第28話 魔王候補生と海風香る町 ――1――


 白の軌跡へ挑んでいったエリンスのことが気になり続けるアグルエではあったが、今はエリンスの帰りを信じて待つしかないだろうと自分に言い聞かせてひとまず港町ルスプンテルへと戻ってきた。

 戻ってきたものの、何からすればいいか悩んでしまう。

 知識でしか人界というものを知らないアグルエにとって、人界の見知らぬ町はそれだけで未知の連続だ。

 こちらの世界に来てから今まで、ただエリンスに任せてついて歩いてしかいなかったんだ、と改めて考えさせられたのであった。


 そんなことで、何が世界を変える、なのだろう――とアグルエは思ってしまった。

 今は前を歩いてくれるエリンスがいないわけだ。

 ならば自分の足でこの未知の世界を進むしかない――そう覚悟を決めてアグルエは一歩町へと踏み出した。


 しばらくして、アグルエの姿はメインストリートから進んだ海岸沿い――屋台グルメの露店が立ち並ぶ市場近くにあった。


「嬢ちゃん! いい魚、焼けてるよ!」

「ルスプンテル名物、氷菓子アイスクリーム! どうだい!」

「こっちは美味しいタコヤキ、あるよ!」


 アグルエにとって誘惑の多い場所であったのもあり、また観光地というやつに慣れていなさそうに見えるアグルエは気前のいい屋台のおじさんやおばさんにとってもいいお客さんであった。

 露店に並んだものへ次から次に目移りするアグルエは店主の人らに言われるがままルスプンテルの名物を次々と渡されて、愛想いいアグルエは逆にまた店主の人らをも笑顔にしてしまう。

 そうして次第にアグルエの両手は数々のグルメな逸品で埋まっていったのであった。


 持ち切れなくなった名物の数々を抱えたままアグルエは港町の海岸沿いにあったベンチに腰掛けて一息ついた。


「はぁ、こんなに買うつもりはなかったのに」


 アグルエは名物の数々を口にしながら潮の香りがする水面を見つめる。

 ただそうしていても『無駄遣いしないように』とエリンスから託されていた資金が少しばかり食べ物へと消えてしまったという事実は消えそうもない。


 ちょっとおいしそうだなと思ったのが運の尽きであった、とアグルエは反省した。

 とはいえ、買った名物の味比べをしてみると、どれもが美味しくてアグルエは一人で顔を綻ばせてしまう。


 海風通る場所――こんなに美味しいものが溢れていて空気も澄んでいる。

 活気溢れる露店では、見ず知らずのアグルエに対して笑顔を振りまいてくれた優しい店主のおじさんおばさんがいた。

 自分の今まで知らなかった世界がそこにあったことにアグルエはどこか遠く――自分の故郷を思い返してしまう。


 魔界にも美味しいものがないわけではない。

 ただ、あっちにいた自分は、あくまでも魔王の娘であった魔王候補生のアグルエ・イラでしかなかった。

 町の人が気前よく話しかけてくれることもない。笑顔を向けて手を取ってくれることなんてない。

 そこにあったのは魔王の娘へ、としての対応だ。

 自分が知らない世界が――自分を知らないという世界が、アグルエにとっては居心地のよいものであったのだ。


「感傷に浸っている時間もないか……」


 そう思い返していると、余計に魔界に迫る危機を思い出してしまった。

 魔界にも自分が知らないだけでこういう平和な光景があったはずだ。

 それを守るためにも今できることをしよう、とアグルエは立ち上がった。


 ただ何をすればいいのか迷ってしまったアグルエは、ミースクリアではできなかったこと――とりあえず人界の町がどんなものかと散策することにした。



◇◇◇



 夕日を海が反射することで辺り一面がオレンジ色に染まるような、そんな時間。

 アグルエは町の全てを見回るつもりで歩いたが、ルスプンテルはアグルエが思った数倍は広かった。


――何時間歩いたんだろう。


 歩き疲れたな、とアグルエが感じはじめたころには、どこか見覚えのある道に出てきたところだった。

 町を散策しながら西から東へと移動していたアグルエはどうも自分でも知らないうちに勇者協会を目指していたらしい。


 昼間はアーキスにつれられて訪れた勇者協会。

 今はその横にエリンスもおらず、勇者協会に目的があったわけではなかったが、知らないものが多い場所の中では自分の知っている場所に惹かれてしまうものらしい。


 アグルエの視界が勇者協会を捉えたところで――

 アグルエはそこに自分の見知った顔を見て、用があるわけでもなかったのに思わず駆け寄って声を掛けてしまう。


「アーキス!」

「お、アグルエ」


 ちょうど勇者協会の中からアーキスともう一人見覚えのない女性――自警団の制服に身を包んだ女性が並んで出てきたところであった。

 アーキスへ声を掛けたアグルエを見て、その女性は何かを察するように一歩引いて敬礼のポーズを取る。


「では、アーキス殿。よろしくお願いします」

「あぁ、こちらこそ」

「わたしは本部へ一度戻りますので!」


 ピシッと敬礼をした自警団制服の女性はそのまま勇者協会横にあるルスプンテル自警団本部のほうへと走り去っていく。


「邪魔しちゃった?」

「いやいや、ちょうど話は終わったところだ」


 慌てたようにしていたその女性を見て、アグルエは声を掛けるタイミングをミスったのかもと気にしてしまった。


「今の人は?」

「昼間勇者協会に自警団から協力要請が入ってな。その件さ」


 昼間呼ばれていた要件であろうことはアグルエにも想像がついた。


「昼間から今の今まで話に付き合わされたよ」


「ふぅ」と一息つくアーキスの様子を見て、アグルエにもアーキスの疲労というやつを察するところがあった。

 アグルエは何やら大変そうとは思ったものの、そういった依頼に関しては関係者じゃないものが深く立ち入ってはいけないだろうと察して詳しく聞くことはしなかった。

 アーキスにしても他言はできないことであったのだろう、話を切り替えるように口を開く。


「エリンスは白の軌跡へ挑んだか」


 一人であったアグルエを見てアーキスにも察するところがあった。


「えぇ、無事に」

「無事に、突破できるといいな」


 アグルエは静かに頷いて聞き返す。


「メルトシスは?」

「まだ軌跡だろうな、戻ってきた形跡はない」


 そう聞くと昼間会ったマリネッタのすごさというやつが垣間見える。

 エリンスも驚いていたようだったし、とアグルエは考える。


「マリネッタさんは?」

「彼女はまだ中で話の途中かもな。

 俺より魔素マナが強い彼女にはさらに別件があるみたいだ」


 それ以上は話せないといった様子でアーキスは黙ってしまう。

 アグルエもまた話を変えるために、「そうだ」と思い出したことを口にした。


「どこか、この町について調べられるような場所ってないかしら?」

「観光か?」

「じゃなくて、歴史とか……」


――別に魔導士が町の歴史に興味を持ってもおかしくはないわよね……?


 アグルエはアーキスの表情を確認しながら考える。

 おかしなことを言って、エリンスや果てはアーキスに迷惑は掛けられない。


「あぁ、それなら図書館とかいいんじゃないか?」

「図書館……」


 アグルエにとって馴染みのない言葉ではあったが、そこがどういうものか知識としては持っている。


「この先ちょうど、その道を進んだ突き当たりから海のほうへ向かえばあるはずさ」


 アーキスは道を指で示してその場所を教えてくれた。


「もうすぐ閉まる時間だろうから、明日行くといい」

「うん、そうするわ」


 これ以上は疲れていそうなアーキスを足止めしても悪いかな、とアグルエはそこで考えた。


「もう宿に戻ろうかな。ありがとね! アーキス!」

「ん、あぁ、またな」


 アーキスとはそこで別れ、アグルエはエリンスがとってくれた宿を目指したのだった。



◇◇◇



 久しぶりの本当に独りの夜――

 明日はアーキスが教えてくれた図書館を目指すことにしよう。

 そう決めたアグルエは一人ベッドへ寝転がる。


 アグルエは天井を見上げ、ここまでの旅のいろいろなことを思い返していた。


 エリンスと出会えたこと。

 わたしのわがままで決闘まですることになったこと。

 その途中で魔封が弱まり、力を使ってしまったこと。

 エムレエイとの遭遇。

 エムレエイに敗北したこと。

 そして何より、自分の魔素マナ巡廻地リバーススポットと呼ばれたあの場所を狂わせたこと。


 エリンスには相談しなかったことであったが、アグルエは一人で悩んでいた。

 こちらの世界での自身の力の使い方というものを――


 エムレエイとの対決の際、わたしが全力で魔素マナを使っていればエムレエイからああした敗北を喫することはなかったであろう。

 だけどその後のことを思い返せば、あの場でわたしが魔素マナを使わなかったのは正解だった。

 もちろんエリンスのことを信じていたし、エリンスであるならば――と考えてもいたし、現にエリンスは約束を果たしてくれた。


 ただ、もし、この先もああいった危機が迫るというのならば――

 わたしもわたしなりに「こちらの世界での戦い方」というやつを見つけなければならない。


 今までみたいな体内の上澄みの魔素マナでは、まだ悪影響を生んでしまう危険性がある。

 空気中の魔素マナを使う魔法であるならばその影響は少ないだろうが、それにしても魔術的な制約が課せられることには変わりがない。本来の力を引き出すということは難しい。


 何か、方法を見つけないと――


 アグルエはそこで――エムレエイからエリンスを助ける際に「魔封」を握りしめたときの不思議な感覚を思い出す。

 あのときは――無意識にではあったが、いつも以上に純度の高い魔素マナを体内から引き出せた気がしたのだ。

 まるで「漆黒の魔封」と呼ばれる魔族の魔素マナを吸収して痕跡を消すだけであったはずのものが、力を貸してくれたような、そんな感覚を――

 ただ、今は、それ以上のことが思い出せない――


 そう考えながら――アグルエは次第に歩き疲れたことを思い出し、眠りにつくのであった。

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