第27話 白の軌跡 ――1――


 エリンスは宿屋を探しながら考えていた。

 アグルエは『心配しないで』と口にしたが、エリンスの中からアグルエをしばらく一人にしなきゃいけないという心配が消えるはずもない。

 いつまたエムレエイのような魔王候補生のやからがアグルエを追ってこないとも限らない。

 それに港町ルスプンテルは広い町だ。アグルエはただでさえ人界に慣れていないのに、という不安もある。


 だからエリンスはえてアグルエには相談せずにそういったことを踏まえて、中央通りに面していて一番わかりやすく、それでいて勇者協会や自警団本部がある東側へも近い場所にあった大きな宿屋に部屋を取った。

 観光地にもなる町の一等地に立つような宿屋であるため、少し値は張るものとなったがこの際そういったことは気にしていられない。

 綺麗な佇まいと質の良さそうなサービスを目にして、アグルエは目をキラキラと輝かせていた。

 それで喜んでもらえるならそれでいい、とすらエリンスは思ってしまった。

 エリンスはこれから「白の軌跡」と呼ばれる勇者が残した試練へと挑むこととなるため客室は一人分。

 時間もいくら掛かるかわからないために、アグルエに『無駄遣いしないように』と念を押してからゴルドを全額預けた。


 無事アグルエの宿を取れたことに安堵したエリンスは、晴れてようやく勇者候補生としての目的地である「白の軌跡」を目指すことにした。

 アグルエもまた中にはついていけないが、エリンスを試練の前まで見送りたいと申し出て二人は一度町を出る。


「白の軌跡ってどんなところなの?」


 アルケーリア大平原を歩きながらアグルエがそう聞いてきた。


「俺も話にしか聞いたことがないからわからないんだが、かつての勇者が残した遺跡のようなものらしい」

「へぇー、『挑む』って言っていたし、マリネッタさんの口ぶりからも難しそうなことを言っていたけど……何をするのかしらね」


 かつての勇者が残した力を受け継ぐための試練が待つ場所だ。

 候補生として最初に受けた儀式、勇者洗礼の儀のような簡単なものではないことはエリンスにも想像がついていた。


「ま、何をするにしても挑まないわけにはいかない」


 エリンスが聞く話によれば一つの軌跡も乗り越えられない勇者候補生もいるらしい。

 それだけ勇者の力というやつには大きな課題がのしかかるという話だ。


「見えてきた」

「あ、ほんとだ」


 ルスプンテルを出てから数十分――

「白の軌跡」と呼ばれたかつての勇者が残したその場所は、ルスプンテルの町より少し離れたアルケーリア大平原の高台の上にあった。

 遺跡跡地に建てられた格式高い城のようにすら構えられている建物は、ただ雰囲気に反して小ぢんまりとしているものであった。


 エリンスとアグルエは人の気配も魔物の気配も全くしないその場所に少し不気味さを覚える。

 アグルエはその場所に不思議な魔素マナの流れ――巡廻地リバーススポットと呼ばれたあの場所に似た近いものを感じた。


 エリンスは恐る恐ると歩みを進めて遺跡へ近づき気づく。

 人の気配が全くないとすら思えたのだが、どうやらそれは気のせいであったらしい。

 白の軌跡、その建物に近づくにつれ建物前には数人で人だかりを組んだものや一人で誰かを待つようにしているものなど、多くの人が待機している様子が見えた。

 そのどれもが勇者候補生の同盟パーティー仲間だ。


 新たな挑戦者の到着を見るや、それらの視線がエリンスとアグルエに突き刺さる。


「あれって最下位の……」

「落ちこぼれの……」

「もう到着したの……」

「仲間もいるぞ……」

「まさかそんなはずないでしょ……」


 その突き刺さる視線に、例の事情というやつがうかがえてアグルエはムスッと頬を膨らませた。

 ただ、黙って進むエリンスにアグルエはそんな不満そうな表情を浮かべていたが静かについていく。

 エリンスはその場でいきなりアグルエが激昂しなかったことに安堵し、突き刺さる視線の数々を無視してその建物へと足を踏み入れた。


 中は一部屋の大きな広間であり、遺跡跡地というだけあって石造りの歴史を感じさせるような神秘的な雰囲気がその場を包む。

 広間にあるのは下り階段一つに、この遺跡を管理する神官が駐在するために用意されているような一角のみ。

 天井が高くその天井付近、上のほうにはエリンスにも視認できるような魔素マナが流れている。どうやら結界装置に似たもののようであった。

 下へと続く階段――どうやらその先こそが「白の軌跡」と呼ばれるその場所であるらしい。


 建物へと足を踏み入れた二人を迎えたのは、白を基調とした勇者協会の神官の制服に身を包んだ一人の中年のおじさんだった。

 若干猫背で姿勢が悪く、油断も隙も多いような印象。

 制服もきっちりと着こなしているわけではないラフな様子。

 少し寝ぐせが残った髪に無精髭を蓄え眼鏡をかけている――ただその奥ではその格好とは裏腹な鋭い眼光を光らせた男だった。


「ようこそ、白の軌跡へ。候補生」


 何もない広間にはその声がよく響く。


「今日ここに辿り着いたのは、きみで8人目だ。えーっと名前は?」


 そう問われ、エリンスは即答した。


「エリンス・アークイルです」

「そうか、エリンス……ね」


 神官のおじさんは手にした手帳のようなものを何やら確認している。

 手元の資料と名前を照らし合わせているのだろうか。

 エリンスには何をしているのかはわからなかったが、おじさんは顔を上げるなり再び口を開いた。


「俺はここの管理者、勇者協会の職員、クルト・クルシアル。

 白の番人なんて称号を協会からもらっちゃってはいるが……

 そう身構えないでくれていい、がはは」


 厳格な雰囲気感じる場所とは掛け離れた笑い声にアグルエは一歩引いてしまった。

 そんなアグルエの様子を見てクルトは説明をし出した。


「嬢ちゃん、同盟パーティーのものはお留守番なんだ」

「えぇ、知っています。わたしは見送りで」


「そっかそっか」とアグルエに対して返事をしたクルトは改まってエリンスへ向きなおった。


「エリンス、簡単にあらましを言うぞ」


 クルトが片手で眼鏡をクイッと上げて説明を続ける。


「白の軌跡は、己の中の『空白』と向き合う場所だ。

 それは当然ながら挑戦者の心へと負担の掛かるものとなる。

 乗り越える覚悟のないものがこの試練を受ければ、それだけで命の危険があるものとなる。

 過去この場での脱落者は50%――ミースクリアを旅立った候補生の半分がここでリタイアしている年もある。

 勇者の力の代償というやつは、そういうものだ。

 エリンス、おまえにはその覚悟があるか?」


 そこまでの雰囲気とは違う真剣な様子でクルトは語る。

 エリンスはその目をしっかりと見てただ一言返事をした。


「あります」


 一時の静寂。

 エリンスの返事を聞いてもクルトはその目を逸らそうとはしなかった。

 アグルエもそんな二人の様子をただ黙って見守った。


 時間にして十秒くらいであっただろう。

 だけどエリンスにはその時間が五分にも十分にも感じられる長いものであった。


「――そうか、ならば進むがいい。候補生」


 もしやここで失格を言い渡されるのではといった重い空気にエリンスは身構えてしまったのだが、どうやらそういうわけではなかったらしい。

 二人の様子を見守っていたアグルエの肩からも力が抜けた。


「はい!」


 力強く返事をしたエリンスは、階段の先――見えぬ暗い空間へと目を向ける。

 エリンスの返事を聞いたクルトが説明を続けた。


「その先は勇者の力を継ぐものでなければ辿り着けない。

 当然、俺も行けない。

 いくら降りてもその下へと辿り着くことはできない不思議な階段なのさ」


 魔力のないエリンスから見ても不思議な力を感じる階段であった。

 この場の空気がそうしているのかなんなのか――エリンスにはその原理というものがわからないが。


「つまりは入ったら最後、助けを求めることはできない。

 ゴールは自分で見つけるんだ、エリンス・アークイル。

 リタイアしたくなったときは、『諦めれば』出口が見つかるという話だ」


 意味はよくわからないが、当然エリンスにそんな気は端からない。


「幸運を祈る、候補生――」


 そう言って一歩引いたクルトの様子を見て、説明はそこで終わりなのだろうと察したエリンスはアグルエのほうへと向きなおる。


「行ってくる、アグルエ」

 覚悟を持ってそう口にしたエリンス。


「えぇ、いってらっしゃい」

 その覚悟を受け止めたアグルエが返事をした。


 クルトはその二人の様子を見て、特に事情のわからない同盟パーティーであったものの、「いい同盟パーティーじゃないか」と感想を持ったのである。



 覚悟を口にして階段を下りていくエリンスを見送ったアグルエはクルトへと一礼すると一人建物を出た。

 外に待っていた他の候補生の同盟パーティー仲間たちの群れには目もくれず、アグルエは来た道を引き返し町へと帰っていった。



◇◇◇



 エリンスはどこまで続くのかわからない階段を下りていく。

 不思議な感覚が身体全体を包んでいくような、妙な感覚があった。

 魔素マナが纏わりついてくる感覚なのだろうか。

 たしかな気持ち悪さが存在していて、これ以上進みたくないと身体が拒んでいるような気すらした。

 だけど、こんなところで立ち止まるわけにもいかない。


 そうして下りていった階段の先――

 エリンスとしてはまだ階段を下りていたつもりであったのだが、突如、辺りの風景が一変し白い空間へと投げ出された。


「うわっ」


 エリンスは突然のことに驚き思わず声を発する。

 白く光るようなその空間にエリンスは眩しさを感じてすぐさまに目を閉じる。


――いきなり広い空間に出たな。


 一息ついてから目を開けると、次第にその眩しさに目が慣れてきた。


 どこまでも、果てしなく、「白」が続く全面が真っ白な世界。

 上も、下も、右も、左も、真っ白だ。


 当てもなく歩き出すエリンスではあったが――

 そこにいれば方向感覚も時間の感覚も全てが失われていく。


 今どれくらい歩いた――? ここにきて、どれくらいの時間が経った――?


 手を伸ばしても何にも触れられない。

 いくら進んでも壁に突き当たることもない。

 その地に触れてみても、どうもそこより下に落ちるようなものではないらしいが、地面に触れたというような触覚を得られない。


 エリンスは不思議な空間に呆然と立ち尽くしてしまう。

 この地が一体なんなのか――それはここに立ち入るまでも大きな謎であった。


 何より世界に残された勇者の五つの軌跡の所在は明らかにされているものであったが、そこが何を示しているのか――勇者の力を授かる場所という情報以外、何も教えられていないのだ。


 一体かつての勇者は何を考えて、こういうものを残したのだろう。

 そもそもなんで、力を五つの軌跡に分けたのだろう。

 そしてこの場、白の軌跡とは、何をするための場所なのだろう。


――勇者とは――力とは――候補生とは……


 エリンスは白い空間を彷徨い、そして次第に思考の迷路へと迷い込む。


 何も存在しない白い空間は己と向き合うのにふさわしい場所だった。

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