第45話 語られる灯 ――前編――


 エリンスの故郷シーライ村は、穏やかな秋風に稲穂の金色が似合うのどかな農村地帯にある。

 端的に言ってしまえば、世界を回る勇者候補生でもあまり立ち寄ることもない、田舎の村だ。

 近くにはファーラス王国から立ち入りが禁止されている禁足地きんそくちと呼ばれる森があり、神秘的な空気もあるのだが、それ故に村には人が立ち寄ることも少ないのだ。


 そんな辺境の地。

 エリンスは行商人の父レイナル・アークイルと家庭的な母ミレイシア・アークイルの元に生まれた。

 心優しくも厳しさを併せ持つ母ミレイシアの手で、エリンスはすくすくと育っていく。


 子供のころのエリンスは、行商人というその職業柄一年に一回帰ってくるかどうかの父レイナルのことを、いつもお土産を送ってくれてたまに遊びに来るおじさん程度にしか認識していなかった。

 それが父だと認識したのはエリンスが五つになったとき。

 ミレイシアが行商の旅から一時的な帰宅をしたレイナルに優しい表情を向けていることに気づいたとき。

 ミレイシアがどうして、どこをほっつき歩いているかもわからないレイナルを、そうまで思っているのかと疑問に考えたのがきっかけだった。


 いつもであるならばレイナルは一日家で休めばすぐに行商の旅に戻ってしまうものの、その年は何故だか一週間家に滞在した。

 エリンスにとっての父親との思い出は、この一週間に集約されていると言っても過言ではない。


「エリンスは、いつも何をして過ごしているんだ?」


 父親が自分のことに興味なんかないと思っていたエリンスだったが、レイナルにそう聞かれて喜んでこたえたことは今でも覚えている。


「父さんの送ってくる本を読んでる!」

「そっか、それはお土産の作り甲斐がある」


 元気に返事をしたエリンスに、レイナルも頬を綻ばせ優しい返事をしていた。


 辺境の地ではあったものの手紙や荷物の配達が届かないような地域ではなかったこともあり、行商人であるレイナルは時折、世界各地よりミレイシア宛に荷物(手紙だったり日持ちのするご当地名産だったり)の配送を頼むことが多かった。

 その中にはいつも決まって、一冊本がついてきた。

 そのうちの一冊が、数百年前より何度もリメイクを繰り返されて発行され続けている大人気冒険譚、「勇者レインズの冒険譚」だった。


 物心ついたときよりその本を読んで勇者や剣士というものに憧れたエリンスは、拾った木の枝を剣に見立てて振り回しては、よくミレイシアに「危ないから!」と怒られたものだ。


 いつか自分もレインズのように冒険をし、剣を振るって何かを救いたい。

 子供ながらに大きな夢、憧れを持ったのは父親の送り続けてくれた本がきっかけだった。


 その憧れが現実へと近づいていくのは、さらにその年にあった運命的な出会いがきっかけとなる。

 一週間滞在したレイナルが行商の道へと旅立ったその数日後、平和で穏やかな村に不思議な事件が発生する。


――裏の森の入口に小さな男の子が倒れていたのだ。


 年齢は五つほど。

 意識もなく倒れていた男の子は領主である村長の家で介抱されると、幸いにも大きな怪我などをしていたわけではないようで、すぐに自分の名前を語ったのだという。「ツキト」と。


 意識はハッキリとしているようだが自分がどこから来たかはわからないというツキトを村長が村に置くと決めた。

 そうしてツキトの引き取り手として手を上げたのが、エリンスの家の近くに住む村でも有名な世話好きなおばちゃん、マルサだった。

 子供を授かることができなかったというマルサはツキトを自分の子のように迎え入れ喜んだという。


 エリンスは突如できた自分と歳が同じ隣人に心を躍らせたものだ。


 そんな二人が仲良くなるのに時間がいらなかったことは、説明するまでもないだろう。

 ツキトもまた「勇者」に憧れているという話をきっかけに、二人はよく一緒に遊ぶようになる。


 レイナルの書庫に忍び込んでは一緒に世界各地の旅行誌やら武器辞典やら魔法辞典やらを読み漁り、まだまだ見えぬ旅路を想像して笑い合った。

 一緒になって木を切って木剣を作って実戦形式の真似事をして、母ミレイシアに怒られたこともある。

 子供ながらにしても、二人の憧れは次第に形へとなっていった。


「ぼくらは勇者になって、世界に真の救済をもたらすんだよ、エリンス!」

「うん、ツキト。俺らで世界を救おう!」


 子供ながらに語り合った二人の夢と憧れ。

 今思えばどこか現実味のあったツキトのその言い方が気になることではあったのだが――

 さらに二人の憧れが現実感あるものへと変わっていく出来事が、二人の周りでは発生するのであった。



◇◇◇



 エリンスがツキトと仲良くなってから5年の月日が流れ、エリンスが10歳になったある日のことだった。

 二人は村人同士が噂話をしているのを立ち聞きする。


『東の国で名を馳せた元勇者候補生の村長の息子が、大怪我をして剣士を引退し帰ってくるらしい』


 その噂を聞いたツキトは、どうにもはやるような気持ちを抑えられなくなったようにエリンスに言った。


「弟子にしてもらおう!」

「大怪我をしたって聞いたけど」

「それでも剣術を教えてもらえるよ、きっと!」


 大怪我と聞いたことが気になるエリンスとは反対に、ツキトは居ても立っても居られないといったように剣士の帰還を待ちわびた。


 そうして数日後、とある勇者候補生の同盟パーティーに護衛を任せた村長の息子が村へ帰ってくる。

 村長の息子の帰還に村が沸いたのとはまた別に、エリンスはツキトに引っ張られるようにして村長の家に押し掛けた。

 村長の家には護衛のためについてきた勇者候補生の同盟パーティーも滞在しており、二人は初めて見る本物の勇者候補生に目を輝かせた。


 村長の家の庭先にあった三人の人影――

 鎧を身につけた大きな剣を背負ったリーダー格の男に、

 ローブと特徴的なとんがり帽子の魔導士風の女性、それと同じような格好をして杖を持った男性の三人の同盟パーティー


「わー」と歓声までをも上げたエリンスとツキトに、勇者候補生らも悪い気持ちにはならなかったのだろう。


「ん、なんだ、坊主たち!」


 リーダー格の男が気前よく二人に話し掛けてきた。


「お兄さんたちは、勇者候補生の同盟パーティーですか!」


 興奮抑えられなくなったようなツキトの横で、エリンスもまた口にはしなかったが同じように興奮していた。


「そうだぞー! 今回は護衛の依頼で、付き添いだがな!」

「勇者協会で受ける依頼ってやつだ!」


 ツキトは嬉しそうな声でリーダー格の男にこたえた。

 レイナルの書庫で散々に「勇者候補生」について書かれた本を読み漁った二人は、目の前に現れた本物の勇者候補生の話により高揚した。


「ぼくたちも、勇者候補生になりたいんです!」


 より興奮が高まったのだろうツキトはそう口にした。

 ぼくたち――そう口にしたツキトの横で、エリンスも頷いたのだが――


「へーいい夢を持ってるな!」

「でも……この子、魔力がない、弱魔体質じゃくまたいしつみたいだけど」


 笑顔なリーダー格の男の横で、魔導士の女性がエリンスのことを見てそう言った。


「あーそれだと、厳しいかもな……あはは」


 分が悪そうに愛想笑いをしたリーダー格の男の言葉がエリンスには虚しく響いた。


 その言葉にエリンス自身思い当たることがないわけではなかった。

 エリンスは10歳にもなれば、自分自身どこかわかっていた。

 自分に魔法の才能が全くないということは。


 弱魔体質じゃくまたいしつ――魔素マナを集めることができても、魔力にすることができないという体質。

 エリンスはその体質の話を何かの書物で見たことがあった。

 魔法を扱えないとなれば――リーダー格の男の言う通り、勇者候補生になるのは厳しいだろう。


 実際に口にされることで思い知らされてしまう。

 改めて突きつけられると、夢が夢のままになってしまいそうでエリンスは呆然としてしまったのだ。


「ぼくたちは絶対に、勇者候補生になりますよ!」


 でも、そんな力が抜けてしまったエリンスの横で、ツキトは三人の勇者候補生相手に強く言い放ったのだった。

 そしてエリンスの手を掴んで、ツキトは勇者候補生らの顔も見ずに村長の家へと入っていった。

 ツキトが散々に言っていた本当の目的――元勇者候補生の元剣士に弟子入りする、そのために。


 二人の目的の人物は、けだるそうな雰囲気でダイニングの机の席に杖を片手に座っていた。

 もう片方の手で頬杖をついて、どこか遠くを見据えるような眼差しには力強さが残っている。

 全体的に鋭いような印象を受ける顔立ちに、机の上には男のものだろう剣も置かれていた。

 大怪我をしたらしい部分は右足のようだ。

 座っているその姿からも右足に力が入っていないような印象をエリンスが見ても受けた。


 シルフィス・エスライン――シーライ村の村長の息子、後にエリンスの師匠となる元勇者候補生。

 ある護衛任務の途中に足の靱帯を損傷し、治癒魔法を受けて病院にて治療を受けても完全治癒することができず、剣士としては致命的な、生活に杖が欠かせない身体となってしまった元剣士。


「なんだ?」


 目を輝かせて近づいた二人のことが純粋に気になったのだろう。

 二人と目が合うなり、シルフィスは口を開いた。


「弟子にしてください!」


 開口一番、ツキトは腰に差していた木剣を抜いてシルフィスに申し出た。

 一瞬、鋭い目をしてツキトのことを見定めるようにしたシルフィスはだが即答する。


「お断りだ」


 手で払うようにしてツキトから目を逸らしたシルフィスは明後日の方向を向いて「はぁ」と一息吐いた。


「え、なんで!」


 ツキトもまさか断られると思っていなかったのだろう。

 落胆するような表情のままにシルフィスに食い下がった。


「子供の遊びに付き合う趣味はない」


 キッパリとそう口にしたシルフィスに、でもツキトは諦めない。


「遊びじゃないんです! ぼくらは絶対に勇者候補生になる!」


 力強く言うツキトに、だけどエリンスはどこかその言葉が浮世離れしたものに聞こえてしまった。

 先ほど村長の家の前で言われた言葉はエリンスが思った以上に効いていた。


「ほぉー?」


 ただシルフィスはその言葉は否定せず、改めてツキトとエリンスのことを見定めるように視線を向けてくる。

 だが、一言。


「弟子を取るつもりはない」


 やはりキッパリと断られてしまうのだった。


 その日から二人は、シルフィスの元へ毎日のように「弟子にしてくれ」と押し掛けた。

 弱魔体質と言われたエリンスは落ち込みもしたのだが、ツキトが引っ張ってくれることでそんな気持ちも薄れていったのだった。


 時と場合を選ばない強引な押し掛けと全く諦める様子がない二人に、シルフィスも疲労困憊を極めたのだろう。

 はじめはしつこい子供の遊びかとも思っていたらしいが、10日目にもなるころにはシルフィスも諦めたらしい。

 自分らで作った木剣を手にした二人を見て、シルフィスもついには、「本気で諦めさせるしかない」と思ったようだった。

 その日押し掛けた二人に、シルフィスはいつもとは違う調子で言った。


「じゃあ、俺から二人掛かりで一本取って見ろ、取れたなら弟子にしてやる」

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