第80話 幻英《ファントム》


 時は決戦前――エリンスがラージェスを抱えて玉座より退避したその頃。

 ウィンダンハが解放した勇者協会へアブキンスとアメリアを届けて、アグルエは一人、城門前へと戻って来た。

 ツキノのことは勇者協会のカウンターの上に寝かせて、「見守っておいてください」と任せてある。


――これで安心、わたしも戦える!


 今も戦っているはずのエリンスを、そして止めるべき相手を見定めて、アグルエは城門を見上げていた。


――疲労は感じるしお腹も空いたけど、まだまだ大丈夫。


 目を覚ますように頬を叩いて、「よし!」と一言気合を入れてから城門をくぐる。


 アグルエは油断をしていたわけではない。

 決して疲れて気が抜けていたわけでもない。

 だがその気配に気がついたのは――目の前にしたときだった。


 城を出て、アグルエのほうへ向かってくる人影が見えた。

 今もなお戦いが続くはずの城から出てきたことに、アグルエは違和感を覚えたのだが、それ以上に、男が持つ雰囲気が異常だった。


 オールバックの黒い髪。

 カッチリとした印象を覚える黒に統一された服装に、前開きの暗い色のローブを羽織っている。

 身長は高く、年齢は見た目からはわからないが、まだ若いように見える。

 何より目についたのは、目元だけを隠すようなマスカレードマスクをした異様な雰囲気。


 アグルエが足を止めたのと同時に、その男も足を止めた。

 マスク越しの目がアグルエを上から下まで一瞥し、二人の視線が交差する。


「もう、世界は動いていたいのか。くはは」


 突然と笑い出した男が単純に怖かった。

 出で立ち、雰囲気――その人が持つ特色、魔素マナの流れ。

 どこを見ても違和感しかない――嫌な予感・・・・


「運命の悪戯か、それともこれこそが天命か?」

「あなた、何を言っているの……」

「わからなくていい、今はまだ!」


 男は一人でアグルエのことなど気にしないように面白おかしそうに話を続ける。


「そう、まだわからなくていい。いずれわかる時は来る。それは必然で、偶然なんかじゃあない」


 アグルエは何も言えなかった。

 この男が何を言いたいのかもわからない。

 わかりたくない――本能でそう感じた。


「だったら今日の出会いはなんなんだろうな。やはり、悪戯だろうか?」


 達観するように腕を広げて見下ろしてくる男に、アグルエは本能的な畏怖のままに黒い炎を手に出した。

 命の危険を感じないことが、男の不気味さをより際立てる。

 だが男は滅尽めつじんの力を構えたアグルエを見てさらに笑った。


「くはははは、描かれた軌跡はいずれ一点で交わり繋がっていく。

 それは大きな円を描くのだよ。だが、今じゃあない」


 男は右手を前に出し、言葉を続ける。

 何かをされる――そういった危機を察知したものの、アグルエは身動きが取れなかった。


「俺ときみの軌跡が交わるのは、まだ先だ」


 そう言われて、アグルエは黒い炎を飛ばそうと試みるのだが――ふいに、浮かべていたはずの滅尽めつじんの力がかき消された。


――そんなはずはない!


 アグルエは驚いて自身の手を眺めるのだが、力を出すことができない。


 何をされたのかわからない。

 魔素マナが動いた気配すらなかった。

 男の顔を見ても、不敵に笑うだけ。

 翳していた右手を下げて、男はそれ以上何かをするつもりはない、とでもいうように目を細めた。


「そう早まるな、俺の用事は終わった。この国にもう用はない」


 種のない手品のようだ。

 男から感じる気配は間違いなく人間のもので、魔族のたぐいではない。

 だけど、滅尽めつじんの力を止めた今の動き――魔素マナなくしてできるものではない。

 冷や汗が背中を伝い、アグルエは今まで感じたことがない、言い様のないたしかな恐怖を感じた。


「だからこの場での俺ときみとの関係は、ただのすれ違った他人でしかない」

「あなたは、一体……」


 そこでようやく口が動く。


「俺なんか気にするよりも、早くいったほうがいいんじゃないか? 国がとんでもないことになってしまうぞ」


 男はそう言って、「くはは」と笑って見せる。

 間違いなくこの男は知っている。

 今――城で、この国で、何が起こっているかを。


「俺は巻き込まれる前に退散させていただくとしよう」


 右腕を茶化すように振り上げて、男は歩きはじめた。

 動けないままでいるアグルエの横を通り過ぎてすれ違って――アグルエは慌てて振り返った。


「あなた何者なの!」


 動揺のままに言葉が口をく。

 男は足を止め、振り返らずに返事をした。


「ただの通りすがり、ただの野次馬。あるいはただの研究者。

 まあなんでもいい、俺はここ・・にいなかった、ただの幻影。それだけだ」


 そう言い終えてから、男が再び歩き出す。

 だが、アグルエはその隙だらけの背中を追う気にもなれなかった。

 返事をしたようで返事をしていない。

 暖簾のれんを腕押したような、肩透かし。


「いずれまた会おう、魔王の娘よ」


 そう言って立ち去った男の影を、ただアグルエは眺めることしかできず――

 言われたその言葉の意味を理解したのは、男の姿がすっかりと見えなくなったときだった。



 ◇◇◇



 決戦を終えた夜――話を終えた後、エリンスはベッドの上で寝転がって天蓋を眺め続けた。

 疲れているはずなのに寝つけない。

 それはきっと想いを直で受け取って、受け止めたから。


 隣のベッドには寝息を立てはじめたアグルエと丸まって眠るツキノがいる。

 アグルエもしばらく寝つけないようだったが、力を使いすぎたことはエリンスから見ても明らかな事実。

 その疲労感は想像できない。気づけば寝てしまったのだろう。

 起こしては悪い、とただ無言のままに、エリンスは未来さきを見据えた。


 勇者協会が追っている人物、幻英ファントム

 ファーラス王国で起こった今回の騒動。

 その裏で暗躍していたのはアグルエの話の中に出てきたそいつ・・・だろう。


 結界装置の魔術を書き換えられるほどの知識。

 国の人間と、魔王候補生らの糸を引くほどの影響力。

 アグルエの正体を見破ったことに、魔族の力を凌駕した謎の力。

 そして、そいつの目的がなんだったのか。


 何か差し迫る脅威のようなものを感じはしたが、今はまだ何もできない、わからない。

 ファーラス王国を襲った幻惑は晴れた――だが裏に縺れた思惑の意図は、考えても解けないものだ。


「んーぅ……」


 隣のベッドで寝返りを打ったアグルエの声を聞き、エリンスはふと我に返る。

 カーテンレースに透ける月明かりに、穏やかな寝顔が照らされる。


 今はまだ見えない影を追っている。

 だけどその幻影が目の前に立ち塞がるのなら、もう迷わないし、迷わせない。

 受け止めた想いなみだの分だけ強くあろう――エリンスは決意し、目を閉じた。





        ――思惑縺れる魔幻の都市 fin,

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