第32話 炎上の港町 ――1――


 翌日、アグルエはまた朝早くから図書館へと入り浸っていた。

 空に感じる嫌な予感は朝になっても相も変わらず存在したのだが、アグルエはそれを気にしないようにして調べものを進めていた。

 だからアグルエは知る由もなかった――この日、町中が大騒ぎになっていたことを。



◇◇◇



 ルスプンテル自警団本部その一室、隊長室と銘打たれたその場所には三人の人影があった。


 自警団隊長、バルオト・ダンタリオ。

 勇者候補生、天剣のアーキス――アーキス・エルフレイ。

 自警団見習い兵、シルカ・レーミナン。


「一体、なんだというのだ……」


 席に着き頭を抱えているのは大男の自警団隊長バルオトだった。


「空に卵のようなものが浮かんでいる、と通報が相次いでいるとの報告が!」


 報告するために隊長室に駆け込んだシルカが焦ったように口にしている。


 アーキスもまたその報告を聞き、顎に手を当てて考えるのだ。

 ここ連日の異変の正体と思われるものを――


 今日になって突如、ルスプンテル上空に卵のような黒い丸い球体が出現したのだ。

 目測では5メートルほどの卵のようなもの。

 ここ連日のことを思えば今までもそこに存在はしていたのかもしれない。

 ただ、人々の目に触れるようになり異変として認知されるようになったのが今日の昼頃からという話だ。

『空に何か浮かんでいる』という散歩途中の町人からの通報が自警団に入ったのを皮切りに、続々と同じような通報、報告が舞い込んできた。


「卵はまるで結界の中心にあるように見えるが」


 アーキスが窓から空を見上げてそう指摘する。


「昨日の魔物の群れの接近、どうもうちの魔導士部隊の調査によると町の結界が弱まったからのようだった」


「結界」と聞き、バルオトが返事をする。

 だがアーキスはバルオトからそう聞いても納得がいかず、一人考え込むのだった。


――結界装置が弱まっただけであるならば、どうしてああまでも魔物は群れで、まるでルスプンテルを目指して襲来してきたのだろう。


 そんなアーキスの疑問にこたえられるものなどおらず、アーキスもまた、自警団と一緒に対応に追われる日となってしまう。

 この日の自警団本部と勇者協会は相次ぐ「上空にある卵のようなもの」の通報、報告に追われ、てんやわんやの大騒ぎとなっていた――



◇◇◇



「そろそろ閉めたいんだけど、大丈夫かしら」


 本に夢中であったアグルエが我へと返ったのは、そんな司書の女性の声がきっかけだった。

 ハッとなり辺りを見渡せば自分が読みふけって散らかしてしまった本の数々で溢れている。

 本棚と本棚の間の通路に座り込んで、次から次へと読み進めるうちに時間も忘れてしまっていたようだった。


「あ、ごめんなさい」


 困ったような顔をして自分のことを覗き込んでいた司書に気づいたアグルエはすぐさまに立ち上がると、散らかしたままになっていた本を片付けながら返事をした。


「ううん、いいのよ。そんなにも本を愛してくれる旅人さんがいるなんてわたしも嬉しいわ」


 司書の女性はニコニコとしてアグルエへ返事をした。


 時刻は18時。

 既に日も落ちているし、図書館を閉める時間であったのだろう。

 アグルエは慌てて本を片付けると入口のほうへと向かった。

 司書の女性は、図書館の表扉のところで鍵を片手にしてアグルエを待っているようだった。


「ほんとに、すみません。夢中になっちゃって」


 これ以上待たせても悪いと思ったアグルエは駆け足で寄って司書へと謝った。


「大丈夫よ」


 二人はそのまま図書館を出て、司書が表扉に鍵を掛けるところをアグルエも眺めて待っていたのだが――

 背後に感じた妙な気配にアグルエは慌てて振り返る。


――ガウゥゥゥッ!


 唸るような魔物の声。

 夜のとばりの下、街灯に照らされたその全身は青か緑といったような肌の色。

 長い背ビレに腕からもヒレが生えている。

 手には長い槍上のもりと呼ばれる漁に使われる道具を武器として手にしている。

 とても人のものとは思えないその姿は、まごうことなく魔物のもの――マーマンと呼ばれる魚人型の海の魔物だ。


「なんでっ!」


 背後に立つ魔物にいち早く気づいたアグルエは剣を抜いて空を見上げた。

 そして、ルスプンテル全体を上空から包み込むようにあったはずである結界と呼ばれる魔素マナの流れが消失していることに気づくのだ。


「ひぃっ!」


 バサッと手にした鞄を落とし、腰が抜けてしまった司書の女性はアグルエの横で動けなくなってしまう。


――ガァウ!


 銛を手にしたマーマンは動けなくなった司書へと標的を絞り飛び掛かってくる。


――疑問に思っている暇もない!


 アグルエは手にした剣を振るって、マーマンと司書の間に割り込んだ。

 剣で銛の切っ先を弾き、すぐさま剣を持った手とは逆の左手へと魔素マナを集める。


――コツはなんとなく、わかってきた!


 自身の胸元にある魔封から魔素マナを引き出すイメージ。

 それを崩さないようにして、左手へと意識を集中する。

 少しでも加減を間違えてしまえば暴発してもおかしくない綱渡りのような魔法の使い方となってしまうのだが、アグルエは自身の前に立ち塞がる町へと侵入したマーマンを相手に集中を続けた。


――ガガウウッ!


 銛を弾かれたことでバランスを崩したマーマンであったがすぐに体勢を立て直し、今度はアグルエに向かって飛び掛かってきた。

 しかし海の魔物故地上での動きが遅く、魔物を相手にすることに慣れていないアグルエであってもその攻撃を見切ることが容易かった。

 攻撃を避けたアグルエはそのまま背後へと回り、その背ビレ向けて左手に集めた魔力を放つ。

 マーマンのコアの位置を知らないアグルエだったが、目立つ場所が弱点であろうと狙いをつける。


滅尽めつじん!」


 魔法名は詠唱となり――左手より放たれた黒い炎はマーマンの背ビレから全身へと燃え移ってその姿を消し炭へと変えた。


「司書さん! 大丈夫?」


 マーマンを退治したアグルエはそのまま剣をしまうと司書へと駆け寄った。


「おかげで、ありがとう。旅人さん」


 アグルエの差し出した手を掴んでようやく立ち上がることのできた司書は、落とした鞄も拾い上げ辺りをキョロキョロと見渡す。


「どうして……魔物が町中に……」


 司書の女性は不安そうに呟いた。


「わたしにも、何が起こっているのだか――」


 と、そこでもう一度上空へと目を向けたアグルエはハッキリとした「嫌な予感」を目視する。


「卵――いや、あれは――」


 昼間から港町ルスプンテル上空にあったその異変――

 今や赤く光る丸い球体をハッキリと目視することができる。


「『太陽』……」


 アグルエはそれを一度目にしたことがあった。

 かつて魔界にいた、そのときに――


「どういうわけだか結界が消えています」


 そう口にしたアグルエの言葉が信じられないのか、司書もまた空を見上げる。


「なに、あれ……」


 漠然とした恐怖を抱えたようなその声にアグルエはこたえず、司書の手を取って走り出す。


「避難しましょう、ここは危ない!」


 どうして結界が消えてしまったのか、町がどうなっているのか、アグルエにはわからなかった。

 だけどこのままではこの一帯は確実に大変なことになる、という嫌な予感だけはたしかなものとして感じていた。


――どこが安全だろう。やっぱり勇者協会?


 どこを目指せばいいかわからないアグルエであったが、とりあえず司書の女性を避難させてあげたいと町中を走った。


――キャアアアアア!


 だけど、事態はアグルエが思ったよりも深刻だった。

 ふいに聞こえた叫び声にアグルエは振り返る。

 海より飛び出してきた2匹のマーマンが町を歩いていた女性へとその銛を構えて襲い掛かろうとしているところだった。


「また!?」


 と驚いてよく辺りを見渡してみれば、海より出てきたと思われるマーマンが町中のそこらかしこに闊歩かっぽしていたのだ。


――こんなにも魔物が……!


「大丈夫か!」


 アグルエが足を止め戸惑っている間にも、自警団と思われる制服を着た兵士が数人こちらへ走って来るのが確認できた。

 そのうちの二人が先ほどのマーマンへと応戦して女性を助けに入る。

 司書の女性はアグルエの手を離さず、辺りを見渡して不安そうにその様子を眺めていた。


――どうしよう。あれは、まずい!


 アグルエは心底焦っていた。

 今最優先に考えなければいけないのは、空に浮かぶあの「太陽」をどうにかすることだ。

 もしあれが発動するようなことがあれば――その先は考えたくない。

 あれをどうにかするにしても司書を連れたままではどうにもできない。


 空を見上げたまま呆然としてしまったアグルエに駆け寄ってきた人影が一つ――


「大丈夫ですか! アグルエさん!」


 そう声を掛けられ、アグルエはそちらのほうへと振り向く。


「シルカ!」


 昨日も一緒に戦った自警団見習い兵シルカだった。


「町中に魔物が!」


 アグルエが慌てて伝えるも、シルカは冷静に「はい」と返事をして頷く。


「報告が相次いでいます。

 今、自警団と協会が協力して市民の避難誘導を最優先にして事へ当たっています」


「それだけじゃないの!」

「え?」


 やけに取り乱したようなアグルエの態度にシルカは疑問を返したのだが――


 その瞬間――空にあった異変、卵のようにも見えたアグルエが「太陽」と呼んだものが一際強い光を放つ。

 その場で魔物への対応をしていた兵士らも、司書も、シルカも、アグルエも、魔物ですらも、皆一様に無意識のうちに――空を見上げてしまう。


 オレンジ色に、赤くも見える光を「太陽」が放った。

 激しい爆音と激しい閃光が夜空を包む。

 状況が状況であれば、大きな花火でも上がったのかと勘違いもするような眩しい光だった。


 だがそれは花火なんかではなく――太陽より発せられた炎の波紋と波動が拡散し、上空から町一帯へと降り注いだ――



◇◇◇



 市街地より少し離れた高台の上にある公園、そこからは港町ルスプンテル全域がよく見渡せた。

 町は魔物で溢れていたようだが、そこから見える景色は夜の海風の中に佇む静かな港町そのものだった。

 その上空にある、「不気味なもの」を除いて――


 マリネッタは一人、空に浮かんでいた赤く光る球体を見つめながら昨日アグルエが言っていたことを思い出していた。

 嫌な予感ってやつはこれだったのか、と。

 今やハッキリとマリネッタにもその「嫌な予感」を感じ取ることができる。

 今日一日の間目撃され、通報報告が相次ぎ町全体を混乱に陥れたその正体。


――不気味な魔素マナの塊だ。


 昼間は光ってなんかいなかったのに――とマリネッタが考えたその瞬間。

 それがオレンジ色に光り、轟音を上げたかと思いきや――激しい閃光が町全体を包んだ。


 高台にいて空を眺めていたマリネッタは目を開けていることができず、思わず目を閉じたのだが――


「何が……どうなってるの……」


 マリネッタが再び目を開けたとき、一面に見えた町の景色は一変していた。

 マリネッタは見てしまったその光景に強い恐怖感を覚える。


 ルスプンテル東側――ちょうど協会や自警団がある方面――

 轟々と立ち上る黒煙が夜空の月や星までも黒で埋め尽くし、空が不気味なほどの暗さに染まったのとは反対に――

 地上は赤くオレンジ色に光を放つ炎の色へと染まっていた――夜の暗さを忘れさせるほどに。

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