第57話 傷ついた女騎士と託された女の子


 ファーラス城下街に入ることができたエリンスとアグルエとツキノは、ペーカリーと別れた後、ひとまず勇者協会へと向かったのだった。

 三人がそこで見たのは、思いもよらぬことの連続だった。

 閉じられた勇者協会の扉に、指名手配扱いを受ける友の名。

 しかし不思議なことに、三人が街に覚えた違和感はそれだけだったのだ。


 レンガ模様の大通りには、人々の日常があった。

 買い物へ出てきただろう夫人ら、どこかへ向かうのだろうお洒落をした貴婦人。

 フラフラと目的もなく昼間から酒瓶片手にしたおじさんや、走り回って騒ぐ子供たち。


 散々にアグルエとツキノが街に感じる異様な雰囲気を口にはしていたが、どうも街は平和そのものだ。


 アグルエは勇者協会の前で、道ゆくおばさんへと声を掛けた。


「あの、すみません」

「なんだい!」

「勇者協会って、閉まっているんですか?」


 少し迷惑そうな顔をしながらアグルエへ返事をしたおばさんは、エリンスのことも一瞥してからこたえた。


「なんだい、おかしなこと言うね。閉まってるよ。『国王様の命令は絶対』だからね」


 そう言ってそそくさとおばさんは立ち去っていく。

 エリンスもアグルエも、ツキノでさえも、そう聞いたところでどうにも話が腑に落ちない。


「あの、聞きたいことがあるんですが」


 続いてエリンスが道ゆくおじさんへと声を掛けた。


「どうした、坊主」

「今ファーラスに勇者候補生がいないのって、どうしてだかわかりますか?」

「そう国王様が決めたからさ。『国王様の命令は絶対』だろ!」


 そう聞いて返事ができなかったエリンスをチラッとだけ見て、おじさんは立ち去っていった。

 エリンスはボーっとしたままに考えてしまった。


 まるで世界から切り離されたような気分だ。

 街には勇者協会があるのが当たり前で、街には勇者候補生がいるのが当たり前。

 ただ、今この街ではその常識が通用しない。


「場所を変えたほうがよかろう」


 アグルエの肩の上でそう言ったツキノに二人は頷いた。

 そうして三人は人目を避けるように勇者協会の脇にあった路地へと移動した。



◇◇◇



 勇者協会の脇道を進んで大通りから遠ざかり、夕日の陰となった路地裏でエリンスとアグルエは立ち止まる。

 人の気配もない場所だ。

 ここらでいいだろうと察したツキノが小声になって話を切り出した。


「やはり、この街には異常が起きていると言えよう」

「認識を阻害する幻術って言ったっけ?」


 エリンスが聞き返す。

 たしかツキノは街の外でもそう話していた。


「うむ、これの厄介なところはな。

 術に掛かっておるものに、その自覚がないところじゃ」


 先ほどエリンスとアグルエが話し掛けた街の人らもそうであったということだ。


「『国王様の命令だから』、か」


 エリンスとアグルエが尋ねたとき、あの人らは同じようなことを口にしていた。


「うむ、幻術は街に張られた結界に乗せられ拡散されておる」


 結界装置――どの町にも当たり前にある魔導技術の結晶だ。

 本来ならば、装置を中心に流れる魔素マナを展開して、魔物を寄せつけないようにするためのものである。


「結界に魔法を上乗せして拡散する……そんなことができるのか」


 エリンスは仕組みを詳しく知っているわけではないのだが、素直に驚かされる。


「普通はできぬ。じゃが、結界装置に直接関与しておるとなれば、あるいはな」


 直接関与するにしたって、結界装置に警備がないはずがない。

 現に結界は機能しているのだから、壊れているわけではないだろう。


「結界装置は街の中心、国の中心である城にあるじゃろう。

 そんなことをしでかした魔族のやからが、国の中枢におる、と見て間違いなかろう」


 ツキノの言う通りなのだろう。

 でも、だとしたら――とエリンスは考えて口に出した。


「なんのために?」

「……それはわらわにもわからぬ」


 エリンスは考えさせられてしまうのだ。

 またダーナレクのようなことを考えたやつがいるのだろうか、と。


 アグルエも何やら考えるようにしてずっと俯いて黙っていた。

 街に近づいてから、どうもその表情は暗いままのようだ。

 エリンスはアグルエの様子がずっと気に掛かっていたのだが、もう一つ気掛かりであったことを口にした。


「でもやっぱり、アーキスとメルトシスも街へ入り込んだらしい」


 成績優秀で、勘が鋭く才能がある二人だ。

 きっとあの二人も街の異常に気づいたのだろう、とエリンスは考えた。


「アーキスも街がおかしいことに気づいたんだ」

「そうじゃのう」とツキノが小声でこたえたのと同時――


「アーキス、と呼んだか?」


 三人の話を聞いてこたえただろう女性の声が、路地裏の闇の中より聞こえた。

 鎧をつけたような金属音が混じる足音が近づいて来る。


 エリンスに緊張が走る。

 この街でアーキスと言えば、現在指名手配扱いを受けている真っ只中。

 だからこそ人目を避けて話をしていたというのに、それを聞いて寄って来る人物がいるともなれば、敵である可能性が高い。


 エリンスは腰に差した剣の柄に手を掛けて、その人物が薄暗い路地より出てくるのを待った。

 アグルエも黙り考えていた様子から切り替えて、そちらのほうへと注意を向けている。


 ただそうして姿を現した女性を見て、エリンスは剣に掛けた手から力を抜いた。


 身長はエリンスよりも高く、女性にしてはやや高めな印象。

 焦茶色のセミロングの髪は、乱雑に荒らされたようにボサボサだった。

 その頬には今しがたできただろう剣による切り傷。

 片目を閉じて苦痛を耐えるように肩で息をした姿。

 ところどころ砕けた鎧の隙間からはあざも見えてボロボロの状態。

 全身に纏った鎧にはファーラス王国の紋章が刻まれていて、その女性が王国騎士であることを証明している。


 そしてその女騎士は手を繋いで、女の子を連れていた。

 見たところ年齢は10を超えないくらいだろうといったまだ子供。

 ウェーブ掛かった黒髪に、かわいらしい顔立ち。

 ゴシックドレスのような高級感ある服装からも、育ちの良さそうな雰囲気が溢れ出ている。

 女騎士とは対照的に、女の子には傷一つなく。

 キョロキョロと不安そうにしながら、どうも状況が読めていない様子である。


 女騎士は二人の前に姿を現した途端に、そのまま崩れるようにして膝をついた。


「大丈夫ですか!」


 ただ事ではない雰囲気を感じ取っただろうアグルエは一目散に走って寄っていく。

 そのままかがんで、女騎士に手を翳し、魔法の詠唱をはじめた。


魔素マナの輝きよ、我に癒しの力を授けたまえ!」


 治癒魔法の詠唱をしたアグルエの手より、白い光を持つ魔素マナが放たれる。

 放たれた白い光は女騎士の全身を伝うように広がって、ふわっ、と一際輝きを放つ。


 平穏が保たれているはずの街の中で、傷つきボロボロになった女騎士。

 それは――異常の中の異常だ。


 エリンスとアグルエは女騎士に敵意がないことにもすぐに気づいた。


 治癒魔法を唱え終えたアグルエが立ちあがったところで、女騎士も落ち着いたようだった。

 表情は先ほどに比べて柔らかい。

 そうして、顔を上げた女騎士の頭に綺麗な髪飾りがキラリと光ったことが、エリンスにとっては印象的だった。


「わたしに治癒魔法が使える、街のものではないな……?

 ありがとう、すまない。感謝する」


 立ち上がった女騎士は右腕を胸に当てながらピシッとした動作で頭を下げた。

 エリンスはすかさず聞き返す。


「一体何が、というかこの街で何が起こっているんですか」


 何やら訳がありそうな女騎士は、どうもツキノが言うところの幻術に掛かっているようではない。

 他の街の人や、城門で見た兵士とも訳が違うようだ。

 エリンスがいぶかしむような眼差しを向けたのと同じく、女騎士もエリンスとアグルエのことを見比べるようにする。


「この街のものではない……おそらく勇者候補生、か」

「はい」

「わたしにうまく説明できる気もしない。それに、時間もないんだ」


 勝手に話をまとめるようにした女騎士に、エリンスはまだ聞きたいこともあったのだが――エリンスが口を開くよりも先に女騎士が動いた。


「きみらの正義を見込んで頼みたいことがある。この子を頼む」


 そう言って女騎士は女の子と繋いでいた手を差し出して、その手をアグルエへと握らせる。

 突然のことにアグルエも女の子ですらも、きょとんとしてしまった。


「そこの辺りから地下水道へ降りて、通路を右右右左右左だ」


 矢継ぎ早にそう言った女騎士は、エリンスとアグルエの返答を待たずに背中を向けた。


「あ、ちょっと!」

「時間が惜しい、わたしは、メルトシス様の護衛に!」


 女騎士は言葉を残して路地裏より去っていく。

 アグルエが慌てたように女騎士の背中を追おうとするのだが、手を握った女の子が不安そうにアグルエの顔を見つめていた。


 メルトシスの名を口にして、去っていった女騎士のことも気にはなる。

 ただ、エリンスは先ほど女騎士に指差されたほうへと目を向ける。

 何か地面に蓋をするようにして鉄板が乗せられているようだ。

 言葉通りであるならば、それが地下水道へ降りるためのものなのだろう。


「右右右左右左、だったっけ」

「そう言っておったのう」


 ツキノがアグルエの肩より飛び降りて、エリンスが目を向けたほうへと進みながら返事をする。

 ツキノも状況が読めてはいないようだが、考えていることはエリンスと同じらしい。


 それが何を意味するのか、三人にはわからない。

 だけど、今は藁にもすがりたいような気持ち。

 どうやらアーキスとメルトシスのことを知っているようだった、あの女騎士を信じるしかない。


「アグルエ、言われた通りにいってみよう」


 女騎士を追うにしても、この子をどうにかしないと無理だろう。

 考えをまとめたエリンスが声を掛け、振り返ったアグルエも「うん」と頷いて返事をした。


「事情はわからないけど、逃げてきたの?」


 アグルエが目線を合わせるようにかがむと、ずっと不安そうな表情をしていた女の子がそこでようやく口を開いた。


「はい、ラー姉様・・・・に連れて来てもらったのです」

「そっかぁ。大変だったね」

「いいえ、大丈夫です。だって、勇者様ヒーローがいたのです」

勇者様ヒーロー……?」

「はい! わたしのお兄様!」


 嬉しそうな顔をしてそう語る女の子に、自然とアグルエも笑顔でこたえていた。


「あ、初めましてのときは自己紹介をするのでした。

 わたしは、アメリア・エルフレイと言います」


――エルフレイ。


 そう聞いたエリンスはその子が何者なのか、すぐに理解する。


「アーキスって……」

「はい、わたしのお兄様です!」


 呟いたエリンスに、『アメリア・エルフレイ』と名乗った女の子は元気に頷いた。

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