第29話 魔王候補生と海風香る町 ――2――
翌日朝、早起きをしたアグルエは海岸沿いの散歩道を歩いていた。
海岸に沿って舗装された綺麗な道にアグルエの心持ちも少し弾む。
波が朝日をキラキラと反射する水面が眩しく、全身で朝日を浴びられるようなその感覚がまだ眠気を伴ったアグルエの意識をシャキッと際立たせた。
朝の空気というやつはそれだけで気持ちがいいものだ。
「んーーん!」
アグルエは腕を伸ばして背筋も伸ばし、その澄んだ空気を吸い込むために伸びをする。
「さて、わたしも気合を入れますか」
エリンスは今頃どうしているかなとも考えつつ、アグルエは図書館を目指した。
知識としては知っていたのだが図書館という場所の本の量にアグルエは驚かされた。
城の書庫とそう変わりはない――いやそれ以上かも、と圧倒される。
大好きな本が溢れる場所が、それだけでアグルエの好きな場所となった。
こんなにも本があって目的の本を探せるものなのだろうか、とアグルエは考えながら図書館の中を彷徨い、そして、児童書のコーナーで思わずその足を止めた。
そこに自分が子供の頃に読んだ勇者の物語の本のタイトルを見つけてしまったからである。
――こっちの子供には、人気があるのかな。
思わず手に取って本を開くアグルエは、「ううん」と首を振ってその本を元に戻す。
今はそんなことをしに来たのではない、と。
「何か、お探しですか」
そんなタイミングでふいに声を掛けられてアグルエはビクッと体を震わせた。
「ぇ、え、いえ……」
アグルエに声を掛けたのは眼鏡をし、ピシッとしたジャケットを着こなしていた綺麗な女性であった。
そのかしこまった姿もあって身じろぎし否定しようとしてしまったアグルエではあったのだが、ここに来た目的というやつをすぐに思い出してから返事をした。
「えっと、この町の歴史とか、デイン・カイラスさんについて書かれた本ってありませんか」
「えぇ、ありますよ」
女性はこの図書館の司書さんなのだろう。
やや挙動不審であったアグルエに対しても変に取り繕った様子もなく、優しい笑顔でこたえてくれた。
「勇者についての本とかもありませんか」
「勇者、ですか」
そのアグルエの言葉を聞いて女性は少し表情を曇らせる。
「何分、わたしが知る限りあまり勇者様のことは本に残っていないようでして。
デイン・カイラスの著書でしたら、案内します」
アグルエもそうじゃないかと予想していたことであったのだが、どうにもそういうことらしい。
司書の女性に案内をしてもらったアグルエは、案内された先にあった本棚の本を手にして読みふけったのであった。
◇◇◇
本を読むことが子供のころから習慣となっていて好きだったアグルエは、夢中でその辺りの本を読みつくした。
だけど端的に結果から言ってしまえば、なんの成果もなかった。
エリンスやアグルエが知りたかったことは何一つそこに書かれていなかった。
町の歴史は、ただの町の歴史であったし。
デイン・カイラスの著書だとされた自伝は、自身の出自がさほどのことで勇者については描かれていなかった。
「はぁ……今、何時頃だろう……」
一つの成果も得られない読書に明け暮れてしまった。
時計を探してきょろきょろとしたアグルエは――そこでちょうど走ってきた本棚の間から見えた男と顔を合わせたのである。
「アグルエ! やっぱりここにいたか!」
何やら慌てた様子でアグルエの元を訪れたのは、この場所を昨日教えてくれたアーキスであった。
「どうしたの?」
そのアーキスの様子からただ事ではないことをアグルエも悟る。
「大変だ、緊急事態! 少しでも人手がほしいらしい!」
「ん、わかったわ!」
事情も聞かずに返事をしたアグルエはその場に散らかしてしまった本のことは司書さんに謝ってお礼を言うと、すぐにアーキスと共に図書館を飛び出した。
アーキスが目指しているのはどうやら勇者協会。
その道中、走りながらではあったがアグルエはアーキスへと尋ねた。
「一体、何が?」
「魔物が群れで急接近しているらしい!」
「昨日の呼び出しと関係が?」
「……多分!」
アグルエはその言葉の節々から考える。
緊急事態――
昨日の時点でアーキスは勇者協会へ呼び出され自警団より協力を要請されていたらしいが、どうもこの緊急事態はそのときに予想されたものではないということだ。
二人は駆け足で勇者協会へと飛び込むと、受付のお姉さんの挨拶も聞かずに迷わず階段を駆け上がった。
階段を上ったところにあった広間、何やら厳格に構えられた大きな扉の前にはその扉よりもさらに大きいのではと見違えるほどのスキンヘッドの大男が待ち構えていた。
「きたか! アーキス!」
腹の底まで響くような大きな声にはそれだけで力強さが表れている。
鎧の合間に見える筋肉質な腕もアグルエの二倍はあるだろうかというようなほどに太い。
浅黒く焼けた肌、厳しさもあるが優しさも垣間見えるその眼。
鎧の合間から見える数々の傷跡。
その大きな背中には、それに見合った大きな鉄槌を背負っている。
その男が歴戦の戦士だということが、その立ち姿だけでアグルエにもわかる。
「なんだ、その子は」
どうやらその大男はアーキスの知り合いらしい。
「人手が少しでも、ということだったので知り合いの魔導士です」
息を落ち着かせてからアーキスが返事をした。
「そうか! そいつはー助かる!」
そう言って「がはは」と笑い声をあげた大男はアグルエに向きなおるなり再びその口を開いた。
「俺はバルオト・ダンタリオ。このルスプンテルの自警団隊長を任されているものだ!」
そう言って胸に手を打ち、バルオトは自己紹介をした。
「わたしは、魔導士アグルエです」
その勢いに圧されないようアグルエも名乗り返す。
「アグルエか! 協力感謝する!」
アグルエは先ほど図書館で見た資料のことを思い返す。
ルスプンテル自警団の歴史というやつも本の中には残っていた。
人もまだいない無法の地に町を一つ立ち上げるともなれば、そこには数々の血が流れたのだと書かれていた。
そんな歴史を経て200年、今や2000人規模の自警団――それを一まとめにする腕っぷし。
バルオト・ダンタリオという男から感じた力強さというやつは、それなのかもしれない、とアグルエは考える。
「アーキス、坊ちゃんが中で待っている」
「あぁ、一刻も争うだろう!」
そう言ってバルオトは大きな扉を開き、三人は部屋の中へと足を踏み入れた。
中で待っていたのは昨日も会ったマリネッタと自警団制服の女性とあと二人の人間――そちらの二人はアグルエと初対面の相手であった。
奥の席、入り口側へと向けられた机の奥のその場所には眼鏡を掛けた若者。
高そうなシャツをしっかりと着こなし清潔感ある出で立ち。雰囲気だけでその聡明さが溢れ出るような博識そうな男。
ただその目は、目の前にした危機に泳いでいるようにアグルエからは見えた。
その席の横、まるでその男に着く秘書のように手帳を片手に大きな杖を背負った女性が佇んでいた。
人形のように感情を感じさせない冷たい顔。
髪をまとめてキチッと身なりを整えたその女性は、綺麗な大人の女性という雰囲気を醸し出している。
男とは対照的に冷静な様子でアグルエを見定めるような眼差しをしていた。
マリネッタの横にいたもう一人は昨日アグルエも会った女性。
自警団の制服を着ているアーキスと共に勇者協会より出てきたあの人だ。
「えーっと、そちらは?」
泳いだままの目で清潔感ある眼鏡の男がアグルエへと尋ねてきた。
「協力してくれるそうだ」
バルオトがこたえる。
「勇者候補生エリンスの
すかさずアグルエは自己紹介をした。
アグルエの自己紹介にこたえるように、男が席を立ち上がり一礼する。
「そうでしたか、これは失礼しました。
わたしはレオルア・カイラス。
この町の町長であり、今は協会と自警団の統括責任者も兼任しています」
――カイラス。
その名には当然聞き覚えのあるアグルエ。
この町を立ち上げたというデイン・カイラスのその末裔に当たるのだろう。
「わたしは自警団副隊長兼レオルアの秘書をしております。
ウリア・レンダートンと申します。よろしく」
横にいた秘書の方もアグルエへと一礼する。
そのかしこまった姿にアグルエもつられるようにして一礼を返した。
「さて、事態は一刻をも争います。状況はどうなっていますか?」
そうレオルアに聞かれて、マリネッタの横にいた兵士と思われる女性が声を上げた。
「えー! 確認されました魔物の群れは既に町から見えるところまで向かってきています!」
魔物の群れが町へ向かってきている――そう聞いてアグルエはついこの前のことを思い返す。
「海のほうにも確認されております!」
「海のほうはうちの魔導士部隊が対応に当たる」
兵士の説明にバルオトが補足した。
「どうして、この町は、結界装置があるのでしょう?」
アグルエは思わずそう聞いてしまう。
エリンスから聞いた話だ。
町には当たり前のように結界装置があって、それが働くことで魔物を寄せつけないのだ、と。
現にアグルエはこの町の上空を包む
「どうもここ数日、不思議なことが続いているらしくてな。
結界は働いているが、町の近辺に魔物がよく現れるらしいんだ」
アグルエの質問にこたえてくれたのは、アグルエの左横にいたアーキスだった。
「不思議なこと……」
アグルエはそこに何か嫌な予感があるのでは、と勘繰ってしまう。
「そうなのです。そこで、わたしから協会と自警団のほうへと要請を掛けました。
今この町で手の空いている候補生は、そこの二人のみ。
白の軌跡へと向かった
レオルアはアグルエの質問にこたえながらもそう教えてくれた。
そう話に出されたマリネッタは「やれやれ」と首を振っている。
「とはいえ、全兵力をそっちへ割くわけにもいかなくてな。
少しでも人手がほしかったんだ、アグルエ!
アーキスの紹介だ。きみはやり手の魔導士なのだろう!」
そうアグルエのことを呼んだのは、アグルエの右横に立っていたバルオトだった。
「レオルア坊ちゃん、表は俺らが当たろう。
アーキスとアグルエと、えーっと、そこの水聖のリィンフォードは借りてくぞ」
バルオトは腰に手を当てて、そう三人のことを名指しした。
「マリネッタ、で、す!」
二つ名で呼ばれマリネッタはそう反発した。
「がははは、すまん、名前が長いと覚えられん」
二つ名のほうが長いのでは、と疑問に思ったアグルエではあった。
「バルオト隊長、シルカも連れていきなさい」
そこで氷のように冷たい顔をした無表情のままウリアがバルオトへと申し出る。
「そうだな! そうと決まればいくぞ! やろうども!」
バルオトは気合を込めるように返事をし、一早く部屋を飛び出していった。
それに続いてマリネッタとアーキスも部屋を出ていく。
アグルエはレオルアとウリアのほうへと一礼し振り返ってから部屋を出た。
その際、自警団制服の兵士の女性が自己紹介をしにアグルエの横へと寄ってきた。
「シルカ・レーミナンです。見習い兵士です。よろしくお願いします」
「こちらこそ、アグルエです。よろしくお願いします」
五人は町に迫る危機に向けて勇者協会を出発した。
バルオトはその際、自警団のものへと何か指示を飛ばす。
どうやら、自警団のほうからも何人か出向いてくれるらしい。
大部隊となり何やらとんでもない事態になってしまったな、と緊張をもアグルエは感じてしまう。
ただアグルエには嫌な予感――バレーズで感じたときと同じような不安がつき纏っていたのであった。
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