第86話 赤の軌跡


 ゲートへ一歩踏み入れたエリンスは、身体をグネグネとかき混ぜられるような奇妙な感覚に襲われる。


「やっぱりこの感覚は慣れないかも」


 視界までもが渦巻きはじめて――横にいるアグルエがぐったりとしたように「はぁ」と息を吐いて肩を落とす様子が目に入った。

 ただそう眺めている余裕はなく、エリンスがぎゅっと目を瞑ったまたたきの合間に――辺りの風景は一変していた。


 空が暗い、森の中。

 森とはいえ、葉のついていない枯れ木の数々が立ち並び、草の一本も生えていない。

 辺りに落ち葉がないところを見るに、もう幾年月もそのままなのだろうといった雰囲気を感じる。

 それに加えて、空気がずっしりと重く、何故だか胸騒ぎもした。

 見上げてみれば黒雲に混ざるようにして、黒紫色みおぼえあるいろをしたもやが空を覆っている。

 ただ暗いだけでなく、不気味な光を放つそれが、異様な気配を漂わせていた。


古代魔導技術ロストマナと一緒だ……」


 エリンスと同じように空を見上げたアグルエが呟いた。


「そういうこと」


 一足先に到着していたマリーが返事をした。

 ツキノはぴょんっと飛び上がり、アグルエの肩へと乗る。


「さて、ちょっと進むと赤の軌跡だ。中に入れば気も休まるだろうさ」


 音もしない風も吹かない森に不気味さを覚えつつ、エリンスとアグルエは歩き出したマリーについていく。

 枯れ木だらけの森を抜け、丘を上っていったところで、遺跡じみたが壁の残骸がちらほらと目につきはじめた。

 以前挑んだ白の軌跡でも見たことのある、今の時代とは違う技術で作られた建造物跡地の数々。

 無言のままに歩いていくマリーに続いて、エリンスとアグルエも丘を進んだ。

 そうすると崩れたものばかりが目立つ中で唯一、形が保たれたままであった石造りの建物が見えてきた。


「白の軌跡と一緒だ」


 アグルエが呟いた言葉を聞いて、エリンスも同じ印象を覚えた。

 ただあの時と違うのは不気味なほど辺りには人の気配もないということだ。


「赤の軌跡は辺境の地にあるからねぇ」


 建物の前で足を止めたマリーは二人に向きなおると言葉を続けた。


「もうこの辺りまで来ると、亡都の近く。空を見ればわかるでしょ?」


 どんよりとした黒紫色のもや

 魔素マナを感じない体質であるはずのエリンスが、覚える嫌な胸騒ぎ。


――アグルエはもっとこの嫌な感覚を味わっているはずだ。


 そう思ってアグルエの表情をうかがうと、不安そうな表情をして空を見上げていた。


「今でも滅びた英知を求めて足を運ぼうとする魔導士もいるらしいけど、残念。

 普通の人間には近づくことも難しい。

 亡国は勇者協会に固く立ち入りを禁じられている、禁足地なのさ。

 人の住める場所じゃない。近づく人もいなければ、この辺りには町や村はないんだよ」


 マリーが丁寧に説明をしてくれた。


「だから赤の軌跡に挑むには、ファーラス勇者協会で許可が必要なのか」

「そういうこと。普段はリィナーサが付き添いで、勇者候補生についてここまで来るんだけど、まあ、国があれじゃあね」


 それだけ厳重な場所に建てられた軌跡ということだ。


「アグルエちゃん、具合悪い?」

「……えぇ、ちょっと。でも大丈夫です」


 心配するように顔をうかがうマリーに、アグルエは返事をした。


「まあ、ここは魔素マナの流れが特段悪いから。中に入ればマシになるかな」


 そう言って再び振り返って歩き出したマリーが建物の中へと入っていく。

 エリンスはアグルエの顔をうかがいながら一歩を進み、アグルエはニコッと笑って返事をしてくれた。

 心配するほどではないようで安心して、そのままマリーの背中を追った。


 遺跡の内部は白の軌跡と同じ、やはりただの開けた広間。

 天井付近に視認できる魔素マナの光が流れているところまでも一緒だった。

 広間のど真ん中にはさらに下へと続く階段がある。


「さて、じゃあ下までいこっか」


 一言告げて歩きだしたマリーにアグルエが聞いた。


「付き添って大丈夫なんですか?」

「あー、ここは『白』とは違うからね。下りたらわかると思う」


 アグルエをまた一人で待たせることになるのでは、と心配したエリンスであったが、その言葉に安心する。


 そうして三人は階段を下りていく。

 白の軌跡のときのようにいきなり別空間に飛ばされるようなこともなく、階段は下の階層、試練の間まで続いているだけ。

 試練の間は上よりさらに広い空間で、その中心には薄く赤い魔素マナが光を放つ巨大な立方体状の結界が展開されている。

 神秘的な雰囲気すら感じる空間に、エリンスとアグルエは足を止めた。


「これが、赤の軌跡……」


 一見しただけでは何をする場所なのか見当もつかない。

 アグルエは無言のまま、雰囲気に呑まれるようにして魔素マナの結界を見つめていた。


「話をしてもらえるんですよね」


 恐る恐るエリンスは聞く。


「その前に、アグルエちゃん。その子・・・をどうしたんだい?」


 マリーはアグルエの腰辺りを指差しながらそう言った。

 突然呼ばれたアグルエは「へっ?」と間抜けな声を上げて、その先を目で追う。


「え? メルトシスからもらったんです」


 マリーが指差していたのはリアリス・オリジンと呼ばれた剣。

 鍛冶師の間では生ける伝説にまでなっている『リアリス』という鍛冶師の打った名剣だ。


「あぁーファーラス王家にあったんだぁ!」


 何かその発見を嬉しそうに語るマリーの表情に、エリンスもアグルエもその意図が読めずに少し考えてしまった。


「どういうことですか?」


 エリンスが聞くと、ツキノは「そういうことか」と納得したように頷いた。


「わたしはね、人間名はリアリス・・・・・マリーと名乗っているんだよ」」


 衝撃の一言にエリンス、アグルエはそれぞれ呟く。


「リアリス・オリジン……その子・・・ってつまり……」

魔王五刃将まおうごじんしょう剣刃けんじんのルマリア……あぁー!」


 二人の反応を楽しむようにしたマリーは笑ってこたえる。


「そー! シスターってのは、世を忍ぶ仮の姿で、本当は鍛冶師なんだね」


 いくつ仮の姿があるんだよ、とエリンスは突っ込みたくもなった。


「まっ、わたしの正体がすべてわかったところで、本来の目的を先に終わらせようか」

「……話は?」


 すっかり話が逸らされていることには気づいている。

 ただ聞き返したところでマリーはやはりマイペースにしかこたえてくれない。


「話を聞く資格があるかも試させてもらうよ! この赤の軌跡、力の試練で!」


 マリーはそう言い放ち、赤い光を放つ魔素マナの結界を指差した。


 基本的に軌跡の話、試練の内容が外部に漏れ出ることはないのだが、エリンスは勇者候補生の噂の中で一説に聞いたことがあった。

 赤の軌跡は、力の試練。

 ただ単純に己の強さを試される場所だ――と。

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