腰の辺りを掴んでいる。

「えへへ、楽しい!」と笑ったアグルエの肩に、エリンスもそっと手を乗せた。


「けど、これから向かう先は、そうとも言っていられないかもしれない」


 エリンスが神妙に口にしたところで、アグルエもマリネッタも「うん」「えぇ」と真剣な表情で頷いて返事をする。


「はい、気を引き締めて!」


 最後にメイルムがこたえたところで被ったフードを外す。

 それを合図にしたのか、身体を持ち上げた魔竜ランシャが天高く届くような、きれいな咆哮を上げた。


――クウォォォーン!


 優しい声だった。霊峰の果てまで届きそうな声は、その場にいた誰をも惹きつける。

 魔竜ランシャが身体を起こしたことでバランスを崩しそうにもなって、アグルエは魔竜ランシャの背中にしっかり掴まり、エリンスもアグルエの肩を抱き寄せるように抱えた。

 マリネッタもエリンスの腰に手を回してしがみつき、メイルムもそんなマリネッタの背中にしがみつく。


 呆然と見上げた傭兵団たちとディムルも、ヴァルアードも、レイナルも、そうして飛び上がった魔竜のことを見つめ続けていた。

 バサンッバサンッと大きく風を打つ翼の音が響き、魔竜ランシャは地上より浮かび上がる。風の流れが変わり、身を切るようにして空気が冷え切って、エリンスは遠ざかる地上と、そこで手を振るディムルたちのことを眺めていた。

 何度かアグルエの翼を借りて空へと飛んだことのあるエリンスにしたって、魔竜ランシャの背に乗って空を飛ぶという経験はまた違ったものだった。


「高いわね!」


 思わず叫ぶマリネッタに、アグルエは頷いてからこたえた。


「じゃあ、やるよ!」


 その声を合図に、アグルエの胸のうちから黒き炎が広がった。薄い輝きを放つ黒炎は膜のように薄くなり、朝日を通しながら魔竜ランシャと四人を包む。


「飛びづらくはないですか?」


 アグルエが聞いたところで、魔竜ランシャはこくりと首を振って頷いた。


「振り落とされないように!」


 マリネッタが念のために、と叫んだところでそれぞれも頷く。


「『それでは、いきますよ』」


 魔竜ランシャの言葉を代弁してくれたメイルムの言葉に、三人も息を合わせて「はい!」と言葉を返す。

 その返事を合図に、魔竜ランシャが一際強く風を打つ。

 アグルエが空間を維持してくれているおかげだろう。空気の流れを感じることも、その冷たさを感じることもなくなってはいたが、周囲の光景が一瞬のうちに流れ去るようにして背後へ消えた。

 スピードもあまり感じないところではあったが、エリンスは以前、魔導小船ボートに乗って酔ったことを思い出す。少し不安にもなるが、目の前ではしゃぐように横顔を向けるアグルエの笑顔と、その肩の上に飛び乗ってはしゃぐツキノの笑顔を見て、安心感を覚えたのもたしかだった。


 高くそびえた霊峰が遠ざかる。どんどんと小さくなるその遠景に、凄まじい速度で飛んでいることも想像できる。

 広がった青空と海に、浮かぶ白い雲を裂くようにして、風の軌跡が一閃。まだ低い朝日に照らされる中、四人の候補生を乗せたドラゴンが空を翔けてゆく――。



 その日、タンタラカの人々は、旅立つ魔竜の背を見送った。

 エリンスたちはあっという間に通り過ぎたというのに、皆その旅立ちを見逃さないようにと空を見上げていた。

 魔竜が飛び立ち聖女が魔王を討ちに旅へ出た――かつて語られた勇者の伝説になぞらえて、町は祭りのように賑わった。

 いずれ伝説となり謳われることになるその旅立ちは、聖女と魔竜の名と共に、勇者候補生のことを称えた歌として、後の世に語り継がれることになったという――。

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