第21話 星刻の谷
エリンスとアグルエは『見せたいものがある』と語ったバレスロンに連れられて、大樹の家の奥の部屋から地下へと続く階段を下っているところだった。
人一人が通れるほどの狭い階段が、闇の中にどこまでも続いているようだった。
備えつけられた灯りがなく、足元から注意が逸らせない。
しかし不安になる雰囲気とは違い、下から溢れ出てくるような水気を含んだ空気はどこか心地よく思えた。
先頭を歩いたバレスロンのランタンの炎を頼りに、エリンスとアグルエは離れないようについていく。
レミィは家で留守番させている。
今から目指している場所へ立ち入るには、それなりの資格や覚悟が必要らしい。
いつまでも続く暗闇に、エリンスは焦る気持ちが抑えられなくなった。
「一体、ここはなんなんだ……?」
「ここはかつて、
今はその名も地図に残らん、忘れられてしまった地じゃ」
先頭を進むバレスロンは、振り返らずに言葉を続けた。
「時を経て星の谷、スターバレーと呼ばれるようになった。じゃが、今はその名も地図には残っておらんじゃろうな。
200年前、勇者の力がこの世に
バレスロンが勇者候補生を拒絶した理由。
エリンスはその言葉尻からも何か理由があるように感じた。
「ここが『何か』じゃが、この地は、
「
アグルエはその名を聞いて無意識に返事をした。
エムレエイがそう口にしていたことをエリンスも思い返す。
あいつは――ここが何かを知っていたんだ。
「世界各地にある一定数は存在すると言われているものじゃ。
ここは魔界『リューテラウ』の
「そんな場所が、こっちにもあったの……?」
どうやらアグルエも
だが、その言い方に引っ掛かるところがあった。
「アグルエ、どういうことだ?」
エリンスの質問の意図をアグルエは察した。
「魔界にも人界『リューテモア』の
アグルエも驚いた様子でそう語る。
バレスロンはそれを聞いて説明を続けた。
「やはりそうなんじゃな。
じゃが、これが『世界』のありのままの形なのじゃろう」
そう言ったところで長く続いた階段も終わりを迎えた。
ランタンの灯りに照らされて、岩壁でできた狭い小さな部屋の奥に、何やら頑丈そうな鉄製の扉が見えた。
ここが、最下層――その扉一つからも、重大なものが守られているような印象をエリンスは覚えた。
バレスロンは足を止め、取り出した鍵にて扉の錠を外すと、二人を招くようにして扉を開いた。
エリンスはずっと不思議に思っていた。
随分と地下まで降りてきたというのに、息苦しさのようなものは感じない。
その理由も――扉の先の光景を見て納得する。
そこは、地底湖のような場所だった。
一面に広がった浅い水辺。水滴が光る岩肌も、ぼんやりと光を放っているようで、地下だというのに地上の日の下のように明るい。
まるで蛍の光と見違える、ぼんやりとした青白い光が舞っている。
その光の正体が
酸素を多分に含んだ
地底湖の水辺、その中心には一本の木が生えていた。
エリンスが見たこともない、虹色に光っているように見える輝きを放つ不思議な木だった。
「魔界の
エリンスとは違い、アグルエはその木を知っているらしい。
バレスロンはそれに驚くことはせず、木を指して説明を続けた。
「あの木はかつて、魔王から勇者に贈られたものだと記されておる。
魔界の
そう聞いて――エリンスの疑問はより膨らむのだった。
エリンスが聞くよりも早くバレスロンが口を開く。
「お主らに見せたいものが、あれじゃ」
バレスロンが指差したのは、その魔樹ユグドラシルの先、裏手にある壁だった。
洞窟内の岩肌を削られて作られた壁には、大きな絵が描かれていた。
エリンスとアグルエは近づいて、壁画をよく観察した。
上部に何やら大きな円のようなものが描かれている。
そこから溢れ出るようにして伸びた光からは、人型のようなものが誕生していた。
棒だけで描かれた棒人間のようなもの、そこから翼や角を持っているような棒人間。
さらにはその下に、四角いダイヤ型のような印を持った四つ足の獣のようなものまで描かれている。
何十、何百といった多量に描かれたそれらが、光の中から生まれている。
その絵が意味したことはわからないが、少し察するものはあった。
「この壁画が何千年も前よりも、ここにあるものということはわかっておる。
じゃが、わかっているのはそれだけじゃ。この絵の意味は不明なまま」
「人類の誕生……?」
エリンスは思ったことを口にした。
「それに、魔族と魔物の絵もある」
アグルエは同調するように返事をする。
大きな壁画を前に圧倒され、エリンスとアグルエは呆然と立ち尽くしてしまう。
ここに秘められた意味――今は考えてもわからないことであった。
だけどその絵には、膨大な何か――禁忌に触れてしまったような、心が体と引き離されて持っていかれるような奇妙な感覚が存在した。
それほどまでに魅了される何かがそこにはあった。
「お主らに見せたかったのは、こっちじゃ」
バレスロンのその声で、エリンスとアグルエは我に返る。
そうしてバレスロンが指差したのは、魔樹ユグドラシルの裏手にあった3枚の石碑だった。
石碑には壁画とは違うわかりやすいタッチの、近代のものの絵が描かれていた。
1枚目、顔は描かれていないが、何やら二つの人影が対峙している絵。
2枚目、手を結ぶ両者の絵。人に思われた二つのうち、一つの人影からは角や翼が生えていた。
3枚目、光る何かに向かう二人の絵。光は大きな輪のようにも見える。
エリンスはその絵に添えられるようにして、見たこともない文字のような何かが刻まれていることに気づく。
「『魔王は大いなる循環を守りし
勇者は
二人の誓いをここに記す 大いなる循環の加護がありますよう――』」
そう口にしたのは、エリンスの横にいたアグルエだった。
エリンスには文字だと認識することも難しいものだったが、アグルエはそれを読むことができるらしい。
それと同時に「魔王」、「勇者」と出てくる単語に、エリンスは驚きを隠せず、そこにあるものを信じざるを得なくなった。
魔王から贈られたという木が、ここに存在している理由――そしてこの石碑が、ここに残されているという意味。それらは紛れもない事実で真実だ。
「やはり、そうじゃったか。
わしもここに書かれたことはわからなかったのじゃが……」
バレスロンもアグルエが口にしたことに対しては驚いているようだった。
バレスロンがアグルエをここに連れてきたその意図をエリンスは理解する。
「この地を守る一族の末裔」と語っていたバレスロンにも何を守っていたのか、今まで「ここに書かれていたこと」を知る術がなかったのであろう。
アグルエは驚いた二人をよそに、石碑からまだ目を離さずに何か考えるようにして返事をした。
「えぇ、これは魔界の文字――そして最後に、名前が3つ記されていた……と思うんだけど……」
そうアグルエの指差したところへとエリンスも目を向ける。
石碑には、まるで削り取られたような傷が一つ残っている。
そしてその横には魔界の文字で、何やら刻まれた言葉が2つ。
「残っている一つは、魔王の名前、アルバラスト。
もう一つは多分、この石碑に絵を描いて詩を残した人物、名前はニルビーア」
アグルエには両者とも馴染みのある人物の名前だった。
魔王の名はもちろんのことだが、もう一つの刻まれた名はニルビーア・マイという魔族のものだ。
アグルエは幼き頃、父の家臣であったその魔族に出会ったことがあった。
魔界ではそこそこ名の通る芸術家、絵や詩を書くことを趣味としている風変わりな魔族の一人だ。
エリンスの脳裏に削り取られた空欄が焼きつくように残る。
「なんで、一つだけ名前が消されているんだ?」
そこに何が書かれていたのか、たしかなことはわからない。
しかしここまで状況が揃っていることを考えれば、見えてくることもある。
「勇者の名前」
アグルエが口にする。
「エリンス、200年前の勇者の名前って何?」
そうアグルエが聞く。
しかし、エリンスにもその名前がわからない。
「聞いたことがない。当たり前のことすぎて、今まで不思議に思ったことすらなかった」
勇者候補生となったエリンスにすらも
「そこなのじゃ」
エリンスとアグルエの会話に、またしても割り込んだのはバレスロンだった。
「わしら一族も、そこに書かれている文字を読むことはできなかった。
じゃが、そこから消されたものがなんだったのか、先代も気づいていたようじゃ。
この地がどうして地図に載っていないか、その意味がわかるか?」
そう聞かれてエリンスは考える。
バレスロンはその答えが既にわかっていたのだろう。
エリンスのこたえを待たずにして、言葉を続けた。
「昨今出回っている地図というのは『勇者協会』が作ったものじゃ。
そして何者かに削り取られた名前を見るに、この地はきっと『勇者協会』にとって不都合なもの」
勇者候補生となったエリンスも、
そう聞き及べば自ずと、その意味合いが見えてくる。
「勇者協会が、何かを隠したがっているってことか」
たしかに魔王から贈られたという魔界の木があれば、魔王を討つべきと教えられる勇者候補生の存在に矛盾が生じる。
勇者協会がその事実を隠したがっているというのは不思議でもない。
だがしかしそう考えると、同時にそれは大きな疑問でもある。
勇者協会は、勇者が設立して、勇者がその力を後世に残すために創ったものであるはずだ。
どうして、勇者の存在――その名前すらも消したのか、ということだ。
「さっきの詩にも、気になることが残っている」
アグルエも同じようなことを考えていたのだろう。
そう口にして話を続けた。
「『勇者は贖罪を果たし世界を守りし』ってどういう意味? 贖罪って?」
「そのまま言葉の意味で考えるなら、勇者が何か罪を犯したということか?」
エリンスはアグルエの疑問へと疑問を返したのみ――
と、二人が石碑を前に考え事を続けているときだった。
「え、なに!?」
その異変にいち早く気づいたのはアグルエだった。
今まで静かだった地底湖洞窟内に、大きな風のような、何かが流れるような音が響き出す。
突如、ブワッと魔樹ユグドラシルの周りを、強大な
先ほど似たような光景を見たことをエリンスは思い出す。
大樹の上でも、魔界の
「なんじゃまた。こんなことは今までなかったぞ」とバレスロンも驚いたような声を上げる。
それも、そうだ――とアグルエは気づくのだった。
これが
そして、その正体を一目にしただけで、すぐに理解する。
「これは、わたしの
アグルエはそう口にした。
「エムレエイから逃げるために、森の中に残した
ううん、それだけじゃない。きっと、わたしがこの森に来てから使った魔法、その全てが……」
アグルエがそう語るのを聞いてエリンスは思い返す。
魔物が出るはずのないといった森――
普段は明るい森にいるはずのなかった魔物たち――
「だから、魔物が?」
森を流れた
「
ある種の流れる
エリンスとアグルエの話を聞いて、バレスロンは補足するように口にした。
「きっとわたしの
エリンスはそこでアグルエが言っていたことを思い出した。
『わたしたち魔族の
だから物理的な被害以外にも何がどう影響を及ぼすかわからない……』
アグルエの不安はこれだったのか、と。
アグルエは静かに、澱みとなってしまった
そして首元から「漆黒の魔封」と呼ばれるペンダントを取り出した。
「ごめんなさい、この地を荒らしてしまって」
元が自分の
アグルエは宙を渦巻いた
どうやら、その考えは正しかったようだ。
宙を舞う澱みとなってしまった
事態がすぐに終息していくことに、エリンスも安心し、バレスロンもただその様子を眺めていた。
辺りの空気も元の地底湖同然へと落ち着いていくその最中――
――「ナガレ ヲ タダセ」
エリンスとアグルエは、その場にいた誰のものでもない声を聞いたのだった。
「えっ!?」
驚きを隠せないように、アグルエは再び声を上げた。
エリンスもアグルエのその様子を見て、慌てて周囲を見渡した。
その二人の様子を見てバレスロンが口を開く。
「どうしたんじゃ?」
「じいさん、今、声が聞こえなかったか?」
「聞こえておらんぞ」
その声、言葉の意味を正しくエリンスとアグルエは理解できなかった。
まるで
二人はバレスロンに不思議な声が聞こえたことを話すのだが――
バレスロンも「この地でそんなことは今まで一度もなかった。
太古より存在した何かを表した壁画――
魔王から勇者へと、誓いの印に贈られた魔界の木――
言葉を放った意思を持つ
こうして二人の旅には――数々の大きな謎が残ったのであった。
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