第48話 アークイルの血筋


 二人は村の入口でマルサに挨拶を済ませた後、とりあえずエリンスの家を目指すことにした。

 のどかな村の雰囲気はエリンスが旅立つ前とそう変わらず。

 エリンスが案内して先導し、アグルエはその後ろをついて歩き続けた。


 村の風景を眺めたアグルエは目を輝かせていた。

 開けた空も気持ちが良くなるほどの青さ。

 空に浮かぶモコモコとした雲が、牧草地帯を優雅に歩く羊のよう。


「空気がおいしいってこういうことを言うのね。なんだか心が落ち着くようだわ」

「そうなのかもな」


 アグルエが晴れやかな調子でそう言ったように、エリンスにとっても慣れ親しんだ村の空気は落ち着くものだった。


 そうして進むと、一軒の家が見えてきた。

 牧草地帯の真ん中の大きな木の木陰に、村の中心地から離れたようにして佇む二階建ての家。

 隣の家がはるか遠くに見えるようで、徒歩10分は掛かるだろうといったくらいに離れている。

 ドアに掛けられた表札には「アークイル」と書かれていた。


「ここが、俺の家」


 そうアグルエに伝えて、エリンスはドアノブへと手を掛ける。

 そして一瞬、そのまま立ち止まってしまった。


 長い年月家を空けてから帰ってきたような気分になった。

 どこか懐かしくもなるのだが、家を出てからまだひと月も過ぎていない。

 アグルエと出会ってからのここまでの勇者候補生の旅は――それほどに濃密だったんだな、と感じさせられる。


 エリンスはそんな緊張を飲み込んでからドアノブを捻った。


「ただいま」


 そう言ってドアを開けたエリンスに、ちょうど玄関先のリビングからエリンスの母ミレイシアが顔を出す。

 長い綺麗なブロンドヘアーを揺らして、ミレイシアは驚いたような顔をしてから返事をした。


「え? おかえり?」


 そしてミレイシアは驚いたままの表情でアグルエと目を合わせ、ひっくり返った、文字通りに。


――バタンッ!


 壁に身体を打ちつけるようにして倒れたミレイシアにエリンスは慌てて近寄った。


「母さん!」


 アグルエもつられるようにして慌てて倒れたミレイシアへと近寄った。


「だ、大丈夫ですか!」

「大丈夫よっ!」


 駆け寄ってきたアグルエを見て、ミレイシアは慌てたように体勢を立てなおす。

 腰に手をついて立ち上がったミレイシアを見て、エリンスもアグルエも「ふぅ」と一息吐いて落ち着いた。


「勇者候補生になると意気込んで旅立った息子が、突然帰ってくる上に、

 かわいい子を連れて来たとなったら、ひっくり返りたくもなるわよ」


 エリンスは「はぁ」とため息を返事代わりに一つ吐く。


『かわいい子』と呼ばれたアグルエは顔を真っ赤にしてしまっている。


 そうなのだ。

 エリンスは自分の母親のことだからよく知っている。

 ミレイシアは包み隠そうとせず、素直になんでも思ったことをすぐ口にする。


「い、いえ、そんな……」


 アグルエは照れるようにミレイシアから顔を逸らし、顔の前で手を振りながら誤魔化そうとしている。


「で、どなたなの? エリンス!」


 すっかり話はミレイシアのペースに乗せられてしまった。

 そう話を振られたエリンスがこたえるよりも早く、アグルエは首を振ってから照れた調子を切り替えて口を開いた。


「アグルエ・イラです。エリンスの同盟パーティー仲間の魔導士です」

「わたしはミレイシア。エリンスの母親……ってまあ紹介されてるかな?」


 そんな忙しく表情を変えたアグルエに、ミレイシアはニコッと笑ってこたえる。

 アグルエもまたそんなミレイシアを見て「あはは」と和やかな笑顔を浮かべた。


 エリンスはそんな二人の様子を見て一安心。

 ミレイシアが続けて変なことを言い出す前に、と帰ってきたその目的を話すことにした


「母さん、勇者候補生になったよ。いろいろあって、アグルエと同盟パーティーを組んだ」

「そうなのね」

「『白の軌跡』を越えたんだ」


 そう聞いたミレイシアはより一層嬉しそうに笑った。


「すごいじゃない! ちゃんとやってんだねぇ」

「それで、師匠に聞きたいことができたんだ」


 エリンスは考えたのだ。

 師匠もかつては名を馳せた勇者候補生だった。

 白の軌跡を越えたと聞いたことがある。

 白の軌跡で言われた言葉――『自分自身のルーツを知れ』というその言葉の意味――

 師匠ならば何かヒントをくれるのではないか、と。


「だから帰ってきた、と。急に帰ってくるからびっくりしちゃった。

 そういうところは、あの人に似ちゃったのかしらね」


 冗談交じりに笑いながらそう言ったミレイシアに対し、エリンスは笑えなかったのだが。

 ミレイシアはそんなエリンスのことは気にせずに話を続けた。


「ま、シルフィスなら家にいると思うわよ。先に用事済ませちゃいなさいよ。

 ゆっくりするのはいつでもできるから、お母さんは待ってるわよ」

「そっか……」


 ミレイシアの言葉がエリンスに染み渡る。

 母の優しさを感じながらエリンスは言葉を続けた。


「とりあえず行ってくるかな。またすぐ帰ってくるよ」

「うん、いってらっしゃい」


 優しい声色のままミレイシアはエリンスに声を掛ける。


「アグルエちゃんも、いってらっしゃい!」


 アグルエはそう急に声を掛けられて、焦ったようにして返事をした。


「い、いってきます! お母さま!」



◇◇◇



 シルフィスの家への道を案内してくれるエリンスの後ろで、アグルエはエリンスの「母親」のことを考えていた。

 アグルエにとっては馴染みのない・・・・・・母親という存在が、「素敵なもの」に見えたのだ。


――優しい雰囲気が、エリンスとそっくりだったな。


 落ち着いた大人の雰囲気はありつつも幼さを残す顔立ちをしたミレイシアに、アグルエが覚えた第一印象はそんな感じだった。

 雰囲気は似ていたが、エリンスの顔立ちは父親似なんだろうな、とアグルエは考える。

 それにミレイシアからは魔導士の素質――強大な魔素マナを感じられた。


「ボーっとしてどうしたんだ、アグルエ?」

「え!」


 そうエリンスに言われて、アグルエは我に返る。


「師匠の家ついたけど。疲れたか?」

「ううん、大丈夫!」


 アグルエは慌てて返事をして、辺りを見渡した。


 村に入ったときは遠くに見えていたカミハラの森も随分と近づいたように感じる。

 村の中心地である住宅や店が集中した一角に、エリンスの師匠――シルフィスの家はあった。

 村長の家というだけあって、他の住宅よりも一回り大きく見え、広い庭が目立つ。


「母さんは家にいるって言ってたけど、師匠いるかな」


 エリンスはボソッと独り言を零して進んでいく。

 コンッコンッコンッ、とドアをノックしたエリンスは返事を待たずにドアを開けた。

 そのまま家へと上がっていくエリンスに、アグルエはただついていった。


 そうして進んだ家のリビングに目的の人物はいた。

 杖を片手に椅子に腰掛けた鋭い目つきの男――シルフィスが、リビングへと先に入ったエリンスのことを睨むように見つめている。


「ん、どちらさまかと思えば……なんだ、もう尻尾を巻いて帰って来たのか」


 剣士を引退したとエリンスから聞いたけど、アグルエが見てもその腕の筋肉は衰えを感じさせない。

 服の上からでもわかる引き締まった肉体に、ウルフカットで整えられた髪型からも清潔感が溢れ出ている。

 そして何よりも目立つのはその顔つき。

 全体からも鋭いような印象を受けるのだが、その目力はさらに一段と彼の「力強さ」を表しているかのようなものだ。


 少し小馬鹿にしたような態度をしたシルフィスに、エリンスはすぐに返事をした。


「師匠、聞きたいことができたんだ」

「あっ?」


 威圧的な態度を取りつつもしっかりとエリンスの顔を見つめるシルフィスに、アグルエは優しさを見出していた。

 そしてシルフィスはそんなアグルエの視線にも気づいたのだろう。


「……同盟パーティーを組んだのか」


 アグルエのことを見てそう口にしたシルフィスに、アグルエは頭を下げてから自己紹介した。


「魔導士アグルエ・イラです」

「シルフィスだ。シーライ村の村長をしている」


 そう言ってからシルフィスはそのまま視線をエリンスが腰に差した剣へと向けた。


「そうか、無事に勇者候補生として歩んでいるな」


 アグルエのこととエリンスが腰に差した剣を見て、シルフィスにも悟るところがあったようだ。


「はい!」


 エリンスはそうシルフィスに言われたことが嬉しかったのだろう。

 力いっぱい嬉しそうに返事をした。


「で、なんだ。わざわざこんな辺境の地まで帰って来た理由ってやつは」


 机に頬杖をついたままにシルフィスは本題へと話題を移した。


「師匠、『白の軌跡』を越えたんです」

「ほぉー」

「そこで自分のルーツを知れと言われて、それに師匠が言っていた『迷いなき一刀』、その境地に近づけた気もして……

 うまく言えないんですが、俺が魔法を使えなかった魔素マナを拒絶するような力にも触れられたんです」


 エリンスの話を聞いて、シルフィスはその眼差しをより鋭く細めるようにして、何かを考えはじめたようだった。

 そして、シルフィスの視線は再びアグルエへと向けられる。

 アグルエは少し身を強張らせてもしまうのだが、シルフィスはアグルエのことは気にしないようにして口を開いた。


「あの『白の軌跡』をクリアしたならば、気づいたのだろうな」


 シルフィスはエリンスの話に何か思い当たることがあったらしい。

 エリンスはシルフィスの目を見て一言頷いた。


「はい、自分が持っているものが、なんとなく」

「本来ならば、レイナルが話すべきことなのだがな……」


 ボソッと口にしたシルフィスの言葉にどうして父親の名前が出てくるのか、エリンスは気になったようだ。


「あいつの居場所なんて誰にもわからん」


 呆れたように手を上げて首を振りながらそう言ったシルフィスに、エリンスは言葉を返した。


「どうして、父さんが……?」

「おまえのその力には、特殊な事情があるんだよ。

 まあ……ミレイシアに許可をもらうとするか」


 説明も半ばにシルフィスは杖を片手に立ち上がる。

 立ち上がったシルフィスにエリンスが寄って、杖なしの生活ができなくなったというその身体をエリンスが支えようともするのだが。


「いい、これもリハビリの一環だ」


 シルフィスはエリンスの支えを拒否して、ゆっくりとだが歩き出す。


「おまえの家にいくぞ、エリンス」


 エリンスが持つ力――エリンスが魔導霊断まどうれいだんと呼んだそれにまつわる特殊な事情。

 何か知っているらしいシルフィスには、今すぐに説明できない理由がありそうだった。

 エリンスは無言で頷くと、シルフィスと一緒に歩いて来た道を引き返す。

 アグルエもまた、無言のままにその後ろをついて歩いた。



◇◇◇



「あら、おかえり。シルフィスまでどうしたの?」


 シルフィスと一緒に帰って来たエリンスとアグルエのことを見るなりミレイシアが口を開いた。


「エリンスはどうやら気づいたようだぞ」


 エリンスの家の玄関先、シルフィスにそう言われたミレイシアは「そう……」と一言返事をしてから言葉を続けた。


「『白の軌跡』を越えたってことは、やっぱりそうなのね……」


 何かミレイシアも「白の軌跡」に思うところがあったらしい。


「あの場所がどういう場所か知っていれば、自ずとな」

「えぇ」

「ミレイシア、エリンスにあの話をするぞ」

「あの人がどこでどうしているのやら、わからない。

 そうね、エリンスが気づいたというのなら、今がその時なのかもしれないわ」


 母ミレイシアと師匠シルフィスの二人の間で交わされる言葉に、エリンスもアグルエも口を挟む隙がなかった。


 どうして、母さんが「白の軌跡」をまるで経験したかのように知っている風だったのか。

 母さんと師匠の間に何か縁のようなものを初めて感じたことも――エリンスが聞く暇もなく話は進む。


「とりあえず、上がって」


 そう言ったミレイシアの申し出を受け、シルフィスは部屋へと上がっていく。

 エリンスとアグルエも無言のままただ二人についていった。



 エリンスの家、ダイニングルームにて。

 椅子を向かい合わせ机を挟む形でエリンスとアグルエ、シルフィスとミレイシアは顔を合わせて席についた。

 緊張感を伴う神妙な面持ちでシルフィスが口を開いた。


「エリンス、おまえらアークイルの血筋には、ある使命がせられている」

「そう、それ故にあなたもレイナルも、魔素マナを魔力にすることができないの」


 二人の口から説明されたことに、アグルエはただ黙って話を聞き、エリンスは頷いてから返事をした。


魔導霊断まどうれいだん、実際に俺はこの力で魔素マナの流れを断ち切った」

「あぁ、その力は魔素マナとは相容れない。魔素マナを拒絶する力だ」


 シルフィスはエリンスが魔法を使えなかった理由を知っていたらしい。


「その力は、カミハラの森を守りし者と契約を交わした血筋に引き継がれる力だ」

「カミハラを守りし者……?」


 初めて聞いた言葉にエリンスは疑問を持つ。


「あぁ、俺も会ったことはないがな」


 エリンスの疑問に頷いたシルフィスに続けて、ミレイシアがその続きを説明した。


「アークイル家はね、200年前より先祖代々カミハラの森を守りし者と契約を交わしているの。

 あなたの父さん、レイナルもまたその役目を受け継いだ一人。

 そしてその血筋を継ぐエリンス、あなたもまた、受け継ぐべき一人なの」


「それが、俺が知るべきだったルーツ……」

「だろうな」


 エリンスの言葉にシルフィスが頷いてから言葉を続ける。


「この地を守りし者が何者かは、今となっては会ったことがあるレイナルしか知らない。

 だが力に気づいた今ならば、エリンス、おまえにも会う資格があるということになるはずだ」


 そう話すシルフィスの眼差しは、いつものように力強いものであった。


「今ならば、禁足地――本当のその奥地へと辿り着けるだろう」



 白の軌跡で言われたその言葉――

 どこか自分の中の「勇者の力」がそう語ったような気がしたその意味を――俺は知らなければならない。



 決意を固めたエリンスはアグルエに眼差しを向けて、アグルエはその決意を感じ取ってくれたように頷いた。

 二人はそのまま特別準備もせずに、ミレイシアとシルフィスに「いってきます」とだけ一言告げて――その禁足地と呼ばれる森を目指した。

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