第36話 炎蒸の魔王候補生 ――1――


 かつてのダーナレクはどちらかと言えば人間とはかけ離れた姿をしていたはずだ。

 竜のような強靭な顎をしており、鱗に包まれた腕と足を持ち、長い尾を持つその体躯も2メートルは超えるような巨大さだった。

 そういった一目で魔族とわかるようなものであったはずだ。

 だが今――まるで人間に近づいたかのようなその姿は、大きな黒い角のみが魔族である証として残っているだけ――

 翼もないのにどうして空へ浮かぶことができているのか――

 背中に強大な濃縮された魔素マナの塊の輪を背負っており、そこより放出する魔素マナが浮遊を可能にしているようだ。


「久しいな、アグルエ」

「何をしたの、ダーナレク!」


 町を危機に陥れたという怒りも当然あったのだが、そうして姿を現したダーナレク相手にアグルエはそれとは違う恐怖を感じていた。


「簡単な話だ、俺ら魔族は人界で生きるのには向いていない。

 だから、人界の魔素マナを喰うことで進化したんだ」


 何を言っているのか理解ができないアグルエであったが、ダーナレクがしたことには見当がついた。

 ダーナレクの異様に膨れ上がった不気味な魔素マナの正体は、この町の結界の魔素マナだ――と。


「進化って……」


 そんなことをした魔族の話をアグルエは一度だって聞いたことがない。


「どうして魔族が魔族であるか、わかるか?

 人間よりも魔素マナの影響を強く受けるから、俺らは魔族なんだよ」


「だとしても、どうして!」


 そんなことをしようと思ったのか――


「俺は力が欲しかった。この世界を統べるほどの、力を」


 力強く言い放ったダーナレクがそのまま言葉を続ける。


「聞いたんだよ、人界の魔素マナを喰えば、人界に適した力を手に入れられるって」

「聞いたって、誰に!」

「さぁ、わからんな?」


 ダーナレクはとぼけたような返事しかしない。


「今から死ぬおまえが知ったところで、意味がないだろう」


 ダーナレクはそういうと前に出した左手のそれぞれの指先に魔素マナを集めて詠唱をはじめた。


「燃えよ――炎蒸炎射ヘルズレーザー!」


 ダーナレクの五本指に集まった魔素マナの光は、それぞれ炎のレーザーとなりアグルエへと襲い掛かる。


 アグルエはまだ剣に残したままであった自身の魔素マナを駆使し、剣を振るって炎のレーザーを弾こうとする。

 レーザーの一本目、二本目とそれぞれを剣で弾いて対応するのだが、それぞれ速度を変えて襲い掛かる炎のレーザーにアグルエは対応が一歩遅れてしまう。

 三本目、四本目を弾き消したところで、五本目への対応が間に合わなかった。

 アグルエが避けようもなく体を貫くだろうその痛みに耐えようと目を瞑り掛けたそのとき――


天空烈波てんくうれっぱ!」


 横から飛んできた衝撃波が五本目のレーザーをかき消した。

 ダーナレクに投げ飛ばされはしたものの空中で体勢を立てなおしたアーキスが、天剣を振り抜きながらアグルエとダーナレクが対峙したその場へと飛んで戻ってくる。


「やるな、人間」


 ダーナレクは上から目線な調子で戻ってきたアーキスのことを見やった。


「聞き間違いじゃないよな、『魔王』って!」


 アーキスはその姿形とそこから感じる異常なほどの魔素マナに恐怖すら覚えてしまうのであったが、その恐怖を押し殺すかのように闘志を燃やして剣を構えなおす。


「あぁ、俺こそが魔王になる!」


 そう返事をしたダーナレクへ向かって、アーキスは手にした天剣を振るい一閃、切り込んで、踏み込んだ。

 それに対してダーナレクは自身の右手に集めた魔素マナを剣のようなものへとかたどって、瞬時に剣を作り出し応戦する。


「どうして、ルスプンテルを襲う!」

「俺が力を示すのにちょうどよかったからだ」


 剣を合わせることで会話をするように――二人の剣撃がぶつかり合う。


「許せない!」

「別に貴様の許しなどこうてはない」


 剣と剣がぶつかり合い、弾き合い――

 一歩も譲れない剣士同士の戦いのようであった。

 ちょっとした隙が勝敗を決めるような拮抗する剣戟けんげき

 アグルエが口を挟む暇も、助太刀する暇もなく続けられる気の抜けない攻防であった。


 ただ、アグルエから見て――そうしているダーナレクはあり余る力で遊んでいるようにしか見えなかった。


「魔王――何者かは知らないが、討つべき相手だということはわかる!」


 そうした攻防を続け――アーキスが一歩距離を取ってから口を開いた。


「天剣、今こそきらめけ!」


 アーキスはそのまま両手で天剣グランシエルを構えるとダーナレクに向かって狙いを澄ます。

 アーキスの言葉に呼応し天剣が輝いたようにアグルエからは見えた。


 ダーナレクはそんなアーキスの構えさえもただ黙って見定めるようにして待っていた。

 アグルエから見てそれはまるで人間の――勇者候補生の実力を測っているようだった。


 アーキスはそのままの体勢で魔素マナを溜めると、ダーナレクに向かって素早くけ、突進をはじめる。


「くらえ――天破翔空斬てんはしょうくうざん!」


 剣に溜めた魔素マナを一気に解放しその勢いで加速をしたアーキスは、その速度を乗せて天剣を振るう。

 夜空に一閃、きらめいた魔素マナの斬撃はダーナレクのことを確実に捉えて切り裂いたかのように見えた。


 だが――アグルエはその魔素マナの動きを見ていたからわかってしまったのだ。

 ダーナレクは避ける動作をすることもなく、その一撃を受け止めた。


 ダーナレクは右手に持った剣を縦に構えてその刃でアーキスの大技を防ぐ。

 殺し切れなかった魔素マナの衝撃がダーナレクの後方にまで突き抜けたように見えたのだが、ダーナレクは涼しい顔をして微動だせずに受け止めて見せた。


「こんなものか」


 渾身の一撃がいとも簡単に防がれてしまったアーキスが距離を取る暇もなくダーナレクは反撃をした。


「軽すぎるわ!」

「くっ!」


 そうして剣を弾こうと力を込めたダーナレクの内より炎の波動が湧き出した。

 ダーナレクが持つ魔族の力――「炎蒸えんじょう」と呼ばれるその性質は、全てを燃やし尽くし一滴の水分すら残さないほどの蒸発。炎に特化した力だ。


 アグルエは咄嗟に黒い炎を広げて膜を作りアーキスを守ろうとする。

 だが、間に合わない。


 内なるところより膨らんだかのように広がるダーナレクの「炎蒸えんじょう」の力がアーキスを燃やし尽くす前に吹き飛ばした。

 ダーナレクを中心にして、一瞬で小さな爆発でも起こったかのようであった。


 アーキスは身体が空へと投げ出されたのを感じ、自分の視界が逆さまとなった炎上する町を捉えたことにより死を覚悟する。


「ぐっ……」


 全身に力が入らず、天剣から手を放さないようにすることでやっとの思い。

 この剣を失ってしまえば、それこそ空を統べる力を失って地面へ真っ逆さまだ。

 ただ、天剣を手にしていても体勢を立てなおせるだけの余裕すらもうなさそうだ――

 アーキスはそのまま意識を失ってしまったが、天剣を手放すことはなく強い意志で掴んだままであった。


 アグルエは逆さまとなりそのまま落ちていくアーキスへと飛んで寄ってその腕を掴む。

 必死にその体を支えようと力を込めて持ち上げようとするのだが、今の魔力では人一人を支えて飛ぶだけの力は出ない。

 重力に逆らえずアグルエも一緒になって緩やかに落下していく。


「本当に、見るに耐えんな……かつて最強と謳われたおまえでさえ人間ごっこを続けてそのざまか」


 ダーナレクが上空より実につまらないものを見たようにしてその様子を見下ろしていた。


「俺の『炎蒸ちから』と、おまえの『滅尽ちから』が、『同じようなもの』として比べられたあの日が懐かしくもなる。

 思い返すとはらわたが煮えるようなものであったのに、今じゃ本当にどうしようもなく、つまらん。

 俺は知っていたがな、おまえの滅尽それと俺の炎蒸これが似ているようで、そうじゃなかったことも」


 アグルエはそう口にしているダーナレクの言葉へと意識を向けながらもアーキスを支えようと必死にもがいていた。


 ダーナレクは右腕を天高く上げると、そこへ魔素マナを集中させる。

 そして、炎に包まれる港町を見渡してから左腕を広げて喋り出した。


「弱いってことは、虚しいだろう。

 どうだ、人が守ろうとする世界なんて、こんなにも脆いんだよ。

 そこにどうして価値がある? 弱いってことはそれだけで無価値なんだよ」


 そうして燃えゆく港町を見下みおろして、見下みくだしたダーナレクに対し――

 アグルエは落下を続けながらも強い意志を持って反論する。


「わたしはあなたの意見には同意できない、ダーナレク。

 あなたの見ている世界は酷く狭いもののようだから」


「ふっ、弱者の戯言ざれごとだな――」


 ダーナレクはアグルエのそんな返事を鼻で笑って一言続けた。


「最強とは名ばかりだ。弱いから死ぬんだよ。おまえは――」


 そうして話しているうちにもダーナレクはその右手の先に魔素マナを集めて火球を作り出していたのだった。

 アグルエもダーナレクの右手の先に魔素マナが集まっていることはわかっていた。

 だけどアーキスを支えることで精いっぱいであったアグルエにはそれに対抗する余裕がなかった。


 その集まった炎の魔素マナはまさに夜空に浮かぶ小さな恒星のようであった。

 直径2メートルはあるかというようなその火球をアグルエ目掛けて放って飛ばす。


「燃え尽きよ、地獄炎蒸ヘルバーン!」


 アグルエの目の前まで飛んできた火球がその目前で動きを止めると小さくなるように収縮をはじめる。

 アグルエはその魔素マナの反応に嫌な予感を覚え、すぐさまに防御体勢を取った。


 その瞬間――小さくなったように見えた火球が急に膨張し、けたたましい轟音と激しい閃光と共に爆発した。

 アグルエは咄嗟に黒い炎の翼を大きく広げて盾にするように自分の前へと展開して攻撃を防ぐのだが、その爆発の勢いで弾き飛ばされる。


――くっ! 耐えられない!


 アグルエはそのまま風を切り勢いよく落下していく。


――このままじゃ、落ちちゃう!


 アグルエは意識まで飛ばされそうになる衝撃を何とか耐えて、空中でなんとか体勢を立てなおす。

 続けてアーキスを魔素マナのバリアで包み守って着地の衝撃に備え、黒い炎を下方向へと展開し、落下地点だけはしっかりと見定めた。


 二人はダーナレクの爆発の勢いで、地上――元いた屋上まで弾き返されてしまった。


「くぅ……」

「ぐはっ……」


 アグルエもアーキスも落下の衝撃をそれぞれ受けて、アーキスはその際に意識を取り戻した。

 アグルエは尻餅をついてしまいはしたが、魔素マナでの対応が早かったため大きな怪我はせずに済んだ。


「何があったって言うの!」


 空の爆音を地上で聞いたマリネッタが、落下してきた二人へと駆け寄って聞いたのだが――

 マリネッタは空より近づいたもう一つの不気味な気配に気づき、ただちに臨戦態勢へと意識を変えて杖を構える。


「な、なんなの……こいつ……」


 マリネッタのいた屋上まで降りてきたのはダーナレクだ。

 マリネッタは空にあった不気味な魔素マナの気配が地獄太陽ヘル・ザ・サンのものであると思い込んでいたのに、急に目の前に現れたソレから感じる不気味な気配に驚き、戸惑いが隠せなくなってしまう。

 杖を持った手から一瞬力が抜けてしまったマリネッタに対し、ダーナレクは右手を前に出して魔法の詠唱をはじめた。


ぜろ、炎蒸華えんじょうか!」


 ダーナレクの右手より放射された高温度の炎がマリネッタへと襲い掛かる。


「なっ! 水聖よ、守って! 水聖障壁リィアクアウォール!」


 マリネッタは自分へ迫る炎へ対抗するために即座に杖を構えなおして魔法を詠唱し返した。

 集まった水の魔素マナが壁となりマリネッタの前に具現化し、ダーナレクの炎を防ぐようにするのだが――


「俺の『炎蒸えんじょう』に水は効かん」


 ダーナレクがそう口にした通りだった。

 ダーナレクの放った炎がマリネッタの作った水の壁にぶつかった瞬間、その水の壁は瞬く間に蒸発をはじめそして爆発した。

 水が高温の物質と接触して起こる現象、水蒸気爆発のようなものだった。


「キャァーッ……」


 マリネッタはその爆発の衝撃で吹き飛ばされて、その手にした杖をも投げ出してしまい、後方の壁へと叩きつけられ気を失ってしまう。

 起き上がることのできないマリネッタへと屋上に着地したダーナレクが静かに歩いて近づく。


「こいつは、やばい……」


 意識は戻ったものの、アーキスはマリネッタと同じように起き上がることができないでいた。

 着地の際に自身の足の骨が折れてしまったことをその痛みから実感していたのだ。

 助けに入りたくても身体がついてきてくれないもどかしさをアーキスは噛みしめる。


「人間にしてはいい魔素マナを持っていたが脆いな。勇者候補生なんてこんなものか」


 意識のないマリネッタに向けて、ダーナレクが再び右手をかざす。

 それは、先ほどその右手より炎を放射した構えと同じ――


「させないっ!」


 起き上がったアグルエは咄嗟に駆け出して、ダーナレクとマリネッタの間に割って入る。

 ダーナレクが目の前で何をしようとしているのか悟ったアグルエは、そこに強い意志を持って魔素マナを練り上げ両手を掲げた。


「わたしの仲間に、これ以上手出しはさせない!」

「愚かだよ、貴様は!」


 ダーナレクはかざした右手に合わせるように左手をも前に出した。


「お仲間もろとも蒸発しな! 炎蒸華えんじょうか!」


 先ほどよりも見るからに強い勢いを持ち、温度も高くなったであろう高濃度の魔素マナを持つ炎がダーナレクの両手より放射されアグルエとマリネッタを襲う。

 アグルエはその瞬間に集めた魔素マナを盾の形へと具現化させて、その炎からマリネッタを守るように防ぐのだが――


――つ、つよい! 今のわたしじゃ……ううん、全力を出しても抑えきれないかも……


 炎に圧されアグルエは一歩後退してしまう。

 アグルエはダーナレクを甘く見すぎていた。

 かつてのダーナレクの魔力であるならば、今の力でも防ぎ切れていただろう。

 しかし港町ルスプンテルの結界の魔素マナを喰って進化したというダーナレクのその力は、かつての自分自身――魔界にいたころの最強と謳われたアグルエの力でさえ凌駕するほどの魔力量だった。


――気を弱く持ってはダメだ、それだけで魔法に影響が出る!


 強がりの意志を示しつつもアグルエは必死の表情で炎を防ぎ続けた。


 だけどそれは、傍から見ていたアーキスにもわかったことだが――その力の差は歴然、ダーナレクの力にアグルエが屈してしまうのは時間の問題であった。


 ダーナレクは涼しい顔をしたまま、止めを刺すように放射した炎に一際強く魔素マナを注ぎ込む。


「終わりだ!」

「ぐっ」


 アグルエが苦痛の声を上げたのと同時に、その魔素マナによって具現化していた黒い炎の盾に亀裂が走った。

 このままでは一環の終わりだと、力の差にアグルエが諦めかけたその瞬間――


――ハアアアアァァァァ!


 アグルエの耳に遠くから聞こえたのは、そんな気合を入れて息を吐くかのようなエリンスの声――


――こんなときにまで、エリンスを頼っちゃうなんて……


 弱気になって幻聴まで聞いてしまう自分にアグルエは少し呆れもしてしまったのだが――


 それが幻聴ではないとアグルエが気づいたそのとき――

 白き輝く剣閃がアグルエとダーナレクの間にあった炎の魔素マナの流れを両断し、ダーナレクが発動させていた魔法を一瞬のうちに消し去った。


「なっ!」


 それに驚きを見せたのはダーナレク。

 なにかわからないとてつもない力を感じる「魔法ではないもの」によって自身の魔法が両断されて打ち消される――

 ダーナレクにとって、今まで自分がそんなことをされる側になる経験などなかったからだ。


 それとは対称的に安堵の表情をしたのはアグルエだった。

 安心して力が抜けたことによって、アグルエはその場に座り込んでしまった。


「今度は、間に合った!」


 アグルエの目の前――

 ダーナレクとの間に立ち塞がったのは幻聴でなかったその声の主――剣に白き輝きを乗せたエリンスだった。

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