第84話 師の面影


 勇者協会前からしばらく動くことのできなかった二人だが、顔を見合わせていても真実がわかるわけではない。

『じゃあ明日朝、8はちのこく! 北門に集合ね!』とマリーは口にしていた。

 話の流れも言葉の意味も、どういうわけだか納得することはできなかったが、明日何かしてくれるつもりではあるのだろう。

 だからエリンスとアグルエは考えることを止め、結論は明日へ持ち越した。

 それに今日、こうして二人が待ち合わせをしたことには理由がある。

『昼過ぎ、協会へ集まるように』と勇者協会から伝達を受けたエリンスは、その後にとある約束を入れてあったのだ。


 二人が訪れたのはファーラス王国、北側の一角に存在するファーラス国立騎士学校。

 広大な敷地に寮も完備され、勇者候補生の養成に力を入れているため、他国からわざわざ留学してくる者もいると名高い名門校。

 かつてはエリンスの師匠、シルフィス・エスラインも通っていた場所だ。


 城門にも勝る立派な正門をくぐって真っすぐと続く道を歩けば、広く取られた演習場には、下はまだ10もいかない子供から、上はエリンスよりも年上20歳前後までの男女が幅広く並び、訓練に没頭していた。

 木剣を振り、模擬戦をする者。

 実剣を振り、人に見立て備えられた鎧へと打ち込む者。

 その顔は皆一様に真剣で、太刀筋からも伝わってくる迫力に、エリンスとアグルエは口を閉じて一瞬足を止めた。


――さすが名門校だ。


 数多くの勇者候補生を輩出するという雰囲気がその一時からも伝わって来る。

 歩みを進め演習場を通りすぎた二人は、校舎である赤レンガで作られた3階建ての本棟を見上げた。


 エリンスは今日の約束のことを思い返す。


 あの騒動の最中――天剣から聞こえたハッキリとした女性の声。

 戦いの後、アーキスへ天剣に触れたときのことを訊ねたのだ。


『エリンスにも聞こえたのか、俺は天剣の意志だと思っている』


 実際、アーキスも声を何度か聞いたことがあるらしい。

 剣の声、あるいは魔素マナの声。

 エリンスはあの声を聞いたときに、既視感を覚えた。

 星刻の谷――そう呼ばれたあの谷で聞いた、姿なき声と。


 魔素マナの声や意志について、エリンスは続けてアーキスへと訊ねた。

 しかしアーキスにも詳しいことはわからないようだった。


魔素マナの声、ですか――』


 だが、その話を横で聞いたウィンダンハが何やら興味深そうに言ったのだ。

 何か知っていることがあるようで、返事をしてくれたウィンダンハが『後日話しましょう』と約束をしてくれた。


 そのような経緯いきさつがあって――エリンスは校舎へと一歩足を踏み入れた。アグルエはその後ろをついて歩く。

 二人はまず目についた受付で手続きを済ませ、一人の職員について階段を上って、豪華な扉が目立つ一室へと案内された。

 表札には『学長室』と書かれているのが目に入る。


――コンッコンッコンッ!


 エリンスは扉をノックする。


「おりますよ」


 すぐに部屋の中から返事があった。

 挨拶を聞いて扉を開けた二人は、「失礼します」とやや緊張を覚えながら部屋へと入る。


 応接間を思わせる、向かい合って並ぶソファーと机。

 大きな暖炉に、壁には勲章の数々や、抽象的な線と図の絵画が飾られている。

 部屋の奥、大きな窓を横にして並べられた机には、ファーラス国立騎士学校を治める者の一人であるウィンダンハ・ダブスンが腰を掛けていた。


「ふぉーっほっほ。ようこそ」


 部屋に入った二人のことを確認するなり、蓄えられた長い白髭をなでながらウィンダンハは笑った。


「今日は、あの時の続きを聞きに来ました」

「そうでしたな、約束をしましたからな」


 席より立ち上がったウィンダンハは近くに立て掛けられていた杖を片手に取ると、並んで立ったままの二人にソファーへ座るようにと勧めた。

 ゆっくりと歩いてきたウィンダンハが向かいのソファーへと腰を下ろしたのに合わせて、エリンスとアグルエも座った。


魔素マナの声、でしたかな」

「えぇ、何か知っているんですか?」


 エリンスが返事をするよりも早くアグルエが聞き返した。


「残念ですが、わしは聞いたことはないのです」


 国に名を連ね、世界に名を残す魔導剣士であるウィンダンハならば――とエリンスはあらかじめ予測をしていたのだが、どうもそういうわけではないようだ。


「ですが、魔素マナの声を聞く一族についてならば、聞いたことがある」

魔素マナの声を聞く一族?」


 エリンスが聞き返す。

 そのような者たちがいることをアグルエはもちろんのこと、エリンスも聞いたことがなかった。


「そうです。ここより遥か東、セレロニアとは海を挟んで間くらい、という位置になりますか。

『ランデリア大陸』に、『霊峰れいほうシムシール』と呼ばれる山々があるのです」


 その地名については、エリンスも聞いたことがある。

 昔父レイナルの書庫で読んだ世界の名所の数々――といったような本の中で紹介されていた。

 純度の高い魔素マナが漂う、標高がある山々。

 その頂上付近の空気は澄み渡り、魔物ですら寄りつかない『聖域』と呼ばれる地域がある、と。


「その山は、聞いたことがある」

「えぇ、有名ですね。ただ常人が辿り着くことは困難でしてな」


 魔物ですら寄りつかないというには、それほどの理由があるということ。

 エリンスはそこに――今ならば気づく原因・・を思いつく。


「その山に、一体何が?」


 結論を急ぐエリンスにウィンダンハは言葉を続ける。


魔素マナの声を聞く一族が住んでいる、と言われているのです」

「言われているって……」


 アグルエが呟く。

 はっきりとした言い方ではないことを疑問に思ったのだろう。


「そんな、大層な一族だっていうのに、確認されていないのか?」

「えぇ、下界の人間とは関係をった、とも語られています。

 わしも直接確認したわけではないからはっきりとは言えないのですがな。

 その一族に出会ったと言っている者ならば知っているのです」


 そこまでの話を聞いて、エリンスは考えた。

 あの声の正体――それはきっと、大事なことだ。

 魔素マナの声がなんなのかわかるならば進むべきこと。


「ツキノはどう思う?」


 エリンスはふとアグルエの肩の上へと視線を向ける。

 今の今までそこには何もいなかったのだが、エリンスが名を呼んだ瞬間、もふっとした白い尻尾が揺れた。


「なんじゃ、妾を頼るのか?」

「いや、まあ……」


 頼るわけではないが、エリンスは話の一端を知っている者の意見が気になった。


「そうじゃな、居場所がわからないあやつ・・・を探すよりは幾分か確実じゃろう」


「たしかに」とエリンスは心の中で納得する。


「わたしは、いってみたいかも。それで何かがわかるなら……。

 けど、エリンスの旅の邪魔になるってなら……任せるよ」

「いや、俺もいったほうがいいと思ったんだ」

「ふぉーっほっほ」


 悩むようにして話し合う二人を見てウィンダンハは笑った。

 エリンスとアグルエは顔を見合わせて、ウィンダンハへ目でこたえた。


「エリンスくんは、かつてのシルフィスそっくりですな」

「師匠?」


 エリンスは唐突に言われたことに少し戸惑った。


「えぇ、でもエリンスくんは、アークイル。レイナルの息子さんってことでしょう」

「父さんを知っているんですか?」

「えぇ、よく知っていますよ。かつての旅の途中、シルフィスがこの街に寄ったときに横にいるのを見たこともあります。今のきみはあの頃のレイナルそっくりだ」


 懐かしむように頷くウィンダンハにエリンスは何も言えなかった。

 食い気味に聞いてしまったが、当然ながらウィンダンハがレイナルの居所を知っているとは思えない。


「似ていますな。わしには二人の剣が宿るように見えるのです」


 なんと返事をしたらいいのか、エリンスは迷ってしまった。

 アグルエはその話を聞いて、何やら楽しそうにしてウィンダンハと共に笑っている。


 少し置いていかれたような気持ちになって、エリンスは一人、先のことを考えた。

 赤の軌跡に挑むことができなくなってしまった手前、西と北の軌跡は仕方なく後回しにするしかない。

 東へ向かえば、セレロニア公国も近いはずだ。そこには――『青の軌跡』も待ち受けている。


「ありがとうございます、いってみることにします」

「ふぉーっほっほ、紹介状を書きましょう」


 ウィンダンハがペンと手紙を取り出して紹介状を書きはじめる。

 霊峰シムシールの麓にある『港町タンタラカ』というところにいる『バートラン』という酒場の店主を訊ねるといいようだ。


 話も一段落つき、紹介状を受け取ったエリンスとアグルエは、ウィンダンハへと礼を告げて部屋を後にする。


 その足で二人は宿へと帰った。

 次なる旅の目的地は決まったが、忘れてならないもう一つの約束がある。

 エリンスとアグルエはやや不安を覚えたまま、一夜を過ごすことになった。

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