第49話 禁足地カミハラ
ファーラス王国より一般人の立ち入りが禁止されている樹海、カミハラの森。
特殊な
危険な魔物が浅い森にも出るからだ、と子供のころより言い聞かせられて育ったエリンスは、「禁足地」という呼び名に隠された本当の意味を考えたこともなかったのだが――
再び足を踏み入れた今、そこにある本当の意味を知ることとなる。
――グウウウォォォ!
森を進むエリンスとアグルエの前に、腹の底より響くような唸り声を上げて大型の熊の魔物――ギガントベアが両腕を広げ立ち塞がった。
そうしてこの場でギガントベアと対峙していると、エリンスは過去の悪夢を思い返してもしまう。
ただそんな迷いを断ち切るように、エリンスはその腰に差した剣、
同じようにしてアグルエも剣を抜こうと手を掛けたところで、エリンスは口を開いた。
「アグルエ、ちょっと見ていてくれ」
「え? うん」
エリンスは試したいことがあったのだ。
突然そう言われたアグルエは驚いたようにして、剣から手を離して一歩下がった。
アグルエが離れたのを見て、エリンスは大きなギガントベアを見上げるようにしてその目を睨みつける。
視線と視線がぶつかって――魔物であるはずのギガントベアもエリンスの思考を読むようにして動きを止めた。
――意識を集中して自分の中から力を引き出すように!
エリンスはルスプンテルでの戦いを思い出し、覚悟を胸に力を引き出すように、と剣を構える。
薄っすらとした白い輝きが、エリンスの体内より発せられ流れ出し、剣に集まりはじめた。
――やっぱり、この
エリンスの力が剣に集まって、白く輝き出した剣身が透き通った蒼白へと変化する。
手に馴染む軽さもさることながら、エリンスの力に反応しても耐え得るだけの強度があり、さらには材料となったアダマンタイトと呼ばれた
――グググゥゥゥ!
その剣の光に、魔物と言えど何か感じるものがあったのだろう。
エリンスと対峙したギガントベアが先に動き出した。
広げた両腕を振り上げて、エリンス目掛けて叩きつけて押し潰そうとしてくる。
その攻撃にエリンスは、体を屈めて前へと転がるように飛び出して、ギガントベアの背後を取った。
そして、腕に力を込めてから構えた剣を振り抜いた。
狙うはもちろんギガントベアの弱点――コアがある背筋のその下。
空気を切るような音と同時に光の軌跡を描いたエリンスの斬撃が、ギガントベアの背筋を貫いて、コアまでをも一撃で斬り裂いた。
コアを斬り裂かれたギガントベアは雄叫びも上げずに音もなく光の中へと消え去る。
「なんとなく、感覚はわかってきた」
「すごい力ね、あのギガントベアを一撃で!」
エリンスの戦いの一部始終を見守ったアグルエも驚いたように声を上げた。
スターバレーと呼ばれたあの森でギガントベアと戦ったとき、
鈍らを振るうのがやっとだったことを思えば、この力が強大な武器になっていることがエリンスにも自覚できる。
「スターバレーのときより成長できている気がする」
「うん! それはもう! って……」
エリンスの言葉を聞いたアグルエがニコニコとしていた表情を少し曇らせた。
「どうした?」
「スターバレーって聞いて思ったの。ここの空気は、あの場所に似ている」
やや神妙な面持ちでそう言ったアグルエに、エリンスは辺りを見渡してから返事をした。
「俺には、わからん……」
ルスプンテルでは確かに感じられた、普段は感じることができない目に見えない
でも今、自身の力を使ったというのにエリンスにはその流れが感じられなかった。
力の作用の仕方に何か違いがあるのかもしれない。
「まあ、進めばこたえはわかるだろ」
「うん、そうかも」
立ち止まって考えている場合でもない。
シルフィスの言葉を信じるのならば、森を進めば自ずとこたえに辿り着ける気がした。
そう考えたエリンスとアグルエは、さらに森の奥へと歩みを進めた。
◇◇◇
そうして森を進むこと30分ほど。
森が深くなるにつれ、次第に空気が重くなっていくような錯覚をエリンスは感じた。
ただそれが錯覚などではない――と、あの日ツキトと別れたその場所に近づいたエリンスは嫌なほどに自覚する。
「これがダーナレクの仕業……」
突如として綺麗だった森の風景は一変する。
まるで白と黒とを隣り合わせに置いたことで、自然と分かれたような境界線。
カミハラの森の一角、そこから先は――
森にある何もかもが黒焦げて木は炭のようになり、焼け野原のように黒い大地が広がっていた。
「あぁ、5年前……この辺りがツキトと別れた場所でもある」
綺麗な森と黒焦げた大地の境目。
そこに立ったエリンスは、懐より一本の花を取り出すとそっと地面に添えるように置いた。
エリンスが思い返すことも嫌だったその悪夢――
だけど、今は何故だか不思議とそこまで嫌な気持ちにはならない。
横にアグルエがいてくれるおかげなのか、白の軌跡と呼ばれたあの場所で自分自身と向き合ったからなのか。
その理由がエリンスには定かにわからないものではあったのだが。
「お花?」
アグルエが何か疑問に思ったようにエリンスへ聞いた。
「あぁ、人の間には死者へこうやって花を手向ける風習があるんだよ」
「魔族でも一緒だわ。お供え物ね……」
目を瞑って手を合わせたエリンスを見て、アグルエもまた同じように目を閉じて頭を下げた。
そうして目を閉じた二人の耳に、不思議な音が響いた。
――チリーン
「ん?」
気になって顔を上げたエリンスは、同じように顔を上げたアグルエと顔を見合わせる。
「あれ!」
アグルエが何かを見つけたように指差したのを見て、エリンスは同じようにそちらへと目を向けた。
アグルエが指差した先、黒焦げた大地と森の境目には、白いモフモフとした不思議な生き物がいた。
こちらを丸い瞳で見つめて、花飾りがついた大きい耳はこちらの気配を探っているよう。
首の周りのふさふさとした長い毛を揺らしながら、大きな尻尾も一緒に揺らしている。
「白い狐?」
アグルエが不思議そうに呟いて、ゆっくりと近づいていった。
魔物のようにも見えるその不思議な生き物は、こちらに敵意を向けている気配はない。
ただアグルエが近づいたことでサッと後ろを向いて、アグルエから距離を取った。
「またこっちを見てるわ」
そうやって距離を取った後、白い狐は再びこちらへ顔を向け尻尾を揺らす。
その姿にエリンスは妙な違和感を覚えた。
まるで、誘っているかのようだ――と。
アグルエも気になるのか、白い狐を追い掛ける。
そうすることで白い狐は走り出し、同じように一定の距離を取るようにして振り返る。
「追おう!」
エリンスの言葉にアグルエも頷いて、二人は白い狐のような生き物を追い掛けた。
◇◇◇
エリンスとアグルエはただひたすらに白い狐を追い掛けて森の中を進んだ。
どう道を辿ったのか、不思議なことに追い掛けている最中のことがエリンスには思い出せなかった。
そんな風に白い狐を追い掛けた先で――
エリンスとアグルエは突然感じた辺りの変化に驚愕してしまう。
開けた森の一角――だけど先ほどまでいたカミハラの森とは空気すらも変わってしまったように感じる広場。
赤い二本の柱と組まれるようにして柱が横に乗せられている門のように構えられた赤い不思議なアーチ。
白い飾りがついた縄の束で巻かれた大きな大樹。
その大樹の下には、木製の祠が建てられている。
異様な空気感が漂うその場所に、アグルエは口を開いた。
「ここ、
「それが、禁足地と呼ばれた
エリンスは
――チリーン
再びエリンスとアグルエの耳に不思議な音が響いた。
先ほどより近くに聞こえたそれに、二人は同時に音のしたほうへと目を向けた。
二人が追ってきた白い狐のような生き物が何者かの足を上って背中を掛けて、その肩へと飛び乗った。
エリンスには馴染みのないような、
スラッとした長い脚に、スラッとした長い腕のスレンダーな体型。
整った顔立ちに、キリッとした眼差しは綺麗な大人の女性のよう。
全体的に白い印象を受けるその女性の腰まで伸びた髪は、銀色に輝くほどに白く。
何より目を引いたのが、その頭の上からピョンと伸びた狐のような大きな耳。
エリンスらと顔が合うなりピクッと動いたその耳は、飾りではないことを証明しているようだった。
肩に乗った白い狐がふと空気に溶けるように消えたかと思えば、その白い女性が急にこちらへ向かって走り出した。
突然のことと、その場の空気も合わさって、エリンスもアグルエも身動きがとれなかったのだが――
「待ち焦がれたのう! エリンスゥ!」
そう言って白い女性は、エリンスに抱きついた。
エリンスは混乱した。
急に感じた花の香りのようないい匂いと、柔らかい二つの感触に。
どういうことだか、どういう状況なのだか頭が追いつかない。
「あなた、離れなさい!」
エリンスはアグルエの怒鳴り声で我へと返る。
アグルエは敵意を剥き出しにし、その手に黒い炎までをも浮かべて構えていた。
白い女性は慌てもせずにエリンスから離れて、そんなアグルエへと冷ややかな目を向けた。
「あなた何者? ううん、魔族だってことはわかるけど」
エリンスにも伝わるほどの警戒心を剥き出しにしたアグルエが問う。
それに対し、白い女性は落ち着いた様子で返事をしたのだった。
「
魔族――そうじゃのう、まあ、そんなところじゃ」
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