第78話 魔幻堕つ双撃の戦空


「いこう、ラータ。今こそ一つに……」


 エリンスに両断されたルミラータの身体が光を纏って、そのまま溶けるよう消えていく。

 静かに手を前に出したルミアートは、その光を掴むようにして手を握る。


 エリンスは違和感を覚えた。

 たしかに斬った手ごたえはあった。

 だが、どうもそうではない。


 光となったルミラータの身体が、ルミアートの手に魔素マナの流れとなって集まりはじめる。

 エリンスはそれに似た光景を見たことがあった。

 星刻の谷――そう呼ばれたあの森で、借乗しゃくじょうの魔王候補生エムレエイが魔物ギガントベア魔素マナとして吸収した光景。


「まさか……」


 焦ったような表情をしたアグルエが、エリンスの横へと並ぶ。

 ルミラータが離れたことにより身体の自由を取り戻したようだ。


 ルミアートへと集まった魔素マナの流れは、その身体を包んでより一層輝いた。

 ルミアートの姿も光の中へと消えて――エリンスとアグルエは、ただ目の前で起こることを眺め続ける。

 神秘的な光の渦を前にして、手出しができなかった。


「エリンス、魔族は魔素マナから生まれるの」

「あぁ……」

「双子は、分かたれた魔素マナの半分ずつ……」


 ぼんやりとその光景を目にしながらアグルエが語る。

 エリンスにもその意味がわかった。


 ゆっくりと光が集束していく。

 そうして、光の中から姿を現したのは、成長した二人・・の姿。


 大きく伸びた角。大きく広げられた両翼。尻尾は二股に分かれている。

 長く伸びた髪は、ルミアートをベースにしているのだろう。

 顔の半分のところで、蛍光色が強い水色とピンク色へと分かれている。

 鋭い目つきは幼かった先ほどまでの面影を残しつつも大人びていて、口元は妖艶な笑みを浮かべるように吊り上がる。

 スラッと伸びた手足に、身長もアグルエと同程度まで伸びている。

 メリハリがある女性のような身体つきも、すっかり大人のそれだ。

 ドレスのような服装をしているが、揺らめくような光がぶれる。布ではない――魔素マナだ。


「それが、本当の姿だったってわけ……」


 アグルエが目を離さずに聞くと、ルミアートは「きゃはは」と笑ったままに、口を開いた。


「そう、わたしの意識とラータの意識は今一つに戻った。これだけの力があれば!」


 幻操げんえい操影そうえい

 二つを一つにしたルミアートは、力を込めるように翼をはためかせた。


「あなたはそこで見ているといいわ!」

「まずい、エリンス!」


 アグルエがそう叫ぶのと同時、空へと飛び上がったルミアートは、結界塔の天井へと手を伸ばして魔力の球を放つ。

 塔全体が揺さぶられるような衝撃に、エリンスとアグルエは互いに支え合いながらバランスを取り、天井を見上げた。


 そうして開けられた穴より、ルミアートが外へと飛び出していく。


「直接結界に触れるつもり!?」


 アグルエの声はもう届いていない。


「エリンス、追わなきゃ!」


 慌てる声に頷き返事をして、エリンスはアグルエに背中を向けた。

 アグルエがその背中へと両手を翳して触れる。

 身体全体を包み込むような温もり。

 アグルエの胸の内より膨れて溢れた黒い炎が、エリンスの全身をも包み込んだ。


 アグルエの腕より広がる黒い炎が翼となって――二人は空へと羽ばたく。

 意識を一つに集中するように――エリンスはアグルエに背中を預けて、ルミアートが飛び出していった穴へと目を向けた。

 バサッと聞こえる魔素マナが広がる気配を背中に感じて、エリンスは外へと飛び出した。



◇◇◇



 ファーラス上空、結界塔よりもさらに高い位置。

 街の中心部からは、東西南北へと広がるファーラスの城下街が一望でき、その先に広がる草原も山々もよく見渡すことができた。

 結界の根元、流れ出す魔素マナの源近くにルミアートが佇んでいる。

 ああは言っていたものの、追ってくることがわかっていたのだろう。


「やっぱり来るのね。アグルエ」


 翼となってエリンスの背中に手を当て続けるアグルエは返事をしなかった。

 それよりも――二人はそこにあるものに驚いてしまったのだ。


 結界装置によって集められた魔素マナが湧き出す中心部。

 普段、地上からは視認ができないような高度のところには、大きな輪が巡廻するよう流れていた。


 エリンスもアグルエも、それをどこかで見たことがある――そういった既視感に襲われた。


 ルミアートと同じように結界へと近づいて、その力を取り込んだダーナレクの背中にあった魔素マナの輪。

 あるいは、星刻の谷で見た巨大な壁画――そこにあった大きな輪。


「結界の上には、こんなものがあったのか……」


 エリンスが思わず言葉を零して、それに対して返事をしたのはルミアートだった。


「随分と、余裕があるねぇ!」


 どこから取り出したのか――湾曲する刃を持つ剣、シミターを手にしたルミアートが振り抜きながら近寄ってくる。

 迫る殺気に気がついたアグルエが、一早く回避行動のために翼をはためかせる。

 距離を取って体勢を立てなおして、エリンスは剣を構えた。


 曲がるような刃、大振りな刃物ではないが――魔素マナの気配は感じない。


「エリンス、あれは実剣だよ」


 背中のアグルエが教えてくれる。


「そんな気はした」


 返事をしたところで、ルミアートも剣を構えなおした。


「どうしても止めるって言うんだよね、あなたは」


 アグルエに向けられた言葉――

 エリンスの背中越し、アグルエは黒い炎へと意識を集中させたままに返事をする。


「止める! あなたたちのやり方は許せない!」

「そう……」


 静かに返事をしたルミアートは、右手に剣を構えたまま、左手には魔力の球を浮かべている。


「昔からあなたは強かった。わたしの憧れでもあった。けど、憧れだけでは何も変えられない!」


 視線をエリンスとアグルエから逸らして、その球へとうつしたルミアート。


「だから、今ここでわたしは、あなたを越える……」

「エリンス!」


 ルミアートが何かをしようとしているのを察知して叫んだアグルエ。

 それよりも早く、魔素マナの流れで繋がっているエリンスにはアグルエの考えが伝わってくる。


 アグルエが翼を羽ばたかせ前へと突進をはじめたのと同時、エリンスも剣を下段へ構えなおした。

 滑空するように近づいて――その速度を乗せて、剣を振り抜く。

 ルミアートは避けようともしなかった。

 静止したままのルミアートを切り裂いた――手ごたえはあったはずなのに、雲を掴んだような違和感。


「くる!」


 叫んだアグルエが翼を動かす。


幻影刃げんえいじん!』


 どこからともなく聞こえた声に、エリンスはその姿を探そうとする。

 だが――探すまでもなかった。

 迫ったルミアートがシミターを振るって一太刀。

 上昇してそれを避けた二人は、辺りを見渡して動きを止めてしまった。


 数え切れないほどのルミアートの影――

 上も下も、左も右も、前も後ろも、数十人の幻影ルミアートに二人は囲まれる。


「いつの間に……そんな魔素マナを使った気配はなかったのに」


 困惑するアグルエにルミアートはこたえる。


幻操げんそう操影そうえいを一つにした今のわたしは、幻影げんえいの魔王候補生とでも呼んでもらえばいいのかしらね』


 どこから聞こえた声なのか、判断がつかない。


『幻影のパレード!』


 詠唱を合図に、二人の周囲にいたルミアートが三人同時に切り掛かってきた。


「くっ」


 エリンスは、振られる剣を弾いて斬って応戦する。

 一人一人の強さは大したものではないが、幻影と思われるルミアートは実体を持っているような感触がある。

 剣を剣で受け止めたときに感じる重さ――それは本物だ。ただの幻ではない。

 しかし、一つ一つを斬り伏せたところで手ごたえを感じられない。

 斬った幻影は煙のように消えていく。


『無駄無駄! わたしにはダメージないの』


 続けて――今度は幻影ルミアートが五人、同時に飛び掛かってきた。


「エリンス、飛ぶよ!」

「あぁ!」


 アグルエの考えを察したエリンスは、一人目を剣で弾いてから意識を背中のアグルエへと預けた。

 黒い炎の翼をはためかせて上昇――そのままの勢いで翼を大きく広げたアグルエが、羽風を叩きつけるようにして迫るルミアートへとぶつける。


滅尽翼風オワリノハバタキ!」


 翼より放たれた風圧に黒い炎が渦巻いて、一瞬のうちに五人の幻影を消し炭にした。


――キリがない。


 周囲を見渡したところで、ルミアートの幻影が数を減らしたようには見えない。


「アグルエ、どうする」

「本体を、探さなきゃ……」


 それに二人の息は絶え絶えだった。

 アグルエの消耗が激しい。

 ここに来るまでに――無茶をさせ過ぎている。


――長くは飛べない。


 エリンスは確信し、辺りを見渡して本体を見極めようとするものの――


『二人の意識を合わせて飛ぶ。わたしには見えるよ、繋がらなきゃならない綻びが!』


 どこからともなく聞こえるルミアートの声に、アグルエの集中が乱される。


 ルミアートもルミラータも、対峙してから常にこちらをうかがうようにしていた。

 動き方を見ているというよりは、心の内を見られているような不気味さがあった。

 幻操げんそうも、操影そうえいも、心に関与する力――

 現にアグルエの身体を乗っ取ったとき、ルミラータはアグルエの動揺を誘ったようなことを口にしていた。


『だから、こうしてあげる! 幻影響鳴ジャミング!』


 エリンスが考えている間にも、ルミアートが動く。

 剣を手にしていない左手を一斉に振り上げる幻影ルミアートたち。

 その手先から空気の震える振動が波紋のように広がった。


 ズキッとする頭痛。


「ぐっ」

「くぅ」


 二人の高度がゆっくりと下がっていく。

 頭に響いてくるようなキィンとした高音に、繋がる意識が阻害され、二人の集中がかき乱される。


「力の出どころは、一つ……」


 アグルエが呟き、エリンスは考えを察して頷いた。

 だがそう止まって考えている暇もない。

 アグルエの魔素マナの出力が弱まっているのを背中で感じている。


『あなた一人なら、そうはならなかったでしょうに!』


 迫るルミアートの幻影が一人――シミターを構えて突撃してくる。


「うん、だから……これはきっと、わたしの迷い……」


 アグルエがこたえる。

 エリンスは迫った幻影を剣で弾いて、最小限の動きでバランスを崩さないように攻撃を受け止めた。


『迷い?』

「あなたを救えなかった、その迷いが、この幻影を見せている」

『救えなかった? 何を……』

「わたしは独りじゃなくなったから、いろんなものが見えたの」


 透き通るような綺麗な声で言い切ったアグルエの言葉を聞いて、エリンスは頭痛が治まっていることに気づく。


――わたしも、もう迷わない!


 瞬間、エリンスの心の内に響いたアグルエの声。

 同時に光景が見えた。


 くぐった城門、見上げるファーラス城。

 すれ違う、目元だけを隠すマスクをした男の影――


――なんだ? これ。


 楽しそうに笑う、何か・・を喋り続ける男。

 たしかに感じた、鮮烈な恐怖心。


――これは、いつ……?


 エリンスは疑問を感じて思い出す。

 前回、港町ルスプンテル炎蒸えんじょうの魔王候補生ダーナレクと対峙したときにもこのようなこと・・・・・・・があった。


 それは、アグルエの心の情景――魔素マナを通して、伝わってくる想い――傷と動揺・・・・


「いくよ、エリンス! 覚悟は決めたから!」

「……あぁ!」


 決意のこもったアグルエの声に、エリンスは少し遅れて一言頷いた。

 翼をはためかせて、さらに上昇をした二人は一つの幻影ルミアート目掛けてけ出した。


 アグルエの不安、恐れまでもがエリンスの中に伝わった。

 だけどそれを上回るほどに湧き上がる想いが、エリンスの迷いすら消し飛ばした。


「なっ!」


 焦ったような声を上げて驚くルミアート。

 気づけば周囲に数十人見えていた幻影は消えている。


 ルミラータとルミアート、二人の力が合わさったところで本来の力と変わったわけではない。


 アグルエは最初に言っていた。

幻操げんそう」は本来強い力ではない――と。


 心の隙をつく幻術。

 動揺した心の隙間を埋めた「まやかし」に過ぎない。


 ルミアートへと急接近した二人、エリンスは下段へ構えた剣を振り抜く。

 幻影を破られると思っていなかったのだろう――ルミアートは判断が遅れたようだ。

 手にしたシミターで剣撃を弾き、後ろへ飛び退くが――

 エリンスの背より手を離したアグルエが一人、その肩を飛び越え前に出る。


「あなたは望まない選択をした。きっとこうじゃない未来もあった」


 アグルエは腰に提げた剣――リアリス・オリジンを抜く。


あいつ・・・じゃない!

 わたしが手を取ってあげられていれば、こんなことにはならなかったのに!」


 声にこもった哀しい痛み。

 エリンスには痛いほどに伝わっていた。


 アグルエの迷いの原因は、後悔だ。

 ファーラス王国に近づいたときから――ずっと不安そうな顔をしていたこと。

 あれは敵の正体がわかっていたから、というだけではない。


『人界を巻き込んで、悪事を企てるような子ではなかったはずなのに』


 アグルエの心につかえていたその気持ち。


 見ていることしかできなかった昔の自分。

 何もできなかった、手を取って上げられなかった後悔。

 常に独りでいたことを求められた最強かつてのアグルエは、ルミアートに寄り添うことができなかった。


――見ているだけってのは、辛いよな……。


 アグルエの想いを受け取ったエリンスは、己も感じたことのある無力さに胸を締めつけられた。


「あなたに、何がわかるっていうの!」


 叫ぶルミアートが慌てて剣を構えなおす。

 だがそれよりも早く、黒い炎を纏ったアグルエが剣を振り抜いた。


「わかってあげたかった!」


 黒い軌跡を描いた一閃、滅尽めつじんの力纏う斬撃が空に走る。

 その叫びを聞いたルミアートは、呆然としたように動きを止めて――無言のままにそれを身体で受け止めた。


「もっと、今みたい・・・・な選択をしていられればよかった。

 わたしは知らな過ぎたんだ。

 何もできなかったことが、こんなに痛い・・だなんて。

 悪いのはあいつ・・・で、間違えたのはあなたじゃない。間違えたのは、わたしだ……」


 黒い炎に包まれたルミアートは、ただアグルエのことを見つめたまま光に溶けるよう薄くなっていく。


「さようなら、ルミアート、ルミラータ……ごめんなさい」


 アグルエが零した最後の言葉を聞いて、ルミアートは滅尽めつじんの炎の中へと消えていく。


 きっと二人にも――痛いほどに伝わった。

 その顔が――エリンスには泣いているようにも、笑っているようにも見えたから。


 剣を鞘へと収めたアグルエは、ゆったりと落下をはじめるエリンスのほうへと振り向く。

 空は眩しいほどに晴れているというのに、頬の上を水滴が跳ねた。


――温かい。


 翼を失ったエリンスは落下しながら手を伸ばして――目を潤ませたアグルエを自然と抱き寄せる。

 地上まで落ちていく僅かな時間――痛いほどに弱さを見せた泣きじゃくる最強の魔王候補生を、何も言わずに抱きしめた。

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