第85話 シスター・プレゼント


 騒動後エリンスとアグルエはファーラス王城の客間の一室を借りて、そこを拠点としてここ数日を過ごしていた。

 しかし騒動を収めた功績として報奨金をもらった手前、未だそれらの後片付けに追われる国を頼り続けるわけにもいかない、と二人は昨日より拠点を街の宿へと移したのだ。

 王城のベッドに比べて硬くなってしまったものの、気掛かりはなくなるためゆっくりと羽が伸ばせるだろう。

 エリンスもそう考えていたはずだったのだが――翌朝、二人は目の下にクマを作り、あまり寝つけなかったことがありありとわかる様子で挨拶を交わした。


「おはよう……」

「……おはよ」


 まるで返事をするかのように寝癖で乱れたアグルエの金髪がぴょんっと跳ねた。

 ただ寝坊をするわけにもいかず、二人は顔を洗ってシャキと気を引き締めなおして、早朝足早に宿を後にする。


 目的地はマリーとの約束の場所、ファーラス王国の北門。

 清々しい朝日が降り注いだ北の大通りを、エリンスとアグルエは口をつぐみ並び歩く。

 街中には店の開店準備をする店主や、朝からせわしなさそうに荷物の配達に駆け回る者などの姿が見えた。

 大きな街ともなれば朝から人出は多いようだ。

 だがその様子を見てもどちらかが口を開くこともなく、やや覚える緊張感を共有するように歩幅を合わせた。

 病院がある西側とは違い、平坦な真っすぐとした北通りを一直線に抜ければ、目的地はもう目の前。

 北門の下、目立つ位置にシスターマリーはいつもと変わらぬ修道服のまま荷物も持たずに待っていた。


「おぉ、来たね。おはよう。よく眠れたかい?」


 二人のことを見つけるや手を上げて挨拶をするマリー。


「おはようございます」

「……よく眠れた顔に見えますか?」


 欠伸を我慢したようにしたアグルエが挨拶を返したのに合わせて、まだ眠い目をこすってエリンスが言った。


「あはは、見えないね」


 軽い調子で笑い飛ばすマリーに、アグルエが我慢しきれず「ふわぁ」と小さく欠伸をした。


「どういうことだか、聞かせてもらえるんですよね?」


 眠気もあってやや不機嫌な様子に聞こえてしまったであろう。

 だけどマリーはそのエリンスにもいつもと変わらぬ調子で返事をする。


「じゃ、とりあえずいこうか」

「……どこへ?」


 話の脈略のなさ。

 この掴みどころのなさはわざとであろう。


「んー? どこっていきたいんでしょ? 赤の軌跡」


 二人の返事を待たずして歩き出したマリーに、エリンスとアグルエは呆然としたままその遠ざかる背中を眺めてしまった。


「マイペースだ」

「そうじゃなぁ」


 エリンスの呟きにこたえたのは、アグルエの肩の上で尻尾を揺らすツキノ。

 ただそのまま眺めていても置いていかれるだけのような気がして、二人は慌てて後を追った。


 ファーラス王国を出た先は、緑一面背の低い草が生え並ぶファーラス大平原。

 エリンスたちがファーラスを訪れた際に通って来たのは南側のルートであったが、北にも同じように広大な大地が広がっている。

 吹き抜ける風は朝の爽やかさを伴ってまだ眠い二人の心を洗い流すように、草花の香りが優しく意識を起こした。

 駆け足で追った二人は、踏み固められた土道を進むマリーの背中にすぐ追いついた。


「どうして?」

「んー?」


 横に並んでそう聞くエリンスを一瞥したマリーは、のんきな調子で空を見上げて真っすぐ歩き続ける。

 立ち止まってゆっくり話す気はなさそうだ。


「リィナーサは忙しそうだから、『あの二人はわたしが特別に監督しとく』って説得しといたよ」

「それで許可が下りるものなの……?」


 やや後ろを追って来たアグルエが驚いたように口にした。


「まあ、わたしのお願い・・・だからね。

 それに、『国を救った二人ならいいでしょう』ってリィナーサは快く許可してくれたよ」


 どういう力関係なのか。

 エリンスは頭を悩ませたが、元より考えても仕方がないのかもしれない。

 勇者協会総本部サークリア大聖堂に、魔族であるマリーが務めていることが普通ではない。


「ほんとはさ、馬とか使うべきなんだけど、わたし、乗れないから!」


 両腕を振り上げるようにして、頭の後ろで手を組んだマリーが言う。


「赤の軌跡って、ファーラスの北……『亡都』の近くだよな……」

「そうだね」


『亡都』――今はその名を呼ばれることもほとんどなくなった亡国アルクラスアの通称だ。


「遠いんじゃ……?」


 遠慮するようにアグルエが聞く。

 エリンスの知識でもファーラスからは人の足で歩けば四日は掛かる距離だ。

 平原のど真ん中をマイペースに歩いて、何の準備もなしに進むような距離ではない。

 一体、何を考えているのか――ファーラスで出会ってからわからないことばかりある人だが、エリンスはより一層マリーのことが掴めなくなった。

 そして相変わらず、マリーは何もこたえてくれなかった。



 三人はひたすら北を目指して進んだ。

 エリンスとアグルエはいつ話をはじめてくれるのだろうか、と待ったが、マリーがそういった素振りを見せる気配はなかった。

 数分歩いて途中で道を外れ、草原の中を進みはじめたマリーの後を二人は戸惑いながらも追って――木々が生い茂ったちょっとした森へと差し掛かったところで、ようやくマリーが足を止めた。


「いい加減聞かせてもらえますよね?」


 エリンスは我慢ならず聞いてしまう。


「まあ、これくらい離れればいいか」


 エリンスに返事をしたわけでもなく、マリーは周囲を見渡してから言った。


「ちょっと待ってね」


 二人から少し離れて距離を取ったマリーが両手を広げて何やら魔法の詠唱をはじめた。

 周囲の空気が乱れた気配がエリンスにも伝わる。

 アグルエは胸を押さえながら、その様子を見守って――次の瞬間、二人の目の前には渦巻く魔素マナで作られた転移の門――ゲートが姿を現した。


「普通は徒歩四日掛かる距離も、これならだいぶ短縮できる」


 なんてことない、といった調子で話すマリーにエリンスは返事ができなかった。

 そう簡単に――易々と出せる魔法ではない。

 転移魔法は勇者協会に属する選ばれた魔導士でも上位のくらいを持つ者にしか扱えないはずだ。


「罠……?」


 警戒心が隠せなくなったアグルエは、右手を腰の下に構えて、いつでも臨戦態勢といった様子。

 その二人の様子を見て我慢しきれなくなったのは、アグルエの頭の上に飛び乗ったツキノだった。


「いい加減話してやったらどうじゃ。こやつらは別にペラペラ喋ったりなぞせん」

「まあ、あなたが一緒にいることを選んでいるくらいだから、そうなんだろうね」


 ツキノを見つめたマリーはそう言ってから、頭に掛けていた修道服のベールへと手を伸ばした。

 濃紺色のそれを取り外し、髪を振り解くように首を振るマリー。

 腰まである長さの金髪が宙を舞うよう乱れ踊る。


「ん?」と、エリンスの横でアグルエは首を傾げた。


 揺れる金髪の中――魔族の証と言わんばかりに、マリーの後頭部には二本の巻角が見えた。

 普段はベールの中に隠れている部分だ。


「その姿……」


 アグルエは構えた腕を解き、すっかり警戒心も解いたようにマリーのことを見つめていた。


「わたしは魔王五刃将まおうごじんしょうがその一人、ルマリア・マリ。シスターマリーとは世を忍ぶ仮の姿さ」


 腰に手を当て、胸を張るマリーには、シスターとして修道服をただ纏っていただけの時とは違い、魔族としての権威が感じられた。


「ルマリア……さん? あの、行方不明だってお父様が言っていた……?」


 アグルエはどうやらその名を知っていたらしい。


「まあ、行方不明ってのも嘘だよ。魔王様は知ってる。

 わたしが今、人界で勇者協会にいることも」


 そう言って「あはは」と笑って見せるマリーは、だがやはりシスターマリーのままだった。


「まあ、詳しい話は向こうについてからにしよう」


 そう言って話を切り替えるようにしたマリーが一足先にゲートの中へと踏み入れた。

 ぐにゃり、と揺らぐようゲートの向こうへと消えるマリーの後姿に、エリンスとアグルエは足を止めたまま。


「安心せい、わらわが保証する」


 アグルエの頭より飛び降りたツキノが、その後に続いてゲートへ飛び込んだ。

 エリンスはアグルエと顔を見合わせて――ただやはり立ち止まってもいられなかった。

 二人は並び、一緒にゲートへ飛び込んだ。

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