第31話 嫌な予感


 ひとまず、港町ルスプンテルへ迫った脅威は去った。

 しかしその後に残った被害の確認や後片付けに自警団の人らやシルカは駆り出されてしまったようだった。

 アグルエはその活躍もあってバルオトにえらく気に入られてしまったのだが、

 アグルエが気づいた嫌な予感のことを話そうとバルオトのことを探したときにはもうその姿が見えなくなっていた。

 アーキスとマリネッタもまた事情の説明のため勇者協会――レオルアに呼び出されたらしい。


 活躍の中心であったとはいえ、ただの魔導士としてのアグルエは行く当てをなくしてしまう。

 すっかり置いてきぼりをくらい、ただ立ち尽くしていても邪魔だろうと考えたアグルエは一人、宿屋へと帰ることにした。


 アグルエが感じた「嫌な予感」、その話を誰かに伝える機会は訪れなかった。


――コンコンコンッ


 一人悶々と宿屋の自室で考え事をしていたアグルエを現実へと呼び覚ましたのは、部屋のドアがノックされた音だった。


――コンッ! コンッ! コンッ!


 集中するあまりに聞き逃しそうになったのだが再び、今度は強くノックされた。


「は、はーい!」とアグルエは慌ててドアを開ける。


「全く、どこ行っちゃったかと思ったわよ」


 ドアの先、部屋の前にいたのはムスッと頬を膨らませて腕を組んだマリネッタであった。


「あんたとはコンビを言い渡されたのに、その相方を見失ったとあればわたしの責任にも成りかねないじゃない」


「あはは」と何やら重大な言い方に思わずアグルエは笑ってしまった。


「笑い事じゃないっ!」

「ごめんなさい、少し考え事をしたくて――」

「あんたは何者なの?」


 冗談めいた空気であったところに、急に突き刺すような言葉をマリネッタは言い放つ。


「えっ……」


 不意打ちに言葉を詰まらせてしまうアグルエのそんな様子を見て、「はぁ」と一息、マリネッタは息を吐くと言葉を続けた。


「まぁいいわ。今は落ちこぼれエリンスの同盟パーティー相手ってことにしておいてあげる」


 マリネッタは力がある魔導士だ。

 きっとアグルエのその魔法を見て察することがあったのだろうとアグルエ自身も思いつきはするのだが、どうこたえていいかわからなくなってしまった。


「少し、入るわよ」


 マリネッタはそう言って、ドア口で呆然としたままであったアグルエの返事を待たずしてアグルエの部屋へと上がった。

 自然とそういう流れになってしまったものではあったが、アグルエも別に断ることはせずにドアを閉めた。

 アグルエとしてもマリネッタには尋ねたかったことがあったので、ちょうどいいと考えた。


 部屋へと上がったマリネッタはその部屋を見渡すと、「へぇ、いい部屋じゃない」と独り言をこぼす。


「マリネッタさん」

「さん、はいい。さっきは普通に呼び捨ててくれたじゃない」


 思わずかしこまってしまったアグルエはマリネッタの鋭い指摘に再び「あはは」と照れ笑いをしてしまう。

 そんなアグルエの様子を見て、マリネッタには少し思うところがあったようだ。

 再び「はぁ」と一息ついたマリネッタが口を開いた。


「あなた、あれだけの魔素マナを使って大丈夫なの? アグルエ」


 思いもしなかった一言に、「えっ」とアグルエはまた身じろぎしてしまう。

 ただ返事もしないとまずいと思って、慌てて返事をした。


「わたしは、大丈夫」

「そっ……無茶するような魔法の使い方をしていると思ったから……」


 そう安心したように口からこぼしたマリネッタを見て、アグルエはどうしてマリネッタが訪ねてきてくれたかを察するのだった。


――もしかして、心配してくれた?


 どうやらマリネッタはアグルエのことを心配して、事後報告は全てアーキスに任せて抜け出してきてくれたようだった。

 そこでアグルエは言葉を返すように聞いた。


「マリネッタこそ、あんなに魔素マナ使って平気なの?」


 それはアグルエがマリネッタに聞きたかったことでもあった。

 戦いの最中、水瓶様と呼んだものに関わる話だ。


「あぁ……アグルエはこれのことずっと気にしてたわよね」


 マリネッタもアグルエのそんな質問の意図を察したのだろう。

 懐より水瓶様と呼んだ手のひら大の魔物を取り出すと、アグルエに見せるようにして手の上に乗せた。

 アグルエはそれを覗き込む。


「ガーメ!」

 覗き込んだアグルエに返事をするように、水瓶様は手を上げて鳴いたのだった。


「わっ!」

 ビックリしてアグルエは顔を引っ込めてしまう。

 そんなアグルエの様子を見て、マリネッタは「あはは」と実に楽しそうに笑った。


「水瓶様も挨拶したかったみたい」

 笑い揺れるマリネッタの不安そうな手の上でも、バランスを崩すことなくその四つ足でしっかりと立っている水瓶様。


「魔物……? この子……」

「水瓶様。温厚で人に懐く魔物でね。本体はもーっと大きなものなんだけど。

 わたしの一族リィンフォード家の守護神みたいなものよ。

 リィンフォード家の魔導士は水瓶様の分体を授かることが風習なんだ」


 アグルエはそういった魔物を実際に見るのが初めてのことであったが、そういった魔物が世界には存在しているって話は何かの書物で目にしたな、と記憶を思い返す。


「ガーメガメ」

 水瓶様はマリネッタの説明に同調するように頷いた。


「へぇー……」

 実際に初めて目にしたそれにアグルエは感心する。


「この子から感じる魔素マナって、マリネッタのものよね」


 質問の本質、そこへとアグルエは切り込んだ。


「えぇ、そうよ。水瓶様は水の魔素マナを蓄えてくれるの。

 だからわたしたち一族は、水の魔法に優れた血筋、なんて呼ばれるんだよね」


 実際にマリネッタの魔法を目にしたアグルエは、その言葉評判に嘘偽りがないことを確信できる。

 水瓶様の力があるからとマリネッタは説明しているようだが、それだけじゃないことはアグルエが見ても明らかだった。

 マリネッタ自身の魔力も評判通りのものだと感じられる。


魔素マナを蓄える……」


 やっぱりそうだったんだ、とアグルエは納得する。


「アグルエも同じようなことをしているんじゃないの?」


 マリネッタはアグルエの胸元を指差してそう言うのだった。

 思わぬ返しにアグルエは慌てて返事をした。


「え、えぇ、そうよ。わたしのは……生き物ではないけれど……」


 先ほどは咄嗟に思いつきでやったこと。


――わたしがやったのは見様見真似の真似事だ。


 アグルエはまだ納得がいっていない。

 力の使い方はわかった。

 だけどまだマリネッタがそうしていたように自分の魔素マナを完全に操ったという実感がないのだ。


「マリネッタ、質問したいの」

「改まって、なに?」

魔素マナを引き出すコツってあるのかしら」

「え? そんなこと――」


 アグルエが何を聞いてきているのか、マリネッタは全く話の規模が理解できなかった。

 マリネッタからしてみれば、あれほどの魔素マナを操り魔力を使い、空すら飛んで見せたアグルエがどうしてそんなことを聞くのかがわからないからだ。


 あれだけの力を使って、何に納得していないという質問なのだろう、と。

 ただアグルエも冗談を言っているようには見えないので、マリネッタは考え込んでしまう。


「わたしにも……わからないわ。

 わたしは、水瓶様が協力してくれているからだと思っているんだけど……」


 マリネッタの手の上で、水瓶様がニコッと笑ったようにしながら手を上げるのだった。


「そっか……」


 アグルエはやや残念そうに肩を落とすのだが、そこでマリネッタ相手ならばもしやと思い、先ほど話せなかった話を口にした。


「そうだ。さっきの戦いの途中、何か、空に嫌な予感がしなかった?」

「嫌な予感?」

「そう、うまく説明はできないんだけど……

 不吉な魔素マナの予感というか……」


 アグルエの歯切れ悪い物言いにマリネッタは宿の窓より空を見上げて考える。


「わからないけど、何かある?」


 空を指差しながらこたえてくれたマリネッタに、アグルエは「ううん」と首を横に振る。


「何もない」


 アグルエはただそこにある事実を口にした。

 そう――何もないように見えたのだ。この時までは。


 マリネッタはアグルエが何を言いたのかわかってあげることができないもどかしさを覚えたのだが、そこで長居してもあれだなと思い、部屋を出ていこうとドアの前まで移動した。


「お邪魔したわね。一応自警団のほうにも聞いておいてあげる」


 それはアグルエとしては助かる申し出であった。


「うん、ありがとうマリネッタ」


 いろいろと質問にこたえてくれたマリネッタへ対し、アグルエは一礼をしたのだった。

 マリネッタはアグルエへ「じゃ、また」とだけ返事をして部屋を出ていった。


 一人になった部屋の中、アグルエはその視線を先ほどマリネッタが指差していた空へと向ける。


「私の気のせいだったらいいな……」


 そう口にしたアグルエの独り言は――もはやただの願望であった。

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