第183話 決意を胸に、同盟として

 エリンスたち候補生は賑わう酒場からひと足早く退散した。集まった傭兵たちは『聖女』の門出を祝うような雰囲気でより一層と賑わいを見せていたが、明日からのことを考えて早めに休むことにしたのだ。

 ディムルが伝手つてを使って宿を押さえてくれていたらしく、エリンスたちは言葉に甘えてその部屋を使わせてもらうことにした。

 男女それぞれに一室ずつ。エリンスとレイナル、アグルエとマリネッタで分かれることを決めて、メイルムはというと、ディムルに送られて山道の森中にある自分のログハウスへと帰った。そっちはそっちで魔竜ランシャと明日のために準備を進めておいてくれるらしい。


 そうして、それぞれ休息を取ることになって、エリンスは一人、勇者協会のあるメインストリートの向かいに立つ宿屋の一室にいた。レイナルは勇者協会へ連絡があると部屋を出ていったところだ。

 ベッドが二つにソファーと机が並ぶ部屋。ディムルが『いい部屋』と称していただけにそれなりの広さもあって、大きな石造りの暖炉が目立つ。火は灯っていないが、冬場の時期には活躍することだろう。

 大きな二枚戸の窓を開けて顔を出せば、三階という高さにある部屋からはタンタラカの町並みを望むことができた。

 夜が更けてきても熱気が静まることはなく、揺らめく炎のぼんやりとした灯りが町を彩る。耳を澄ませば遠くのほうから鉄を打つ、かーんかーんと小気味よい音が響いてくる。

 そうしてボーッと表通りを陽気にふらふらと歩いていく職人らを見ていると、まだ少し肌寒くも感じる霊峰より下る夜風が頬を撫でた。ぶるっと身体を震わせたエリンスは窓を閉めて、ベッドで一早く眠りについてしまった丸まるツキノを眺める。


 こういうとき、いつも一人でいるエリンスのことをからかうようにするツキノだが、今日はそういう気分でもなかったらしい。それにいつもはアグルエと一緒に眠るのに、ツキノにもツキノなりに考えることがあり、こっちで眠ることにしたのだろうか。それもなんだか微笑ましく「ふっ」と息を吐くと、ベッドの横を静かに過ぎて部屋を出た。


 どうもすぐに休む気分にもなれず、ちょっと誰かと話したい気分だった。

 きれいに磨かれた板張りの廊下を進んで、隣の部屋の前へ。そこはアグルエとマリネッタ、女性陣に割り当てられた部屋。


 コンッと静かにノックすると、控えめな声で「はい」と返事をしてくれたのはマリネッタだった。ドアを開けて、マリネッタが顔を出す。


「どうしたの?」


 一瞬、マリネッタの顔を見つめて固まってしまった。いつも後ろで結っている青髪を解いて下ろした姿に、ちょっと違った印象を覚えたためだ。


「……まだ、起きてたか」

「えぇ」


 静かに返事をしながらドアを開けて招くようにしてくれるマリネッタに、エリンスがアグルエの姿を探そうと部屋をのぞけば、ベッドの一つがこんもりと膨らんでいた。枕元からはサラサラと流れる金髪が溢れ出ていて、顔を向こう側にしているが、すっかり眠っているのがわかった。

 魔導船での移動が続いて、それから急に決まった明日の出発。あのような話をするにしても、気遣って疲れる部分があったことも頷ける。エリンスとしても「ふぅ」とひと息吐いて、今はゆっくり休んでほしいと思うところだった。

 エリンスが部屋へと入って、マリネッタは静かにドアを閉めたところで口を開いた。


「あれだけ食べてすぐ寝ても太らないのが羨ましい」


 エリンスの視線を追って何を考えていたのか察するところもあったのだろう、やれやれと首を振りながらもマリネッタは微笑んだ。


「たくさん食べて、それが彼女の力の源なんだよ」


 初めて出会ったときからずっとそのような調子だった。魔族の身体の構造なんかはわからないところだが、アグルエが力を発揮するためにも必要なことが食事なのだ。


「アグルエの力の源は、それだけじゃないと思うけどね」


 ただマリネッタは、エリンスの横顔を見上げながらも笑ってそう返事をした。


「ん? どういうことだ?」

「わからないなら、エリンスはそのままでいいわ」


 笑いながらはぐらかされてしまって、それ以上訊ねることもできなかった。なんとこたえようかとエリンスが迷った間にも、マリネッタは言葉を続ける。


「一つ、聞いておきたかったんだけど。幻英ファントムは、彼女をまだ狙っているのよね?」


 微笑みから一転、真剣な眼差しを向けるマリネッタに、エリンスも切り替えて「あぁ」と頷いた。


「世界を司る力……なんて言われても、正直なところ信じられない」


 そう言ってマリネッタは、己の手を眺める。

 勇者洗礼の儀を受けて、勇者候補生となったマリネッタにも、この世界を巡る白き炎の素質は備わっている。

 信じられなくて実感がないものだったとしても、話を聞いて何か思うところもあったのだろう。マリネッタは「ふぅ」と息を吐いて顔を上げた。

 そんな風にしているマリネッタを眺めてから、エリンスも頷いた。


「この世界は、そうやって回っているんだ」


 それを幻英ファントムは歪んだ世界だと語った。その意味がまだわからないところではあったが。


「それを壊そうとするのが、幻英ファントムなのね。霊樹の枝も、セレロニアでのことも……」


 幻英ファントムはその目的のためにも、世界に脅威を知らしめた。

 ディムルも言っていたが、まだ何もはじまってはいないのかもしれない。


「あの子が背負うものも大きいわね……」


 揺らいだ瞳をベッドで眠るアグルエへと向けたマリネッタに、エリンスも静かに頷いてこたえた。


「……あぁ、でも、アグルエ一人に背負わせはしないさ」

「ふっ、言ってくれるわね」


 たしかな決意を胸に口にしたエリンスに、マリネッタも微笑みながら頷いた。


「初めてあなたたちと会ったルスプンテル、魔王候補生の話を聞いても、いざ相手にしても、よくわからなかったのが正直なところだった。だけど、今となってはなんだか納得できちゃうの」


 マリネッタは優しい瞳をしながら、遠くを見つめるようにして、眠るアグルエのことを見つめていた。


「それが『巡り』だと言うのならば、あのときからこうなることは決まっていたのかもしれないわ」


 マリネッタにも決意と覚悟がある。戦う理由ができたから。

 伝わってくるマリネッタの想いが、そこにある。


「頼もしいよ」

「いいえ、わたしこそ。話してくれて嬉しかった」


 改めてエリンスへと顔を向けて、マリネッタはニコッと微笑んだ。


「こちらこそ。受け入れてくれて、助かった」


 エリンスがそう返事をしたところで、ううん、と首を振ったマリネッタ。しばらく二人して黙り、ただ眠るアグルエのベッドを見つめた。

 すー、すー、と気持ちよさそうな寝息も聞こえるほどに部屋の中は静まり返って、それぞれが決意を胸のうちで噛み締める。

 同盟パーティーとして、肩を並べる勇者候補生として、同じ志を共にする仲間ができたことがエリンスは嬉しかった。

 幻英ファントムを止めなければいけないことを含めて――この先に待っている『世界』が一体何を見せるのか、不安がないと言えば嘘になる。だけど、それでも、と思って前を向けるのは、そんな仲間たちがいてくれることが大きい。

 アグルエにしたって、故郷からついてきたツキノにしたって、こうやって並んでくれるマリネッタにしても。見守ってくれる父親や大人たちも含めて、だ。


「もう一つ、気になることがあるの」


 しばらくそうしていた二人だったが、マリネッタは意を決したようにして口を開いた。


「なんだ?」


 話も切り上げてそろそろ休むかと思っていた矢先だったが、マリネッタがまだ話したいこともあるというのなら、それを聞くつもりでエリンスも返事をした。


「最近、アグルエが何か悩んでいる気がするの。エリンスは知ってる?」


 マリネッタがアグルエにそれとなく聞いても、困ったように笑うだけでこたえてくれないことらしい。それこそ眠る前になると、憂いたような表情をすることがあるようだ。


「いや……」と、話を聞いてエリンスも考えるが思い当たることはない。

 そうやって思い返すとサロミスで離れてからというものの、二人きりになる機会も減ったことに気がついた。アグルエから目を離していないつもりではあったが、悩んでいることに気づけなくなっていたほどだ。


「まあ、何か聞けたら聞いておいて。わたしとしても気になるし」


 マリネッタはそう言うが、エリンスは「どうして、俺が?」と考えてしまう。そこは同性であるマリネッタのほうが聞きやすいのでは、とまで思ってしまうところだ。


「そういうところは鈍感ね、本当に」


 マリネッタはそれもまたエリンスらしいと苦笑するのだが、エリンスとしては腑に落ちない。


「わたしには聞けないから……」と口にしたところで、マリネッタは我慢しきれなかったように「ふあぁー」と欠伸を零した。

 明日からのことを考えると、休めるだけ休んでおいたほうがいいことには変わらない。マリネッタが眠たそうに目を擦ったのを見て、エリンスも我慢しきれずに欠伸をした。


「ふっ、じゃ、そろそろ休みましょうか」


 マリネッタは微笑んで髪を払う。青色が広がるようにさらりと流れて、エリンスもこくりと頷いた。

 エリンスが「おやすみ」と告げて部屋を後にしたところで、マリネッタも「おやすみ。また明日」と返事をしてくれてドアが閉まった。


 静まり返った廊下でもう一度欠伸をしたエリンスは、部屋へ戻って明日に備えて眠ることにした。結局疑問も残ったが、明日からのことに覚えた不安も、マリネッタが話を聞いてくれたことで軽くなったような気がしたのだった。

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