第77話 操影の魔王候補生


 アグルエが――何に怯えていたのか・・・・・・・・・

 エリンスもそれが気にならないわけではなかった。

 だけど、今見るべき相手てきが目の前に存在することは事実だ。


 エリンスとアグルエは意識が戻らないラージェスを近場の部屋に寝かせなおして、結界装置のある中央塔を目指した。

 読みが間違っていなければ、そこには国をこのような事態におとしいれた元凶たる魔王候補生がいる。


 日も昇ったというのに夜中のよう静まり返った城の中を2階へと上がり、アグルエに案内されて中央塔への扉をくぐる。

 ぐるぐると続く長い螺旋階段を上って、大きな一面の窓からファーラス王国を包む結界を目の当たりにすれば、神秘的な雰囲気が感じられる大きな赤い扉が出迎えた。


「……いる」


 扉を前にして、横に並んだアグルエが一言、口にした。


「多分、待ってる」


 扉の先を見つめるように立ち止まったアグルエに対して、エリンスは一歩前へと出て扉を押した。

 ギィーと鈍い音を上げながら、扉は簡単に開く。


「いこう」

「うん!」


 言葉数は少なくても、言いたいことは伝わっている。

 エリンスにはそういう確信があった。


 幅の広い螺旋階段を一段、また一段と駆け上がり、ぐるっと一周したところで奇妙な装置が壁一面に広がる部屋に出る。

 エリンスははじめて目にした結界装置を一度見上げるも、すぐに意識はその前に立つ二人へと向けた。


 蛍光色が強い水色の髪、そこから伸びる小さな角。右翼を伸ばして尻尾を揺らす男の子のような姿をしたルミラータ。

 蛍光色が強いピンク色の髪に、小さな角。左翼を伸ばして尻尾を揺らす女の子のような姿をしたルミアート。


 操影そうえいの魔王候補生と、幻操げんそうの魔王候補生。

 エリンスとアグルエのことを、不敵に笑うようにして並び立ち待っていた。


「どうしてこんなことをする!」


 開口一番、エリンスは二人に向かって言葉を放った。


「きゃはは、どうしてって?」

「意味のないことを聞きたがるなぁ、人間は」


 ルミアートが笑ったままにこたえ、ルミラータが言葉を続ける。

 双子の魔王候補生――アグルエがそう語っていた。

 違うのは髪色と見た目の性別くらいのものであろう。

 姿までそっくりな二人の息は通じ合うようにピッタリだった。


「あなたなら必ず追って来ると思ってたわ、アグルエ」


 ルミアートに名を呼ばれて表情を強張らせたようにするアグルエ。

 続けて、ルミラータが話しはじめる。


「だけど、もう遅い。下準備は全て終わったから」

「まんまとわたしらの思惑通り、あの人間が動いてくれた」

断絶魔術式ジャッジメント? 知りたくもないが、あの装置のおかげさまで」

「あの古代魔導技術ロストマナの起動こそが『鍵』だった」


 やはりこの二人は――ベダルダスらを利用しただけに過ぎない。

 目の前で散るように倒れたカベムのことを思い返しながら、エリンスは腰に差した剣――願星ネガイボシの柄に手を掛ける。


忌々いまいましい力は、人間を守るはずだった結界装置を内部から崩壊させる!」


 ルミラータが嬉しそうに笑った。実に、嬉しそうに。

 一見して、無邪気な子供の笑顔のようにも見えたが、エリンスはそこにある邪気を嫌なほどに感じてしまう。

 アグルエは二人を睨みつけたまま、まるで何か言いたいことを我慢するように唇を噛んでいた。


「己の失態に気づかない、愚か者」

「己の愚かさに気づかない、正直者」

「わたしたちは力を得る」

「ぼくたちはこの国の魔素マナを喰らい尽す」


 二人の目線はアグルエへと向いていた。

 伝えたこと・・・・・に対するこたえを待っているように、エリンスには見えた。


「力を得て、どうするの?」


 アグルエは静かに聞き返す。


「アグルエ、きみも感じただろう? 人の罪・・・を」

「あなたならわかったはず。だから、わたしたちがこの地上を支配する!」


 ルミラータとルミアートがそれぞれそう言った。

 アグルエは、ゆっくりと瞬きをして――少し前のことを思い返すように一息ついてから口を開いた。


「ダーナレクも似たようなことを言っていた……人の弱さを、儚さを嘆いていた」


 その名を聞いて、ルミラータが眉をピクリと動かした。


「きみは知らないだろう。魔王侵略の意図を。どうして魔王候補生制度が生まれたかを」

「知らない。教えてもらったことがないから」


 ルミラータに聞かれてアグルエは即答した。


「違うわ、あなたは知ろうとしなかった」

「きみとぼくらの見た世界が違うものだった、というだけの話さ」


 アグルエはハッと顔を上げる。

 ルミアートにそう言われて、何か自覚があるようだった。


「だからって、人を犠牲にするそのやり方は認められない!

 あなたたちだって、こんなやり方望んでいなかったはず!」


 アグルエは胸に手を当てて訴えかける。

 だけど、二人には届かない。


「無関心でいただけのきみにはわからないだろう」

「最強の魔王候補生? 魔王の後継者筆頭? 呆れるわ」

「きみは何も知らなすぎる。きみは、甘すぎる」

「人間かぶれ、あの魔王あってのむすめってことよね。結局!」


 魔王候補生同士の会話――エリンスが口を挟む暇もないままに話は進んだ。

 しかし、その言葉を聞き逃すことはできなかった。


「魔王あっての、むすめ……?」


 エリンスが無意識に聞き返した言葉に、アグルエは一歩下がるように反応を示した。


「知らなかったのね、あなたは」


 ルミアートが哀れみを向けるようにエリンスを見つめた。


「魔王アルバラスト・イラ。200年前、人界に侵略を仕掛けた現魔王は、そこにいるアグルエの父親さ」


 ルミラータの言葉を聞いて、エリンスはアグルエの顔をうかがった。

 反論しないところを見るに、嘘ではないようだ。


 だけど今更――そんなこと・・・・・は関係ない。


「驚かない。俺は信じるって決めているから」

「へぇー」


 ルミラータはにやりと笑う。


「けどねぇ、話せなかったってことは、『後ろめたかった』ってことなのさ」

「随分人間らしくなったね、アグルエ」


 ルミアートもアグルエのほうを見やってから笑う。


「昔のあなたはいつも無表情、無関心。鉄の仮面を貼りつけたような、冷酷な顔をしていたのにさ」


 そう言われてエリンスもアグルエの顔を見やる。

 アグルエは胸元を両手で押さえて、焦ったような表情をしていた。


――にわかには信じられない。このアグルエが、そんなだったなんて……。


 出会ったときよりいろいろな表情を見せてくれたアグルエ。

 空腹に困って萎れるような顔。

 ガツガツと料理を頬張る顔。

 晴れやかな笑顔に、決意を灯した顔も――


 そうして思い返していると、どうしてもやはり先ほどの表情が頭をよぎる。


 アグルエから感じるのは――動揺。

 二人を相手にするよりもさらに前から、余裕がないことは伝わっていた。


 エリンスは一歩前に出て剣を抜く。

 薄っすらと蒼色に輝く剣身を構えて、二人の魔王候補生に意識を向けて集中した。


「それは、仕方なくて……」


 何かを口にしようとしたアグルエよりも早くエリンスは一歩を踏み出して――

 だけどそのエリンスのことを見やったルミラータは、再びにやりと笑う。


「隙だらけ。動揺は心の隙を生む」


 何を言っているんだ? とエリンスが疑問に思うよりも早く、ルミラータは姿を消した。


心操影しんそうえい!』


 姿なきルミラータの声が響き、エリンスは背後より殺気を感じ取る。


――いつの間に?


 エリンスがそう思い振り返ろうとした瞬間にはもう、そのきっさきがエリンスの頬を掠める距離を通り過ぎた。

 すんでのところで攻撃をかわして振り返り、エリンスは一瞬、身体の動きも思考も固まった。


『一瞬の隙があればそれでよかったんだ。さすがにきみ相手だと意識までは乗っ取れないか』

「くっ、どうして……身体が……」


 苦しそうな表情をするアグルエが腰に差した剣、リアリス・オリジンを既に抜いている。

 剣を構える姿勢――先ほどの殺気の正体をエリンスもすぐに悟る。

 だが、表情と身体の動きが一致していない。

 アグルエは辛そうな表情のままに、エリンスに向けて剣を構えなおした。


「エリンス……ごめん……」


 悲痛な声が胸を打つ。

 エリンスは剣を持った腕から力が抜けてしまった。


「ほんと、人間に紛れて弱くなったみたい」


 ルミアートの言葉に耳を傾け――だが意識を向ける余裕まではなかった。

 アグルエが剣を構えた腕を引き、エリンスに向かって一歩を踏み出す。


 迷いない動き――振り抜かれた剣は、確実にエリンスを捉えている。

 剣を構えることができないエリンスは慌てて後方へ飛んで、そのきっさきを避ける。


 もう一歩、アグルエが踏み込んできた。

 辛そうな表情のままに。


 エリンスは身体を斜めにねじって横へ飛んで攻撃をかわす。

 だがエリンスが避け続けたところで、アグルエは攻撃の手を止めようとはしない。


『いいなぁ、この身体は、軽い!』


 響くルミラータの声に意識を向ける暇もない。

 エリンスは攻撃を避け続けることで必死だった。


「ごめん……自由が……」


 目尻より涙を流すアグルエの顔に、エリンスは何もできないもどかしさを噛み締める。


 ルミラータの操影そうえいの力はカベムがそうであったように、身体を操る力であることが想像はつく。

 だとすると、ルミラータはアグルエの影の中にいる。

 魔力を切断できる魔導霊断まどうれいだんの力でルミラータの魔法だけを切ることができれば――と考えはするが、アグルエに刃を向けることができない。

 エムレエイやダーナレク――先に対峙してきた魔族の連中への効力を考えると、この力が魔族に対して特効性があることは間違いない。


 だから尚更、アグルエには剣を向けられない――エリンスは剣を構えないままに攻撃を避け続けた。

 しかしそうやって逃げ続けても狭い部屋の中――追い詰められる方がどちらなのか、わかりきっている。

 後ろへ飛び退こうとしたエリンスの背中に壁が触れた。


『手が出せないってか? 相手は討つべき魔王の娘だぜ、勇者候補生さん!』


 アグルエの身体を使って、ルミラータが剣を振りかぶる。

 目を背けようと、首を動かそうとしているアグルエは、それすらも許されないようで涙目のままエリンスのことを見つめていた。


「エリンス、いいよ」


 目が合った瞬間、刹那の時に聞こえた優しい声に――エリンスは胸の内に奮わせた想いを剣に乗せた。


「いいわけが、ない!」


――キィン!


 咄嗟にエリンスが振り抜いた剣は、アグルエが持つリアリス・オリジンと衝突し、その衝撃でアグルエは後ろへ飛び退いた。


『ついに抜いたな、剣を』

「じゃあこうしてあげる!」


 距離を取ったアグルエがルミアートの横に並んだ。


幻操げんそうのミラージュ!」


 何もない虚空より魔素マナでできた剣を取り出したルミアートが詠唱をはじめたのと同時――エリンスは頭がズキッとするような痛みに一瞬、目を瞑った。


「「エリンス……」」


 そう心配そうに呼ぶアグルエの声が二重に聞こえる。

 目を開けたエリンスの前には、二人のアグルエが立っていた。

 同じように辛そうな表情をしたままに、同じように右手に剣を構え、同じような動作で左右に分かれて一歩を踏み出した。


――幻影……? 違う!


 エリンスが考えている暇もなかった。

 左右同時に振られるきっさきが差し迫り、エリンスは慌てて左側の斬撃を受け止めいなし、右側の斬撃をかわす。


 風を切る音に乗せられた、たしかな殺気。


――幻影なんかじゃない。どっちも実体だ。


 ルミアートは幻術を見せて幻影を作って戦うのが得意だ、とアグルエが語っていた。

 幻操げんそうは幻影を操る力だ、と。


――だけど今の攻撃はそうじゃない!


「「避けられたかぁ」」


 二人同時にアグルエの声で喋られるだけで混乱する。


「「けど、見破れないよね!」」


 声を聞くだけで認識を狂わされるようだ。

 ルミアートの幻操げんそうにはそういった力が含まれる。


 交互に振られる剣をエリンスはかわしながら、弾きながら、攻撃をいなし続ける。

 攻撃するわけにはいかない。

 だから反撃ができない。

 アグルエの表情が目の前をよぎるたびに、エリンスの鼓動が跳ね上がった。

 二人同時ともなれば、呼吸をしている余裕もなくなって――酸欠で頭が痛くなってくる。

 判断も鈍り、右から左から振られ続けた剣をかわし続けたエリンスであったが、ついには一歩、対応が遅れてしまった。


――シュンッ


 左側より振るわれた攻撃を避けきることができず、エリンスの腕を刃が掠った。

 ふいに走る鋭い痛み。

 切れた袖の合間、腕を伝う赤い鮮血。

 だが逆に、それがエリンスの意識を叩き起こした。


――何をやってるんだ、俺は。迷わないと決めたはずなのに。


 エリンスは身体を回転させ姿勢を低くして、左右より同時に振られた剣を前方へとかわす。

 そのままの勢いで願星ネガイボシを、二人のそれぞれ手にした剣に当てるようにと振り抜いた。


――キンッキィン!


 弾いて距離を取って、体勢を立てなおす。

 足らなくなった酸素を大きく吸い込んで、深呼吸。


「「息も絶え絶えだね」」


 二人のアグルエの声には耳を傾けない。

 エリンスは意識を自分の中へと集中させ、そして手にした剣――蒼白に輝く剣身、願星ネガイボシへとうつす。


「「止めをさしてあげる!」」


 意を決したかのように剣を振り、飛び上がった二人のアグルエ。


「アグルエ!」


 名を呼んだエリンスも、一歩を踏み出す。

 同時に右側にいたアグルエの動きが少し鈍った。

 飛び上がってから剣を振るまでの動作に、先ほどまであった二人同時の息の合う連携攻撃のようなキレがない。

 初撃――左側より振られた剣を弾き返したエリンスは、そのまま右側より振るわれた剣を避けて、飛び退いた左側のアグルエを追随する。


『なっ』


 焦ったような声を上げたルミラータ。


『先ほどの一瞬で、見破ったとでも』

「そう、エリンスは気づいた。剣と剣が振れ合った、その音で」


 余裕を取り戻したように素のアグルエが言う。

 動きを止めたアグルエには背を向けて、エリンスはルミアートに迫った。


「ひっ」


 辛そうな表情をしていたアグルエは、そこにはもういない。

 驚いたようにした幻影は――ピンク色の髪を揺らし、警戒するように尻尾を伸ばしたルミアート。

 すかさずエリンスは剣を下段に構えたまま近づいて、下から上へと振り抜く。


「エスライン流、三日月みかづき!」


 魔導霊断まどうれいだん――エリンスの中より溢れた想いも乗せて、鋭く抉るような白く輝く斬撃。

 エリンスはルミアートを捉えたたしかな手ごたえも感じていた。

 だがそうして両断されたのは――ルミアートをかばうようにして二人の間に割って入ったルミラータの姿だった。


「すごい力だね、それ」


 死の間際、ルミラータは笑っていた。


「斬られてみてわかったよ。

 おかげでぼくらは、本来の形に戻ることができそうだ」


 エリンスの目とルミラータの目が合った。

 その言葉の意味がエリンスにはわからなかった。


「わたしたちの間にあったものを断ってくれて、ありがとう」


 ルミアートも「きゃはは」と笑っている。

 耳に響く笑い声がエリンスとアグルエには恐ろしく聞こえた。

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