第47話 別れと帰郷、そしてまた


 大海原を進んだ魔導船は、港町ルスプンテルを出港してから予定通り3日後に、ミルレリア大陸ミープル港に到着した。

 ミープルは潮風香る静かな港町。

 ルスプンテルほどの大きさはないものの、ミルレリア大陸の玄関口の一つとして、西の大国と呼ばれるファーラス王国と他の大陸とを繋ぐ大きな役割のある町だ。


 船を降りて三日ぶりに踏みしめた大地の固さに、アグルエは思わずといった様子で「んーん」と伸びをする。

 全身に息を吸い込むようにして、腕まで伸ばしたアグルエを見てエリンスは少し笑ってしまった。


「なーに!」


 笑われたことに気づいたアグルエは、冗談交じりで怒ったようにエリンスへ詰め寄った。


「いや、なんでもない。ごめんごめん」


 長い三日間だった。

 狭い船室から解放されたような気分は、どこか今日の天気にも似て晴れ晴れしい。

 エリンスとしても船旅に慣れているわけではないので、アグルエの伸びもしたくなるような気持ちが少しわかって可笑しくなってしまったのだ。


「アーキスとメルトシスは?」


 すっかり切り替えたらしいアグルエが聞いてくる。


「まだらしい」


 辺りを見回し探してみるが、二人はまだ船から降りて来ていないようだ。

 アグルエも一緒になって船から降りてくる乗客の中から二人のことを探そうとキョロキョロとしていた。


 そんなアグルエの横で、エリンスは魔導船を見上げ――それにしてもすごい技術力だ、と感心させられる。

 200年前、勇者が現れる時代よりも前から運航されているという魔導船。

 失われてしまった魔導技術も多いというのに、未だ現役であるその船は堂々とした立派なものだった。

 この魔導船がなければ、勇者候補生の旅は成立しないだろう。


「お、先に降りてたか」


 と、船を見上げたエリンスに話し掛けてきたのはちょうど今しがた船から降りてきたメルトシスだった。


「悪い、待たせたか?」

「待ってないよ」


 その横にはいつも通りアーキスもいた。

 そんな二人を見て、エリンスは今更ながらに疑問となったことを尋ねた。


「そういえば、結局アーキスたちは同盟パーティー二人のままなんだな」


 エリンスにそう聞かれメルトシスがこたえた。


「あぁ、そうなんだ。結局アグルエみたいな魔導士は見つからなかったさ」


 まあそれもそうだろう、とエリンスは考える。

 アグルエみたいな魔導士が他にいるのだとしたら、マリネッタとか、それこそ勇者候補生上位の人らだろう。


「マリネッタのことは誘わなかったの?」


 そこでアグルエが純粋な疑問を思ったように口にした。


「誘ったよ。けどまあ、気難しい性格というか、事情があるようでそれはもうキッパリと断られた」


 メルトシスがそうこたえてくれて、アグルエはキッパリと断るマリネッタの姿を思い描いたように「あはは」と笑った。

 エリンスも同じようなことを考えて、先に一人ルスプンテルを旅立っていったマリネッタの後姿を思い出す。


 一人旅、そこには――何か理由がありそうだったな、と。

 マリネッタの事情というやつはわからない。

 また次に会ったときにでも聞けたらいいな、とエリンスは考えて――

 アーキスがエリンスの考えも読んだように先に口を開いた。


「さて、じゃあ俺たちも先を急がんとな」


 アーキスの言葉を合図に、それぞれ頷いて、四人は港を後にした。



 そうして、しばし町での用事を済ませた四人の姿は港町ミープルの入口付近にあった。

 エリンスたちとアーキスたち、そこからの目的地は別々のものとなる。

 ミルレリア大陸にあるファーラス王国へはミープルより人の足で二日ほど。

 エリンスの故郷であるシーライ村へは半日ほどの距離となる。

 ただ、アーキスとメルトシスはそれぞれ馬を連れて立っていた。

 港町の馬屋で馬を借りたらしい。そうすることで大きな移動時間の短縮になるのだろう。


「じゃあ、ここで一旦お別れだな」


 エリンスとアグルエのことを見やったアーキスが口を開いた。


「どうせ目指す場所は一緒なんだ、またすぐ会えるだろうけどさ!」


 メルトシスは馬に跨りながら、エリンスとアグルエへ向けてそう言った。


「エリンスたちも故郷に寄ったらファーラスへ来るんだろ?」


 手綱を手にして馬にはまだ乗らないアーキスが、エリンスたちへと聞いてくる。


「あぁ、そのつもりだ」

「シーライ村か。遠くはないし、まあすぐだな!」


 アーキスにこたえたエリンスに、メルトシスがのんきな様子で返事をする。


「ファーラスには『赤の軌跡』もあるしな」


 アーキスがそう言った通り。

 勇者候補生の旅の目的地である五つの軌跡の一つ、『赤の軌跡』があるのはここミルレリア大陸。

 その軌跡に挑むためには、ファーラスの勇者協会で何やら資格を得ないといけないらしい。


「赤の、軌跡……」


 その言葉を聞いて、アグルエは少し考えて心配してくれているようだった。

 船旅の中で、エリンスは白の軌跡でのことをアグルエに話した。

 勇者候補生の旅に伴う危険性――それぞれの軌跡には候補生を試すための試練があることをアグルエは知ったのだ。


「ま、メルトシスの言う通りだ。

 目指すべき場所は一緒だ。すぐ会えるだろう。

 また、会おう。エリンス! アグルエ!」


 アーキスは颯爽と馬に跨って、別れの言葉を口にした。


「そうだな、また!」

「またね、アーキス、メルトシス!」


 エリンスとアグルエは、馬を走らせ去っていく二人を見送った。

 ファーラスは港より東の方角、エリンスの故郷であるシーライ村は西の方角。

 それぞれが背を向けて、それぞれの目的のために別れを告げた。

 エリンスとアグルエもまた旅を続けるために、故郷を目指し歩きはじめた。



 アーキスとメルトシスが向かったファーラス王国には――

 幻惑に堕ちた黒い思惑が渦巻いていたのだが――それはまた少し後のお話になる――



◇◇◇



 港町ミープルでアーキスらと別れてから数時間、

 エリンスとアグルエは故郷への道を進み、エリンスにとっては次第に見慣れた風景となってきたころ――


「アグルエ、疲れてないか?」

「うん、平気!」


 アグルエももうすっかり旅に慣れてきたようで、腕を振り回して精いっぱい元気な様子を表現してくれる。


「まさか、旅立ったのはついこの前なのに……こんなに早くも帰ってくることになるとは思ってなかった」

「あはは、お母様もびっくりしちゃうんじゃない?」


 アグルエが冗談交じりに言ったその言葉で、エリンスは少しも考えていなかった母親のことを思い返した。


 たしかに――びっくりするかもしれない。アグルエが横にいたら。

 自分の母親のことは自分がよく知っている。

 アグルエを見た母さんが変なことを言い出しそうで、村へと近づくのが少し恐怖になってきた。

 ただエリンスがいくら不安に思おうと足を止めるわけにもいかなく、次第に辺りの風景が牧草地帯へと変わってくる。


 のどかな空気に草の香り。

 柵で囲われた緑一面の大平原と放牧された牛や馬、羊などの家畜が目立つようになってきた。

 ミルレリア大陸の西側、辺境の地。

 広大な大地には牧場も多い。

 その牧場の一端が見えてくるということは、もうすでにこの辺りはエスライン領ということになる。

 シーライ村は目の前だ。

 エリンスが言い訳を考える暇もなく、二人はエリンスの故郷に辿り着いた。


 木がほとんど生えていない積まれた藁俵と広大な大地が目立つのどかな村。

 家もポツポツと点在するように立っており、村の奥のほう建物が集中している場所が村の中心地。

 そして村のさらにその奥には、大きな鬱蒼とした森――禁足地きんそくちと国から呼ばれる樹海、カミハラの森が広がっていた。


「帰ってきちゃったんだな……」


 どこか遠い目でその森を見据えたエリンスに、アグルエはニコニコとしてこたえた。


「ここがエリンスの故郷!」


 アグルエは魔導船の中で話をしたときからずっと楽しみにしていそうなものだった。


「あら、エリンスじゃない!」


 そんな村の入口で立ち往生していた二人のことを見て、たまたま村の入口にいた村人の一人――エリンスにとっては顔馴染みでもある隣人のマルサが声を掛けてきた。


「あ、マルサおばさん」


 エリンスはその顔を見て返事をする。


「もう帰ってきたのかいって」

「ちょっと、急用というか、見直さなきゃいけないことができてしまって」

「シルフィスさんに用ってかい」

「まあ、そんなところです」



 アグルエは二人が話す様子をただ見守っていた。


同盟パーティー仲間もできたんだねぇ……」


 そしてマルサは優しそうな表情をアグルエにも向けるのだった。


「えぇ、まあ。俺はこれでも、勇者候補生ですから」

「候補生になれたんだね……」


 遠くを見つめるようにするマルサが何を考えたのかは、エリンスの過去の話を聞いたアグルエにもわかってしまう気がした。


「ちゃんと想いを継いでいるよ。あんたは立派な勇者候補生の顔をしている」


 エリンスにそう言ったマルサの言葉を聞いて、アグルエはまた泣きそうになる気持ちをグッと我慢したのだった。

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