第82話 魔王候補生と草風の王国


 あれから――三日の時が過ぎた。

 王城にて錯綜さくそうした思惑の数々は晴れ、ファーラス王国は一時の平和を取り戻していた。

 元より街に降り掛かった災厄は、『異常がないこと』を演出するための幻術のみではあったのだが。

 関与を恐れられ、街の外へと追いやられていた勇者候補生たちの入国制限も解かれ、無事ファーラスへ到着したことを喜び合ったという。


 ただ、事態が良い方向にだけ変わったわけではなかった。

 関係のバランスが崩れたという二国間、西の大国ファーラス北の帝国ラーデスア

 勇者協会が間に入って話を収めようと奮闘しているというが、そう簡単に丸くなる話でもないようで難航しているらしい。


 ファーラス勇者協会支部長で赤の管理者、リィナーサ・シャレンもそちらの対応に追われ、『赤の軌跡』への立ち入り許可が下りない。

 実質のところ、勇者候補生たちの旅が足止めを余儀なくされていることに変わりはなかった。


 エリンスとアグルエの二人も例外ではない。

 王城の豪華な一室を借りられたことで、身体の疲れも、心の疲れも、十分に休息をとることができた二人だが、未だファーラスへ滞在する日々を過ごしていた。



「ふんふん、ふーん」


 穏やかな昼下がり、そのアグルエはご機嫌な様子で鼻歌を唄いながらファーラス城下街の西通りを歩いていた。

 ファーラスの西側は傾斜になっていて、馬車が四台は並走できそうなほどの広さがある灰色石畳の緩やかな坂道に、真っすぐと商店の数々が並ぶ綺麗な街並みをしている。

 今の時間は馬車が走っている様子もなく、人々は広い道路に飛び出して解放感を満喫するようだった。


「なにやら、ご機嫌じゃのう」


 アグルエの肩の上、もふっとした白い尻尾を揺らしながら白狐――ツキノが言う。

 鼻歌に合わせてやや弾む足取りに、少し乗り心地が悪いようでジトッとした目をアグルエへ向けている。


「うん、エリンスにお小遣いもらっちゃったんです」


 ニコッとしながらそう言ったアグルエの横顔へ、ツキノは笑いをこらえきれないといった様子で「くふ」と零した。


「お小遣いって、子供じゃなぁ」


 話をする二人の前を子供たちの集団が「わぁ」「きゃぁ」と騒ぎながら横切った。

 足を止めてその様子を眺めたアグルエは子供たちが通り過ぎた後、歩みを進めながら返事をする。


「昨日街で美味しそうなお店屋さんを見つけたのって話をしたら、じゃあってくれたんです」

「甘やかされているのう」

「そうかな?」

「じゃなぁ、くふふ」


 ツキノは楽しそうに笑う。

 アグルエはその声を耳元で聞いて、「よかった」と一安心した。


 あの騒動で力を使わせすぎてしまったツキノは丸一日眠った後に目を覚ました。

『心配ない』と散々口にしていたもののこの三日間、ツキノの様子にどこかいつも通りではないところがあって、アグルエはずっと気にしていたのだ。


「して、その『美味しそうなお店屋さん』とはなんじゃ?」


 楽しそうに話をしてくれるツキノ。

 なんだかんだと言いながら、そちらが気になったようだ。


「帰りに寄るので、お楽しみ!」


 昨日はエリンスと行動を共にしていたツキノだ。

 アグルエは一人で気晴らしに散歩をしているときにそれを見つけたのだ。


「なーんじゃ……」


 つまらなそうに返事をしたツキノの頭をなでて笑ったアグルエは、ひとまず目的地――ファーラス国立病院を目指して道を進んだ。



◇◇◇



 ファーラス国立病院は西大通りを進んだ先にある広場に面したところに建っている。

 白い石壁で囲まれた広い敷地の中には、手入れの行き届いた一面の芝生が広がり、花々が揺れる。

 少し高いところへ上って来たためだろう。

 吹き抜ける風は優しく、街中にいることを忘れさせ、大自然の中にいることを思わせた。


 4階建てのファーラス城とそう変わらない大きさを誇る白い大きな建物の正面扉を通って、アグルエは目的の人に会うために病院の中を進んだ。


 明るい色で統一された清潔感のある病院内では、白と緑を基調としたエプロンドレスに本を片手にした者や小さな杖を携える者たちが忙しそうに働いていた。

 そのほとんどが治癒魔法を専門とした魔導士。

 医者の元働く魔導士のことを治癒士ちゆしと呼ぶ、と昨日エリンスが教えてくれた。


 アグルエは初めて訪れた人界の大きな病院の物々しい雰囲気に少々かしこまってしまった。

 緊張したままに受付で面会の手続きを済ませて、一人の治癒士の女性に案内され目的の病室を訪ねた。


 案内してくれる治癒士がドアの前で足を止めると、コンッと一回ノックする。

「どうぞ」と聞こえた返事を合図に、治癒士が中へ入るようにとアグルエを誘ってくれた。


 覚えた緊張感故におずおず一歩を踏み出したアグルエは、「こんにちはー」と挨拶をしながら部屋へと入る。

「ごゆっくり」と簡単な挨拶を背後からした治癒士がドアをしめてくれた。

「ありがとうございます」と会釈をしてから、アグルエは部屋を見渡す。


 清潔感あるクリーム色の壁と床。

 大きく開いた窓から差し込む日差しは柔らかく感じられ、吹き込むそよ風が優しく髪を揺らす。

 空調の効く部屋の中は適度な温度が保たれて、利便性を図って作られたベッドの上には一人の女性が身体を起こして座っていた。


「ラージェスさん」

「あぁ、アグルエさんか」


 名を呼んだアグルエに返事をしたベッドの上の女性は、ラージェス・ソレアタ。王国騎士の一人だ。

 ただ、今はその証である鎧を身につけておらず、薄いオレンジ色のパジャマ姿にカーディガンを羽織っている。

 女性らしい柔らかい表情をしたままに返事をしたラージェスは、ベッドから下りて立ち上がろうとするも、背中を押さえて動きを止めた。


「構わないで、大丈夫です」

「すまぬ、つい癖で……いてて」


 そう言いながらベッドの上で背中を押さえ続けるラージェス。

 先の騒動で大怪我を負ったラージェスは、現在もなおファーラス国立病院に入院中の身だ。

 駆けつけたアグルエが魔法である程度治療したとはいえ、所詮その場しのぎのものでしかなかった。


「具合、その後はどうですか?」

「あぁ、まだ痛むことはあるが、おかげさまでな」


 笑ってみせてくれるラージェスにつられて、アグルエも微笑んだ。


「よかったです」

「生きているのが不思議なくらいだって……」


 少しうれいを含むような表情で下を向いたラージェスに、アグルエは言葉を詰まらせた。

 主君を守るために身を挺したラージェスの覚悟。

 後から話を聞いただけのアグルエにも、その顔には含まれた決意が垣間見えた。


「お医者様もどんな治癒魔法を使ったんだ~って驚いてたよ」


 ラージェスは顔を上げてそう続けた。

「あはは」と誤魔化すように笑ったアグルエに、ラージェスはさらに言葉を続ける。


「ありがとう、アグルエ……さん」


 真剣な眼差しを向けられて、いたたまれなくなったアグルエは手を前に出して振って顔を逸らしてこたえた。


「いえいえ、わたしもできることをしたまでで!」


 向きなおったアグルエは言葉を続ける。


「それと、アグルエでいいです」

「そうか、わたしもラージェスで構わない」


 アグルエの肩の上で尻尾を揺らすツキノはただ二人のやり取りを見守っていた。


「まあ、まだ騎士として復帰するには遠くなりそうだ。身体が鈍らないようにしないとな」


 そう笑って窓の外へと顔を向けたラージェスの視線をアグルエも追った。

 ふとベッドの横、ラックの上に置かれた割れた髪飾りが目に入る。


「それ……」

「ん? あぁ……」


 アグルエの目線を追ったラージェスが頷いた。


「うむ、あの戦いからちゃんと持って帰って来たものだ」


 アグルエへと顔を向けてラージェスは言う。


「わたしがメルトシス様を守れた証だ」


 吹っ切れたように笑うラージェスの表情を見て、アグルエも自然と微笑んだ。

 たしかなものを守れた証――同時にその笑顔を見て、アグルエもまたそう思えたのだった。



◇◇◇



 病院を後にしたアグルエは来た道を引き返し、エリンスと待ち合わせをしている勇者協会を目指して歩きはじめた。

 だが、その前に大事な用事がある。

 元より楽しみにしていたアグルエよりも、肩の上のツキノのほうがわくわくしだしたようで、尻尾をぶんぶん振っている。

 首筋をなでられてくすぐったくて、アグルエは笑ってしまう。


「あはは、ツキノさん、落ち着いて」

「いい匂いがするのう」


 西通りの一角、漂う甘い香りと香ばしい油の匂いにアグルエも気がついた。

 目的の店は目前だ。

 お洒落なガラス戸の前には、数人並ぶ人の姿も見える。

 外から店内が見渡せるガラス張り、喫茶店の様相をしている店構え。


 併設されて、店先には露店も出ていた。

 ちょうどタイミングが良かったのだろう。

 そちらには並ぶ人影が見えなかった。


「昨日はすごい人がいたのに」

「時間帯かのう!」


 驚いたアグルエの横で、焦りを隠せないツキノがこたえる。


「ちょうどいいの!」


 はやる気持ちを抑えきれないツキノの声に気圧されて、アグルエは駆け足で露店に寄った。


「いらっしゃいませ――」


 簡単な挨拶に続けて、露店のお姉さんが案内をしてくれた。


 この店はドーナッツ屋さんだ。

 露店に設置された銀色の大きな鍋の中、丸められて輪っか状に形作られた生地が、カラカラと音を立てながら、油の海をゆらゆら泳いでいる。


「少し、離れてて」


 露店のお姉さんの言葉を聞いて、アグルエは数歩引き下がった。

 それを確認した露店のお姉さんはニコッと笑ってから両腕を広げる。

 今から何がはじまるのだろう――高鳴る鼓動に胸を押さえたアグルエは、目を輝かせたままにその様子を見守った。


 お姉さんが魔素マナを操りサーと振った手に合わせて、油の中にいたキツネ色のドーナッツたちが宙へと舞う。

 周囲に飛び散る油の残滓が日に当てられキラキラと輝き、お姉さんは続けて、チョコとストロベリー、二色のソースを魔素マナに乗せ操って、宙へと放つ。

 丸くシャボン玉のように浮かんだ二色のソース。

 お姉さんが両腕を振るう動作に合わせて、宙を舞うキツネ色のドーナッツたちが流れるようにソースへ飛び込んだ。


 漂う甘い香りに、弾ける魔素マナと油の残滓が光を放つ。

 浮かぶ二色がそれを演出するよう彩った。

 鮮やかな光景と見事な手際に、アグルエもツキノも見惚れてしまった。


――パチパチパチパチッ!


 聞こえてきた音でアグルエは我に返る。

 辺りを見渡してみれば、自然と集まって来た人たちが一様に拍手を送っていた。

 アグルエもつられるようにして手を叩く。


「で、お客さん、お味はどちら?」


 お姉さんに訊ねられて、アグルエは肩の上のツキノの顔をうかがう。

 ツキノは未だ呆然としたままに頷いた。


「一つずつで!」

「へへっ、毎度!」


 お姉さんが紙に包んで差し出してくれたチョコ味のドーナッツと、ストロベリー味のドーナッツをアグルエは受け取った。

 軽快な笑顔を飛ばしてくるお姉さんにこたえるようアグルエも微笑んだ。


 支払いを済ませて、アグルエは二つのドーナッツを手にその場を離れる。

 お姉さんのパフォーマンスによってできた人だかりでは、次々飛ぶようにドーナッツが売れていく。


「昨日すごい人がいた、という理由がわかったのう」

「うん、すごかった」


 ツキノにそう言われてアグルエは頷いた。

 近くにあったベンチに腰掛けると、買ったドーナッツの内の一つをツキノに差し出す。

 アグルエの肩の上から飛び降りたツキノは器用に前足でそれを受け取ると、ぺたんと横に座った。


「その身体で、味ってわかるんですか?」

「ん? まあこうしての」


 そうしてツキノが何かをして――アグルエが瞬きをした間に、ツキノの手にしていたドーナッツが消えた。


「妾の元まで飛ばした」

「あはは、荒業……」

「一種の空間収納魔法じゃな。そっちとこっちとで繋がっておる」


 ツキノの説明がよくわからないアグルエだったが、「ふーん」と納得しておくことにした。

 説明されてもわからない難しい魔法だろう。

 頷きながらパクッと一口、ドーナッツを口にしてアグルエは目を見開いた。


「おいしい!」

「うむ!」


 しっとりサクサクとした生地に、ほんのり甘酸っぱいストロベリーの香りが鼻へと突き抜ける。

 まだ温かい出来立てのドーナッツは格別だった。

 一口、二口、と止まらず、ドーナッツはあっという間に胃袋の中。


「おいしかった」


 うっとりとしたアグルエがそう言った声にツキノは頷いて、「ん?」と警戒したように尻尾を立てる。

 二人が座るベンチの前に近づく人影があった。

 アグルエは気づくのが一瞬遅れる。


「……お主がこんなところにおろうとは」


 ツキノは人影を見上げたままに言葉を零した。


 肌の露出を抑えた修道服を頭から被るよう着用している女性。

 ベールの下からのぞいた長い金髪に、赤銅色の瞳を持つ切れ長の目が光る。


「おーいたいた。やっぱ追いついたよ」


 軽い雰囲気で話す様がその格好と似つかない。

 そして近づいて来るまでアグルエが気づかなかった、その気配・・・・


「やっほー!」


 軽い調子で手を挙げる女性にアグルエは警戒心が隠せない。


「何が、狙いですか」


 女性が纏っている気配は魔族のそれだった。

 アグルエは女性の顔にどこか見覚えがある気もしたのだが――魔王候補生ではない。

 それに殺意も敵意も感じなかった。


「あらやっぱ、『魔封』っても、試作品のほうだと気づかれちゃうか」


 首から下げる銀の十字架がついたネックレスに触れながら女性が言う。


「ふむ……」


 女性を見て頷いたツキノがアグルエの肩の上へと飛び乗った。


「あらまあ、かわいらしい姿になっちゃって」


 そう言われたツキノが返事をするように尻尾を揺らした。


「まあ、積もる話は後がいいかな? アグルエちゃん。

 わたしはシスターマリーって名乗らせてもらってる、怪しい者じゃないよ?」


 名前を呼ばれてそう言われても――どうして名前を知られているのか。

 アグルエは覚えた警戒心を余計に忘れることができなかった。

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